エリスの妖精(後編)-8
「グリム……?」
硝子に似た――骨のような――黒い石が砕ける音が、広間中に広がる。足元から青褪めた炎が立ち上っているが……その付近に投げ捨てられた……学園長から入学の際に貰った魔法石つきのリボンを眺めながら、どうかこれが……こう成り果てた化け物がグリムではないことを祈りながら、願いの言葉を絞り出すのだ。
皆の注視を浴びる黒い猟犬は、傍にある山積みとなった黒い石を真っ赤な大口を開けて、一呑みする。黒い石のてっぺんには蜘蛛がいたのだが、咀嚼することなくゴクリと呑み込まれ、嚥下する音が響く。目の前の異様な光景に意識を奪われている自分であるが、冷静にその場の解析を行っていたオルトから残酷な真実が告げられた。
「監督生さん……姿は青褪めた炎を持つ狂暴な黒い猟犬になっているけど、アレはグリムさんだ。魔法は指紋と同じ。如何な双子と云えども同じ魔力を持つ存在はいない。スティークス本部でグリムさんの解析を行ったけど、同じ魔力を有している」
「なんで、あの姿に……」
自分は怯えながら、投げ捨てられた黒白模様のリボンを手に取ろうと、にわかに一歩踏み出した。硬い床を踏むコツンと足音が響くのだが、その音を鋭敏に捉えた黒い猟犬は勢いよく振り返り、こちらに向けて火柱と云って差し支えない火炎を吐き出した。恐らく、目の前の獲物……黒石の食餌を奪われることを危惧した変わり果てた獣は、邪魔な者を追い払うために攻撃を仕掛けたのだろう。青い炎は凄まじい威力、目にも止まらぬ速度でこちらに向かってくるが、マレウスがドラゴンの姿のまま吐き出した稲妻混じりの緑色の炎で相殺される。
「グリム、どうして……いやだよ、そんな黒い石食べないで。戻ってきて……怖いよ」
眼が爛々と青褪めながら輝く。そこには理性らしきものはなく、本性をむき出しながら、暴食を行う。山積みになった黒い石を全て一粒残さずたいらげたかと思うと、腹部……否……丁度、心臓辺りと思しき箇所が微かに輝いた。白い瞬きは鎮静……もしくは何らしかの操作作用があるのか不明だが、涎を垂らしながら首を動かし、人の姿を――自分の姿を黙認した後、飛び掛かろうとしたものの、何者かの手によって青く燃える四肢はお座りの状態になる。
「それはどうかと思うよ、コピーキャット。ワイルドハントは食ってはいけない。時間の揺らぎそのもの……未来の異物を腹におさめるなんて、何が起きるか分かったものじゃないからね。無事に元の世界に戻す為に、五体満足でいてもらわなくちゃ困るんだよ」
「誰じゃ!」
リリアの……警戒ではなく、敵愾心をむき出しにした声。今この場にはディアソムニアの四人組と、オルトとイデアのタブレットしかないが、闇の鏡の間に第三者の声が響く。セベクは圧倒的対応の迅速の速さで、この場で一番無力な自分の前に出て壁の役割を果たす。恐らく、自分に怪我を負わせないように未知なる者を警戒して前に出てくれたのだろうが、それどころではなかった。
「あなたは、もしかして……理事長……!」
変わり果てたグリムの中、体内から、心臓に巣食ったそこから聞き覚えのある声が聞こえる。
そうして自分が思い出すのは、扉の切戸から豪華な食事を出しこちらの機嫌を窺う、非常に不快な猫撫で声。過去の彷彿と同時に思い出すのは、スティークスの本部で学園長が「理事長とは誰なのか?」と問われた際、学園長の手によって殺されたはずではなかったのではないかと血の気が引いたようによろめく。シルバーが片手で背中を抑えてくれたお陰で、卒倒するようなことはなかったが……代わりに、「理事長」とその言葉を耳にしたリリアは、マレウスと敵対していた時とは比較にならない殺意混じりの敵意……凄まじい表情を作るのであった。
「え……理事長って、学園長から聞いた話によれば殺されていたはず」
タブレット越しに同じように困惑したイデアの声が聞こえる。まさか嘘をついていたのか……とその可能性を考慮するよりも前に、唸り声をあげる黒い猟犬の内部から響くのは、聞き覚えがあり、聞き間違いのない、死者の声。
「死んだ? その通りだよ、確かに自分はマイディアに殺された。だけど残留思念……この世の中にはゴーストと云うものがあるよね。君たちは何度か、何度も目撃したことがあるはずだ。自分は亡霊となって秘密裏にワイルドハントを元の世界へ戻そうと画策していたんだよ」
幽霊、ゴースト。
確かにその存在はオンボロ寮に住まう気の良い先人と、そうして学園の大食堂で朝から晩の食事を提供してくれる存在を知っている。認識、している。事前にその存在は情報として出ている。だが……まさかゴーストになってもなお、死んでもなお密かに悍ましい活動を続けていたのかと思うと、血の気が引く思いだった。
「亡者となって尚、正者の世界を彷徨うか。妖精の丘を焼き払った鉄の兵器……祖国を侵略し、マレノアに深い傷を負わせた主犯格か。今からあの世に送ってやろうか?」
「まるで被害者のような口振りだ。びっくりしちゃうな。妖精の丘が侵略された理由は、大魔法の使用による、現実性の虚弱。世界各地にブラックホールを作り続けることが問題だったろうに。世界中へ迷惑をかけたことが発端にして起因だ。どうして、そんなことが云えるのだろう?」
「妖精の丘は、あそこまで侵略を受ける云われはなかった。開拓を受ける理由はなかった! 今では小国と変わらなんだ! それにマレノアは未だ戦後の傷が癒えておらん! その報いを受けさせるために、儂らはこの学園に来たのじゃぞ」
妖精の女王――マレノア。
今もなお燻り続けるその傷は、夜明けの騎士、シルバーの父親が齎した傷ではなかった。
感情のない鉄兵器の一撃。
戦争当時、ユニーク魔法を投射した最新鋭の、鉄と魔法の入り混じった魔導工学の開発物……殺戮兵器は、竜の女王を絶命しかけるほどの大怪我を負わせたのである。
たとえ妖精の丘が侵略を受ける開拓、国の規模が小規模に縮小する現状を罪咎として受け止めることは出来ても、今でもなおマレノアが一人で立ち上がることもままならない大怪我を負わせたことは、どうしてもリリアは許せることが出来なかったのである。
「驚いた。どこまでも強い被害者意識だね。それとも蝙蝠が重要視しているのはアレかな。初恋の相手が今でも床に臥せっているほど、病弱のような有様になったことが許せないのかな? 恋はいつまでも引きずるもんじゃないよ。ましてや相手は既婚者だ。その横恋慕はさっさと無くした方が、お互いの為になると思うのだけれど……」
「恋など」リリアはハッキリと云った。「とうの昔になくなったわ! あるのは昔馴染みに対する隣人愛! 人の子を育てる中でたった一人の冴えない男の横恋慕より、大切なものを学んだ。侮るなよ、世界中を盗み見るしか能のない下等な俗物が!」
「親父殿……」
シルバーは口に出された、大切だと断言される家族愛の言葉に対して、場違いながらも泣きたくなるほどの熱く湿っぽい感情を抱いた。妖精の丘で暮らす中で懸念していた事柄……それは他の妖精と同じく、気紛れかつ愛玩動物のように接しているのではないかと思っていたのだが、それはただの杞憂であったのだ。
「俗物と来たか。自分が聞いた中では優しい言葉だね。もしかして、気を使ってくれているのかな。そんなことはしなくても良いと思うのだけど。恨みを抱いているのなら、もっと強い言葉が出るものだと思っていたのだが……やはり妖精は、愚かなほど優しいね」
「……貴様」
リリアは手に力を込める。すると瞬間、筋だった手の甲と指の先にある爪が、非常に鋭いナイフのように伸び、尖った。その鋭利性は容易く、相手を切り裂くことができる武器だ。五指のナイフ……と云ったところか。
「グリムにはちと申し訳ないが、今、邪悪な蜘蛛が巣食う心の臓を抜き取って、小癪な蟲を握り潰してやろう。それが幾多の使い魔ならざる本体たる核で云うのであれば、一網打尽。貴様の野望を打ち砕くことはできよう。どのような……斯様な悪計を奸計していたか知らぬが、足の一本一本を引きちぎった後、身体をゆっくりと磨り潰し、貴様の苦痛の声と命の懇願を聞こうものなら胸のすく思いじゃ」
「それはやめた方が良いんじゃないかな。先程も述べたが、自分はゴーストだ。幽霊の特技と云えば、相手に憑依すること。心臓を抜き出してコピーキャットに迅速な治癒を施したとしても、獅子身中の虫の如く心臓に、その中に憑りついている以上、この猟犬を殺す結果にしかならないよ。それに今のコピーキャットはワイルドハントを元の世界に戻す鍵にして扉だ。その人の願いが叶うのだよ」
相手――理事長は、もうすでに死んでいる。
死亡しているのだ。
物理的な効果は無意味といっても過言なほど、意味をなさない。
「でも、グリムの青い炎は――」
自分はかつて、学園長によりオンボロ寮に案内された時のことを思い出す。
はじめて……あの偉大なる精神を持つ寮の成れの果ての中に入った時、今では仲良しで良好な関係を築いているが……三体のゴーストが襲ってきた時、グリムが吐き出した青褪めた炎を目の当たりにして、遊びを――悪戯を中止した。しかもそれだけではなくオーバーブロットしたヴィルは異常なほどまでに、その炎を嫌がっていた。もしかしたらゴーストに対する特攻、もしくはアンデットそのものに対する明確なダメージが入るものではないかと思いながら、こう述べるのである。
「青褪めた炎は、ゴーストに効く。そして、オーバーブロットした人に効いた。その事実は覆らない。どうにかして蜘蛛を追い払って、グリムを正気にさせれば、或いは……」
「監督生氏の話が本当なら、効くだろうね。ゴーストはともかく、オーバーブロットしたファントム……ヴィル氏、生きた亡者になりかけた個体にも有効なのか。どうにか追い祓うことができたら、相手を滅殺することは理論上可能。グリム氏を助け出すことはできますぞ」
「不思議なんだけれど……」変わり果てたグリムの低い唸り声に交じって理事長の声。「君たちは、このコピーキャットのことをグリムとそう名付けたのか?」
「逆に問うが、コピーキャットとは……粗悪品? 相手を貶める名の呼び方は感心しないな。名前には意味がある。言葉は魔法の原始たる姿だ。個人を識別する名前となると尚更で、非常に強い意味を持つ。それだけでその存在の在り方を定めるほど、強い原始魔法。親から最初に貰う、祝福にして贈り物だ」
「粗悪品は粗悪品だよ、竜。何せコピーキャットには、何の意義もなく存在する意味もなく、生きる価値もない」
イデアの指示を受ける間もなく、オルトは幽霊に関するあらゆる情報を世界中の情報機関から拾い上げ、憑依を取り除く手段を選別していた。ピピピと小さな電子音が聞こえる中、理事長は構わず言葉を続けるのである。
「粗悪品だの、意味も意義も存在する意味もない生物などこの世におらぬわ。貴様、本当に人間か? 感情と云うものが見えぬ」
「人間だよ、ちょっと魔法が使えるだけの善良な魔法使い。それが自分さ。ただちょっと合理的なところが玉に瑕……とマイディアは云っていたけど、痘痕も靨。欠点のない人間なんていないのだから、その部分は了承して欲しいな」
「敵に向かって何を……受け入れろなどと……」
「それにしても、グリムとは面白い名をコピーキャットに名付けたものだね。『コレ』はオーバーブロットした者同士の紛いのない純然な血統種だと云うのに。オーバーブロットした人間を忌避しながら、『コレ』を好意的に受け取るだなんて、自分には全くさっぱり理解の出来ないことだよ」
オーバーブロットした者同士の純然な血統種……?
どう云う意味なのか呑み込めないまま沈黙していると、理事長はその不理解に……最悪ながら……理解の一助を為すのである。結果的に云って、その真実は知りたくなかった。
「純潔種は純潔種だよ、オーバーブロットした者同士の子供」
……かつてナイトレイブンカレッジは……否、学園になる前の施設は男女種族の分け隔てはなく、世界から存在を排斥された受け皿だった。その療養施設の目的は、緩やかにブロット化していく者を治癒することが目的で、その為にどのようなことでもした。手段を択ばなかった。いや……確実な手段……感情の人の血も感じられない選択肢を取り続け、緩和法を模索し続けていた。
施設の時代、とある男女がいた。
生きた亡者……施設の治療が間に合わずオーバーブロットを迎える、男女の組み合わせたる刑吏。
その二人一組の子供が、グリム。
それを告げられた途端、自分はなぜかシャンデラを破壊し、照明器具と似たような性質を求める魔法石を求めた際に訪れた先に出会った、怪物を思い出す。
人の首を刈るかの如く、大鎌を振るったインク壺頭の存在。
そいつは何故、グリムの存在を求めるような言動をしていたのだろう……?
「確かに最初は興味深い研究対象だったよ。だけどこの粗悪品は究明するにつれ、存在をある程度解き明かすにつれて、自然と悟った。意味のない存在だとね。オーバーブロットした者を救うような治療薬にはならなかった。緩衝材にもならなかった。押しとどめる錨にもならなかった。小康状態に移行させる指針にもならない。だから、コピーキャットと自分はそう呼び、意義も意味も存在価値もない、堕落した獣の落とし子なのだと認識している」
「でも、グリムは……昔から誰も傷つけていない……」
「見た目の可愛さに騙されたのかい、ワイルドハント。君は犬を、黒い犬を、猟犬の姿を持つコピーキャットの遠吠えを悍ましいものだと思い、部屋の一角で夜毎震えていたね。ワイルドハントは無類の猫好きだから、化かしてあげたが……未来の技術で出来た投影機の詳細な情報を聞き出す為とは云え、絆されたか? この悍ましい黒い猟犬の姿が本来の姿で、いつもの猫を被った姿はまやかしでしかないのさ」
昔……確かに、自分は夜毎、墓場から轟くように低く唸る犬の遠吠えを恐ろしいものだと認識していた。右隣の部屋から手の平を叩き潰す勢いでポタポタと壁を叩く音よりも……爪を立て耳障りな音を立てる左側の部屋の様子よりも、夜陰のおどろどろしい咆哮の方が恐ろしく感じていた。
たとえそれが自分の好みを把握し、猫の形に変えられたとしても変わらぬもので……棺の中眠りに入る前、グリムに対する扱いは暴力こそ振るっていないものの、怯え続けていたのは真実だ。
「……ワイルドハントとは何だ? なぜ監督生をそのように呼ぶ?」
セベクはそう云いながら、強固な守りとして自分の目の前から一歩も退かない。安心……非常に心強い守りであった。
「理由? そうさねえ……解説すると、ワイルドハントとは広義的には猟犬や悪霊を従えた百鬼夜行さ。今から五百年後の未来の人物……このツイステッドワンダーランド内において、『時間のゆらぎ』を齎す人物――監督生。生きた災害に相応しい名前だろう?」
「時間の、揺らぎ……?」
タブレットから、困惑したイデアの声が響く。しかしその混乱は一瞬で解け、なぜむこう五百年は何もしないでも大丈夫だと豪語していたケルベロスシステムがシステムダウンして、破壊するものが這い出るような大事件が起きたのか、その事実を悟るのである。
「スティークスの機能停止は、監督生氏の存在が原因……?」
「いやあ、あれは実に参ったね。自分はオーバーブロットの治療・緩和を目的に生き続けているのだけど、再び破壊するものが世にでたらどうなるか……使い魔を通して冥界下りの奈落の底で破壊するものを蜘蛛の糸で縛り付け、進行を阻止していたのだけど、アレがなかったら、破壊するものは地上に顔を出していたことだろう」
その点は本当に感謝して欲しい。
理事長は「拍手を」と万雷の感謝を求めるのだが、誰も拍子うつことはない。その場にいる誰もが、五百年という時間のゆらぎについて焦りのような感情を抱いていたからであった。
「シュラウド、時間の揺らぎとは何だ?」
「か、簡単に云えば、地震に似た時間……時差の直撃……」
その声は自分を気遣うものであった。
「たとえば、ここに一年後、未来の物質があるとしたら、その埋め合わせをするため、現実世界の時間はその統合性を取るために時間を促進させるんだ。一年分なら一年間速度を上げ、二年なら二年、百年なら百年分、時を進める。バタフライ効果による問題は無視して、基本的に『過去』は時間の積み重なった地層で時間遡行が可能なものだけど、未来は常に不確定な波のようなものなんだ」
未来たる将来は、常に定まる捉えることのできない、泡のような存在。たとえ未来視が可能だとしても、それは過去の地層を材料かつ経験値にした判断材料による予測でしかない。未来というものに絶対なものはなく、過去に確かな事実のみが採掘される。
だから、未来の物質や人物が『現在に存在している』と、その時間、年代分の埋め合わせたる統合性を取るために、時間の速度が速まるのだ。もっと分かり易く述べるなら、テレビに録画された映像の早送り。その現象が現実に起きる。
「もしかして、連続するオーバーブロットは……人為的だったその理由は」
「時間の埋め合わせが理由だね、青髪の子」
理事長は感謝して欲しいなと、イデアの言葉の補足を取る。
「本来ならば時間の揺らぎによる影響は、未来の異物がある以上、いつ、どこで、どの対象に向けて時間の統合性、促進が行われるものか分かったものではない。予測可能なものではない。だけど、自分の極に至る操作魔法で、『時間の揺らぎ』を個人にぶつけることによって、取り返しのつかない致命的で予測不可能な壊滅的な未来を決定づけることなく、負債を解消していたのだから」
「……操作魔法で、時差の地震……個人に時間の揺らぎをぶつけていた……?」
「そうだよ、青髪の子。たとえばハーツラビュル。極限のストレス下におかれた個人に、試しに時の揺らぎをぶつけたところ、その者……たった一人だけはオーバーブロットする結果だけに終わった。およそ人の一生、百年間……時の揺らぎを受けたものはいくら強靭な精神性を持つ者と云えども一世紀の間、人の寿命の一生分、極限のストレスに耐えきれるものではない。結果的にオーバーブロットするのは自明だけど、被害は最小限に収まる。それにワイルドハントを元の世界に戻す燃料たる石炭を入手できる一石二鳥と来たものだから、この甘い汁は存分に啜らなくてはならないだろう。時間の揺らぎの発生場所を、自分は操作していたと云うわけだ」
ハーツラビュル、『何もなかった日』のハレの催しだけではない。
レオナ、アズール、ジャミル、そしてヴィル。
その余名余りある『幾多の人物』がオーバーブロットすることにより排出された黒い石は、猟犬となったグリムに捧げられ、胃の中に納まっている。あれほど……山積みになった石はどこから入手されたものなのか……その答えは非常に簡単だった。
デジャヴ。
既視感。
そこに答えがある。
完成しない輪、朔望。
つまり……。
「――甘い汁にして一石二鳥を得るとは云っても、一年で得た燃料だけではワイルドハントを元の世界に戻すには足りなかった。ツイステッドワンダーランドの世界が五百年を迎えるよりも前に時間の揺らぎを受けて、監督生たるワイルドハンドは意識を覚醒させ、マイディアが作った学園生活を送るようになる。だがしかし生きているだけで……時間の揺らぎよる時間の促進……未来の異物が、ただそこに存在するだけで周囲に多大なる影響を及ぼす生物だ。『未完成の最初の一年』で収穫したブラット石では、ワイルドハントを元の世界に戻すにはどうしても事足りない。過去は、燃料を入手する確実たる地層だ。自分は操作魔法で、一年の輪ができるよりも先に過去の時間に戻り、およそ七〇以上もの間、同じ一年を繰り返し続けて来たんだよ」
百年前、自分は学園長と、ひとつ約束をした。
その内容は、『あなたを絶対に故郷へ戻す』と云うもの。
その為に、並行世界から呼んだ自分を元の世界に戻すためには、このツイステッドワンダーランドが……自分が五百年後の未来から来た以上、この異世界で時間の揺らぎを発生させず、大人しく五百年間もの時間を過ごさなくてはならなかった。
人間の寿命は精々百年だ。五百年も生き永らえることが出来ないと判断した学園長は理事長を殺した後、自分を秘密の部屋に閉じ込め、時の流れを受けない密室で来るべき時が来るまで眠らせた。
本来ならば五百年後に目覚めるべきはずが、未来人特有の時間の揺らぎが発生して、アクシデントが起きる。時の揺らぎの性質……時間の促進、早送り……本来、時の流れを受け付けない手の込んだ細工を、ケルベロスシステム同様打ち破り、自分は意識の覚醒、目覚めたのである。
それが、この物語の冒頭。
理事長は自分を元の世界に戻す為に、一年の輪が出来るよりも前に理事長が概念にまで至る操作魔法を使用したことにより、ツイステッドワンダーランドそのものが時間遡行を行い、七〇回もの一年を繰り返したのだと云う。過去は確実なものだ。行動の変化により些細な変化は起きるだろうが、おおよそ同じような一年を過ごす。
百年……より正確に云うならば、百七十年もの間、自分たちはこの学園に滞在し続けていたことになる。
「自分はワイルドハントが齎す時の揺らぎを利用して、『最初の一年』は人為的なオーバーブロットを引き起こした。そして一年の輪が完成するよりも前に、時間遡行することは非常に重要なものである。何せ魔法士は時間短縮魔法……時短や現実性の変換を行う、改竄魔法を日常的に行っている。時間や時空に関して、非常に敏感な生物だ。ループなる円環が構築されたら、一回目のループで気付かれてワイルドハントを元の世界に戻す結果は水泡に帰す。だから、輪を作らないように……遡行すべき一年の輪……ループが出来るより前に時間を戻し続け、ブロット石の貯金をし続けていたのさ」
「つまり、強くてニューゲームではなく、一切セーブを行うことなくエンディング前でカセットごと引き抜いて、リトライしていたと云うわけか。ループを作らせない強引な再試行。違和感を覚えても気付いた人数は非常に少数だと思う」
イデアは云う。
「確かに僕たち魔法士は時空を取り扱う人種だ。誰よりも時空間を魔法として消費し檻扱う者として殊更敏感であるがゆえに、時間による齟齬、違和感、ループにはすぐ気付く」
かつてレオナはアズールと、契約を行っていた。
その内容は一年間の記憶保持。
明瞭かつ確かなものではなかったが、繰り返される一年に無意識ながら一早く気付き、レオナとアズールは斯様な契約を交わしたのだろう。
イベント――それは時折、レオナが口にしていた言葉だ。
学園内の捜索――それは本来、時を巻き戻す黒幕を暴くための奇策であった。
それと学園長……『この一年』はじめてであった時は、覚えているような記憶にないような覚束ない状態であった。それは恐らく巻き戻される時間の影響……忘却していたというよりも欠如した状態。学園長が監督生に対するあらゆる情報は、ドワーフ山に向かわせた時に欠けたにピースを埋めることが出来たのである。向かわせた最中に、にわかに思い出したのである。
「青髪の子が云う通り、その言葉をそのまま借用するなら『クリア寸前のところでゲーム機からカセットを抜き』、エンディングを見ることなく同じゲームをリプレイする。そして同じ行動を繰り返す。強くてニューゲームなんてないんだ。七〇年もの時間の中で、竜がオーバーブロットすることもあれば、今のように堕落することもない。他の寮長や副寮長の人間が堕落することもあれば、教師がオーバーブロットしたこともある。この辺りの些事加減は自分に委任されているものだけど、基本的にブロット化するものは、アトランダムだと捉えて欲しいな」
まあ、齟齬と云うべきか同じ一年を辿っている事実に、漠然としながら違和感を覚え、打開策を講じた大作戦が行われたことがあるが、作戦を決行するよりも前に時間が巻き戻ったがゆえに無意味な結果に終わった。
危なかったことがあったとすれば、この大作戦会議かなと理事長は云う。すべてが水泡に帰すところだったと懐かしそうに感慨深く云うのだ。
「それよりもなぜじゃ……なぜ、貴様は未来人たる監督生をこの世界に招いた」
「ワイルドハントを呼んだのは、自分ではない。マイディアの案だよ」
学園長。
彼が自分を異世界から召喚したと、事実を告げる。
「学園が施設であった頃、オーバーブロットの治療に行き詰ってね。どうにかできないかと考えあぐねいていたところ、それならば『ツイステッドワンダーランドよりも最新鋭の技術を持つ並行世界の人間』を呼ぼうと計画を立てたのは、マイディアなんだ。自分じゃないんだよ」
並行世界の証明は、天文学の分野のひとつである。
この世界――ツイステッドワンダーランドは、同時刻にスタートダッシュを決めた他の並行世界とは異なり、最低でも六週ほどの遅れを有していた。だから知恵者として、異なる世界の人間の知恵を借りようとしたのである。だがしかし、未来の人物を召喚する致命的な結果を招いてしまった。
「正直なところ、自分がすべての黒幕と云うわけではない。細部を突き止めるなら、問題解決の為に未来人を呼んでしまったマイディアに、責任があるんじゃないのかな。でも気持ちは分からなくはないよ。ツイステッドワンダーランドと天文学者が名付けたこの世界……魔法があるがゆえに他の並行世界と比較して、明確な文明の遅れをとった。それに魔法士のブラット化による問題も深刻だった。我々は魔法の力を更に募らせるよりも、科学によるアプローチを必要としていたんだ。海に水滴を落としたところで広がる波紋は、微々たるものだ。魔法で小さな影響しかもたらさないのであれば、他の並行世界が多く持つ科学力を欲する。実に自然な行動原理だ。理解できるよ」
スマートホン。
それはこの世界に呼ばれた時に、自分が所持していた……ツイステッドワンダーランドの住民からみれば最新鋭の科学の結晶。
それは解明され、模倣され、ゴーストカメラと云う魔法と科学の入り混じった出来損ないが作られたが、自分が所持していた一機の機械は同じスマホという形で世界中に普及している。ゴーストカメラという試作品から更なる進化を遂げて、たった百年で二、三周遅れだろうが他の世界に追いつこうとしているのであった。
並行世界の召喚による影響は、確かな効果はあったのである。
「だが――他並行世界と比較して、この世界……ツイステッドワンダーランドは未だ遅れをとっているのは事実でね……その根本的な解決のために何が邪魔をしているのか、君たちは考えたことはあるかな」
沈黙。
何時まで経っても誰も何も答えないので、痺れを切らしたかのように理事長は感情のない声で云うのであった。まるで独白するような感じで……。
「魔法だよ。魔法が――魔法士の存在が、文明の発達を遅らせている。庭師から魔法士だなんて大層でご立派な名を得たとしても、足を引っ張る邪魔な存在さ。劣等種――と云っても過言じゃないほどにね」
「……ほう、云うではないか理事長よ。見たところ……死してもなお魔法を使い利用しているのに、大口を叩けるとは。その厚顔に恥と云うものはないのだろうな?」
「確かに自分は生前、アマルガムを自ら飲み下し魂に癒着させることによってゴーストになっても、魔法が使えるよ。絶滅城と云いながら魔法を使う。確かに矛盾しているようだ」
水銀を呑みほし、魂に癒着させた。
それはいつか、居残り授業で聞いた内容。
「自分が掲げる理念は、マイディアとは非常に異なるものでね……最初は同じ考えを持つ同士だったのだが、途中で考えが変わった」
昔は徐々に時間をかけてオーバーブロットする魔法士。
今では、学園長の百年間のまじないで精神的安定を会得しながらも、いつ爆発するのか分からに不発弾となっている。民間に放たれた、破壊するものの因子を色濃く持つ不発弾。
オーバーブロットによる危険性が常について回ると云うのであれば、その根本的な解決として出された答えは……。
「魔法使いの根絶。文明の足を引っ張る劣等種は絶滅するに限るね。私も魔法使いの根絶を確かなものと認識したら、すぐさま成仏しようとそう思う」
その為に、掠っただけでも即死するリボルバーを理事長は開発したのだ。いずれ発展した未来は情報社会になることを見越して、即死の弾丸を開発した。デジタルタトゥー、決して電子の海から一度刻まれた情報は消えない特性を生かして、時機を見計らいその情報を発信し、魔法士の暗黒時代……この情報社会の現代で、魔女狩りを再び起こして絶滅させようと企てていたのだろう。
だから、魔法が使えない人間の助けとなるように、未知の領域であった妖精の丘を焼き払い、世界規模で魔法の力を削いだ。人間よりも遥かに強い力を持つ妖精種の力を完全な侵略可能なほどまでに力を削いでおけば、こちら側が敗北することはない。そう遠い未来を見越した上で、理事長は暗躍し続けていたのである。
「そもそも、魔法使いという存在は、破壊するものの因子を濃淡の差こそあれども、邪魔な存在でね。少数派が様々な国の中枢に取り外せない人材として重宝されている現状は、破滅の末路を辿る。何せ、技術の継承者がいないのだからね。一代限りの魔法による繁栄の国の運営など、長く続くものではない」
理事長は云う。
「簡単に云うと、たった一人の魔法使いが国をワンマンで維持したとしても、魔法が使えるものが少数派である以上、世界の進歩において足かせにしかなってないんだ。恵みの雨にしろ、破壊するものを幽閉する檻の管理にしろ、数少ない魔法使いに一子相伝の魔法技術を委託することが不可能な所為で、このツイステッドワンダーランドは他の並行世界と比較して、周回遅れし続ける状況なんだ」
技術の提供。
魔法使い以外には、決して習得することの出来ない、少数派の技巧。
選ばれし者にしか委託できない得策など、やがては滅びの一直線を辿る。
「もっと分かり易い話をしようか。とあるところに、魔法使いがいた。とても、偉大な精神性を持つ魔法使いだ。その者は、国の王であった。だが、国の存続のため、後継者探しをしようと思っても、お目にかなう者はいない。その国は偉大な魔法使い国王一代で、滅びてしまったと云うわけさ」
まさに、ウィッシュ。
星に願いを。
「総合的に堕落した獣となる因子を国のトップに座らせるど、愚策でしかない。君たち魔法士は非魔法士にどのような存在して、区別されているか知っているか? 亜人――だよ。ホモサピエンスは魔法が使えないからね、その種類分けはひたすらに正確だ。少よりも大の特性を持つ方が、国の維持しては容易く、実に進歩し易い。魔法士は総じて、自分も含めて一人残らず、絶滅すべきだね」
「貴様……」理事長の考えを悟ったリリアは戦時中の出来事、そして違和感を思い出しながら云う。「よもや学園長に殺されたのも計算の内か!」
「それはどうだろう。殺されても良かったし、自死しても良かった。結末は変わらないのなら、そんなことはどうでもいい」
どうでもいい。
自分の死を些事として扱っている。
リリアだけではなく、ここにいる皆は理事長の異様な精神性を目の当たりにして、人間なのかどうか本気で疑いにかかった。
「破壊するものの種子……魔法の因子による神代の頃からの影響は、非常に深刻なものでね……一番盛り上がり賑わいを持つ非常に高度で強靭な社会を持つ基底世界には、魔法というものはハナから存在していない」
ツイステッドワンダーランドの住民から見れば、すべてを人力で社会を繁栄させるそれは非常に労力のあるものだが、だからこそ――それだからこそ、非常に強固な地盤を会得しているのであった。何故なら、魔法と違って現実性が高いから。薄まった現実性の虚弱で、地球上にブラックホールなど、生じることはない。問題が、少ない。
「基底世界が魔法を有さない世界であるがゆえの波……収斂作用か定かではないが、ツイステッドワンダーランドには確かに魔法は存在する。破壊するものはなにゆえ文明衰退の種子をばらまいたのかその意図は分からないが、大地を砕く一撃を見舞ったんだ。きっと何か目的があったんだろうね」
彼女に訊ねなければ分からないところだが。
しかし訊いたとしても、言葉を失っている彼女から語られるべき理由はない。
「劣等種たる魔法使いの根絶、そしてオーバーブロットによる問題……それよりも先に取り掛かるべき一番重要な課題はワイルドハントの帰還だ」
未来は常に不定期な形をした、波だ。
その形を決して固定に定めてはいけない。
何故なら――。
「近い将来かもしれない、遠い未来かもしれない……過去の地層たる因果の塊で出来た現在……何時になるか分からないが、訪れるものかさえ不明だが、この世界……ツイステッドワンダーランドの世界の文明社会を破滅に陥れる事態があったとしよう。それは通常ならば全力を尽くせば避けられた事態だったかもしれないのに、五百年後の未来人、時間の揺らぎの影響を……ただそこにいる、生きている、存在しているだけで波及的に影響を及ぼすモノは絶対にこの世界から弾かなくてはならない。時の早送りの所為で、問題に着手することが出来ないんだ。早送りされる映画の内容に、部外者が干渉できないようにただ見ることしかできない。あるかもしれない、破滅の種の収穫も出来ず、開花するまで待機するような愚昧は決しておかしてはならぬ」
たとえどのような悪人、聖人とは云えども未来を定めることは許されない。
過去の経験値による未来視たる予測を行ったとしても、本来不定形な未来を形どってはいけないのだ。
「ハッキリ云って、学園長が召喚したワイルドハンドは迷惑な落とし物なんだよ。素直に帰還に応じてくれないかい。幸い、燃料はたまった。あとは扉に近付き錠前を外して、ドアノブを回せばいい。きみはそれだけで元の世界に戻れるだろう」
「……話はそれだけか?」
「話はそれだけだ、竜」
「そうか――ならば、死ね!」




