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「実は、あなたの御母様が関係しているのですわ」
アリアのその言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、数年前に急逝した母の顔が鮮明にフラッシュバックした。
お節介で、声が大きくて、私の体調ばかりを気にかけていた母。地元の田舎で小さな喫茶店を切り盛りしながら、いつも笑っていた母。
「未名、ちゃんとご飯食べてる? 都会の絵の具に染まって、体を壊したら元も子もないんやからね」と、定期的に送られてくる段ボール箱いっぱいの野菜と共に、よく電話をかけてきた。
そんな母は、私が社会人になって数年目、連日の激務に忙殺されていたある冬の日に、くも膜下出血であっけなくこの世を去ってしまった。
親孝行らしい親孝行もできないままの、突然の別れ。
葬儀の際、涙すら枯れ果てた私に、父が「お母さんが、お前にって言ってた」と渡してくれたのが、一つの古びた指輪だった。
「……あなた、この指輪を持っていたでしょ?」
アリアが、ドレスの隠しポケットからスッと取り出し、私の目の前のコタツテーブルの上に置いたもの。
それを見て、私は思わず息を呑んだ。
「あ……」
くすんだ銀色の台座に、青とも緑ともつかない、不思議な色合いの小さな石がはめ込まれた、年代物の指輪。
間違いなく、母の形見として私が受け取り、いつも寝室のアクセサリーケースに大切にしまっていた『あの指輪』だ。
「え、なんでアリアさんがそれを……? っていうか、母が関係しているって、どういう……?」
「まあ落ち着いて聞きなさい」
アリアは、ティーカップの縁を指でなぞりながら、まるで明日の天気を語るような淡々とした口調で、私の常識を根底から覆す事実を告げた。
「この指輪が、私たちがこの部屋に現れた原因なのよ」
「うーん……」
私はテーブルに置かれた指輪と、アリアさんの顔を交互に見比べた。
ただの古いアンティークリングだと思っていた。石の価値もよく分からないし、デザインも一昔前のものだから、普段使いはせずにしまっておいただけなのに。
「順を追って説明するわね。……元々この指輪は、私たちの世界に存在していた『ドワーフ』と呼ばれる種族が作り上げた、古代の空間転移装置の動力源なの。この指輪には、とてつもなく強力な魔石が沢山練り込まれているのよ」
ドワーフ。古代装置。魔石。
ファンタジーの専門用語が次々と飛び出してくる。
「その装置が、いつだかに誤作動を起こしたみたでね。動力源であるこの指輪だけが、時空の狭間に吸い込まれてしまったらしいの。そして、偶然にもこの世界……あなたの御母様が暮らしていたという、田舎の畑の土の中に落ちた」
「畑の土……」
「そう。そして幼少期のあなたの御母様は、泥遊びか何かをしている最中に、偶然この指輪を見つけて、触れてしまったのよ。その瞬間、指輪に残っていた魔力が発動して――」
アリアはそこで言葉を区切り、私の目を見据えた。
「あなたの御母様は、ドワーフ達の古代遺跡に『転移』してしまったの」
「……………………は?」
私は間抜けな声を漏らした。
転移。つまり、異世界転移。
私の、あの、割烹着がよく似合っていた母が?
幼少期に異世界に飛んでいた?
「いやいやいや! 待ってください! 母が異世界に!? 初耳なんですけど!? そんなこと、一言も言ってませんでしたよ!」
「当然でしょうね。小さな子供がそんな体験を語ったところで、大人たちは『夢でも見たのだろう』としか思わないわ。……まあ、あちらの世界に飛ばされた御母様は、ドワーフの遺跡で色々と大変な冒険……というか、サバイバルをしたみたいだけれど。最終的には装置を再起動させて、この世界に戻って来たというわけみたいよ」
予想外すぎる真実に、頭がクラクラしてきた。
私に送ってくれていたあの美味しい野菜たちは、もしかして異世界で培ったサバイバル農業スキルの賜物だったのだろうか。いや、そんな馬鹿な。
「私たちは、そのドワーフの古代装置を見つけ、解析し、失われた指輪の魔力座標を特定したの。そして装置を起動させたら、指輪があるこの場所――つまり、未名、あなたの部屋に転移してきたというわけ」
アリアは、コホンと一つ咳払いをして結論を述べた。
「だからね、未名。別にあなたが特別な血筋だとか、魔法の才能がある聖女だとか、私たちがあなたを導くために来たとか、そういう次元の話じゃないの。単に、『指輪があった場所がここだった』というだけの話」
「あ、なるほど……」
自分が世界を救う選ばれし存在ではなかったという事実に、私は「がっかり」という感情と同時に、不思議なほどの「安堵」を覚えていた。
もし私が聖女だとか言われても、納期とクレーム処理で擦り減った社畜メンタルでは、悪魔を倒す前に胃潰瘍で倒れる自信がある。
私はただの『指輪置き場』だったのだ。なんとも身も蓋もないが、私らしいといえば私らしいオチだ。
それでも、一つだけどうしても気になることがあった。
「あの、どうして古代ドワーフの装置とか指輪が、そもそもこの世界に来たんですか? 誤作動って言っても、宇宙を越えてくるとか……」
「さあ、それは私にも分からないわ」
アリアはあっさりと首を振った。
「だから、こうして私たちも調査を兼ねて転移してきたのよ。まあ、過去にも別の世界に飛ばされた過去はあるし、色々な世界を旅してきたから、私たちとしてはあまり驚きはないのだけれど」
異世界旅行のベテラン。スケールが違いすぎる。
「転移ってことは……私たちがいるここは、別の惑星、みたいな宇宙的な意味ですか?」
私は、自分の乏しいドラマ知識を総動員して尋ねた。
すると、アリアは少し呆れたような、しかしどこか遠くを見るような瞳で答えた。
「『惑星』という概念がこの世界でどういうものかは知らないけれど……ドワーフ達の古い文献によれば、この世界は、果てのない『海』のようなものらしいわ。底知れぬ海の中に、無数の『島』が浮かんでいる。その島の一つ一つが、独立した一つの世界なのよ。私たちの世界も、あなたの世界も、その浮かぶ島の一つに過ぎないって」
アリアの声は、静かな波のように私の心に響いた。
「そして、その島で生きる者たちの肉体が潰えた時……魂は島から離れ、果てのない海へと落ちていく。海流に揉まれ、やがて別の島へと漂着し、そこで新しい命として生まれ変わる。それが、世界の理らしいわ。どうでもいいけれど」
あまりのスケールの大きさと、世界の真理とも呼べるような壮大な死生観に、私は完全に呆然としてしまった。
海と島。魂の漂着。
まるで仏教の輪廻転生と、多元宇宙論をミックスしたような、美しくも残酷な世界。
私の母も肉体を失い、今はどこか果てのない海を魂として漂って、別の島で新しい命として芽吹いているのだろうか。
「……つまり、私がこの部屋であなたたちと出会ったのは、本当にただの偶然。母が拾った指輪を、私が持っていただけ、ということですか?」
私が確認するように呟くと、アリアは頷いた。
「基本的にはそうよ。……ああ、でも」
アリアさんは、テーブルの上の指輪を指先でツンと突いた。
「この指輪には、休眠状態とはいえ、強大な魔力が付与されていた。それがほんの少しずつ漏れ出していたのよ。それを長年、一番近くで浴び続けていたあなたには……もしかすると、魂の奥底に、魔力が染み込んで宿っているかもしれないわね」
「私に!?」
「ええ。だから、メイアスの念動魔法を見ても、精神が崩壊せずに済んだのかもしれないわね。普通、魔法に対する耐性が全くない世界の人間が、魔法を直視すれば、脳が理解を拒んで狂ってしまうことも珍しくないのよ」
さらりと恐ろしいことを言う。
私が昨日、壁際で舟を漕ぎながらブツブツ言っていたのは、単なる現実逃避ではなく、脳が自己防衛のためにシャットダウンしかけていたということなのか。社畜のストレス耐性に感謝すべきか、母の指輪の魔力に感謝すべきか迷うところだ。




