エリスの妖精(前編)-4
……それから妖精の丘は、『人間の保護』の名目の下、他国への侵略を開始した。手始めは妖精の丘にほど近い小国をいくつか。人間の治める国が妖精の完全なる支配下に置かれた事実を多くの国が認め、鉄火場の決戦が繰り広げられるようになる。
支配を退け逃れるために、全力を尽くしあらゆる物を軍事用として投資し、妖精の丘を焼き払う。妖精は人間の反発している理由、心情を理解しないまま抵抗を繰り返し、その戦禍は著しい憎しみの坩堝になった。
これが妖精との百年戦争の幕開けにして序章の話である。
「……と云うのが君の父上との冒険譚の始まりと顛末なのだけど、この話を聞いた上で君は私を手に取るつもりなのかな?」
アーサーはもういない。
その場を立ち去ったのではなく、ユニーク魔法に限界を迎え、「招かざる者」を拒絶する魔法陣が発動し、学園の外に弾かれてしまったのであった。まあ……剣の話を聞いている時、退屈そうに欠伸をしていたので、その場から離れてしまうことに惜しさはなかったであろう。
「……俺の本当の父親……」
シルバーは蝙蝠の妖精……リリア・ヴァンルージュの手によって育てられた。幼い頃、自身はどうして人間なのに……他の周りと同じ妖精ではないのにこの場にいるのかと訊ねると、育ての親はこう答えたのである。
――お前は今からおよそ十数年前、大洞から母親諸共妖精の丘の秘境の地に現れた。戦場の跡地を残さないそこは効能の高い薬草の取れる場所であり、入り用があって訊ね入ったのであるが、よもや命がけで嬰児を産んだ親子に遭遇するなど予想だにせなんだ。
――お前の母親は儂の姿を見た瞬間、「もし、その方……我が子を……シルバーを」とだけ述べ、命を落とした。自分の衣類をお包みにした頑是ないお前を抱き抱えながら途方に暮れたが、人間への愛し方を知るために儂はお前を育てることに決めた。
――儂は……いや、儂だけではなく百年戦争を経験した生き残りは人間のことを侮っていたことを痛感した。ただ愛らしい愛玩物のようにしか見えなかった存在は、我々とそう変わらぬ存在であることを知ろうともしなかった。人間に向けるべき正しい認識と感情は同胞と同等のもので良いものか。それを確認する為にお前を育てておったのだが、最初の目的は育児の多忙さゆえに忘れてしまった。
――白衣から延びる小さな手は、妖精の嬰児と変わりない。最初の打算と観察を忘れ、我が子当然に出来る限りの教育を施した。他の妖精とは異なり、出来る限り最大限の愛情をかけて育てたつもりである。その証拠にお前に口封じの魔法で咽喉を焼くことなく、足の健を切ることもなかった。愛の前で誰よりも逞しく健やかに成長するお前の姿を、自然のまま……ありのまま、人間の成長を見ておきたかったのじゃよ。
――かつて、『愛する者はいるか』と人間に問われたことがあるが、儂はお前を一人……一人前の人間として育て上げる中で、人間と真っ向から向き合うことでようやくやっと『隣人愛』を知った。人を愛する心をようやく知ることが出来た。あの発言で瘡蓋が剥け血が流れジクジクと長い間痛み続ける古傷そのものであったが、あの言葉を真正面から向けられなければ、きっと儂はお前を他の妖精と同じようにお前を無条件にして傲慢なフィルター越しに、愛らしい無能な存在としか見ることはなかったであろうな。
「母親は、純粋な人間……」
「君の父親からは村ごと大洞に吸い込まれたと聞いているよ。どれほどの年月と歳月、あの次元の狭間にいたのか与り知れぬことだけど、どうやら帰ってこれたみたいだね。君の父親に報せることはできないけれど、この朗報は幸福な結末と云って差し支えないんじゃないかな」
本当は一家団欒が揃うべき大団円であるべきだろうが、その幸福は剣が夜明けの騎士を殺めることがなくても到達することができない。
数十年前にシルバー母子は現実世界に帰還した。
夜明けの騎士はもし生存していた場合、現実世界で……単純に考えて老いさらばえた肉体は、百以上の年月を耐えることが出来ただろうか。戦争当時の人間の寿命の平均は五〇ほどで、復讐心に激しくその身と心を費やす悪鬼が生きていたとは到底思えないのである。
「それに君は、私を憎む権利がある」
シルバーが半ば茫然とした意識のまま剣を見詰める中、唐突にそう告げられる。何事かと思っていると、「私は君の父親を身勝手な拘りで殺したんだもの」と事実のみを端的に口にしたのであった。
「私は君の父親に英雄になるよう、剣を取るよう言葉を向けた。根底にある復讐心に気付くことなく、不幸の呼び水となって無意味で様々な試練をかした。その苦労と労苦は、私の趣味……ただ単純に英雄になる過程が見たかった、ただそれだけ。いらぬ労力を募らせただけではなく、最後の最後で……気に食わないと云う理由だけで、君の父親を私が殺してしまったのだよ。しかもそれを忘れていたと来たものだ。実に酷い話じゃあないか」
だから……。
「君には、私を憎む権利がある」
沈黙。
シルバーは剣を見、柄に向けて手を伸ばす。その武器を触れるならともかく、握ろうと所持しようとするものなら、正式に魔剣の持ち主となって、夜明けの騎士同様、様々な不幸が試練という形となって個人を襲うことだろう。懊悩し、苦悩し、煩悶するがシルバーが悩むのは、別のこと。
俺はこの剣が憎いのか……?
話を聞く限り、この剣は自分の為だけに相手を試す不幸の呼び水だ。最終的には本当の父親を殺め、しかも忘れていたときたものだ。確かに話だけならば、条件だけなら憎悪に値する存在であるが、自身が父親と認めている存在は育ての親だ。血の繋がった父親の勇姿の始まりと、悪鬼に成ろうとした顛末を聞いても、昔話……誰かの失敗したおとぎ話を聞いているかのような感慨しか沸かない。こうして他人事でいることは、果たして親不孝者だろうかと悩んだところで、制服のポケットにいれていたスマホの着信音が鳴り響く。
瞬間、あと少しで触れかけていた剣から手が離れる。
「もしもし、どうしたのですか親父殿?」
スマホの画面を目視して、電話の掛け主が誰であるのか把握し声を上げる。リリアが……親父殿がこうして電話をかけてくることは珍しいことだと思いながら、マレウスの捜索に何か言葉が必要になったのだろうかと思っていたのだが……。
「おぉ、シルバーか。寝起きじゃないようじゃな……いや、それよりも大変じゃ。オンボロ寮が、茨に覆われておる!」
「茨に……?」
「恐らくマレウスの魔法じゃ。中で……監督生と何があったのか分からぬが、あやつ、祝福の魔法を使いよった! 電話はセベクにも知らせておる。二人とも合流してオンボロ寮に行くんじゃ! 分かったな!?」
「……オンボロ寮が茨に覆われている……それにマレウス様のユニーク魔法が……」
リリアから告げられた緊急内容。
その事態を認知すべく反芻しながら、駆け足でひとけのない場所からオンボロ寮へ向かって走った。ショートカットで中庭を突っ切り、井戸の傍を通過する。メインストリート付近でセベクと合流した際に、不審そうな目でシルバーの背後を追いかける存在を見て、「あれはなんだ!」と問われた。
「アレ……? あれとは」シルバーは振り返り少し驚く。「剣だ。喋る剣が俺たちの後をつけている!」
「それは見れば――何、あの剣は会話が出来るのか!?」
「ああ、何でか分からないけど人格があるらしい」
「それが何でお前の後ろをついて回っているのだ!」
「分からない……本人に直接聞いた方が話が早いんじゃないのか?」
「いやあ、嫌な予感がしてね」剣は答えた。「アーサーの云っていたことも引っ掛かるし、もしかして私に出番があるんじゃないかと思って追従しているわけなのだけれど……」
「うわあ! 本当に喋った! いきなり話すな! びっくりする!」
二人はメインストリートを直進しながら、そのスピードを上げていた。セベクに「いきなり話すな」と云われた剣は、少しだけぶつくさと小声で文句を云ったものの二人から……正確にはシルバーから今は離れるつもりはないらしい。
……やがてメインストリートから少し離れた位置にあるオンボロ寮の付近。顔をあげて古めかしい建造物を見上げると、そこにあるのは変わり果てた姿。寮全体が黒くトゲトゲとした魔力の高い茨に覆われるだけではなく、その中身も縦横無尽に植物が占領しているのであろう。茨は寮たる建物だけではなくその敷地内にも繁栄しており、オンボロ寮の出入り口である鉄門扉にも鋭い棘を持つ植物が伸びていた。
シルバーは門を見て、茨そのものに異様な魔力が込められていることを察知する。誤って棘が突き刺されば昏倒して倒れるのではないだろうかと夢の気配を感じながら、地を蹴って跳躍した。彼は一切門に触れることなく、ジャンプして障害物を乗り越えたのであった。
門を飛び越えたシルバーが片膝立ちになり、薄暗い暗雲に覆われつつあるオンボロ寮を見上げる中、セベクも同様に茨の異様な魔力に気付いてか、同じように優れた身体能力を見せて敷地内に入った。剣は茨を数本切り裂いて普通に入ってきたが、アレは元々が忌まわしい宝で製造された物品であるがゆえ、茨に触れても問題ないのだろう。いや、もしかしたら……刀身に茨が触れないよう器用に切り裂いたのかもしれないが……。
「あれはイグニハイドの……?」
シルバーが片膝立ちで着地し素早く立ち上がる中、視界の中におさめるのはオルトとその付近を浮くタブレット……イデアの姿だった。シルバーは助っ人として、他寮の人間を呼んだのだろうかと思いながら近寄ると、頭上から声がする。シルバーとセベクの二人を呼びつけたリリアの声であった。
「おお、おぬしはイデアではないか。どうしてこんなところに……?」
「親父殿が呼んだのではないのですか?」
「いや、呼んではおらん。もしや、おぬし……巻き込まれた……?」
リリアがその不運を不憫そうに嘆いていると、タブレットから狼狽えた声が響く。どうやらイデアの主張するところ、監督生の欠席を心配したのではなく、嘆きの島で聞き忘れたことを確認するために訪れたら、突如建物の内部から黒い茨が出現したとの話であった。その聞き忘れたことは、監督生が異世界人であること……ケルベロスシステムの復旧に迅速に取り掛かった為、どうしても話をすることが出来なかったのである。
「な……なななななんか、いきなり膨大な魔力がオンボロ寮内で膨張したかと思うと、一瞬で変わり果てた姿に……ハーツラビュルの一年生二名を何とか逃がしたんだけど、拙者、知らない内にやらかした……?」
マレウスが祝福の魔法を使う前、オンボロ寮にエースとデュースの二人がいたのだが、内部からとめどなく押し寄せて来る茨から逃亡し、敷地内の庭に出たところでバッタリと遭遇したイデアは、先輩……年長者として危険を案じ二人に対して帰るよう、指示を出した。最初の頃の方こそ、監督生を助け出すとごねていたが、空を飛んでいた野鳥が不運にもオンボロ寮全体を包む茨に触れた途端、死んだように固まった……正確には深い眠りについた事実を黙認し、冷静な提案を飲んで、今この場から避難している。
「この魔力は、マレウス・ドラゴニアさんのモノみたいだね、兄さん。棘に触れないように注意して。機械でも機能停止してしまう可能性があるから。勿論、僕も気を付けるよ」
「え? マレウス氏がこの魔法を……世界有数の大魔法士はスケールが違いますなあ……って違う違う。なんでこんなことに……そしてなぜ拙者は巻き込まれた……?」
日頃の行いかと、日常の振る舞いに何か瑕疵がないか悩みだすイデアであったが、これはどうしようもない、避けることもできない不運であった。日頃の行いは全く無関係な運のなさである。
「騒々しい。今、人の子は眠りにつこうとしている。何を慌てている?」
緑色の鱗粉。
突如、オンボロ寮近くの屋根から舞ったそれらを注視すると、建物の中にいたと思わしき、渦中にして騒動の立案者であるマレウスが姿を現した。出だしの言葉こそ、寝入りばなの赤子や幼児を気遣い。騒ぐ者々を咎める口調であるものの、その顔は上機嫌であった。
「マレウス、おぬし……なにゆえあの魔法を使った?」
「人の子が望んだからだ、リリア。五百年ほど眠りに入りたいとな。愛らしい人の子の頼みだ。僕には断る理由がない。だから、使った」
「ほう、監督生が自ら望んだのか。ならば云うことはあるまい……と云いたいところじゃが、これからどうするつもりだ? 望み通り五百年間、この狭く窮屈な学園で長い時を眠らせ続けるつもりか?」
「僕たち妖精にとっては五百年など瞬きの内だ」
「だが、人間にとっては長い。悪いことは云わぬ。今すぐ魔法を解け」
「それはできないな、リリア。確かにこの場に長年眠らせるのは可哀想だが……」
マレウスの言葉を耳にしたイデアは、内心驚く。
話の主題……今は場所についての話をしていなくない? 話題に上っているのは魔法を解くか否か、だ。
イデアは、敏感かつ鋭敏に会話のズレを認知した。
「そうだな……後日、今宵……外出届を出して、一旦茨の国に帰ろう。故郷に人の子を連れて眠らせる。これで場所の問題はなくなるはずだ」
「五百年間そやつを預かる者はどうするつもりじゃ? お前はいずれ茨の国を継ぐ後継者。一、二年でこれまでの自由さはなくなる。まさか……よもや儂が甲斐甲斐しく世話を焼けと云うのか? 人間の世話はシルバー一人で充分じゃよ」
「まさか。リリアに任せるつもりはない。そうだな……僕の知り合いに、人の子を欲していた奴がいた。覚えているか、リリア? 古書の取り扱いに長けた司書だ。確かあの司書は世話していた人間を老衰で亡くして嘆いていた。丁度、姿も似ている。慰めにもなるだろう」
「妖精の丘に人間がいるの……?」
イデアの質問に、半分人間の血が混じったセベクは「いるぞ」と答えた。続いて「似ていると云っていたけど、そんなに?」と訊ねると、シルバーが「髪の色は同じだが、それ以外は全く」と正直な感想が送られた。
「え……それってつまり、犬猫の毛の色、品種が同じだから似ていると云っているのと一緒じゃん……どうしてそうなるの? 人間を見る目がガバガバ……って云うか、区別がついていない……?」
まさか、そんな筈はないだろう。
イデアは懇願するような口調で云うが、肝心のマレウスの口から否定の言葉は出なかった。
その代わり……。
「人の子……殊に、どんなに易しい魔法さえ使えない監督生は実に愛らしくいじらしい存在のように思う。シュラウドよ、お前は確か猫好きであったな? もしも路傍でやせ細った子猫が鳴いていたら思わず触れたくなると云うもの。情が厚ければ毛布に包み、一時的に家の中で保護する。僕にとって魔法も使えない人の子と云うのは、そういう風に見えるのだよ」
「は…………」
絶句、困惑。
それを傍で聞いていた剣はかつて「全ての地域、国をまとめて妖精の丘にする」と述べたマレノアの微笑みを思い出しながら、血は争えないと思うのであった。
「マレウス氏、質問があるのだがいいだろうか……?」
「どうした、シュラウド? 質問か……良いだろう。許す」
「鳥のことはどう思う?」
「愛らしいと思う」
「犬のことはどう思う?」
「愛らしいと思う」
「猫のことはどう思う?」
「愛らしいと思う」
「鼠のことはどう思う?」
「愛らしいと思う」
「人間のことを――どう思っている」
「愛らしいと思う」
「――――」
さすがに、タブレット越しでも理解できた。直接顔を合わせない会話であったが、妖精が持つ人間へ対する認識、歪み、異様な愛情フィルター……鳥や犬や猫と人は変わらぬ存在だと無自覚かつ傲慢に見下しているソレにシュラウドは口を噤むのだ。
「のう、マレウスよ……人間に対して好意的な感情を持つのは構わぬが、その『愛』は間違っている」
リリアは横目でオルトとその端末を横目に見ながら、会話に加わった。
「人間の子供……シルバーを育ててようやくやっと分かったことじゃが、人間は思いの外醜いし、嘘もつくし、騙しも、誤魔化しもする。欲深く、嫉妬深く、執念深くもある。我々とそう変わらぬ存在なのだよ、マレウスよ」
「僕はリリアの云っていることは分からない。人間は純粋無垢で穢れのない存在だ。それゆえ間違いを起こすし、取り返しのつかないことを引き起こす。だから、僕の母上が小国を保護したことがあるのだろう?」
「そうじゃな。だが、人間は死ぬまで稚児ではあらぬ。純粋無垢でもない。清いだけの存在ではない。マレウスの中では、人は誰かを嫌ったり何かを陥れたり妬み不条理な怒りを抱くことのない稚児のような存在だと思っているだろうが、そうじゃない。そうじゃあ、なかったのだよ」
おぬしは戦争を知らぬから、そう云える。
人は決して、無力かつ無辜の者ではない。時には悪意を持ち、手段を択ばず非道な行いをし、善意を利用する。このような所業を行う人間のどこが純粋無垢なものなのか。穢れがないと云いきってしまえるのか。
リリアは戦禍に身を置いたことで、開拓の凄まじい力をしっていた。恐らくあの力は悍ましいもの。これまで人間は他者を排斥する力を根源に、獣人を従え、海の底を浚い制覇してきたのだ。決して、汚れ一つない綺麗なものではない。
「人間を愛玩動物のように扱うなよ、マレウスよ!」
身の程を知れ。
リリアは赤い眼を更に深い深紅の紅色に染めながら、空中に浮くマレウスに飛び掛かった。小柄な身体が一瞬でオンボロ寮の屋根付近にいたマレウスの傍に急接近したかと思うと、リリアは相手の襟首を掴んで地面に衝突させる。にわかに白い土煙が立つ中、リリアは地面に降り立ち、セベクに命令を下すのだ。
「マレウスの相手は儂らがする。セベクよ、お前は監督生を微睡みから目を醒ませ。魔法を使用してからさほど時間は経ってはおらぬ。完全に睡眠状態に移行する前に助け出さぬと、本当に五百年後まで目を醒まさないぞ!」
マレウスの施しである祝福は、相手が受け取ることで効果を発揮する。拒絶……首を横に動かせば、自然と魔法が解けるものであった。
「はっ、承知しましたリリア様!」
セベクはシルバーに「この場は任せた」と云い、木製の扉に近寄る。ドア一枚たる板を通過すれば玄関内部に入り込めるのだが、来るものを阻むかのように黒く太い茨が入口を鎖のように縛めていた。
「待ってろ、人間――!」
セベクが玄関に向かって走り出す中、ユニーク魔法、迅雷一閃を使用し、高速移動を行った。その衝撃はただ単純に硬質な茨に向かって真正面から衝突するだけではなく、電熱による植物の焼き払いなど、様々な副次的効果を有していた。
緑の電光が一直線にオンボロ寮の内部に侵入する。セベクは電気の灯っていない薄暗がりの廊下を見詰める。壁一面に細い茨が浸食しているものの、大きい茨が場を塞いでいないのは僥倖で……しかし、細々とした茨の棘に誤って触れないように気を使いながらセベクは監督生を探し出すのである。
談話室、無人の部屋、キッチン周り……一階の部屋をあらかた見たセベクは二階へ至る階段を上る。一階はか細い茨が壁を覆っている程度であったが、二階のとある部屋……監督生の寝室から大きく太い茨が飛び出していた。
あの部屋に人間がいると一瞬で悟ったセベクは、速足で近寄り手の平に電気を迸らせる。スパークするその電気を両の手の平で帯電させながら茨に触れると焼き爛れるように燃える。火焔が昇ることはなかったが、その電熱は非常に有効だった。
「う――ぐぐぐっ」
電熱で茨を焼き焦がしながら、部屋の中へ侵入する。持ち前の怪力を発揮して、鉄格子の檻をひしゃげさせるように茨の中を搔い潜り進んでいくと、監督生の姿が見えた。ベッドの中央で仰向けになり瞼を閉じているのだが、臥所周辺に集う、まさしく円形を象ったような茨の檻が邪魔でそう易々と連れ出すことは叶わないようであった。
「おい! 人間、貴様! 起きろ!!」
セベクは茨の棘に触れないように、注意しながら茨の檻を掴んで手の平から電気をスパークさせた。彼の大声は耳を劈く……ほどではないが、遠くにまで響き渡るかなりの騒音だ。監督生の眉がその大声に対して煩わしそうに動くのをしかと見た。
「起きろ! 起きろ!! 起きろ!!!」
監督生は眉を潜めた……魘されたような様子に歯ごたえを感じたセベクは同じ言葉を繰り返しながら、茨の鉄格子を強く握る。手の平から電気が流れ熱が生じるも、マレウスの純然な魔力で出来た一番堅牢な檻はそのような小細工では決して崩れることはない。
「貴様――何を呑気に寝ておるのだ、目を醒ませ! 本当に今から五百年も眠り続けるつもりなのか! お前の一等親しい友人であるエースとデュースはどうなるのだ! どれほど嘆き悲しむものだと思っている!?」
「……ん……ううん……」
「お前がどのような理由で長き眠りを望んだのか、僕には知らん! だがな、これは裏切りじゃないのか!! お前は友人を裏切るような人間ではあるまい、僕は知っている!」
「だれ……?」
朝の煩わしい目覚ましに対して堪らず目を開けて、何かを訴える目の前の人物を見る。鉄格子の茨を掴み電光を迸らせる姿は非常に衝撃的なものであるが、半覚醒状態の監督生は驚き飛び上がることなく、半ば舟をこぎながらウトウトとしていた。
「おい! 寝るな、眠るな監督生! あと少しだ、睡魔に抗え!」
「うん……あなたは、だれ……?」
「僕か? 僕はセベク・ジグボルト! ディアソムニアの一年生だ! 妖精の丘、茨の国の君主になるであろう若様を支える側近!」
「……はじめまして……?」
「いや、『はじめまして』じゃない! 僕は知っている! 知っているぞ! 人間、貴様のことを知っている! 記憶にはないが、僕はお前のことを知っているんだ監督生! 何故だか分からないが、僕とお前は初対面ではない! ええい、シルバーじゃあるまいに瞼を閉じるんじゃない!! 起きろ!」
「…………はじめましてじゃ、ない……」
「監督生、どうしてお前が若様の祝福を受けたのか分からないし、知らない。だが! 悩みがあるなら打ち明けろ! お前の友達は決して拒絶しない! 云いたいことがあるなら主張しろ! お前の友達は耳を傾けてくれるはずだ!」
「まい……でぃあ……」
うつらうつらと、呆とした調子で監督生は両目を開き、セベクを見て、それからエースとデュースの二人のことを思い出した。ああ……確かにこの人の云う通り、あの二人なら拒絶も拒否も否定もしないだろうと考えた直後、会いたいなとそう思った。
そうだ……会わなくちゃ。会って話をしなくちゃ、いけない。自分一人で抱え込んで塞ぎ込む。それが一体何の解決になると云うのだ。『棺桶の中で眠っていた時』のように、ただただ時間の流れに身を任すのは怠惰だ。現に目覚めても、何も起きなかったじゃないか。帰れなかったじゃないか。どうしようもなかったじゃないか。
「自分は……」
ハッ――と目を醒ます。
意識は明瞭になり、あれほど強くこびり付いていた睡魔は、一瞬で剥がれ落ちた。両手をつき上半身を上げ、完全に覚醒した意識の中セベクを見ると、これまで堅牢であった茨の檻はまるで魔法が解けたかのように霧散した。




