破壊するもの-12
冥界下りの最下層、破壊するものを幽閉したゲート前、皆は唖然とした様子で口を開く。
それもそのはずであろう。何せ半開きになって開かれた冥府の蓋……その縁に手をかけ、地上に這い出ようと破壊するものは抵抗している。だがしかし、子犬ほどの大きさをはじめとした大小様々な蜘蛛が冥界の内部に入り込んで糸を吐き、進行を阻止するかのように雁字搦めにすることで締め上げ、その動きを阻害していたのであった。
冥府の穴の中に入った……小さいものは豆粒ほど……大きいものになれば巨人ほどの大きさを有する幾数数多の蜘蛛が一斉に糸を吐き、破壊するものを縛り付けている。思いもよらぬ助力に対して感謝すると同時に、「だから進みが遅かったのか」とヴィルは理解しながら、魔法を放った。それは半開きになった冥府の蓋から手を出し、縁を掴む手を放させとする、痛みによる追撃である。その一撃を受けた瞬間、破壊するものは内臓がひっくり返るのではないかと思えるほどの振動――叫び声を出して、手下を向かわせるのである。それは年季の入ったファントムであることは云う間でもなく……。
「みんな、危ねえ! 深紅の果実!」
透明な盾……キューブ状の囲いが使い魔たるファントムを無力化させ、深い眠りに落とす。エペルの魔法により地の底から這い出ようとしたそれらは自由落下していき、破壊するものの足元に落ち、あなぐらの底に衝突するのであった。
ルークはユニーク魔法で縁を掴んでいる指と手の急所を定め、カマイタチのような裂傷性のある風の魔法を放つ。五指の一本……破壊するものの爪が剥がれるほどの威力を有した一撃であるが、縁を掴む手は離れることはなかった。それどころが痛みが何らかの活力になったのか、ブチブチと分厚い布が千切れるような音が響く。恐らく破壊するものはその巨体を大きく動かすことによって、肉体を縛める蜘蛛の糸の数本を引きちぎったのであろう。
「蓋を閉めようにも手が邪魔ね」
そして、手をどかそうと奮闘するも中々強固な力で縁を鷲掴んでいるため、離れそうにない。必死に出口を追い求めるその姿には執念があった。妄執があった。まるで井戸の底に落ちたものが、ようやく開いた待望の光、鎖されていた円形の蓋が開かれると同時に決死になって這い上がってきたかのような印象さえある。
「フェアレスト・ワン・オブ・オール……」
ヴィルは猛毒を有するユニーク魔法を唱えながら、破壊するものの片腕を溶かした。通常の生物ならあっと云う間に肉が解け、骨が露見する猛毒であるのだが、皮膚が多少かぶれるほどの効果しかない。その事実にヴィルは内心ショックを受けた。自身のユニーク魔法は、たったそれだけで寮長に昇り詰めるほど自信のあったものなのに、対した効果がないだなんて……その事実とショックを受け止めながら、歯を食いしばるのである。
「イデア! 何か手はないの!? 今は片手が奈落の穴、出入り口の縁を掴んでいる状態だけど、このままじゃあ――」
ブチブチと蜘蛛の糸が切れる音が聞こえる。
「地上に這い出るわよ! アレが地上に出たら往来の魔法使いは急速なブロット化し、非魔法士はオーバーブロットの病を抱える。生命の死蔵庫が開けば……呪いと祝福が世に満ちたらどうなるか……!」
何か有効打は、対策はないの?
エペルが破壊するものの配下を透明なキューブ状の中で眠りに落とし、無力化する中で、顎から伝う汗を拭う。
この場は狂気が凝縮された現場。
ただそこにいるだけでも精神的に負荷がかかり、魔法を使うものなら当然のことながらブロット化が進む。
早急な対応が求められた。
「破壊するものは、神代の生物……古代のゲートを閉じていないのに、ケルベロスシステムで充分封鎖できた。もしかしたら、神秘性を薄める科学が弱点なのかも。鉄は――魔法と違って現実性を高める物質だ」
もしも妖精と同じように、神秘性に満ちた神代にはなかった科学が、人類がこれまで研鑽した技術の叡知が効果的であるのならば……。
「ヴィル氏、猛毒の魔法も良いけど科学薬品の魔法も使える?」
「化学薬品? ええ、薬はそもそも毒の効果を薄めた物。毒ほどの専門家、得意としているわけではないけど、一応化学薬品は使えないことはないわ」
もう一度、ユニーク魔法を。
ヴィルは魔力を高めながら、林檎を齧っただけで即死に至る呪いに近い猛毒ではなく、科学性を有した魔法を放つ。杖を振ると同時に縁を掴んでいた破壊するものの手の甲にその魔法が放たれたのであるが、純正な毒の効果とは異なり、じゅわっと音を立てて皮膚が爛れ、煙が立ち上る。皮膚や毛髪が焦げるような臭いに顔を顰めながら、「効いた……」とどこか呆然とした様子で、ヴィルは呟くのである。
「こっちの方が……現代的な魔法の方が効果があるってことなのね?」
「恐らく、未知だからだと思う」イデアは拙いながらも考察を口にした。「破壊するもの、生命の死蔵庫の齎した呪いと祝福……人間が使えるようになった魔法は、自然的なもの。魂を燃料にエーテル化させ五大元素に変換。魔法を行使したとしても、それは元々古代からあるものだ。火、水、土、空、風……それらは神々の時代でも存在していたものだけど、化学薬品といった練磨された叡知の結晶はなかった。破壊するものからすれば、未知の攻撃を受けたのにも等しい。新しい技……新種の攻撃……本来の魔法より、効くものだと思う。いや、違う。もっと単純に考えて、鉄は現実性を高めるものだから抜群に効くんだ」
「だとすれば、僕の魔導光線エネルギーも効果的だってことだよね」
オルトはそう云いながら、胸元のコアをキラリと光らせた一瞬の後、熱源による一射を放つ。オルトの放った光源の一撃は真っ直ぐに破壊するものの手に向かい、刃の一閃のように通過した。爛れた手の甲と指をえぐる真っ直ぐなその攻撃により、指の一本が吹き飛ぶ。爪を含んだ親指の一部が宙を舞い、クルクルと回りまがら奈落の穴へと落ちる。
「オルトくん、やるじゃないか!」
ルークは現代的な魔法が効くと耳にしてから、風の刃や炎の矢ではなく、狩人が獲物を仕留める時に用いりそうな弓矢を魔法で出現させ、最大出力で射撃しながら、「ブラボー!」と素直な褒め言葉を出す。
「このままどんどん光線を射撃してくれたまえ。如何に破壊するものとは云えども、縁を掴むすべての指が切断されれば、何も掴むことはできないのだからね」
「私も応戦するわ。肉を柔らかくするために、化学薬品の魔法をかけ続ける。手が離れて穴に落ちたその瞬間に、イデア――あんたの出番よ。ゲートキーパーであるあんたが冥府の扉を閉じるの!」
破壊するものの親指を切断した時、大量の血液が溢れ出た。それは狂気が具現化されたものであり、ヴィルは自然とこう想像する。破壊するものが生命の死蔵庫と云うぐらいなら……我が子を産んだ里帰りで地上に姿を現したのなら、呪いと祝福の解放の正体はその胎盤にあったのではないだろうかと。アトランティカ大陸を破壊した後、尾のように引きずっていた内臓を海水に混ぜ溶かしながら津波を発生させ、一部の人間に祝福と呪いの因子を授けた。
いや……これは最悪な想定ね。
――とヴィルは思い直すも、魔法を放つと同時に魔力が軽減する。魂を燃費にした魔法行使は空いたその隙間を狂気が占領するかのようにして、とぐろを巻きながらブラット化させようとしてくる。ヴィルは強固な意思で、闇に呑まれないよう正気を保ちながら、科学性の毒を放ち続けるのだ。
「二本、三本目の指が切断された……! あと少しだ、けっぱれ!」
エペルはいつもの大人しそうな様子をかなぐり捨て、本来の気性の荒さをあらわにする。破壊するものは残された二本指の状態でありながらも縁を掴んだ指を離すことなく、執拗に居座り続けていた。オルトはさすがに指一本状態になれば、さすがに地に落ち、冥府の底に落ちるだろうとコアから光線を放とうとするも、燃料切れであった。この不足はオルトの失態ではない。いつ何時、何があってもいいように魔導エネルギーは常に百パーセントの状態を維持している。云うなれば、指の切断だけでも想定を超えるエネルギー量が必要とされているのであり、そこに過失はないのだ。
「オルトクン!」
オルトの状態を……エネルギー不足を一早く察知したエペルは、ユニーク魔法……本来ならばキューブ状の内部に閉じ込めた相手を眠りに落とす無力化の魔法を、破壊するものの手下であるファントムを閉じ込めるのではなく、その守りの盾を直接叩き付けた。いつもなら四角い形状をしたユニーク魔法であるが、今回に限って云うならば、棺のような長方形の形をしたソレを直接、切断直前の破壊するものの指に叩き付けたのである。
「エペルくん!?」
さすがの横暴……魔法の使い方、その応用にルークは驚きの表情が隠せないでいた。強固な守りの盾が、強靭な矛となって指を切り落とす。切り離された指はあまりにも力強い衝撃で壁にぶつかり、ずるずると血の痕跡を作りながら床に落ちる。それと同時に、指一本の状態となった破壊するものは、さすがに縁につかまり続けることはできなかったのか、自らの巨体の重みと、そうして奈落の穴に入り込んだ自分を戒める蜘蛛の糸の引っ張りによって、怨嗟の込められた叫び声と共に墜落していくのである。
「イデア、今よ!」
「云われなくても!」
冥府の門を鎖すのには、非常に膨大な魔力が必要だ。何せ、神そのものを封じている扉なのだ。幽閉に必要とされるその魔力総数は、非常に膨大なものとなる。それゆえイデアは皆と同じように参戦することはできなかった。
「閉ざされた冥界の扉」
イデアがユニーク魔法を唱えると同時に、足元に魔法陣が出現して魔力放出により髪の毛が風もないのに逆立つ。冥府の底、奈落の地底から自身を雁字搦めにした糸が千切れる音と、そうして呪詛を呟く声が足元から轟く中、石臼を擦るような音と共にゆっくりと扉が閉ざされていく。破壊するものは再び幽閉される事実を認識した後、なりふり構わない形で蜘蛛の糸を引きちぎってもう片方の腕を自由にさせるのだ。片手のみで壁を爪立て、芋虫のように全身を内壁に擦らせながら、再び内部からせりあがってくる。
「イデア、早く!」
ヴィルは冥府の穴の底を見ながら、もうすでに半分以上駆け上って来た破壊するものを見て、焦りながら叫ぶ。イデアは「分かっている!」と答えながら、門を完全に閉ざし、奈落の穴の蓋の鍵をロックしようと魔力を練り上げようとするも、力が足りない。魔力が足りていない。
このままでは単に金庫の鍵をロックせず、扉を閉ざしただけだけ……。
穴に一枚の蓋を被せた状態……石造りの壁を作った状態ではないかと、冷や汗をかき、焦燥をいだく。完全に鍵を閉めるにはあともう少し、たった一人の魔力量さえあれば……たった少しの力だけで冥府の門を鎖すことが出来るというのに、その微量な力が足りない。
イデアは誰かから魔力を譲渡して貰おうと皆を見るも、魔法の連発と云うよりも、破壊するものの狂気に中てられた精神状態が、これ以上魔力を消費することはブラット化の進行に繋がると客観的な判断を下すのだ。ブラット化はゆるやかに進行していく、不可逆的な獣の病。学園で起きた一連の騒動は人為的であるがゆえに、元の状態に戻ることはできたが、自然発症の場合、その病の進行を食い止めることはできない。
絶望。
ほんのちょっとの力量不足、魔力不足がゆえに世界を再び混乱に来たすのか……。
イデアは諦めを示唆するかのように、一歩後退する。冥府の門を鎖すことが出来なかった責任者としての糾弾を恐れて、怖じ気付くのだ。
誰か……何か……方法が。
どうか……どうにかして……対策を。
持前の頭脳を駆使して導き出される最善の答えは、皆から魔力譲渡されること。冥府の門を鎖す助力をしてくれた感謝すべき存在を、将来的にブラット化させるという最悪の手段であった。
大勢を救うには、少数を犠牲にしなくてはならない。
この場合、その少数に当てはまるのは――。
イデアは強張った笑いの中、破壊するものが穴の内部から衝撃を加え、石門を突破しようと躍起になっている事実を確認する。このまま門が通過されるのではなく、すでに失われた神々の技術で製造されたロストテクノロジーの門が破壊されれば、幽閉することは事実上の不可能となり、任務失敗どころか、世界そのものは破滅へ転がり落ちる。
イデアの膝がガクガクと震え出し、地に付こうとしたその直後、小柄な機体がすぐ傍を通過した。オルト……と、その名を呟いた瞬間、彼は兄と同じユニーク魔法を……。
「閉ざされた冥界の扉」
がしゃんと――鍵が閉ざされていく音が、大きく響く。
イデアは半ば茫然とした顔でオルトの姿を、魂を燃やすコアを見ながら、一筋の涙をこぼした。
晴れていく懸念。
シュラウド家の証である一子相伝の魔法。
血族の証拠。
イデアは久しぶりに弟に再会した心持ちの中、滂沱の涙を止めることは出来なかった。




