第二十六話:精密なる寸歩
団体戦準々決勝、第一試合の熱気が冷めやらぬオクタゴン。
星ヶ丘高校サムライ部のベンチが萌香の勝利に沸く中、冨里川高校の陣営から静かに第二の刺客がケージへと足を踏み入れようとしていた。その瞬間、サポート席でタブレットを叩いていた市川帆南が、鋭い声を張り上げた。
「萌香、気をつけて!次の神子上潮乃は補欠でデータは少ないけど、実力はレギュラー陣と遜色ない。武器は、予備動作を見せずに踏み込む連撃。ポイントをマシーンみたいに削り取ってくるスタイル。補欠だからって、油断したらダメ!」
「……わかった、ありがと!」
前の試合で道脇を削り勝った興奮のなかにいた萌香は、対峙した潮乃の細い腕を見て、心のどこかで「そうは言っても補欠だし、さっきの先鋒よりは楽にいけるかも」という過信を捨てきれずにいた。
ケージの中央で対峙した潮乃は、細身の体躯に、怜悧で涼しげな目元。およそ格闘武道には似つかわしくない、氷細工のような静けさを纏っていた。萌香は自ら仕掛けることをせず、二本の木刀を交差させ、相手の出方を見据えて迎え撃つ受動的な構えをとってしまう。
――ピィィン!第一ラウンド開始の電子音が響いた瞬間、帆南の警告の意味を、萌香は骨身に染みて理解することになった。
「――ッ!?」
速い、という思考すら遅れる。潮乃の身体には、肉体的なタメの動きが一切存在しなかった。デジタル回路のスイッチを押されたかのように、唐突にトップスピードへと達した潮乃の身体が、滑るように萌香の間合いへと侵入してくる。
潮乃の放った突きが、鋭い弾道となって萌香の顔面へ迫る。萌香は反射的に一本目の大刀を突き出して防いだが、潮乃の狙いはその瞬間にあった。ガキン、と硬質な電子音が響く、潮乃は萌香が防御に用いた刀の慣性を完璧に見切っていた。力線が反転するその逆の方向へ、潮乃は手首の返しだけで瞬時に木刀を切り替える。
(二本の連動が、追いつかない――!)
萌香の頭脳がどれだけ速く処理しようとも、肉体の駆動が追いつかない。左右の木刀が互いの可動域を邪魔し合い、構えが急激に窮屈になる。二本の武器を持っているはずの萌香が、潮乃のたった一本の木刀に文字通り翻弄されていた。
ガードの隙間を的確に縫うような超高速の連撃が、萌香のプロテクターを次々と叩く。ピピピッ、と無情な警告音が鳴り響き、第一ラウンドだけで四ポイントを無残に削り取られていた。
第二ラウンド。萌香は巻き返しを図ろうと大きく踏み込もうとするが、それすらも許されない。潮乃が駆使するのは、細かく高速なステップ――寸歩。それはミリ単位で距離を支配する足捌きだった。
萌香が右手の大刀を振り下ろそうとしても、潮乃はその刃が届く直前の、わずか数センチ外側の安全圏に平然と位置している。それでいて、自らが放つ突きの最高速と最大威力が発揮される「最高の打点」だけは決して崩さない。
(うそ……全然間合いに入れない……!)
反撃の機会を完全に奪われたまま、萌香は防戦一方で後退を余儀なくされる。ケージが背中に迫る。端まで完全に追い詰められていた。
「萌香! ピッチを合わせちゃダメ! 相手の距離を壊して!」
ベンチから帆南の熱い叫びが響く。金網に背中が触れた瞬間、萌香の脳内から過信が完全に消え去った。
冷徹な生存本能が呼び覚まされる。萌香は、潮乃の圧倒的な剣さばきの速さを目で追うことを完全にやめた。速度に惑わされれば、脳の処理が焼き切れる。代わりに、重心の移動と、木刀の軌道――その二点のみに視線を極限まで絞り込んだ。
(帆南の言う通りだ……。この人、自分の間合いを過信しきってる。だから、攻撃の軌道が全部まっすぐだ……!)
超高速ゆえに、一度放たれた突きの軌道は直線的にならざるを得ない。潮乃の冷徹な瞳が、萌香の喉元を捉える。ミリ単位で計算された、必殺の直線突きが放たれた。
勝負は一瞬だった。萌香は正面からその一撃を受け止めなかった。左手の小刀を、迫り来る潮乃の木刀に対して、真横――すなわち「垂直の角度」から鋭くぶつけた。
ガギィッ!真っ向から受け止めるのではなく、側面から一瞬の衝撃を与える。それだけで、潮乃の完璧に計算されていたはずの木刀は、銃弾が斜面に跳ね返るように、わずか数センチだけ外側へと軌道を逸らされた。風切り音を残し、刃が萌香の首筋を空しく通り過ぎていく。
「なっ……!?」
初めて潮乃の目元に、驚愕の色が走った。攻撃が外れたことで、潮乃の身体に一瞬の硬直が生じる。しかし、超高速で突進していた彼女の身体は、自らの前進の慣性を止めることができない。それは、潮乃自らが、萌香が構える右手の大刀の必殺の間合い――最も無防備な「懐の内側」へと飛び込むことを意味していた。
逃げ場のない超至近距離。潮乃の頭上に、萌香の大刀が冷酷に振り下ろされる。
「これで、おあいこ!!」
ザンッ!!!完璧な気剣体の一致が放つ、重い電子音が、静まり返ったアリーナに轟いた。――一本。AIが冷徹に告げたのは、形勢を瞬時にひっくり返す、大逆転の「即死判定」だった。




