第百九十七話「鉄の掟」
銀河連盟議会。
かつては統一された意思決定の場だったが、今や完全に、二つの勢力に分断されていた。
議会場の左側には、自由主義同盟の代表たち。数にして八千を超える星系が、賑やかに議論を交わしている。多種多様な体格、肌の色、文化的衣装。喧噪と笑い声と、時には怒号が、絶えず空気を揺らしていた。
右側には、アマノガワ同盟。わずか千に満たない星系の代表たちが、静かに、座している。背筋を伸ばし、視線は前方を見据え、無駄口を一切叩かない。その静寂が、左側の喧噪と対照的すぎて、まるで別の議会場のように見えた。
「次の議題は、貿易関税の見直しについて」
議長が告げる。
自由主義同盟側から、活発な意見が飛び交った。
「関税を下げて、自由貿易を促進すべきだ」
「いや、新興星系の保護のために、ある程度の関税は、必要」
議論は白熱した。そして、採決。
「賛成、八千二百三十四。反対、八百四十七」
アマノガワ同盟は、全て反対票を投じたが、数の差は、歴然としていた。
グラディウスの長老が、ゆっくりと立ち上がった。
議場がざわめいた。アマノガワ同盟が意見を述べるのは、珍しい。普段、彼らは負けると分かっている議論には、口を挟まない。
「我々の意見を、述べさせていただきたい」
長老の声が、議場に低く響いた。
「関税の撤廃は、弱小星系を搾取する結果となるでしょう。我々は、仲間を守ることを、最優先といたします」
短い発言だった。そして、長老は、座った。
自由主義同盟側から、嘲笑が漏れた。
「どうせ負けるのに、何を言っても、無駄だろう」
その瞬間――。
アマノガワ同盟の代表全員が、一斉に、発言者を見た。
無言の、しかし凍りつくような視線。
千近い目が、一つの男に向けられた。種族も、文化も、戦闘力も異なる代表たちの視線が、寸分の狂いもなく、同じ方向に集中した。それは訓練された動きではなかった。本能だった。
発言者は、言葉を失った。
喉の奥が、急に渇いた。
その夜――発言者の自宅で、事件が起きた。
ベッドに横たわると、何か、生温かいものに触れた。シーツをめくると、そこには、腐りかけた宇宙生物の死骸があった。蛆のようなものが、ゆっくりと蠢いている。
悲鳴が、響き渡った。
厳重なセキュリティで守られた高層住居、何重もの認証を抜けないと辿り着けないはずの寝室。そこに、誰がどうやって、それを置いたのか。誰一人、説明できなかった。
翌日、発言者は議会で、謝罪した。
「昨日の発言を、撤回し、アマノガワ同盟に、謝罪いたします」
震え声だった。
アマノガワ同盟側は、誰も、何も言わなかった。ただ、長老が一度だけ、ゆっくりと頷いた。それで、件は終わりだった。
これは、氷山の一角に過ぎなかった。
ある星系が、アマノガワ同盟の貿易船を不当に拿捕した時のこと。
二十四時間以内に、その星系の全ての貿易ルートが、遮断された。アマノガワ同盟の全ての星が、採算度外視で、経済制裁を加えたのだ。たった一隻の貿易船のために、千の星が、自らの利益を犠牲にした。
その星系は、わずか一週間で経済破綻寸前に追い込まれた。
「たかが一隻の、貿易船のために、なぜそこまで」
自由主義同盟の議員たちは、理解できなかった。彼らの常識では、損益計算の合わない行動だった。
だが、アマノガワ同盟にとって――仲間への攻撃は、全体への攻撃だった。
その理屈に、損益計算は介在しない。
地球、アンナム本部。
かつてはただのマフィアの事務所だったが、今や銀河の裏社会を統べる、中枢となっていた。表向きは清潔感のある近代ビル、しかし地下には、銀河中の闇が集まっている。
「ファミリーの皆様、ようこそ」
マリアが、無表情に挨拶した。
黒いスーツを纏い、髪を一つに束ねた彼女は、もはや科学者でも研究者でもなく、組織の中枢にいる女性そのものに見えた。
集まったのは、アマノガワ同盟の実力者たち。彼らは「ファミリー」と呼ばれ、定期的にここで会合を開いていた。
「今週の報告を」
グラディウスの代表が、口を開いた。
「ケンタウルス星系のジョンソン商会が、我々の取引を、横取りしようとしました」
「対処は?」
「社長の寝室に、死んだコズミックキャットを」
「穏便ですな」
別の代表が、頷きながら言った。「穏便」の基準が、銀河の他の場所とは大きくずれていた。
「我が星では、裏切り者が出ました」
空気が、凍った。
「裏切り者」という単語に対する、ファミリー全員の反応は、即時かつ完全だった。
「内部情報を、自由主義同盟に流していたようです」
マリアが、静かに言った。
「パニッシャーの、出番」
全員が、頷いた。
異論は、出なかった。
裏切り者への制裁は、パニッシャーが直接行う。それが、鉄の掟だった。
表向き、アンナム・ブロードバンドは、普通の貿易商社だった。
明るいオフィス、笑顔の社員たち。自由主義同盟との取引も、活発に行っている。コーヒーマシンからは香ばしい匂いが漂い、社員旅行のポスターが貼られている。
だが、その地下には、別の顔があった。
銀河の裏社会を統べる、恐怖の組織。
地上と地下の落差は、あまりに大きく、両方を知る者は限られていた。
「アマノガワ同盟は、狂っている」
自由主義同盟の会合で、誰かが言った。
「一人が侮辱されただけで、千の星が報復に来る。採算も命も、度外視で」
「理解不能だ」
「だが、手を出すと、厄介だ」
「放っておくしか、ない」
そうして、奇妙な均衡が、生まれた。
アマノガワ同盟は少数派で、議決では常に負ける。
しかし、誰も、彼らを軽んじることは、できなかった。
なぜなら――彼らの背後には、「パニッシャー」がいるから。
銀河で最も恐ろしい、殺し屋。
犯罪帝国の、帝王。
今となっては、その正体を知る者は、少ない。
かつて孤児院から逃げ出した、心優しい少年であることを知る者は、さらに少ない。
ただ、裏切り者の前に現れ、確実に殺す存在として、恐れられていた。
ある日の議会。
自由主義同盟の若い議員が、調子に乗って言った。
「パニッシャーなんて、ただの都市伝説だろう」
その瞬間、議場の温度が下がったような気がした。
空調の故障かと、後で誰かが調べたほどだった。
アマノガワ同盟の代表たちは、何も言わなかった。
ただ、静かに、微笑んだ。
千の口角が、揃って、同じ角度で、上がった。
その光景は、議場にいた誰の記憶にも、悪夢として刻まれた。
その夜、若い議員は、行方不明になった。
三日後、震えながら議会に現れた彼は、何も語らなかった。
顔色は紙のように白く、両手が常に小刻みに震えていた。何を見たのか、何をされたのか、彼は墓まで持っていく覚悟をしていた。
ただ、二度と、パニッシャーの名を口にすることは、なかった。
「放っておけば、無害」
自由主義同盟は、そう結論づけた。
「だが、手を出せば、地獄を、見る」
アマノガワ同盟。
それは――銀河史上、最も奇妙で、最も恐ろしい、任侠集団となっていた。




