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私は、頭を抱えたくなった。
余計なことを言う? 誰に? 警察に?
「すみません、私の部屋に異世界から来た令嬢と騎士と執事が住み着いていて、しかも魔法で貴金属を盗んで、幻影魔法やらで姿を変えて換金して、お金を違法に生み出しているんです」なんて、警察に駆け込んで言えるわけがない。
「言ったとしても……誰も信じてくれないわよ」
私は、乾いた笑いを浮かべながら言った。
「それどころか、薬物で頭がおかしくなった可哀想な社畜として、病院に連れて行かれて、拘束ベッドのある部屋で片付けられるのがオチだわ……」
この現代において、魔法だの異世界だのと騒ぐ大人は、ただの『痛い人』か『危険人物』である。私の社会的信用は一瞬で地に落ち、会社はクビ、親には泣かれるだろう。
「あら、なら安心ね」
アリアは私の絶望など露知らず、朗らかに笑った。
そして、押し入れから戻ってきたばかりのラドスラフに向かって、パンッと軽く手を叩いた。
「ラドスラフ、お腹が空いたわ。何か用意しなさい」
「畏まりました、アリア様。多めに作った料理が残っておりますので、すぐにご用意いたします」
ラドスラフは完璧な一礼をして、キッチンへと向かった。
部屋に戻り、私はコタツテーブルの上に並べられた豪華な料理と、優雅にくつろぐアリア、そして部屋の隅で仁王立ちするメイアスを見つめながら、己の運命を悟り始めていた。
見た目も普通の人間として偽装できる(幻影魔法で)。
魔法の存在に気づける人は、この世界には存在しない(魔力がないから)。
警察の武器すら、彼らには通用しない。
つまり私は。
この異世界から来た、常識も力も桁外れの彼らと、上手くやっていくしかないのだ。
通報しても無駄。逃げる場所もない。ここは私の家なのだから。
なんで……なんで私なのよ……!?
心の中で、血の涙を流しながら叫ぶ。
一生懸命勉強して、大学を出て、ブラック企業で毎日身を粉にして働いて、高い家賃を払って手に入れた私の城が、なぜ異世界人の前線基地みたいになっているのか。
私は、ふと根本的な疑問にぶち当たった。
なぜ、私なのか?
日本の人口は一億人以上いる。東京だけでも一千万人だ。
その中で、なぜ彼らは、よりによってこの都内の端っこにある、平凡な私の部屋にピンポイントで現れたのか。
「そうよ! なんで私の部屋なの!?」
アリアは、すっかりくつろいだ様子で、洗面所の方へと歩いていく。
「……あ! アリアさん、ちょっと待って」
私は意を決して、アリアの後を追った。
この疑問だけは、絶対にクリアにしておかなければならない。私が今後の同居生活(?)において、精神の安寧を保つためにも。
しかし、洗面所へと続く廊下の前で、私は思わぬ障害物に阻まれた。
ズシン。
巨大な黄金の壁が、私の目の前に立ち塞がったのだ。
メイアスである。
「えっと……メイアスさん?」
メイアスは無言のまま、私の前に仁王立ちし、微動だにしない。
その圧倒的な質量と威圧感。まるで「ここから先は通さん」と言わんばかりの鉄壁のガードだ。
洗面所の奥からは、ジャーーーッという水道の音と、「ガラガラガラ、ペッ」という、異世界のお姫様らしからぬ見事なうがいの音が聞こえてくる。
現代レベルの衛生観念、特に手洗いとうがいという習慣を、どこで学んだのかは知らないが、すっかり馴染んでいるようだ。
「あの……私、アリアさんと少しお話したいのですけど」
メイアスは答えない。兜の奥にあるはずの目で、私をジッと見下ろしている(ような気がする)。
「ちょっとでいいんです。本当に。ただの質問ですから」
私は食い下がり、メイアスの巨体の脇、壁との間にできたわずかな隙間から、ちょこっとだけ顔を覗かせた。
洗面台の前で、脱衣所にメイク用に置いてあったティッシュを、これでもかと取り、ペーパータオル代わりに優雅に手を拭いているアリアの背中が見える。
「あ、あの……! アリアさーん!」
私は壁と黄金の鎧の隙間から、必死に声を張り上げた。
「今さら聞くのも変だと思われるでしょうけど、どうして、私の部屋にいらしたんですか!? それを教えて下さい!」
アリアの動きがピタッと止まる。
「あ!? も、もしかして……私にも、魔法の才能とか、未来を見たりできる凄い力があったりするんですか!? だから、私を導くためにこの世界にいらしたとか……!?」
ライトノベルやフィクションでよくある展開だ。
平凡な主人公だと思っていたら、実は世界を救う隠された力を持っていた。異世界からの使者は、その力に引かれてやってきたのだ、という王道パターン。
もしそうなら、私はこの限界社畜生活から抜け出し、魔法使いとして華々しいセカンドライフを送れるかもしれない。私にもメイアスのような念動魔法が使えるのなら、嫌味な上司の椅子をずらしたり、コーヒーこぼしたり、できる!
私の期待に満ちた叫びを聞いたアリアは、振り返ることなく、拭き終えた山盛りティッシュをゴミ箱に捨てた。
そして、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
アリアが洗面所から出てくると、メイアスが「ハッ」と短く息を吐き、主君のためにスッと道を空けた。
道を空けた。つまり、横に動いた。
「え?」
ズズズズズッ……!!
メイアスの圧倒的な質量の黄金装甲が、横にスライドしてくる。
その移動先にいたのは、壁とメイアスの隙間から顔を覗かせていた、私だ。
「ちょっ、まっ……!!」
ギチギチギチッ!!
私の薄っぺらい体が、冷たい壁と、硬く重い黄金のフルプレートアーマーの間に見事に挟み込まれた。
「ぎゃぁぁぁっ! 潰れる! 肋骨が! 肺がぁぁぁ!! 死ぬ、死ぬ、死ぬ!」
マジで死ぬ。
異世界人の重装甲にプレスされて圧死なんて、どんな労災申請の理由にもならない。
私は手足をバタバタと痙攣させ、カエルのように目を剥いた。
「……あら、こんなところにいたのね、未名。潰れるわよ」
アリアは、壁と鎧の間でペラペラになっている私をチラリと一瞥すると、全く気にする様子もなく、優雅な足取りでリビングへと戻っていった。
主君が通り過ぎたのを確認し、メイアスもまた、「ズシン、ズシン」と足音を立ててその後をついていく。
フワッ。
私を押し潰していた強烈な圧力が消え去った。
「ゴホッ、ゲホッ! ッハァー……! ッハァー……!」
私はその場に崩れ落ち、フローリングの床に両手をついて、激しく咳き込んだ。
三途の川の向こうで、亡きおばあちゃんが手を振っていたような気がした。危ない。危うく真相を知らずに異世界転生するところだった。
「あ、あの鉄屑野郎……絶対にわざとだろ……」
涙目でメイアスの広い背中を睨みつけるが、文句を言う気力すら残っていない。
白装束の女性のように、這うようにして私もリビングへと戻る。
そこには、すでにいつもの定位置――コタツテーブルの上座に座り、ラドスラフが淹れた薫り高い紅茶を、優雅な手つきで飲んでいるアリアの姿があった。
テーブルの上には、先ほどまで私が万札を詰めていた紙袋は跡形もなく片付けられており、代わりに、駅前の有名デパ地下でしか売っていないような、美しいケーキの箱が置かれている。
「……生きていたようね、未名」
アリアは、ティーカップの縁から私を見下ろし、ふっと微笑んだ。
「殺す気だったんですか……?」
私は恨みがましく呟きながら、ふらふらとテーブルに近づいた。
「ンフフ、冗談よ。メイアスは力の加減が苦手なだけ。……さあ、座って」
アリアが、向かいの席を顎でしゃくった。
その声色は、いつもの高飛車な響きとは少し違い、どこか真剣で、静かな熱を帯びていた。
「あなたに、事の真相をお話する時が来ましたね」
「真相……」
私の心臓が、先ほどの圧死の恐怖とは別の意味で、ドクンと跳ねた。
私は無言のまま、促されるままに座布団の上に腰を下ろした。
もちろん、今回も自然と背筋が伸び、両手を膝の上に揃えた完璧な『正座』の姿勢である。社畜の悲しき防衛本能だ。重要な話を聞く時は、相手に隙を見せてはならない。
テーブルを挟んで、アリアと向かい合う。
右斜め後ろにはラドスラフが静かに控え、部屋の隅にはメイアスが銅像のように立っている。
部屋の空気は、ピンと張り詰めていた。
アリアは、ティーカップをソーサーの上に音もなく置くと、まっすぐに私の目を見据えた。
その透き通るような青い瞳には、一切の迷いも、冗談の気配もなかった。
「先ほどのあなたの質問。どうして、私たちがこの世界、この国の、この部屋を選んでやってきたのか」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……はい」
魔法の才能か。選ばれし聖女の血脈か。それとも、単なる座標計算のミスによる偶然か。
どんなトンデモ設定が飛び出しても、今の私なら受け止める覚悟はできている。
アリアは、ふうっと小さく息を吐き、そして、信じられない言葉を紡いだ。
「実は、あなたの御母様が関係しているのですわ」
「……………………はい?」
私の思考は、完全に停止した。
予想していたどの回答パターンにも当てはまらない、斜め上すぎる言葉。
「は、母が……!?」
母。
私、名無川未名の母。
地元の田舎で、父と一緒に小さな喫茶店を営んでおり、たまに「野菜送るわよ」と電話をかけきていた、あの平凡で、ちょっとお節介だけど、優しかった、あの母が?
「あの……私の、母が!? 一体どういうことですか!?」
意外すぎる切り出しに、私は正座のまま前のめりになり、素っ頓狂な声を上げてしまった。
異世界、魔法、王太子、婚約破棄。
そこに突如として放り込まれた『実母』という存在。
私の限界社畜ライフを揺るがす異世界同居生活は、ここからさらに、予測不可能な混沌の渦へと突入していくのだった。




