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エリスの妖精(前編)-3

……今から約百年前――妖精戦争が勃発するその数年前、妖精の丘近辺の外つ国に、人間の集落があった。


だが、妖精たちが己らの暮らしを快適なものとするため、夏と冬の季節の差し掛かる直前に大規模な魔法を使用し、妖精の丘周辺の……村落含めた周辺地域の現実性が酷く脆いものとなっている。


妖精の丘の季節は、常に芽吹きの春と収穫の秋に保たれる。


残酷な夏、過酷な冬といった季節を妖精は背負うことなく、世界のどこかにその夏季と冬季の肩代わりをさせる。その顕著な例が珊瑚の海で、本来温暖な気候を一年中保つ海は冬の期間だけ流氷に覆われた。そして、獣人が住まう大国も厳しい酷暑に晒されていると云うわけである。


自分たちが快適な季節を過ごすためだけに、許可承諾もなしに重たい荷を背負わせる。


それは長年、人々が顔を顰める妖精の身勝手さだった。


だが、真の問題はそれだけではなく……本当の問題にして大問題は、気候の大変動の魔法を使用した際に生じる、現実性の虚弱――大洞の問題だった。その大洞は人……地域、もしくは年代によりその名の呼び名が異なる。だが、幾つの異名を得ようともその実態は変わりなく、約束事のように人々の口から紡がれる。


決まり文句は、こうだ。


『大洞に呑み込まれた人間や動物は、時代を超えて帰ってくる』


『妖精の勾引わしに気をつけて』


……その日、妖精の丘周辺の外つ国に住まう一人の青年は、木こりの仕事に精を出す。朝から何の変哲もない鉄の斧を木々に向けて振るい、昼になれば近くの■■■ヤドリギに腰掛け、妻が用意してくれた昼食を口にする。薄紫色の数粒の葡萄と、チーズが乗せられた黒パンに、普通の水。仕事に一休憩の憩いの中で、青年は大木の傍に立つ存在に話しかけた。


それは、剣を手にし外套を羽織った姿のない存在。


青年が初めてその存在と接触した時、「私は、杖でもありヤドリギでもあり剣でもある。諸君に問うが、君に英雄の素質があるかな。『ない。部分的にそう。はい。多分ない。いいえ』、いずれかのどれかで答えたまえ」と喋りだし、青年が驚愕している感情を無視してその剣は勝手な認定を下すのであった。


『君には、英雄の資格がある――』


と告げ、息をつく間もなく流星の尾で織られた外套を翻しながら、剣を持つよう強く迫ったのであった。青年は突然の申し出に驚きながらも、自分には己の帰りを待つ妻がいること……子の出産が間近に迫っていることを告げ、辛うじてその剣に一切接触しないまま断わりの言葉を告げた。


もしも……微かにでもその剣に触れていたのであれば、青年の我が身に英雄へと仕立て上げる過酷な試験が立て続けに引き起っていたことだろう。凡夫を英雄へと変貌させるその性質は、その剣の刀身に使われた素材に問題があった。その剣は、人々が求めてやまない財宝で構築されていたのだが、その求心こそが……財宝を求める心そのものに、意識が宿り、自己を確立させた。


しかし、確立させた集合知の自我は独自のエゴを習得する。ただ単純に必要とされるよりも……剣が使われたいといった思いよりも強く強烈に、無名の人間が英雄となるその過程を傍で見ていたい、その願望が勝った。その気持ちがやがて……独善的で性悪な性質へと変貌し、持ち主が英雄にならざる得ない魔剣へとなり果てる。休む間もなく、闘争を、衝突を、戦争を引き起こす非常に血腥い武具となったのだ。


「……出会った時から思っていたのだが、なぜ■■■ヤドリギなんだ?」


「何かね、急に」


青年はパンを口に運びながら、呪われた魔剣を改めて眺める。巨木……その頂にオクタグラの星が置かれているものの、枝分かれしたその樹木の端々に飾られるものなどなく、出来損ないのクリスマスツリーのようになっていた。その傍らで……どれほどの時間、青年が偶然『そいつ』を見付けるまでいたのか分からないが、発見当初、地面に突き刺さった剣には蔦の繁栄があり、長い時間放置されていたことだけが分かる。想定するに恐らくこの剣は、ひとけのないところに、その忌まわしさから遺棄され自然の繁栄を受けたのか……。


「お前が、剣でもあり杖でもありヤドリギでもある、と云う理由だ。剣、杖……はその武器の使い方によっては、そのようにもなるだろう。木の枝でも子供心のなすままに剣に見立てて振るう。或いは年寄りが歩く際に杖を突くように使用することもある。だから、剣と杖は分かるのだが、なぜヤドリギなのかそれが分からない」


お前は模造品ではない。


木で出来た武器ではなく真鍮の刃だ。


だから、なぜヤドリギなのか分からない――と、青年は首を傾げるのであった。


「ふむ。私のことが気になるのかい? それなら、その使い手として私のことを手に取ることをオススメするよ。使い手となれば、武器の認知熟練度が上がり、自然とヤドリギであることを知ることができて――」


「いいや、俺は手にしないよ。家内が待っているんだ。子供も直に生まれる。英雄よりも、父親になる方が重要だ」


「……はあ、いつものことながら残念だ。きみは非常に優れた優しい英雄になれる資格があると云うのに! だが……そうさねえ。なぜ、ヤドリギなのか、か……うん、答えてあげよう。対して惜しくもない情報だ。寧ろ、下手に秘匿性を得るミステリアスさより、情報開示するあっけらかんとした方が、きみとっては魅力的な存在として映るものになるのでは……?」


「持たないってば。俺は、争いは好まない」


「何度も繰り返し聞く返事をありがとう」


「お前も相変わらず、何度も懲りず使わせようとする姿勢は変わらない。俺が死ぬまで……死んだ後もそうなのだろうと思うと、その変わらなさにどこか安心する。お前を使いたいとも思わないが、どこか愛着がわくよ」


「愛、ね……」


冷ややか……と云うよりも、どこか自嘲自罰自虐じみた言葉。やたら湿度が高くしんみりとした言葉を耳にして、青年は心配そうな表情を浮かべるが、その気配りは一瞬で霧散することとなる。何故なら、次いで出された言葉が、いつものように明るいものであったからである。大人しい態度を見せたそれは、まるでフリや同情を惹くものであったのかと思われるほど、その湿り気は吹き飛んでいた。


「なぜ私は剣であると同時にヤドリギなのか……それはね、名声を無視して私を惜しげもなく手放す条件のひとつになっているからだよ」


「条件……?」


「簡単に云えば、魔性を打ち消す処置だね。製造過程……この剣は人々が欲してやまない財宝を一つの鉄の塊にして作られた厄災の呼び水だけれども、英雄の名声以上に人の営みを満たすもの……賞賛も名誉もかなぐり捨てるに足るモノは何だと思う?」


「……分からない」


「愛だよ」


愛。


青年は自分の背凭れにしている■■■ヤドリギの巨木に、少し意識を伸ばす。


たしかヤドリギの伝承では……木の根元で密かに愛を誓うと、願いが成就すると云うものであった。幼い頃、年上の遊び友達からまことしやかに聞かされた伝説であるが、まさかそのことを述べているのだろうかと疑うが、魔術ある世界で――まじないを実行すれば、本当に叶うとすれば、真実なのではないだろうかと思い直すのである。


「私はね、剣が製造される前から呪いや災禍を逃れ抗う策として、愛ゆえに財宝を打ち捨てる方法が魅惑から逃れる唯一の術だった。そんな大金はいらない、細やかながらも小さな家庭を作ろうと云う家族愛、隣人愛……色んな愛が私を捨てさせたのさ。愛が呪いを打ち破ったと云っても過言ではない」


金は必要不可欠なものだ。


しかも、あればあるだけ……量が多いほど、人間は豊かに生きていける。無駄な苦労や不足が生じず、幸福のまま生きていける。家屋も、食事も、教養も、前提条件としてまず金がなければ話にならない。だから、人は豊かで彩りのある生活を送るために、金が欲しい。不幸になりたくないから、金品を欲する。


剣に製造される財宝の状態から一体いくつの……どれだけの量の屍が重なり血が流れ、屍山血河が出来ていたのか……。


それは、『そいつ』自身にも分からない。


「だけど、財宝時代の求心にしても、今の英雄の賛美たる名誉にしても栄誉にしても……愛の前では悉く無力だった」


「…………」


「例えば、不完全な英雄がいたとしよう。幾つも武勲を上げ功績を残しつつも、未だ人々に賞賛されぬ、まだ名もなき英雄だ。だが、あと少しで英雄として完成するほんの少し前、あとは褒め称えられる認知性だけが残っている。街なり故郷なりに戻れば、皆が彼を英雄として祭り上げるであろう。帰り支度のその時に、未完成の英雄の前に愛しい人が現れたら、いかな万夫不当とは云えども手を止めてしまうのさ。子供の頃に憧れた夢をあっさりと捨て、現実に戻って凡夫となる。ひとりの……どこにでもいる掛け替えのない、たった一人の夫となって愛しい者と家庭を築く。運命の人――つまり、ファムファタールの前では例外なく少年の冒険譚の夢は無力なのさ。夢はもういいでしょう……現実に帰りなさいと、愛しい人が囁けば、あっさり砕ける脆い夢幻」


私はその愛に打ち克ったことはこれまで一度もない。


英雄は、愛の前にその剣を捨て傅く。


英雄になる過程を見守り完成を待望する剣からすれば、屈服の一言だった。


「えっと、つまり……」


「ひどく簡単に云うと、こうなるね。『私(愛)と仕事(名声)どっちが大事なの!』と詰め寄られた男は、『君が大事に決まっているじゃないか』と折れてしまう。棒切れを剣に見立てた冒険をやめ、夢から醒めて現実に戻り、家庭の一員となるのさ」


剣は云う。


諧謔じみた口調で。


「そして、私はミスティルテインとレヴァティンの二つの要素を併せ持つのだが……」


本体は、剣なのか。


それとも、外套を羽織る姿なき者なのか。


それはいつまで経っても判然としない。


「恐らく私が思うに、自信の性質は禍いを呼び寄せるだけではなく、私が恋愛成就の側面……真実の愛の要素を持っているのであろうよ」


剣は、試練を。


ヤドリギには、愛が。


「試練と愛は通常相反するものだと思われるが、英雄の凱旋後に姫君を娶るのは王道のストーリーだからね。英雄色を好むとも云うし、個人的にファムファタールは忌まわしいものだ。英雄として完成した後に登場してもらいたい。順序を守ってくれたまえ……と思うのだが、どうやらこの辺はコントロールできないようでね。自身がどうこう出来る問題ではないのだよ」


それは財宝だった時から、所持していた特性だ。


人々を争わせて止まない不和にして諸悪の根源だが、呪いであると同時にひとつの祝福があった。パンドラの奥底に残った希望のように、男女の言祝ぎがあったのだ。


もしかしたら、魅了の効果を持つ財宝が……あらゆるものがまぜこぜとなる以前は、真実の愛の試練を施すモノだったのかもしれない……本来持つべき正しいあり方は、英雄の名誉ではなく、争いの渦中などでもなく、無辜の人々が心おきなく一生を過ごすことができる幸福の象徴にして、絶対的な保障。その特性を災禍の剣にしては不釣り合いな特性を所持していたのではないかと思うのである。


……しかし剣は……次こそは、剣の使い手が完全無欠な英雄に成り果てることを夢見ながら、エゴを丸出しに勧誘の言葉を発する。


……だが……人は英雄に成り果てる前に、愛しい人の前では栄誉を捨てて、一人の男となる。


夢、破れる……。


何度か……そして、何度もあったことであった。


「……要するに、愛あるモノにとって私は不要で、愛なきモノに私は必要なのだ」


現にきみだって、何度私を手に取るように云っても家庭という『愛』の前では、いかな甘言も機能しない。満たされた人間の営みの中では、名声や名誉などただ邪魔な呼び名でしかないのだ。日常を好み平和を愛するものにとって賞賛など、煩わしい雑音にしかならない。


妻を持ち、対峙したその瞬間から呪いは打ち破られた……と剣は、どこか呆れたように云う。


「……そうか。ならば、魔が差す……よほどの間違いがなければ、俺はお前を手に取ることはないと云うわけだ」


「そうさね。末永くお幸せに」


子供が生まれれば、最早私のところに足繫く通うことさえもなくなるだろう。


剣は確信しながら諦め、疎遠になること未来を少しだけ億劫に感じるのだ。これまで何度も断られても、隙さえあれば、好機さえ窺えば手に取るように云っていたのは、この友情が思い出になってほしくなかったから。いかな武具とは云えども……忌まわしいエゴを持つ災禍の化身とは云っても、自我を持つ以上、独りは淋しかったのだ。それほど頻繁に話したいなどとは思わないが、この青年が昼餉の休憩場所としてここを選んでくれているように……ほんの少しの時間だけ、話し相手を己と定めてくれるその嬉しさは真実だった。


そして、「ああ、またか」とヒッソリ心の中で自嘲する。


私はきっと、この気の良い青年を英雄にすることは出来ない。


またしても、愛に――家族の愛に負けた。


それは口惜しいほど、愛の試練はどうしようもない弱点であるが、今この時点では歯がゆさはあれども……目の前の人間が、一生争いのない、平凡で、退屈するほど掛け替えのない焼き回しのような日常を謳歌し、どこにでもあるような幸福な一生を過ごす。


英雄に成り果てないことはとても残念だが、悔しいと思うと同時に嬉しさが隠しきれないのだ。


剣は青年の妻が作ってくれた昼食を済ませ、昼餉の包みになっていたチャック柄の布を丁寧に正す。その支度を見て思うのは、明日は来るだろうか……明後日は来ないかもしれないと考える。


やがて、食事の支度を終えた青年はゆっくりと立ち上がり、その動作だけで憩いの時間が終了したことを剣に告げる。無言のメッセージを受け取った剣は青年から視線をずらして、快晴と……青の中で漂う白い雲を見ていた。


そして――。


「地鳴り……っ!?」


青年が今丁度、背凭れにしていた大木から離れ一歩を踏み出そうとした直後、地面が……いや、空間が振動した。その大きな揺らぎは見えない津波のように押し寄せ、空間が軋むような耳障りな残響を轟かせている。まるで空間そのものが縦横に振り動かされる前後不覚の中、青年はどうにか転ぶことなく直立を維持しながら村の方を見た。彼の頭に真っ先に思い浮かぶのは、愛おしい妻子と両親……そして、友人たちのことであった。彼の周辺には押し寄せる災害の気配はないが、村の方は果たして無事なのか……。


やがて、地震の如き空間の揺らぎが収まった頃、青年は手荷物を急いで手にし、駆け足で村に戻るのである。


最悪の事態を、想定しながら。


「レイア……シルバー!」


青年はこの世の中で最も大事で大切な存在……妻子の名を口にしながら、村に帰り付く道中、重たい仕事道具である斧を捨て、昼餉を包んでいた布を力強く掴む。指が……爪が手の平に突き刺さり流血しても構わないほどの力強さだった。


この小道の緩やかな下り坂を降りれば、村が見える。どうか……煉瓦が崩れ、火事が起き、土砂がなだれ込んで、地面が割れているような災害であってくれ……あの最悪な事態はどうにか訪れないでくれと思いながら走駆するも、下り坂に到達した途端、見えるのは……いや、『見えなかった』村の姿。消滅した村落。


妖精の勾引わし。


村そのものが空間を切り取ったかのように、ゴッソリとなくなっている。村に残されたのは無情にも抉られた地面のみで、草の根をかき分けて生き残りを探そうとしても、その草すらも存在しない。


気候変動の大魔法。


代償として生じる、現実性の虚弱。


大洞。


結果……青年は、村の生き残りとしてたった独り残された。


「―――――!!」


村の中央、むき出しになった土の上で青年は吠える。


返せと……村を、友人を、両親を、妻と我が子を返せと血反吐が出るほどの大声で怒鳴るのだ。悲鳴ではない。なぜなら悲しさではない、純粋な怒り。だから……それは、怒声でなければならないのだ。


「おや、また来たのかい……」


……やがて……絶望を堪能した数刻後、青年は重たい足取りで唯一のよすがとなった剣の元に戻る。剣は畢竟まともではない……尋常ならざる気配を醸し出す青年を見て、沈黙した。いつもなら穏やかで満たされていた柔らかい雰囲気は崩し壊され、そこにあるのは深く重たい悲愴と激怒。狂気の気配さえ感じさせる感情の極みだった。


「……何があったのか、おおよその推測はつく」


愛を――失ってしまったのだろう。


剣は青年の悲愴と怒涛が入り混じった感情を浮かべた顔を見て、こう云うのだ。


「きみには、英雄の資格がある――」



*******



それから数年後、青年は立派な騎士となった。


銀の梟が国を治める武力国家において、いつしか彼は無名の騎士から黎明を齎す『夜明けの騎士』の異名を得るようになっていた。剣は国王たる銀の梟の側近にして懐刀となったその様子を非常に好ましいものに感じていた。


理想だ。


朝の陽ざしのような、光り輝く一筋の光。


騎士として、理想の姿を体現する様子は正しく、剣の思い描いた英雄の姿、次はどのような魔なる物を呼び寄せ試練をかし、どのような怏々しい襲撃が来るのだろうと思うと、胸が心躍るのである。夜明けの騎士が常に携えている剣を振るう様子を想像すれば、自然と楽しくなるのは外套のみの姿となった見えざる者にとって喜ばしい事実なのだ。


「夜明けの……と、見えざる外套の者か。憩い中、失礼する」


「! ヘンリク閣下!」


今は夜半、茨の国へ『最後の話し合い』をするため、王国から出奔した騎士団一同は完全なる夜明けとなった妖精の丘の敷地内で、休憩を取っていた。常若の国、ティル・ナ・ノーグ……妖精の丘は人間にとって未知の土地。すでに制覇した海の底とは異なり、未だ開拓に成功していない未知なる場所。それゆえ、ヘンリク王は護衛として選りすぐりかつ尖鋭の人選で道中、不慮の事故で命を落とさないよう万全の対策を行っていたのである。


魔境に向けて、出来る限りの投資と対策は行われている。だがしかし、高所から滑り落ちかけ辛うじて、崖っぷちで踏ん張っていたものの、通りすがりの妖鳥に下半身を食われ上半身のみが残った者……助けを乞う女性の悲鳴じみた声を耳にしてかけつけてみれば、巨大な人食い植物の丸呑みにされた者など、ただの行きの遠征で数名が脱落していた。通常ならば、未開拓の妖精の丘の危険性を危惧して帰還するのが当然取るべき指揮であったが、そういうわけにはいかなかった。蛮勇と云われようとも、妖精の丘に城を構える茨の国の王女と『最後の話』をするために、退くわけにはいかなかったのである。


「やあ、ヘンリク国王。今日も苦虫を噛み潰したような顔をしているね」


あの日、村が大洞の影響により村が丸ごと消滅し、「英雄の資格がある」と述べ今は夜明けの騎士と呼ばれる青年に剣を渡して以来、外套のみの姿になったモノがふよふよとその場で浮遊している。まるで姿を消したゴーストが星の尾で出来た上品質のマントを羽織っているようだとヘンリク国王は改めて思いながら、軽口に重々しい口調で答えた。


「六名……茨城に到達する、文字通り道半ばの道中で六名もの人命を喪ったのだ。重苦しい顔をするのは当然のことではないか、この戯け」


「彼らには英雄の資格がなかったからね。腕っぷしの方はあったようだったけれども、冒険譚を制覇するには向いていなかったのさ。冒険を進めるには役不足だったかもしれないし、適材適所じゃなかったのかもしれない。大人しく、国の警備をしていた方が活用法として正しかったのだろう」


「……貴様」


夜明けの騎士以外を見ていない……否、周りの人間を念入りに見た上で、非常に度し難いことを云う。何が冒険だ、何が英雄譚だと国王は心中で唾棄しながら、声をかけられ失礼がないように直立したままの夜明けの騎士に腰掛けるよう、声を出した。かの騎士に携えられた、不幸を呼んでいるかのような不吉な魔剣を複雑そうな顔を見ながら、言葉の通りに座する姿を見る。


不本意ながら、不幸……外套曰く試練……呼び水となっている魔剣だが、夜明けの騎士が対処すれば、活路を見出す。その不運は夜明けの騎士にしか作用しない。恐らく輝かしい武勲を重ねるために集中的に降り注ぐ災難であった。周囲の人間……妖鳥に下半身を食われた者や女性の叫び声を疑似餌にして丸呑みにされたものなど、そういった巻き込みがなければ、剣そのものはすぐさま破棄破壊すべき対象であるが、今回未知の開拓で犠牲となった者は単純に不運だっただけである。


「……今回、『最後の話し合い』の為に、妖精の女王が鎮座ましましてる茨の城に遠征しているのだが、夜明けの騎士……会合中、話が通じないものであると判断したのなら、今その場で切り捨てても構わん」


「国王……それは一体、どういう……?」


「お前も知っているだろうが、妖精は人間とは明らかに異なる異質な価値観を持つ連中だ。我々を犬猫同等の存在にしか見ていない。高圧的で非常に傲慢。妖精らとしては人間に対して、物わかり良く理解のあるツラをしているが、場違いもいいところだ」


猫は人間を獲物を狩ることができない愚鈍な大きい猫と思いあがっているように、妖精は人間に対して愛玩動物のように接してくる。かつての会合で妖精は人間のことを保護するに値する上から目線の友好的な言葉を吐いていたが、そもそもの前提、己が見下していることに気付いていないのであった。


「妖精の丘周辺で多発する大洞の問題……村々を呑み込むだけではなく、茨の城に一番近い我が国でもその被害が報告されている」


大洞の原因……現実性を虚弱化させ、次元の穴が出来る原因は、妖精たちが使う大規模魔法、春と秋の季節の維持が原因であった。それをどうにかやめさせなければ、各所に厳しい季節の肩代わりをさせるだけではなく、場所を選ばずして世界中に大洞が出現する。世界中が、やがて穴だらけになる。


それは何としてでも止めなくてはならない、人災であった。


「予想するに、最後の話し合いは決裂し、戦争の幕開けとなるだろう。妖精との戦争……その幕開けとなった存在として、我は後の世に暗君だの愚王だと罵られようが、これは誰か絶対にやらなくてはいけないことなのだ」


「国王……」


「貧乏くじを引いたと云うか、椅子取りゲームのようにリレーする爆弾を最後に掴んだのが我々と云うわけだ」


こういうのには、順番がある。


人はそれを運命だの天命だの称するものであるが、本当にそういったものがあるかもしれない。


「夜明けの騎士よ……今までお前を我は重宝してきたが、英雄の冒険譚たるストーリーを進めたいのであれば、ここで離脱しても構わない」


分岐点と云うわけだ。


夜明けの騎士はいきなり出された、選択肢に少し戸惑う。


「……我としては、あの邪竜に一太刀入れるべく傍にいて欲しい人材であるが、お前が平凡な村人から騎士となったその要因にして原因は、復讐が根底になるのではないのか?」


「……俺は妻子が、村が、大洞に呑み込まれ……」


愛を失った。


それを取り戻すべく、すべての元凶である茨の女王に立ち向かおうとしているのだ……と考えながら、剣を強く握った。


「……酷な話だが、たとえ話し合いに成功したとしても、お前の妻子が戻るなどといった奇跡は起こらない」


大洞は次元の狭間への入口。


いわば、地球内部の地上に現れたブラックホールに等しいものであるのだが、妖精の勾引かしから帰還したものは、未来に限られる。パラドックスやバラフライエフェクトの時間的性質が関係しているのか不明だが、大洞から帰還した者は一様に「この時代は未来だ」と云う。約五百年前の人物が今世に現れることなどザラで、そして珍しくもない。


そして数百年大洞の中で彷徨い続けた人間は、再出現する年代……百年後に脱出できたのなら百年間その中に閉じ込められているのも特筆すべき事項であった。時の流れ……時間経過をその身に受けないのは幸いであり餓死することはないが、閉鎖空間の檻に閉じ込められたのも同様でその精神は壊れる。帰還者は最低でも感情を失った人形のように成り果てていた。絶望に呑まれ、無感情になったのであろう。


正直なところ、夜明けの騎士の愛する妻子が大洞から現れるのは騎士が死んだ後である可能性が十二分にある……と云うより、前提かもしれない。もう帰らぬ人と考えた方が穏便かもしれないのだ。


「不釣り合いなんだよ……場違いとさえ云っていい。お前は、本当はここにいるべき人間でないかもしれないのだ」


「それでも俺は、何かヒントがあるんじゃないかと思います」


訥々とした、感情の起伏が見えない口調で騎士は答える。ヘンリク国王はそのありのままの姿を見詰めた。


「このまま、各地を放浪するよりも大洞を出現させた魔女に会う方が近道なんじゃないかと思うんです」


妖精は、存在そのものが未知の存在だ。


大洞に巻き込まれた人間を取り戻す術を知っているのかもしれないと、騎士は希望に縋るようにして云うのであった。


「これが唯一の可能性なのかもしれないんです。無駄に終わるかもしれない。徒労なのかもしれない。無意味なことをしているのかもしれない。だけど、大洞を出現させた妖精に会えば取り戻す方法があるのかもしれない。その為に、俺はこれまで頑張ってきたんだ」


夜明けの騎士は、災禍の呼び水である剣を見ながら云う。


本来ならば捨て置き、普通の武器に鞍替えしておきたいところであったが、この武器が誇る威力は非常に強烈で強力なものであった。妖精は未知だ。そして人間よりも強い。もしも武力行使が必要となった場合、この剣が役立つ日が来るだろうと思って我慢しながら所持していたのである。騎士自身、この剣が持つ最悪性について知らぬわけではなかった。使い手を英雄へと成り果てさせる……その試練は非常に過酷なものだったのだから。身を以て断言することが出来るのだ。


「そうか……ならばもう問うまい。最後の会合時、我々を見下すあやつらに対して、明確な反発の意思があると告げる為に武器を振るってくれ。合意を得る……と云うわけではないが、戦争をはじめるにはあちら側にも分かり易い合図がないとな。如何な非人間と云えども、何の報せなくして開拓の道を進めることなぞ出来ん」


それに非暴力の中、宣戦布告をしたとしても言葉だけでは人間を愛玩動物のようにしか見ていない奴らには通じないだろうから。分かり易く、そして手っ取り早く戦禍の狼煙を上げる為には、このような愚かな振る舞いが必要とされているのだ。


それほどに人間と妖精の意識に大幅な乖離性がある。


云っただけでは伝わらない。


義憤にかけられ切実な訴えをしたとしても、妖精側からしたら人間が愛らしく怒っているようにしか思っていない。


ヘンリク国王はこれから異種族に対して戦争を行う……その事実に思考を伸ばして、実に険しく眉を顰めた。最後の話し合いが、人間側の大洞に対するその深刻さが奇跡的な確率で伝われば御の字であるが……と思うのだが、その可能性はほぼ閉ざされていると云ってもいい。何故なら妖精が、人間のことをどこまでも無自覚に傲慢に見下し、愛玩物に接しているからだ。


戯れは許すが、侮りは許さない。


じゃれつきによる甘噛みは許すが、身の程を弁えない本気の噛みつきは許さない。


これが基本的な、妖精が人間へ対するスタンスだ。


それならば……これはもう戯れではないと知らせる為に、乱暴狼藉が必要とされたのだ。人間同士の争い――戦争ならば、切迫する内情たる訴え、そして状況から自然と察するものだろうに、妖精はいつまで経っても理解しないのだから、愚かな真似をせざる得ない。非常に頭を抱える問題であった。


ヘンリク国王がその場を立ち去ってから夜明けの騎士は、少し離れた位置にいる見張りの番をしている一人の騎士を見ながら、妖精の丘の中心、茨城に居を構える大洞の元凶、魔女のことについて考えた。


希望はあるのか……?


愛の結晶たる臨月間際の妻子を連れ戻すことが出来るだろうか。


夜明けの騎士はそう思いながら、パチパチと火種を小さく爆ぜさせる焚火の心地よい音を耳にする。明日になれば、茨城に到着して、最後の話し合いの場になるだろう。そう思えば自然と緊張するものであるが、尋常ならざる疲れからか気付けば睡魔に誘われ、眠りに落ちていた。


無意識からハッと帰るように目覚めれば、移動用の馬が嘶きながらガシガシと地面を擦っていた。夜明けの騎士に限らず遠征部隊は朝の支度をすべて済ませ、ヘンリク国王の一声で馬を走らせる。


茨城は朝日を浴びて、その建物の影を伸ばしていた。


薄明から日没に近い長時間後、一団はようやくして茨城の近くに辿り着くことが出来た。


怪我人は一名と、行方不明者である犠牲者は二名。それほど大勢の人数を引き連れていたわけではないが、行きの遠征だけで随分人が減ってしまったものだと思う。帰り道、馬が走ったわだちを辿る形で同じ道を辿ったとしても、無傷の状態で帰還できるなど淡い期待は抱いていなかった。


何せ今回の会合は……最後の話し合いとは云えども、どうせ宣戦布告になる。戯れではなく侮られたことを知った妖精の女王は怒り狂いながら、一団を絶滅することだって十二分にあり得るのだ。ヘンリク国王は万が一の為に、祖国に「もしものことがあれば……」と戦争の準備と、そして支度と命令を済ませているので国王自身命を落とすことはそれほど重要視していない。ただ、妖精の女王に会うまで死ぬことは許されていなかった。接触なしに落命するなぞあってはならぬ。


たとえ命を落としたとしてもこれも戦争の一因になるだろうと考え、一団は茨城の中に足を踏み入れる。その建造物は魔法で建てられた石造りの立派な城であった。作りは古いが構えは頑丈。ちょっとやそっとのことでは、この牙城を落とすことは出来ないだろうとさりげなく観察をする。


「人間の国の国王……人の子よ、よくぞ我が城に参った」


準備のため待機を促された賓客の間から、話し合いの場へ。夜明けの騎士は国王の隣に立ちながら、室内の様子を見る。魔法で灯された緑色の灯りが輝く豪華なシャンデリア。魔女……妖精の女王マレノアと、その両隣に二名の側近。一人はどこか蝙蝠を思わせる風貌で、もう片方はワニを彷彿とさせる姿をしている。王妃に万が一、女王の身に何があってもいいように待機していると云うわけであった。


「人の子……」


国王である我であっても、稚児に接するようにそう呼ぶか……。


ヘンリク国王は僅かに苛立ちを覚えながらも我慢し、着席の椅子に腰かける。夜明けの騎士はさりげない仕草で剣の柄に手を伸ばし、臨戦態勢を維持した。


「ふふふ……そこの騎士よ、わたくしをそう恐れずとも良い。それにしても奇妙なものを連れているな。そこの見えざる外套の者よ」


「あなたには英雄の資格はないみたいだね」


マレノアに話しかけられた見えざる外套はいつものようにジャッチした後、そっぽを向く。不敬極まる姿だが、戯れと判断したのか両隣の騎士たちと同様、コロコロと笑い出した。


「英雄の資格がないと来たか。のう、マレノアよ。幼き頃はよく城を抜け出してかくれんぼをしていたのにな。それは武勲足りえんらしいぞ」


「煩いぞ、リリア。数百年前のことなんぞ、とうに忘れた」


マレノアは、リリアと呼んだ蝙蝠を思わせる側近の言葉に顔を背ける。少しいじけた態度は、通常時ならばこちらの緊張をほぐすものであるが、そうはならなかった。何せ、今から行うのは切実にして切迫した内容。話が通じないのならば、戦争の口火となるからである。


「……して人の子よ、何用があってここに参ったのだ? 道中はか弱い人間では非常に危険なものであっただろう。前は手紙を寄越して交流していたと云うのに、わざわざ姿を現すとは……なにゆえ蛮勇を犯すのだ?」


蛮勇……。


その言葉にヘンリク国王は眉をピクリと上げる。募る感情は苛立ちの一言。だが、表面上は怒りの様子を微塵さえも見せずに、一息入れるようにコホンと咳払いをした。


「……最後に送った手紙の内容を確認しておらぬので……?」


「いや、見たわ。目を通していたぞ。だが、わたくしは、そうはならぬ、来てはならぬと返しの手紙を寄越したのだが、もしや人の子……返事を待たずして、妖精の丘に足を踏み入れたのではあるまいな? 短気は損気だぞ。人の子がここに来るにはあまりにもか弱い。危険だと筆をしたためたのにも関わらず、こうやって来るとはな。か弱い命を幾つ失った? 人の子、お前は返事を待つべきであったのだよ」


「しかし、文字のやり取りよりも『こうして』話し合いをした方が、こちら側の危機的状況をリアルで実感してもらえるかと……」


「愛らしいな。愛らしいなあ、人の子よ。バウルもそう思わぬか?」


「非常にいじらしいですな」大声が響く。「どうしてこう、人間はこうも愛おしいのでしょう」


クスクスクスと、暖かい日差しのような笑い声が響く。その様子は実に朗らかなものであったが、真剣な訴えを持つ人間側からすれば嘲笑され愚弄されるよりも侮辱的なことであった。


どうしてそう笑っていられる?


こちらは切迫した問題を抱えているというのに、独り相撲をしているような……暖簾に腕押し……気持ち悪いほどにかみ合わない、この会話。唾棄すべき柔和な笑い声。いじらしくも愛おしいと場違いな台詞を吐き捨てられる。


ヘンリク国王は俄かに歯を食い縛った。


……事を起こすのは、今ではない。


まだ、話し合いの場面にさえ移行していないのだ。まだここは挨拶なのだ……と、自分に云い聞かせながら……。


「……妖精の女王よ、手紙を通じた交流で何度も我が祖国……いや、それだけではない。妖精の丘周辺の人間が住む集落で、人を吸い込む大洞が出現している。妖精の丘は春と秋の季節を保つ為に大規模な魔法を使用した代償を世界が背負うようになった。今からでも、季節固定の魔法を禁ずることは可能だろうか?」


「それは何度か文面で見た内容だな。確かにわたくしが、その魔法を使っているが……千年以上も前からその魔法を使用してきたのだ。今更妖精が酷暑と厳しい冬の寒さに我慢できる筈もなかろう。国の反発を思えば、民主の意を汲むのは当然。やめることなぞできぬわ」


我慢。


我慢といったか、この女は……。


ただの我儘を前に、ヘンリク国王は絶句した。


世界各国、珊瑚の海や夕焼けの草原をはじめとした国々に季節の肩代わりをさせるだけではなく、人を次元の狭間に彷徨わせる大洞の出現。村どころか、他国が壊滅状態に陥った甚大な被害の原因が、妖精の「我慢」なのか……。


その言葉を理解したヘンリク国王の一団は、身体を強張らせる。殊に夜明けの騎士は、更に強く剣の柄を掴んだ。思わぬ言葉に、思わず反射的な身構えをしたのである。


「……我慢……それだけならば、取りやめることも出来るのではないでしょうか? 我慢で済む問題、軽い反発ならば、季節大変動の魔法を直ちに禁止するよう願います」


芽吹きの春と、収穫の秋。


それら集荷物の恩恵は人間には回ってこない。全て妖精の自給自足に終わっているのだ。もしも人間社会と交流を持ち、安定した食料供給を行っているのであれば、そちらの云い分にも多少理解はあっただろうが、夏と冬から逃れたい為だけならその道理は通らないのが筋と云うものである。


ヘンリク国王は言葉を選びながら慎重に訴えると、マレノアは「そうは云ってもだなあ」と考えるような仕草をした。


「確かに大洞の問題はわたくし側にあるが……そう云われてもなあ。うーん、そうさなぁ。こればっかりは、なあバウルよ、どうしたら良いと思う?」


「……全ての判断は女王様の意のままに」


「リリアは?」


「儂も同じじゃ。我らはただの側近。国の政はおぬしが背負い対処すべき問題であって、こちらが一考すべきものではなかろうよ」


「まあ、お前たちはそう答えるものだと思ったよ。ただ聞いてみただけだ」


マレノアは顎に軽く手を当てて暫し思案したかと思うと、良い考えが浮かんだのか、ハッとしたかのような顔をする。その表情を見た途端、ヘンリク国王は背筋に嫌なものが這うような……実に嫌な予感がした。


「そうだそうだ。大洞に吸い込まれ、次元の狭間にいるものだとしても何百年後かには必ず姿を現す。我々妖精族からみればほんの数年の出来事じゃ。そう、荒立てる問題ではないように思う」


「……女王よ、あなたは人間の寿命をご存じで?」


「知っておるわ。実に弱く脆く短命。だから、『わたくしらから見て数年後』大洞から出た者は妖精国全員が総力を挙げて、保護しようと思う。人間にとっては命の長さの問題上、別れがあるだろうが、我々が保護する方が無難。安全なように思うが」


「お言葉ですが――」


夜明けの騎士は国王同士の話し合いに、場違いであることを自覚しながらも口を入れた。


「生きている間に再会を望む人が大勢いると思われます。現に私の妻子は村ごと大洞に呑み込まれてそのまま帰らぬ人となりました。私は存命である内に、再会を果たしたい。早急に問題に取り組んでほしい……家族に逢いたい……この思いは不敬なのでしょうか?」


「そう云われても、大洞はわたくしにとってもよく分からぬものでな。何せ次元の狭間……ああ、そうか。おぬしは天文学に専念しろと云うのだな? それならば重畳、安心しろ。妖精族は星の観察を長年続けておる。天体の観察においては古い文献が残っており、人間よりも詳しいものだろう」


後の世において、天文学は並行世界の存在を見付ける指標となっている。だがしかし……地表に現れるブラックホールについて未だ未解明なものであり、更に遠く長い時間をかけて解析の必要があった。百年後の現代でも解明できない未知の領分である。


夜明けの騎士は、唇の端を強く噛む。唇の薄皮を食い破って血の味が広がり、手の方は今にも剣を抜きそうなほどブルブルと震えていた。こらえ性がなければ、とうに斬りかかっていたことだろう。


「……では、季節の肩代わりは? 本来温暖である珊瑚の海は冬の時節になれば、流氷に覆われます。人魚たちはその時期になると、住処から離れて他所で過ごし、越してきた人魚の移民問題が起きている。夕焼けの国は日照りの時期が続き、雨さえろくに降らない酷暑に見舞われ作物に明確な被害が出ている。これから季節変動の大魔法を使用し続けると云うのであれば、どう責任を取るおつもりで?」


移民問題と作物。


大洞を抜きにしても、その問題は重要だった。


「正直なところ、妖精国に対する各国……いえ、全世界から反発の感情が出ています。いつ爆発してもおかしくはないぐらいだ。このまま問題を放置し、大魔法を使うことをやめないのであれば、人間との戦争は免れない」


「戦争……それに、旱魃と移民問題か。さぞ深刻なのだろう」


他人事だった。


ここまで真面目に、切実に、実直に訴えても、その回答は他人事。


真面目に取り合ってくれない。


たとえ戦争が起きると聞いても、それも戯れの一環としてやり過ごされる可能性があった。侵略は、野良犬が庭に入ってきたようなもの。殺傷は、猫が悪戯に噛みついてきたようなもの。


愛らしい。


人間に対するそのフィルターは、深刻な相互不理解を成立させていたのである。


虫唾が走る。


「少し考えたのだが、わたくし……旱魃による作物の不毛と移民問題を解決するに、一番良いのは、全世界を妖精国の支配下においてはどうかと思う」


「――は?」


その場にいる人間、国王騎士問わずして、誰もが耳を疑った。


今、この妖精の女王は何と云った?


支配下。


侵略宣言。


笑顔で……明るい表情で、何を呑気な事を云っているのだろう……。


「だって、そうじゃないと様々な問題が生じるのであろう? それならば、常若の国ティル・ナ・ノーグの領地を全世界に広げるしかあるまい? 全ての地域が、国が、世界そのものが妖精の支配下に置かれれば、飢えるものはなくなろう。すべてが一つの国なのだから、移民などの問題など解消しよう。我々が世界を統一すれば、春と秋の温暖な気候と恵みを約束することが出来る。素晴らしい提案ではないか」


「なにを云って――」


何を云っているのか、理解できない。


自分でどのような悍ましい提案をしているのか、理解しているのかこの女王は。


「ふふふ……我ながら名案だ、妙案だ。バウル、今からでも世界中へ野ばらを広げるための下準備をしてまいれ」


「はっ、了解いたしました」


マレノアは少女のような笑みで、世界征服を口にする。


世界中に野ばらを伸ばすといった……その真意の意味は恐らく、すべからく地表を妖精の領地内に治めること……そう云った意味合いなのだろう。


「ああああああああああああああ!」


側近の一人、バウルと呼ばれた妖精が背を向け、マレノアの傍から離れたその瞬間、夜明けの騎士が怒声混じりの咆哮と共に、携えていた剣を抜き取る。憎悪と嫌悪に塗れた声を出しながら、大理石の床を蹴って跳躍し、瞬きする間もなくマレノアの前に躍り出る。そして剣を振りかざそうとした直後、彼の目に映ったのは細身の身体に似つかわしくない膨らんだ腹部。


……身籠っている。


夜明けの騎士の脳裏に、愛おしそうに腹を撫でる妻の姿が霞み、脳天を割るはずだったその刀身の軌道はずれ、肩甲骨から胸当たりを裂傷した袈裟斬りに終わってしまう。彼は、臨月間際の妻子を持つ夫である夜明けの騎士は、どうしても身籠の女性を切り伏せることが出来なかったのだ。


愛する我が子を慈しむ姿と、それを奪われた憎しみの相反する激しい感情の中、マレノアの護衛の為、傍に立っていたリリアの容赦のない蹴りが炸裂し、無様に床を転がる。「俺は……俺は……」と狼狽えた様子を姿なき外套の者が眺める中、マレノアは深く傷ついた胸元の傷を抑え、しかし牙をむき出しにしながら、冷や汗を流しながら吠える。


「とんだ無礼を働いたな、人間風情が! 身の程を弁えぬ下衆が本性を現したか!? 優しくしておれば付けあがり、このわたくしに深手を負わせるとは!」


今、この場で皆殺しにしてやろうか!


そう叫ぶマレノアの顔に鱗状のひび割れが生じる。それは夜明けの騎士の一撃による影響ではなく、本当の姿……仮初の人間の姿からドラゴンの姿へ戻ろうと、その変身を解こうとしているのであった。


赤い火焔がマレノアの口から迸る中、リリアが流血の下たる音を聞きながら「マレノア、さがれ!」と心配入り混じりの声を出す。こちらを見る目は怒りと敵意、不敬を咎めるものであったが、女王を心配する声はどこまでも優しい。


「お前はさがっておれ! 子に影響があってはならぬ!」


「わたくしは直接その無礼者を――」


「大人しく治療を受けておれと云っておるのだ!」


リリアの大声が、頭に血の上ったマレノアを冷静にさせる。彼女は未だ夥しい血を流す傷口を抑えながら杖を突き、この場を立ち去ろうとしていたバウルの差し出す手を握って、城の深奥に消えていく。傷口の治療を受けるのは明白だった。


「まて……待て、魔女! お前がいなければ……大魔法を使わなければ、レイアとシルバーは俺の前からいなくなることはなかった! 返せ……返せ、逃げるな! 責任を取れ――――!」


「全く……ドラゴンの鱗を易々と切り裂く得物があるとは……武器があると一応意識していたが、警戒しておくべきであったな」


「返せ……返せ……!」


「喧しい、黙れ! 今、この場で八つ裂きにしても構わぬのじゃぞ。マレノアの子を亡くすような事態に陥らなかった……自らその手を留めたその賢明さに対して、寛大な態度で殺さずに生かしておいていると云うのに、なんじゃ。返せ返せと煩わしい」


「…………お前は……」半笑いの中、夜明けの騎士は立ち上がる。「愛おしい者はいるか?」


「その質問にどんな意図がある?」


「愛おしい者がいるのかと聞いている」


「…………」


無言。


だが、その答えは明白だった。


リリアはマレノアに引き返せと述べた時のその口調は、心配だけではなく愛があった。愛おしいものを心配する、情があったのである。恐らくリリアは……その恋が叶わず、思慕を募らせたまま……。


「いくら長い命を持つ妖精に説いたところで、俺の気持ちと人間の真意は分からないだろうな……だが、愛する者が横からかっさらわれ、指を加えて眺める様はなんともまあ無様だなあ!」


「貴様……!」


「だが、俺は愛すべき者を手に入れ、手中の珠を可愛がっている最中にそれを突如予兆なく奪われたのだぞ……それぐらいは……それぐらいは、愛する者を娶られたお前は『人間と同じように』少しぐらい想像することが出来るんじゃないのか……」


「……貴様、復讐に憑りつかれておるぞ。このままでは復讐鬼に……」


「なりもするだろう! ここまで来て、首魁に会い得た結果は『こう』だったのだから! ここまで話の通じない化け物だと誰が予想する! 全てを常若の国にするだと! 占領するだと! それで物事すべてが解決するとでも!? できるわけないだろう! なぜこんな簡単なこともわからない!」


夜明けの騎士は怒りに任せたまま、壁を殴った。ブロックの一つを凹ませる、痛烈な一撃だった。


「……貴様の気持ちは多少分かった。だが、今は帰れ。城から離れ、妖精の丘から帰還し自国に帰るのだな」


「……温情に感謝する」


ヘンリク国王は全く感謝の意が込められていない吐き捨てるような口調で云い、頭を下げた。奥歯をかみしめ、手の平を強く握る。そして思うのは、各国に報せなければならないと使命感だ。


妖精の丘の女王は世界征服を目論んでいる。


その為に、戦争の狼煙を上げなくてはならないと冷静な判断を下した。先程の発言は単なる思い付きではない。聞き逃すなどといった楽観視できるほど気軽なものではない。真剣に取り組まなくてはならない、侵略者に対する抵抗を示さなければならないのだ。


一団は重苦しい空気の中、茨城から撤退して行った。その後ろ姿をリリアは眺めながら、夜明けの騎士が云い当てた図星に対して、何故か胸がチクチクと痛む感情に戸惑いが隠せなかった。


そもそもマレノアと自分とでは、身分違いの恋だと分かっていたではないか。やがて正式に夫を迎え、一国の女王として君臨すると分かり切ったことではないのか。それなのになぜ、今更になって横恋慕のような感情を抱くのか……心に傷を負わないため、無意識の内に忘れようとしていたものが……瘡蓋が広げられ、傷口となって血が広がるのを実感するのである。


「よもや人間に指摘されるとはな。案外人間とは真実を突く存在かもしれんな。愛らしいだけの存在じゃないと云うことか。侮れん」


リリアがそう独り言ちる頃、ヘンリク国王が率いる一団は城から少し離れた森の中……木々に結ばれた馬の轡を解こうとしてる中、姿なき外套の者がこう呟く。


「……復讐鬼か。こんなはずじゃあ、なかったんだけどなあ」


夜半といって差し支えない、夜空の星が見える時間帯。ほうき星が一筋、夜空を飛んでいく。いつもなら「どういうことだ?」と夜明けの騎士が訊ねている場面であるが、彼の頭にあるのは失ったものを取り返す原動力、復讐のみが重く深く頭を支配していたのである。それがゆえ、外套の者は「こんなはずじゃなかった」と云うのである。


「こんなはずじゃなかったのにな。私の予想した英雄の姿は、闇に塗れた姿じゃあなかった。冒険譚を進む勇姿は、薄暗くも仄暗い復讐の鬼じゃあなかった。これは、違う。こうじゃなかった。私の使い手として、お前を否定するよ」


私が傍で見ていたいのは、光輝かしい英雄の姿。


闇に突き進む堕ちたものじゃない。


剣を取るにはあまりにも相応しくない。


外套の者はそう云ったかと思うと、一本の杖を取り出した。それはヤドリギの木で出来た、魔法の杖である。


「…………杖なんかあったのか。はじめて見る……」


「はじめて見せるからね」


「その杖をどうするつもりだ?」


訊ねるべきは、その杖『で』どうするつもりなのかが正解なのだが……と、外套の者は思いながら、「餞別さ」と答える。手向けであると回答するのであった。


「偽物と云うよりまやかしだけど、私の記憶と引き換えに君にとびっきりの夢を見せてあげる」


「夢……?」


「今、君の頭の中はその元凶を目の当たりにして復讐でいっぱいだろう。沢山だろう。他のことが考えられないぐらい犇めているのだろう。燻っているのだろう。それは英雄に相応しくない。そんなのは英雄がとるべき姿ではない。そのような堕ちた存在が私の使い手として、触れてほしくないんだよ。しかし、私の落ち度でもある。君の根底にあるのは、栄誉の求心ではなく、純然な復讐だったのだね。それに気づいていれば……」


でも……私がこれまで不幸の呼び水となって、沢山の試練をかした。


それを突破した勇ましい姿は、英雄そのもの。


本物のヒーローであったことは真実だったから、最後の最期に餞別を贈るのさ。


外套の者はそう云ったが刹那――夜明けの騎士の咽喉元を切り裂いた。甲冑と兜の隙間を針の穴を通す以上の精密さで……いやに手慣れた仕草で咽喉の半分を切り裂いた。夜明けの騎士は叫び声をあげることもできないまま、地面に伏して、近くの木に爪立てる。手加減がなければ、あっさりと首が落ちていただろうが、外套の者は最後の慈悲を施すために、数秒間だけ、生き永らえる方法を取ったのである。


「さあ、夢の時間だよ」


閃光。


柔らかな暖炉のような日差し。


外套の者が持つ杖が光ったかと思うと、それは一直線に夜明けの騎士を覆う。半死半生となり眼球に濁りが出始めた騎士の眼前に映った光景は、最愛の姿。臨月間際の腹部を愛おしそうに撫でる女性の――妻の姿だった。


その光景は夜明けの騎士にしか見えない、まやかしの光景であったが、たとえ偽物であったとしても、作られた幸福だったとしても、ようやく相まみえ……取り戻した『愛』に濁った眼に光が差す。目尻から涙をこぼしながら、あらぬ方向に手を伸ばし、妻の名を呼ぶように口を動かした。だが、咽喉が掻き切られているので声はでない。我が子はいつ生まれるだろうかと微笑んだ直後、夜明けの騎士はこと切れた。最後の最後に優しい待望の夢を見て、永遠の眠りについたのである。


「遣る瀬無いね……」


外套の者は杖を隠して、夜明けの騎士が常に腰に携えていた剣を手に取る。そのまま数秒後、棒立ちになっていたのだが、剣を手にしたそいつは外套を脱ぎ捨て、夜明けの騎士を仰向けにして頭部に外套を被せた。兜の中の目……顔は復讐を忘れたかの如く……憩いの只中であるかのように、非常に安らいだものとなっていることであろう。外套の選別は、死者の目を閉ざす優しさの仕草だ。


「安楽死、か」国王は云う。「このまま復讐の悪鬼に囚われるぐらいなら、いっそここで……だから手向けか」


「私を手にすべきは、輝かしい英雄だからね。暗澹たるものが手にしてほしくない。ただの私の我儘さ」


英雄が持つべき武器としての矜持ですらない。


拘りのような、何か。


「お前の剣の切れ味は尋常ならざるものだからな。復讐者が手にすれば、どうなるか。それを考えれば、多少理解できなくもないが……」


「えーっと、名前は何だっけ。あなたの懐刀を殺めたことは悪いとは思うよ」


夜明けの騎士に被せた外套から、血腥い液体が溢れ出る。剣は「これはなんだい」と今しがた自ら殺めた事実を忘れて、ひょいと流血を避ける。


「お前……もしかして記憶が……?」


「私は記憶と引き換えに、使い手に力を貸したり、夢を見せたりすることができる。あまりやらない秘儀みたいなものだけど……この者は最後に愛を取り戻したから良い結末を迎えたんじゃないかな。良いと云うよりマシが正確だけど。それより……おや、君は……」


そこで剣は、ヘンリク国王を見てこう云った。


「私は、杖でもありヤドリギでもあり剣でもある。諸君に問うが、君に英雄の素質があるかな。『ない。部分的にそう。はい。多分ない。いいえ』、いずれかの返答で答えたまえ」


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