エリスの妖精(後編)-9
ハッキリ云って迷惑な落とし物なんだよ。
理事長の説明を聞く中で分かってはいたが、繰り返す一年の中で薄々感付いていた事実ではあるが、真正面から残酷な事実を知らされ、自分はショックが隠しきれないでいた。
視界に水位が上昇るように涙ぐんだ瞬間、マレウスの「死ね!」の大声と共に炎と雷鳴が入り混じった轟音が響く。その威力は魔力以上に殺意が込められた激しい熱量で、自分たちはマレウスの後衛に位置していたのだが、それでも炎と雷による影響は免れないと判断したセベクは自分を抱き抱えながら、後ろに後退する。
高威力の炎は非常に容赦のないもので建物全体が緑色の炎に包まれる中、青い炎がマレウスに向かって一直線に向かってきた。竜の鱗さえ燃やし尽くす青褪めたその炎はその巨体にぶつかるだけでなく、床、壁、天井、あらゆるものを燃やしながら縦横無尽に迸る。かつて入学式で暴れていたグリムのそれとは比較にならない、高威力の火焔だった。
「監督生、こっちだ!」
セベクが自分の手を握りながら立ち上がろうとする中、あたり一面青い火の海に包まれていた。焼き焦げて全焼した闇の鏡の間の屋根がぐらつきながら落ち、辺りに煤を散らす。
自分は腰を抜かしている場合ではないと、差し出された手を強く握って立ち上がろうとした瞬間――。
「ワイルドハントは帰る必要がある。持っていかれるのは困るな」
……と理事長の声がしたかと思うと、まるで地面に見えない糸で縫い付けられたかのように立ち上がることが出来なかった。
「自分はいい! セベクだけでも逃げて!」
緊迫した声を出す中、緑色の炎が全て青褪めた火焔へと色が移り変わる。黒い猟犬が涎を垂らしながら、こちらの方へ近寄っていた。自分はか細い声で「グリム」と正気を取り戻してほしい一願で奇跡を希いながら名を呼ぶが、心臓に巣食った蜘蛛の操り糸の影響下にある所為か、その言葉は何の効果もなかった。
「一体、何事ですかあなた達!」
だがしかし……いつも聞いたような……授業中、突如乱入する聞き慣れた声が響く。上空から、その鴉の濡れ羽色が現れたかと思うと、焼失し黒焦げた屋根を突き破って現れたのは、ディア・クロウリー。
学園長の姿だった。
「これは、一体……グリムくん、ですよね……?」
「やあ、マイディア」
その声を聞いた瞬間、学園長は口を堅く結んだ。仮面がなければ、強張った表情を見ることが出来ただろう。
「自分が誰なのか分からないのかな、マイディア。繰り返す一年の齟齬と影響か。記憶の欠如があるように思う。コレ……猫になる前のコピーキャットの姿を知っているだろうに。どうだ、思い出さないか」
「ええ……ええ」学園長は帽子の鍔を掴む。「忘れるわけないじゃないですか、理事長。忌まわしい、ドブネズミが!」
普段はおちゃらけ、飄々とし、掴みどころのない学園長は声を荒立たせた。そのドブネズミと唾棄する姿は、グレートセブンの横に建てられた苔むした像、メインストリートで八体目の彫刻を目の当たりにした時と全く同じものであった。
「……学生の皆さまは避難を。コレの相手は、私がします」
「クロウリー……」
「マレウス・ドラゴニア君も避難してください。相手の力量はそう強くない、どこにでもいる平均的なものですが、魔法の域が概念まで達している。操作魔法で相手の認識を塗り替えることだって可能な極みの領域。蜘蛛の巣の支配に置かれた生徒を相手にするのは心苦しいのです」
「アイツの力は平凡な生徒と変わりないと云うのに、魔術を極めていると云うのか」
確かにここは操られる人がいない方がいい。
学園長たった一人で立ち向かう方が賢明だろうと指示を悟ったマレウスは、ドラゴンの姿から人間の容姿に戻る。学園長は自分の身をかばうように目の前に立ちながら、真正面から対峙する。
黒い猟犬の青褪めた炎は、闇の鏡の間の八割を焼き尽くしていた。
「監督生さん……あなたを縛るその糸の魔法は、青い炎が触れた瞬間切れるでしょう」
死者特攻の炎なら、死者が作り出した魔法に効かないことはない。
「糸が一本切れた感触がしたら、すぐさま立ち上がって皆さまと同じように逃げてください。どうか、安全なところに」
「勘違いがあるようだな、マイディア。ワイルドハントに傷を負わせようものなら何が起きるか分からない。自分は最初から、どんな小さな擦過傷を負わせることなく帰すつもりだっやんだよ」
「喋るな蟲風情が。今度は――今度こそちゃんと殺してやる」
「学園長、相手は幽霊で……魔法、物理は効かないかと」
「ああ、そこは大丈夫ですよ監督生さん」糸が焼き切れた音を学園長も耳にしたのか片手で立ち上がらせる。「私、理事長を殺した張本人なんです。即死の魔法の付与、リボルバーではありませんけど、『殺害の再演』――理事長にのみ効く即死魔法を連発すれば、グリム君に憑りついたアレを引きはがすことぐらいできるでしょう」
さあ、行きなさい。
ここは本当に危険だから。
学園長がそう云いながら手放した瞬間、自分はマレウス一行とタブレットを浮遊させたオルトの背後を追いかけた。学園長を信頼し、後ろを一切振り替えずに歩を進めるのだ。
「殺害の再演か。やはり自分はマイディアに殺されるべきじゃなかったのかな」
「結果はどちらでも良いと思って死んでくれたのでしょうが、思わぬ瑕疵になりましたね」
クロウリーの魔法石、純金のオーラム。
理事長の魔法石、不純物のアマルガム。
猫を被っていた黒き猟犬が青褪めた炎をさらに強めると、息吹のように迸る。黒い猟犬が重たい身体を動かすだけで鏡の間が崩れる中、学園長は意に返すことなく目の前の敵に注視するのであった。




