私は選んだ
読んでくださりありがとうございます。
本格的に敵が動き出しました。
詩音誘拐編・前編です。
任務から帰った直後。
4人の空気は最悪だった。
紗蘭は泣いて目を腫らしているし、詩音は無反応。手を引いてやらないと動かない所まで来てしまった。
桔梗はどう声をかけて良いか分からず、やきもきしてばかり。
皐月はそんな3人を見ながら、また笑える日が来るのか、不安を抱いていた。
(早く……)
早く、解決できたらいいんだけど。
彼にしては珍しく、乾いた笑いしか出なかった。
ミクマはまだ戻っていなかった。
よほど説得に手こずっているのだろう。
竜の子たちに引かれながら、詩音と紗蘭は風呂に連れて行かれた。
残された2人も、無傷とはいえ土埃で汚れたので、風呂に行くことにする。
男女に分かれた屋根付き露天風呂があるのだが、けっこう壁越しに声が聞こえる。
2人が体の汚れを落としていると、まだ紗蘭のすすり泣く声がした。
「ぅっ………ぐす………」
2人とも体を洗うどころじゃないだろうな。
竜の子たちも大変だ。
そう思いながら、皐月は髪を洗う。
「なあ、皐月」
横で体を洗っていた桔梗が、鏡を見つめたまま問いかける。
「今、俺たちにできることってなんだろうな」
「さあねぇ。一つ言えるのは……」
シャワーで泡を流してから、皐月は桔梗の方を向いた。
「まずはお風呂でさっぱりしてから、でいいんじゃない?ボクらまで滅入ったら何も立ち行かないよ」
着替えてから、4人はいつも食事をとる広間に集まった。
紗蘭は腫れぼったい目でぼうっとしている。やっと落ち着いたのだろう。
詩音も正座したまま微動だにしていない。
桔梗は腕を組み、壁にもたれたまま目を閉じていた。
「さ、じゃあ作戦会議といこうか」
皐月が、いつもの軽さを少しだけ取り戻した声で言う。
だが、それに応じる空気は無かった。
沈黙が、重く落ちる。
「……まず、現状整理からかな」
3人誰も話さないなら、と皐月が率先して語り出す。
「詩音ちゃんの状態は……見ての通り。ミクマ様の術の効きはどんどん落ちてるし、ぼーっとすることがものすごく多くなった」
ちら、と詩音を見る。
「それなのに、戦闘能力はむしろ上がってる。あれは……正直、普通じゃない」
「……ああ」
桔梗が短く同意する。
「敵の位置把握、あの精度は異常だ。俺でも無理だ」
さきの戦闘を思い出しながら、桔梗は拳を握りしめる。
「でも、それってつまり……」
紗蘭が顔を上げる。 腫れた目が、まっすぐ詩音を見た。
「敵の思考に近づいてるってこと、だよね」
誰も、否定しなかった。
「……まずいよな」
桔梗が低く呟く。
再び、沈黙。
その中心にいる詩音だけが、何も感じていないように静かだった。
「……詩音」
紗蘭が、恐る恐る声をかける。
「今、自分がどういう状態か……分かってる?」
少しの間を置いて、詩音が答える。
「認識している」
「それって」
「任務に支障あり。私の戦線離脱を推奨」
即答だった。
「……違うよ」
紗蘭の声が震える。
「そういうこと聞いてるんじゃない」
詩音は首を僅かに傾げた。
「質問の意図が不明」
「だから……!」
思わず語気が強くなる。また涙が滲んできた。
「おかしいって言ってるの!詩音、全然いつもと違う!」
その言葉にも、詩音の表情は変わらない。
「変化は確認している」
「……っ」
紗蘭は言葉を失う。
「感情の揺れの減少により、判断精度は向上。戦闘結果から見ても有効性は証明済み。ただし機能停止の頻度が多いため、戦闘要員としては不適」
淡々と、分析するように言う。
「よって、現状は」
「やめろ」
低く唸るような声で、桔梗が遮った。
詩音が言葉を止める。
「……それ以上喋るな」
桔梗はゆっくりと目を開いた。
その視線は、冷たくもあり、どこか苦しげだった。
「お前のその喋り方、聞いてると……」
言葉を探すように、僅かに間を置く。
「……腹が立つ」
詩音は何も言わない。
ただ、じっと桔梗を見ている。
「……じゃあさ」
空気を変えるように、皐月が口を挟む。
「どうする?このまま様子見ってわけにもいかないでしょ」
「原因を叩くしかねぇだろ」
桔梗は即答する。
「汚染してる何かを見つけて、ぶっ壊す。それしかねぇ」
「でも、それが分からないんだよねぇ」
皐月が肩をすくめる。
「場所も、相手も、方法も不明。手がかりゼロ」
「……じゃあ、守るしかない」
ぽつりと、紗蘭が言った。
二人がそちらを見る。
「詩音を、これ以上進行させないように……私たちで守るしかない」
その声は弱かったが、確かに芯があった。
「任務も休めるようになったし……今なら、ずっと一緒にいられる」
詩音の方へ、ゆっくりと手を伸ばす。
「だから……大丈夫。絶対、元に戻すから」
その手は、詩音の手に触れる。
温もりはある。 だが、反応は無い。
「……」
詩音は、その手を見下ろすだけだった。
紗蘭の指が、小さくと震えた。
「……何も言わないんだね」
笑おうとして、笑えない声。
「触ってるの、分かるでしょ」
「理解している」
「じゃあ」
「言葉の必要性を感じない」
その一言で、空気が凍りついた。
紗蘭の手が、ゆっくりと離れる。
「……そっか」
力なく、呟く。
皐月は視線を逸らし、桔梗は歯を食いしばった。
誰も、次の言葉を見つけられない。
その時だった。
ふっ。
一瞬だけ、空気が揺らいだ。
ほんの僅か。 だが、確かに何かが変わった。
「……今の」
皐月が顔を上げる。
桔梗も周囲を見渡す。
「結界……?」
だが、異常は見当たらない。
その中で。
詩音だけが、ゆっくりと顔を上げた。
何もない空間を、じっと見つめる。
「……どうしたの、詩音?」
紗蘭が問いかける。
詩音は答えない。
ただ。
「……来る」
ぽつりと、そう言った。
その声は、これまでと同じ平坦なものだったが。
どこか、確信を含んでいた。
詩音を竜の子たちに任せ、3人が武器をとって境内に行くと、2人の人影。
1人は以前見た女――綾芽だ。
もう1人は初めて見る顔の男だった。
黒いぼさぼさの髪を真ん中で分け、無造作に後ろで結われた髪を揺らして歩いてくる。赤い瞳からは、強い気を感じさせ、ボロボロの着物に似つかわしくない、圧倒的などす黒いオーラが全身を包んでいる。
近くにいるだけで、嫌な空気を纏っていた。
「なんですか、あなたたち」
鋭い声で言い放つ紗蘭。杖を構え、臨戦体勢をとる。
「そんなに怖い顔しないでよ、子猫ちゃん。あたしたちはね――」
3人には目もくれず、襖の奥に目をやる。
「お人形さんを迎えに来たのよ」
こいつ、詩音を攫う気か。
ということは――!
「……あいつの精神汚染の原因が、そっちから来てくれるなんてなぁ。都合が良すぎるぜ」
桔梗は皮肉たっぷりに言うが、男は意に介さない様子で右手を差し出す。
「我が世界の執行人、曾根崎詩音を出せ。今ならば無傷で返してやっても良い」
その声は、地の底から唸るような低音だった。胃を揺らされたような感覚になった3人は、気持ち悪さを覚える。
「我が世界?執行人?なんのこと」
目一杯の眼力で睨む紗蘭。男は鼻で笑う。
「我の世界は規律と効率だけが全て。その世界の規律を担うべき執行人は、世の理を破るような転生者ではならぬ。純粋な強者――そう、まさに曾根崎詩音が理想なのだ」
「ふざけないで!」
紗蘭は怒鳴った。
「詩音は物じゃない!!私たちの仲間なんだから!!アンタなんかに渡す理由なんて無い!!」
そう言って、杖を強く握りしめる。
「そうは言ってもねぇ」
負けじと綾芽が一歩前に出る。
「あなた達、このお方に敵わないと思うのだけれど?怪我する前にさっさと」
「断る」
綾芽の言葉を遮るように、桔梗が刀を抜く。
「お前らと話すことはない。お前を斬って、詩音を元に戻す。それだけだ」
「賛成」
真顔になった皐月が、敵2人に銃口を向ける。
「ボクさ、今すんごい虫の居所が悪いんだよね。大事な仲間を酷い目に遭わせてさぁ。責任、とってくれる?」
その視線は、とても冷ややかだった。
男はくっくっく、と笑う。
そして、
「そうか」
と呟いた。
「残念だ」
その時。
何が起こったか、分からなかった。
いつの間にか、全身切り傷まみれになっていて。
3人共、その場に伏してしまっていた。
全身が痛い。傷が深い。
呼吸が浅くなる。
「げほっ……」
口から血が溢れてくる。
肺が潰されたような感覚。
紗蘭はゆっくり男を見上げる。
手足のどれも動かした様子はない。
一体、何をされた?
「くそっ、たれ……」
桔梗が歯を食いしばる。刀は手を離れ、何メートルも先に飛ばされていた。
先ほどから皐月が起き上がらない。まさか、古傷でも開いたか?
戦闘にすらなっていない。
それが、この場の答えだった。
「口だけではないか」
つまらなさそうに言う男。
「殺す価値もない」
綾芽がひざまずく。
「お見事です。黒祇様」
黒祇と呼ばれた男は、紗蘭に近づくと、頭を踏みつけ、ぐりぐりと地に押し付ける。
「弱い。特にこの女。転生者ではないか。我の最も忌み嫌う非効率な存在だ」
(悔しい――)
まるで自分の人生を否定するかのような言い回しをするこの男に、何もできない自分が。
悔しくて、たまらなかった。
「さて」
黒祇は足を話すと、また襖の方に目をやる。
「――来い、我が執行人」
がらりと、襖が開く。
紗蘭と桔梗は動かない体を必死に起こし、背後を見た。
竜の子たちに任せていたはずの詩音が、1人で立っていたのだ。
「だめ、詩音……!」
紗蘭が叫ぶが、詩音は無反応だ。
「……状況を理解」
ぽつりと、そう零す。
「そうだ。これ以上仲間を失いたくなければ、我の元に来い」
黒祇は右手を詩音に差し出す。
詩音はゆっくりと歩き出した。
「行っちゃダメえっ!!」
悲痛な声をあげるが、詩音は足を止めない。
「そんな奴の所に行くな!!詩音!!」
桔梗も声を張り上げる。
だが。
詩音は黒祇の目の前に立つと、少し振り向いて一瞥する。
その顔は、いつもの詩音だった。
「……ごめんな」
そして、黒祇の手を取った。
「それでいい」
黒祇はにたりと笑い、詩音を抱き寄せる。
その時の詩音は、またあの無表情に戻っていた。
「ではな、弱者ども」
踵を返し、黒い光のゲートを作る。
「またね、子猫ちゃんたち」
綾芽も黒祇に付き添いながら、門をくぐっていく。
「待って……待って、よ……!」
紗蘭は必死に手を伸ばすが、詩音は振り返る様子すら見せない。
届かない。
動けない。
何も、できない。
「詩音ーーーーーーーっ!!!!」
紗蘭の叫びは、虚しく響くだけであった。
ミクマが帰って来たのは、それから2時間後のことであった。
結界に異変を感じ、慌てて帰って来たと言うのだ。
すると、ボロボロの3人が境内で死にかけているではないか。
ミクマと竜の子は慌てて3人を医務室に運ぶ。まだ意識があった紗蘭から、そこで詩音が攫われたことを聞かされたのであった。
黒祇、という名を出した瞬間、ミクマの目が開かれた。
「紗蘭ちゃん、今、黒祇って言った?」
「言い、ました、けど……」
医務室でヒューヒューと呼吸音を鳴らしながら話す紗蘭。
ミクマは暫く考え込むと、真剣な面持ちになる。
そして。
「すまない」
頭を深々と下げた。
「この一件、私が一端を担っているかもしれない。峠を越えられたら――私の知る限りを話そう」
「ミクマ、さ、ま……」
話の意図が分からぬまま、紗蘭は猛烈な眠気に耐えられず、意識を手放してしまった。
それから2日後のことであった。
朝餉の味噌汁の香りに誘われ、ふと目を覚ました紗蘭は、2人がまだ眠っていることを確認する。
まだ体が痛い。
治癒術には大きく分けて2つある。
RPGのように、魔法のように傷を治してしまうタイプと、本人の細胞を活性化させて治すタイプ。
紗蘭が使えるのは前者、竜の子たちが使えるのは後者である。
ただ、魔力を使うと傷に障るから、あまり今治癒術は使いたくない。
なので、ゆっくり傷を治す竜の子たちの治癒術に頼るしかできなかった。
(――私、生きてる)
「殺す価値もない」
あの日、黒祇に言われた言葉が脳裏をよぎる。
右手をぐっと握る。
私――。
「……ん……」
隣のベッドで声がした。
桔梗のようだった。カーテンで仕切られているので、シルエットしか分からない。
どうやら、彼も目覚めたようだ。
ちょうど竜の子たちが朝餉を運んできてくれた。
目覚めた2人に気づくなり、竜の子たちはわんわんと紗蘭と桔梗に泣きついた。余程心配してくれていたのだろう。
「いてててて!まだ傷痛えんだって!!」
隣が急にやかましくなり、紗蘭は思わず笑みを零した。
それから朝餉をとっていると、ミクマがやって来た。
皐月はまだ目覚めていないが、紗蘭と桔梗に聞いてもらわなければならない話があると、真剣な面持ちでいたのだ。
「黒祇のことだ」
その名前を聞いた瞬間、2人は顔を見合わせる。
「ミクマ様、知り合いだったんですか!?」
ミクマは申し訳なさそうに頷く。
「昔の知り合いの神の眷属だよ。彼もまた、昔は退魔師だったんだ」
黒祇の意外な過去に、2人は目を丸くする。
「……は?」
桔梗が、間の抜けた声を漏らす。
「退魔師、って……あいつが?」
紗蘭も、信じられないという顔でミクマを見る。
「あんなの、どう見ても……」
「そうだね」
ミクマは、静かに頷いた。
「今の彼からは、想像もつかないだろう。でもね」
一度、言葉を切る。
「彼は、誰よりも規律を重んじる子だった」
「規律……?」
紗蘭が眉をひそめる。
「ああ。無駄を嫌い、感情に流されず、常に最適を選ぶ。任務の成功率は群を抜いていたよ」
「……精神汚染された時の詩音と、言ってることが一緒だ」
桔梗が、苦い顔で呟く。
ミクマは、その言葉に僅かに目を伏せた。
「彼が理想とした完成形が、今の詩音ちゃんなんだろうね」
空気が、重く沈む。
「……じゃあ」
紗蘭の声が震える。
「あいつ、最初から詩音を……?」
「目をつけていた可能性は高い」
ミクマははっきりと言った。
「非転生者でありながら、高い戦闘能力を持つ。だけど、感情に揺れる不安定さも抱えている」
その瞳に、悔しさが滲む。
「純粋な強さを求める黒祇には、あまりにも都合が良い存在なんだろうね」
紗蘭の手が、ぎゅっと震える。
「そんなの……そんなのって……!」
「……で、その元退魔師がどうしてああなったんだよ」
桔梗が低く問う。
逃げるような話では、もう済まされないと分かっている声だった。
ミクマは、しばらく黙り込む。
そして。
「私の責任だ」
静かに、そう言った。
「……え」
「彼が仕えていた神がいた。私と親しかった神だ」
ミクマはぽつり、ぽつりと語り出す。
「だが、その神は……ある時から、魔を生み出す存在へと変質してしまった」
「……なんで、ですか?」
紗蘭の問いに、ミクマは首を横に振る。
「分からない。今でもね」
その声には、確かな悔恨があった。
「私は止められなかった。そして」
拳を握る。
「その影響を、最も近くで受けたのが……黒祇だ」
「……」
「主を失い、信じていた規律そのものが歪められた」
ゆっくりと、言葉を噛みしめるように続ける。
「結果、彼は効率のためなら何を壊してもいい、という結論に至った」
「……狂ってる」
桔梗が吐き捨てる。
「そうだね」
ミクマは否定しない。
「でも彼にとっては、それが正しいんだ」
静かに、しかし重く。
「感情は無駄。揺らぎは欠陥。ならば排除すべきだ、と」
紗蘭の脳裏に、詩音の姿が浮かぶ。
無表情で、淡々と。
「必要性を感じない」
そう言い放ったあの姿。
「……だから、詩音を」
「完成させるつもりだろうね」
ミクマは断言した。
「自分の理想とする、自分のための世界の執行人として」
その言葉に、紗蘭の顔が歪む。
「そんなの……絶対、させない」
震える声だった。
だが。
確かに、怒りが戻ってきていた。
「……取り返す」
ぽつりと呟く。
「絶対に、取り返すから」
その言葉に、桔梗も小さく息を吐く。
「……当たり前だ」
ベッドの上で、拳を握る。
「借りは返す。あいつには……まとめてな」
「そうと決まれば作戦会議だよね?」
紗蘭は相当やる気だった。
桔梗も借りを返すと息巻いている。
ミクマは、そんな2人を静かに見つめていた。
そして。
「……急がないといけない」
いつもの何倍も低い声で、そう告げた。
「精神汚染が完成すれば――」
一瞬、言葉を止める。
「詩音ちゃんは、戻って来られなくなる可能性が高い」
その一言で。
部屋の空気が、完全に凍りついた。




