第二十話:風になりたい少女
団体戦の一回戦が終わり、手永は道場の隅で自分の震える両手を見つめていた。惨敗だった。俺の木刀は空を切り、相手の間合いにすら入れなかった。一方で、同じ二年生でサムライ部の九十歩は、水が流れるような身のこなしで次々と一本を奪っていた。「才能の差」を、公式戦の舞台でこれ以上ないほど残酷に見せつけられた。
(俺は、もう戦えない――)
情けないが、心が完全に折れていた。このメンタルで二回戦のコートに立てばチームの足を引っ張るだけだ。
「俺、ちょっと頭冷やしてくる」
九十歩や他の部員たちの視線から逃げるように、俺は体育館の裏口から外へ出た。一回戦が終わり、高校に戻った俺は、その場ですぐに明日の二回戦の出場辞退を五代部長に告げた。
一回戦は、一年生の小平萌香が急遽休みとなり、代わりに補欠の太原あいりが出場していた。だったら、二回戦の俺の穴も太原あいりが埋めるはずだ。
そうして迎えた、予選二日目の朝。初夏の強い日差しが、自己嫌悪にまみれた頭をジリジリと灼く。
俺はあてもなく電車に乗り、ただふらふらと逃げるように移動を続けていた。気づけば、足は別会場で開催されている、弓道部のインターハイ県予選会場へと向かっていた。サムライ部のあの熱いオクタゴンの世界からは完全に切り離された、厳かな静寂に包まれた別世界。そうだ、今日は同じ二年生の中原巴が、朝一番の早い時間から個人戦に出ているはずだった。あいつの揺るぎない「強さ」を、少しでも浴びたかったのかもしれない。俺は惨めな背中を丸めたまま、静寂の張り詰める弓道場の観客席へと紛れ込んだ。
弓道の射場で、中原巴の姿は異彩を放っていた。パン、と心地よい弦音が響く。放たれた矢は、狂いなく的の芯を射抜いた。周囲から湧き起こる歓声。しかし、巴の表情は張り詰めたままだ。瞬く間に決勝進出を決めたというのに、その瞳はここではない、もっと遠くの何かを見据えているように見えた。
(……すごいな、あいつは)
的に吸い込まれる矢の軌道に、俺はただ圧倒されていた。自分の不甲斐なさに引き比べ、巴の持つ圧倒的な「強さ」が、折れかけた心に眩しすぎた。試合後、観客席から降りた俺に気づき、巴が歩み寄ってきた。
「おい、中原。おめでとう。これで決勝進出だな」
俺の精一杯の祝福に、巴は手にした弓を握り直し、真っ直ぐに俺を見つめてきた。その瞳には、予選突破の喜びではなく、見たこともないほどの野心が燃えていた。
「手永。私、インターハイが終わったら、馬上薙刀をやりたいの」
「は……? ば、馬上薙刀……? それって、あの馬に乗って薙刀を振り回すやつか!?」
耳を疑った。星ヶ丘高校には馬もいなければ、そんな環境もない、一体何を言っているんだ。さらには弓道部の巴が口にした、俺がサムライ部でも見たことのない「薙刀」の言葉。
「そう。先週、神社の境内を偶然通りかかったらさ、流鏑馬の奉納をやってて思わず足を止めちゃったの。そしたらその後に、全速力で駆ける馬の上から、大振りの薙刀をブンブン振り回して的をなぎ払う演武が始まって……。もう、風切り音が凄くて一目惚れ。私、あの風になりたい。誰も真似できない、圧倒的な強さを手に入れたいの」
現実味のない言葉に目を見開く俺に、巴は不敵に微笑んだ。それは、ただの思いつきではない。偶然目にした景色に魂を揺さぶられ、不可能にしか思えない領域へ向かって走り出そうとする巴の熱量が、自己嫌悪で冷え切っていた俺の身体にじりじりと伝わってくる。その真っ直ぐな熱意に、俺の心は激しく揺さぶられていた。
ブブッ、とポケットの中でスマートフォンが短く震えた。巴と視線を交わしたまま画面を起動すると、部活のグループチャットから通知が飛び込んできていた。送り主はサポートの帆南だ。画面に表示されていたのは、今まさに終了したばかりの、団体戦二回戦の初戦と第二試合の結果だった。先鋒として復帰し、一人目から一本を奪った小平萌香が、続く葦中高校の二人目――長い間合いから脛と喉を突いてくる「薙刀」の前に、絶叫とともに一本負けを気がついたという最悪の速報。
巴が決勝進出を決めたこのタイミングで、スマホに届いた萌香の敗北データ。そして画面の最後には、次鋒としてオクタゴンへ上がる九十歩の名が光っていた。スマートフォンを握りしめる手に、再びじわりと嫌な汗が滲む。逃げ出した先、目の前で不敵に笑う巴の熱と突きつけられた「薙刀」の脅威。折れかけた俺の心は、激しく軋みながら揺さぶられていた。




