堕ちる
ご無沙汰しております。ちょっと体調崩しておりました……。
綾芽編後編です。
「くそっ、ここは……」
どこか別の部屋に押し込められた詩音は、辺りを見回す、
文机の上には妙な香炉があり、そこから鼻を突く甘い匂いがする。
乱れた布団が落ちており、そこで何があったのかを察するのに、時間はかからなかった。
「……気持ち悪い」
口元を押さえる詩音。
だが、自分の感情に反して股間が痛む。これが男の性だとでも言わんばかりに。
すると。
「あらぁ。辛そうでありんすね?手伝ってあげんしょうか?」
あの女の声が、背後から忍び寄った。
細い指が、頬に触れる。
「『抜く』のは得意でありんすよ?」
「やかましい」
その手を振り払う。
「やん。いけず」
女はもう一度、今度は胸に指をとん、と置く。
「主さんが『あの人』のお気に入りでありんすか?」
「『あの人』……?」
「何度も何度も見ていりんしょう。あの黒い影を」
「!!」
こいつ……!
詩音は目を見開いた。
私の不調の原因を知っている!
なら、こいつを問いただせば……。
「わっちはなにも喋りんせん」
まるで心を読まれているかのように、綾芽は告げた。
「でも」
すっと耳元に顔を近づける。
「早うこっちに来たらよろしおす」
その言葉を聞いた途端、右手がびくん、と跳ねた。
頭の中がぐるぐると回り出す。音や言葉の洪水だ。
うるさい、うるさいうるさいうるさい…………!
(…………対象は敵。精神干渉系能力保持者。優先事項、排除。もしくは無力化)
ふっと、思考がクリアになったのを感じた。
余分は割けばいい。
それが最も効率的だ。
「あはぁ……」
女はにたり、と笑った。
「やっぱり、『あの人』のお気に入りはこうでのうては」
「…………」
詩音は黙って腰の刀を抜く。
彼女は剣道もかなりの実力者だった。弟にこそ負けていたものの、全国的に見ればかなり上位である。
すらり、と刀身が光る。
中段の構えをとる詩音。
「排除、対象、確認」
そして、綾芽の首を狙う。
だが。
それは、女の影だった。
「…………」
光を失った目で、女の実体を探す。
「ほんに、いけずでありんすなぁ」
ゆらり、と再び姿を現す。
と同時に。
詩音が刀を振った。
再び影。
背後から、腕が伸びた。
耳元でふっと息を吹きかけられる。
(対象の接触、危険――)
距離を置こうとするも、がっちりと腕を絡まれていて、動けない。
(危険、危険、危険……!)
瞳が揺れる。
だが、次の瞬間。
「……排除」
ふいに、そう呟いた。
あり得ない体の曲げ方――下手すれば、骨を折りそうな曲がり方で、詩音はその場から脱する。
「あら、まぁ」
綾芽が目を細める。
「その状態で抗いんすか」
詩音は答えない。
呼吸は浅く、速い。 だが無駄がない。
「対象の位置、特定」
振り返りざま、踏み込む。
畳が、弾けた。
「っ!」
今度は“影”ではない。 確かな手応え。
綾芽の袖が、裂けた。
「まぁ……」
ひらり、と距離を取る綾芽。 だがその表情には、初めて明確な焦りが浮かんでいた。
「これは……えらいことになりんしたねぇ」
詩音は止まらない。
一歩、また一歩。 一定の間合いで詰める。
「感情、遮断。干渉、無効化、継続」
ぶつぶつと、独り言のように呟く。
「ほんに……人の戦い方ではありんせん」
綾芽はくすりと笑う。
「壊れかけの人形のようで」
その一言。
びくん、と詩音の身体が跳ねた。
「……っ」
ほんの一瞬、動きが鈍る。
(んん?)
綾芽の目が細まる。
「まだ残ってやすねぇ」
甘く、囁く。
「怖いでありんしょう?」
「……」
反応はない。
だが。
刀の切っ先が、わずかにぶれる。
「自分が壊れていくのが」
「黙れ」
初めて、言葉が返った。
低い声。 抑え込んだ声。
だがそれは、機械のそれではなかった。
「おや」
綾芽が笑う。
「まだ人でありんすね」
その瞬間。
詩音の踏み込みが、明らかに速くなった。
「っ!」
下段からの横一閃。
綾芽は避ける。 だが今度は完全には避けきれない。
頬に、薄く血が走った。
「……これはこれは」
指先で血をなぞり、くすりと笑う。
「面白い」
詩音の瞳は、依然として光を失っている。
だがその奥で――
何かが、必死に訴えかけている。
(ダメだ、飲まれたら……駄目……)
刀を握る手に、力がこもる。
「……排除」
その言葉は変わらない。
だが。
ほんのわずかにだけ。
そこに意思が混じり始めていた。
その時だった。
バキイッ!!
襖が盛大に割れたと思うと、銀髪の男――桔梗が転がり込んできたのだ。
「…………」
詩音は何も言葉を発さず、綾芽を見据える。
だが。
桔梗はむくりと起き上がったかと思うと、そのまま詩音に斬りかかる。
咄嗟のことで、詩音は対応しきれず、右腕を浅く斬りつけられてしまう。
「……!?」
ゆらりと立ち上がる桔梗。
よくよく見れば、彼の海のような青い瞳は濁りきり、焦点が定まっていない。ゆらゆらと動きながらも、刀だけはしっかりと構え、再び詩音に突撃する。
「っ……!」
力強い一撃を、刀で受け止める詩音。ぎちぎちと音を立てる。
(対象は洗脳済み。排除――)
そこまで考えかけて、詩音は自分の頬を思い切り叩いた。
……危なかった。また思考に呑まれかけていた。
「桔梗!」
再び呑まれる前に決着をつけなければ……!
目の前の男の名を呼ぶが、反応はない。
一切の無駄が省かれた、操り人形の姿。
一歩間違っていたら、自分もこうなっていたかもしれないと思うと、詩音はぞっとした。
桔梗は無言のまま、再び踏み込んできた。早い。
「くっ……」
とっさに受け止める。一撃が重い。
「ほぉら」
その背後に、またあの女。
「もう一度」
艷やかな唇から、毒が漏れ出す。
「堕ちなんし」
「っ……ぅ……」
まただ。思考の波が押し寄せてくる……。
(駄目だ、ここで呑まれたら……)
確実に、目の前の男を斬ってしまう。
それが、どうしようもなく恐ろしかった。
『この私』なら絶対にやりかねない。合理化の塊。
それに成り果てることが、何を意味するか……。
片鱗を知っただけでも、身震いするほかない。
耐えろ、耐えろ、耐えろ……。
「耐久戦、続行」
そうだ、それでいい。耐えればどこかで突破口が見えてくる……!
それでも、一撃一撃は重く、詩音は劣勢となる。
とにかく、桔梗の攻撃が容赦ないのだ。
幸い、まだ氷の術は使われていない。
これで氷で足止めなどされようものなら、それこそ詰みだっただろう、と考える。
「耐久、増援、を……」
少しずつめまいがしてくる。思考が侵食されているのか、単純な疲れなのか。
その時。
カキィンッ!
ふとした油断を狙われ、刀を弾かれてしまう。
「……戦闘形態、変更」
暗器を取り出し、距離をとる。
だが。
あっという間に詰められてしまう。
上段の構え、刀を振り下ろされ――
詩音は袈裟斬りにされた。
その場に倒れ伏す。
「あらぁ。もう倒れちまったのでありんすか?」
「……ぅ……」
暗い視野の中で、倒れ伏したまま手近な苦無を拾おうとする。
だが、その右手を、思い切り踵で踏みつぶす者がいた。桔梗である。
ぐしゃ、と骨が潰れる音を立てる。
「がっ……ぁ……」
声にならない悲鳴をあげる詩音。見下ろす桔梗の瞳に、慈悲の色は無かった。
刀が首めがけて振り下ろされた。
その時。
ガゥン!
一発の銃声。
その正体は、息が上がりながらもここ一番を決めた皐月と、その後を追う紗蘭だった。
「ぎ、ギリギリセーフ……!」
「詩音先輩!!」
銃は桔梗の刀を弾き、遠くに刺さる。
ぬらり、と皐月を見据える桔梗。
「こっちはボクが!紗蘭くんは詩音くんを!」
「了解!」
再び皐月の銃が唸る。
全て的確に避けていく桔梗。
「あーもう!なんで避けちゃうかなぁ!」
すると今度は、皐月に狙いを定めて素手で襲いかかってくる桔梗。
氷の針を出して連射するが、相手は炎の精霊。全て炎で溶かして対応する。
そのまま取っ組み合いになる2人。お互いの力は拮抗し、両者は一歩も譲らない。
その間に、紗蘭は詩音の怪我を治癒していく。
着実に技術が向上しているようで、袈裟斬りにされた傷口はあっという間に塞がった。が、右手の複雑骨折は難しいらしく、痛みは引かない。
「ごめん、こっちは時間かかりそう」
「謝罪は不要」
「先輩……?」
もしかして、と紗蘭が言いかけた。
それを無視して、詩音は刀を拾う。懐から包帯を出すと、右手に無理矢理刀を持たせてぐるぐる巻きにした。
「目標、敵の排除及び桔梗の無力化。敵の排除を優先」
そう言って、詩音は再び中段の構えをとる。
刃を向けられた綾芽は、面白くなさそうに冷ややかな視線を向ける。
「面白くありんせんなぁ。…………あーあ」
突如、花魁言葉風の喋りをやめた綾芽。
詩音と紗蘭は目を丸くする。
「やめやめ。あたしのキャラじゃないわ」
すると、みるみるうちに姿が変わっていく。
ブロンドの髪に赤いメッシュの入った、黒い胸元の開いたドレスの、赤いヒールの女。
これが綾芽の本当の姿。
「もっと場をかき乱してやりたかったのにねぇ?」
にたり、と紅を引いた口元が吊り上がる。
「……最低」
紗蘭は杖を構えると、拘束術を展開しようとする。
だが。
「ま、あんたたちの仲間割れがどうなるか見てあげても……」
と言いかけた、その時。
バリィン!!
外のガラスが砕けた。
「……今度は何よ?」
つまらなそうに視線を向ける綾芽。つられて2人もそちらに顔を向ける。
そこには、狩衣姿の男性。
茶髪の刈り上げ頭。ウェーブかかった髪が眼鏡にかかっている。数珠の絡みついた手で術式を組む。きつい目つきのその男は、詩音と紗蘭を一瞥すると、綾芽に向けて式神の鳥を飛ばした。
だが。
それよりも早く、綾芽は影となっていた。
「あらぁ、この子たちのお仲間さん?」
余裕綽々とした綾芽に、狩衣の男は冷酷に告げる。
「派閥違いの敵だが、今の優先順位は貴様だと判断した」
「派閥……?」
紗蘭が首をかしげる。
「陰陽寮の者と断定」
ふいに、詩音が呟く。
「え?」
「陰陽寮。人外の存在を一切許容しない、神社の敵対組織」
人外を……許さない?
ってことは……。
「まさか、桔梗と皐月も……」
「推定、討伐対象とみなされる」
「そんな……!」
紗蘭は青ざめて桔梗たちを見る。
まだ膠着状態が続いているようで、こちらの様子に気付いていない。
「綾芽の討伐後、桔梗及び皐月を討伐するものと推測」
「そんなの駄目!!」
声を張り上げる紗蘭。
そんな様子を見ていた狩衣の男は、軽蔑した目で紗蘭を見る。
「何が駄目だ。異物は排除する。当たり前のことだろ」
「皐月と桔梗は異物じゃない!」
2人を庇おうとする紗蘭に、男は鼻で笑う。
「はっ。とんだ甘ったれがいたもんだな。なぁ?そこの美丈夫さんよ」
と詩音に声をかける。
「討伐対象、増加」
「……やっぱ神社の奴らって阿呆ばっかりだな」
呆れた様子の男は、綾芽と詩音、紗蘭を同時に相手取る構えをとる。
だが。
「やぁよ、私。男は支配したいけど、無粋なのは嫌い」
綾芽がそう言ったかと思うと、ずずず……という音と共に闇に溶けていく。
「あたしは退散するわぁ。またね、お人形さんに子猫ちゃん。それに無粋野郎」
手をひらひらとさせて、
「次はないから」
と言い残し、その姿を消した。
「……ふん、逃げたか」
そうして男は、今度は紗蘭と詩音に視線を向ける。
「貴様らがあの異物どもを庇うというなら、俺はお前らを排除する」
そう言って、式神を展開させる。
詩音と紗蘭も武器を構え、互いに睨み合う時間が続く。
「――やれ」
膠着を破ったのは、男の方だった。
鳥の形の式神を多数飛ばし、その羽根で2人の肌に傷をつけようとする。
詩音は刀を振るって、紗蘭はバリアを張って対処する。
「拘束します!」
紗蘭が術を詠唱しようとした時。
「遅い」
それよりも早く、男は式神を集合させ、大きな鳥を一羽生み出す。翼を紗蘭に叩きつけ、詠唱を阻害した。
「うっ…!」
その勢いで、鳥は回転する。風圧で詩音も近づけない。
「弱いな。嘆かわしいほどに弱い」
男は腕を組み、見下してそう言った。
だが、そこで手をこまねく詩音ではなかった。
風の流れを読んでいたのである。
詩音は風の流れの弱い所を一気に駆け抜けると、式神を一刀両断した。紙の首が飛び、はらはらと分解されていく。
「……ふん」
男は次々と鳥の式神を取り出し、また詩音たちにけしかける。ところが、先の一撃で詩音は流れを掴んだようで、軽々と式神をいなしていく。
「そっちのはボロボロだがやるじゃないか。その強さなら陰陽寮に相応しい」
「拒否する」
詩音は即答した。
彼女の脳内には、この男の排除しか無かった。
それは、汚染された思考なのか、本人の思考なのか。
曖昧となっていた詩音には分からなかった。
「排除」
それだけ呟いて、一気に刀を振り抜く。
一撃。
男の衣に切れ目が入った。
一方。
「くっ……」
少し疲れが見えてきた皐月。それでも、桔梗の猛攻は止まない。
何発銃を撃ち込んでも、氷で作った手刀に弾かれてしまう。最短で距離を詰めてこようとし、その度に服や肌を斬られる。
気づけば、あの綾芽とかいう遊女がいない代わりに、2人は変な男と戦っているではないか。
なんだ?味方じゃないのか?
状況が汲めないまま、桔梗の攻撃をいなすことしかできなかった。
一撃入れた筈なのに、詩音は止まらなかった。
(排除、排除、排除――)
それが正しいと信じて。
それ以外は不要と感じて。
容赦なく刀を振るう。
最初は男も何度か躱していたものの、次第に追い詰められ、式神を使った防御でも防ぎきれない攻撃が当たっていく。
脇腹からは血がにじみ、狩衣はボロボロ。それでも、詩音はまだ止まらない。
「やめて先輩!その人死んじゃう!」
紗蘭の必死の叫びも、詩音には届かない。
刀を振り上げ、下ろそうとした――
が。
紗蘭が詩音に組み付いていた。
「先輩まで人殺しになっちゃダメだよ」
ぎゅっと、抱きしめる力が強くなる。
「……解放を要求」
「駄目」
「離せ」
「離さない!!」
紗蘭の手は震えていたが、離れるという選択肢は無かった。
「だって……このままじゃ詩音が詩音じゃなくなっちゃう!!」
その瞬間。
詩音の動きが止まった。
「……私」
それは、いつもの詩音の顔だった。
「……クソが」
その目の前で悪態をついた男は、式神を使って2人の背後に回る。
そしてそのまま、狙いを皐月たちに定めた。
「せめて、あの異物どもだけでも……!」
と、術を放とうとする。
「う……」
頭がクラクラする。
だが、ここで奮い立たねば、2人がやられてしまう――
詩音は無理矢理体を動かす。
「こ……んのぉ!!」
そして、目一杯の力で男の鳩尾に一発食らわせた。
「ぐっ……!」
男はよろけ、そのまま崩れ落ちた。
「紗蘭」
詩音は淡々と後輩の名を呼ぶ。
「えっ、いま、名前……」
「拘束」
「え、あ、はい!」
言われるがまま、紗蘭は男に拘束術をかけた。
ひとまず、こちらはこれで大丈夫だろう。
「はぁっ、はぁ……」
皐月はそろそろ限界だった。
正直、頭は魔力の使いすぎでクラクラするし、体もボロボロ。それだけ、桔梗が強すぎた。
だが、桔梗は休む間も与えることなく、攻撃を続ける。
先ほどよりも受ける攻撃が増えた皐月は、立っているのもやっとだった。
「また医務室戻りは嫌なんだけど……!」
悪態をつきながらも、必死に銃を撃つ。足元を狙う。何発か当たるが、体勢を崩す様子はない。
「痛みを感じてないのかなぁ……」
それが厄介だった。
通常、ここまで当たればバランスを崩してもおかしくなさそうなのに。今の桔梗にはそれが全く無い。
ゆらゆらとうごきながら、氷の手刀で斬っていく。
「っ!」
皐月の頬に切り傷がつく。
血が垂れるが、気にしている場合ではない。
「ほんと、嫌な役回り受け持っちゃったなぁ!」
と、桔梗に掴みかかる。
桔梗は必死に抵抗する。また膠着状態だ。これで4度目。
すると。
「皐月、そのまま!」
ふいに、紗蘭の声がした。
何のことかよく分からない皐月は、そのまま桔梗を掴み続ける。
そこに、影が割って入った。詩音だ。
左手に力を込めると、綺麗なアッパーカットを決めた。
「がっ……!」
桔梗は見事に飛ばされ、地に倒れ伏す。
どうやら気絶したようだ。
「今だ、紗蘭!」
詩音が振り向いて叫ぶ。
「勿論!」
紗蘭は再び拘束術を展開すると、桔梗の腕と足を縛った。
「さて」
戦闘が終わり、辺りには静寂が戻る。朝日が昇り、スズメの鳴き声が聞こえる。
その時、詩音と紗蘭の男体化もちょうど切れた。
「やっぱ私は女のままがいいやぁ」
うーん、と背伸びする紗蘭。
「同感だな」
詩音も先ほど桔梗を殴った手を開いたり握ったりしている。
「ボクはたまになら見たいかなぁ。2人の男の子姿。なーんて……」
「嫌だからね」
「勘弁してくれ」
皐月が冗談めいた言葉をかけるが、2人は即座に拒否する。
「う……」
後方から、声がした。
3人が振り向くと、先ほど拘束した狩衣の男が目を覚ましていた。
「……ちっ」
状況を理解したのか、バツの悪そうな顔で舌打ちする。
そこに、紗蘭が一歩前に出る。
「もうやめてください。この人たちは敵じゃない」
男は黙って、気絶している桔梗と皐月を見る。そして、少しだけ目を細めた。
「……そいつらが異物である事実は変わらん」
詩音が間に入る。
「だが、脅威ではない」
「今この場における優先順位が低いだけだ。異物は異物。それだけだ」
男の憎たらしげな視線が詩音に向く。
「……貴様、合理で動くタイプか」
「なら分かるだろう。放置すればいずれ害になる」
詩音は男の言葉に、わずかに眉をひそめる。
「可能性だけで全て刈り取っていたら、未来の様々な可能性まで刈り取ることになるぞ」
男の表情は変わらない。
「……甘いな。だが」
視線を紗蘭に戻す。
「そこの小娘のような“感情論”よりはマシだ」
紗蘭がむっとする。
「感情じゃない!ちゃんと見て言ってる!」
そして、2人を指差して叫んだ。
「桔梗も皐月も、誰も傷つけたくてここにいるんじゃない!」
その言葉に、男は一瞬だけ沈黙する。
朝日が更にのぼり、桔梗の顔を照らす。
その光の中で、桔梗がわずかに呻く。
「……ん……」
皐月が慌てて振り向く。
「桔梗!?」
男の目が、わずかに動く。その反応を見て、
「……ほう。完全な傀儡ではなかったのか」
と、感心したようににやりと笑う。
そこに、紗蘭が食い下がる。
「だから言ってるじゃないの!助けられるの!」
男はしばらく黙る。
そして。
「……今回は見逃す」
それだけ言い放った。
空気が一瞬止まる。
「勘違いするな。見逃すのは今だけだ」
そう言って、男はゆっくりと立ち上がる。
拘束術を、力づくではなく術式で分解して解除した。
「あっ!いつの間に……!」
紗蘭は自分の術が解析されていたことにショックを受ける。
「この程度、造作もない」
男は服の埃を払うと、4人を睨みつけた。
「次に会った時、同じ理屈が通ると思うな」
そこに、詩音が短く返す。
「その時はその時だ」
男は鼻で笑う。
「いいだろう」
そして背を向ける。
「判断を誤るなよ、退魔師」
「曾根崎詩音」
突然名乗った詩音に、驚いたように振り返る男。
「また会うかもしれないだろ。名前」
「そ、そうだね!私は玉乃井紗蘭、あっちは桔梗、こっちは……」
「皐月でーす」
「……ふん」
そっぽを向いた男。
そのまま歩き出し――
一瞬だけ止まる。
「鬼塚慧。覚えなくていいがな」
背を向けたまま、男は言葉を続ける。
「そうだ……あの女。綾芽とか言ったか」
振り返り、詩音を指さした。
「放置すれば厄介になる」
それだけ告げて、姿を消す。
「……分かってるさ」
詩音は左手をぎり、と握りしめた。
正直な所、今回は負け戦だ。
あの女に翻弄されっぱなしだった。
結局、自分の不調をもたらした黒幕も分からなかった。
不甲斐ない。
鬼塚が介入してこなかったら、今頃はどうなっていたことか。
全滅もあり得た。
何より――
「一番危険因子だったのが自分だなんて、とんだ笑い草だな」
包帯でぐるぐる巻きにした、ボロボロの刃となった刀を見つめながら、詩音は呟いた。
まだ僅かに、右手はカタカタと震えていた。
……疲労とも恐怖とも違う何かだった。




