4
私の愛用するコタツテーブル。
その上が、まるで高級フレンチレストランのテーブルのように変貌していたのだ。
ランチョンマットが敷かれ(私の家にこんなのあったか?)、真っ白な陶器の皿に、色鮮やかで美しい料理の数々が並べられている。
「未名さん、お風呂上がりでさっぱりされましたね。さあ、どうぞこちらへ」
ラドスラフが、まるで椅子を引くように、コタツテーブルの前に置かれた座布団を勧めてくれた。
私は驚きのあまり、口を半開きにしたまま、促されるままに座布団の上に腰を下ろした。いや、今回も無意識に正座をしてしまっていた。
「あの……ラドスラフさん。これ、は……?」
目の前に並べられた、明らかに私の自炊レベルを宇宙規模で超越している料理たちを指差す。
ラドスラフは、嬉しそうに目を細め、料理の説明を始めた。
「まずこちらは、『貝で引き立てた、特製野菜スープ』でございます」
彼が手で示したのは、深めのお皿に注がれた、白濁したスープだった。
中には、大量のアサリ……のような貝殻と、細かく刻まれた色鮮やかな野菜がゴロゴロと入っている。貝の濃厚な出汁の香りが、湯気と共に立ち上ってくる。
「そしてこちらが、『香草塩で締めた魚のコンフィ』です。ディル、タイム、ローズマリーといった香草と塩で、魚の臭みを極限まで抜き、低温のオイルでじっくりと火を通しました。身がふっくらと仕上がっているはずです」
美しい焼き目のついたその魚は、皮の感じからして、おそらく真鯛だろう。付け合わせのレモンと、彩り豊かな野菜のピュレが芸術的に添えられている。
「最後に、メインとなりますのが『トリュフ仕立ての鶏胸肉のシュプレーム』でございます」
こんがりとソテーされた鶏胸肉の上から、クリーミーなソースがたっぷりとかかっており、その上には、黒っぽい謎のキノコのスライスが散らされていた。
「ト、トリュフ……?」
私は目を丸くした。
トリュフ。名前は聞いたことがある。テレビで芸能人が食べているのを見たことがある。でも、実物を見たのも、本物の香りを嗅ぐのも、私の人生で初めてだった。
これが、あの世界三大珍味の香り。なんだか、森の中の湿った土と、高級なチーズを混ぜ合わせたような、とにかく複雑で濃厚な香りがする。
「それに、こちらのパンもどうぞ。お気に召すか分かりませんが……」
綺麗に切り分けられた、見るからに外はカリッと、中はフワフワしていそうなバゲットが、バスケットに盛られている。
「……い、いただきます」
私は震える手でスプーンを持ち、まずはスープを一口すくって口に運んだ。
「――っ!!」
衝撃が走った。
大量の貝から抽出された濃厚な旨味が、口いっぱいに爆発した。それでいて、野菜の甘みと優しさが、その強烈な旨味を見事にまとめ上げている。疲労困憊の五臓六腑に、温かいスープが染み渡っていく。
「おい、しい……」
声が震えた。
次に、フォークで魚のコンフィに触れる。
驚くべきことに、ナイフを入れるまでもなく、フォークの先がスッと身に入り、ホロホロと崩れた。
一口食べると、香草の爽やかな香りと、魚の凝縮された旨味が広がる。低温オイルで煮るように火を通すコンフィという調理法のおかげか、パサつきは一切なく、驚くほどしっとりとしていた。
「なにこれ……美味しい。めちゃくちゃ美味しいです……!」
私は我を忘れて、鶏胸肉のシュプレームにナイフを入れた。
ソースをたっぷりと絡めて、トリュフと一緒に口に運ぶ。
濃厚なクリームソースと、鶏肉の淡白な旨味。そして、鼻を抜けるトリュフの強烈な香り。
それはもう、私の貧困な語彙力では表現できないほどの、「美味しい」の暴力だった。
「ふふっ、お気に召して頂けて光栄です」
ラドスラフは、私が無我夢中で料理を口に運ぶ姿を、まるで孫を見るおじいちゃん……いや、聖母のような慈愛に満ちた笑顔で見守っていた。
パンをソースに浸して食べ、スープで流し込む。
幸せだ。生き返る。
社畜としてすり減った魂が、ギュンギュンと回復していくのを感じる。
しかし。
締めのスープをズズッと味わい、満腹感と幸福感に包まれていた時、私の脳裏に、ある冷徹な疑問が浮かび上がった。
私はスプーンを置いて、ふと我に返った。
「……あの、ラドスラフさん」
「はい、何でしょう?」
「この食材……どうしたんですか?」
そう。私の家の冷蔵庫には、昨日の時点で、冷凍食品や卵パック、納豆、カット野菜などしか入っていなかったはずなのだ。
アサリも、真鯛も、ハーブも、ましてやトリュフなんていう食材が、私の部屋から湧いて出るわけがない。
ラドスラフは、コップの水を継ぎ足しながら、事もなげに答えた。
「ああ、食材はお店で買ってまいりました。この世界の市場、スーパーマーケットという場所ですね。とても品揃えが豊富で、素晴らしい場所でした。この国は思ったより発展しているようで安心しました」
「お店で買った……?」
スーパーに行ったのか、このイケメン執事が。
いや、問題はそこじゃない。
「お金は……? どうされたのですか?」
彼らが異世界から来たのなら、日本の通貨、日本円など持っているはずがない。
まさか、私の財布から勝手に……? いや、私の財布には自販機用の三千円しか入っていない。トリュフなんて買えるわけがないのだ。まさかカードで!? いや、クレジットカードの使い方なんて異世界人が分かるのか?
私の顔色が青ざめるのを見て、ラドスラフは穏やかに微笑んだまま、衝撃の事実を口にした。
「ご心配には及びません。未名さんがお休みになっている間、昨夜のうちに、メイアスが資金を調達してまいりましたので」
「資金調達? メイアスさんが?」
「はい。アリア様が夜の街を探索させたところ、『リサイクルセンター』なる場所に、大量の物体が廃棄されているのを発見したといいまして」
リサイクルセンター。
おそらく、粗大ゴミ置き場か、家電のリサイクル回収所のことだろう。
「メイアスがそこにある物体群から、『集積魔法』を用いて、微量の鉱物を回収いたしました。金、銀、銅、そしてレアメタルと呼ばれるものなどですね。それを集めて塊にし、鉱物商や、宝石を扱う商人に売却してきたのです」
「……はい?」
私は自分の耳を疑った。
家電ゴミから、魔法で貴金属を抽出した?
そしてそれを、質屋かどこかに売り払った?
錬金術じゃん。現代日本で、堂々と錬金術使って金稼いできたの、この人達は。
「う、嘘でしょ……!?」
「嘘ではありませんよ。ただ、この世界の金銭は、硬貨よりも『紙』の割合が多いのですね。アリア様は『紙など持ち歩きたくない』とおっしゃって、メイアスが護衛のために持ち歩ける分以外は、すべてあそこに入れてあります」
ラドスラフが、優雅な手つきで指差したのは、私の部屋の壁に備え付けられている、クローゼットの扉だった。
「……あそこ!?」
私は嫌な予感をヒシヒシと感じながら、立ち上がり、クローゼットへと歩み寄った。
ゴクリ、と唾を飲み込み、震える手で扉の取っ手に手をかける。
そして、勢いよく扉を開け放った。
「――っ!!」
ズサーーーーーーッ!!
扉を開けた瞬間、クローゼットの中から、雪崩のように『何か』が崩れ落ちてきた。
それは、見慣れた、しかしこれほどの質量を一度に見たことはない物体。
大量の一万円札の束だった。
「ヒッ……!!」
数百万? いや、一千、億? 以上あるかもしれない。
帯のついた札束ではなく、バラバラになった万札が、文字通り足元を埋め尽くしたのだ。
「ま、マルサが来ちゃうぅぅぅぅ!!」
私は悲鳴を上げた。
不労所得! 申告漏れ! 脱税! 錬金術による不正な資金獲得!
私の頭の中に、国税庁の恐ろしい査察官たちがなだれ込んでくる映像がフラッシュバックした。
捕まる。社会的に死ぬ。ただでさえ限界社畜なのに、前科持ちの無職になってしまう!
「か、隠さなきゃ! いえ、隠さないと!」
私はパニックになり、床に散らばった万札を、両手で狂ったようにかき集め始めた。
クローゼットの奥に大切にしまってあった、勿体ないからと取っておいた、カネアリーとミエハ・ルーノの高級ブランドの紙袋を引っ張り出す。
「入って! 早く入って! 大人しくして!」
ガシガシと、乱暴に万札を紙袋の中に詰め込んでいく。札束が折れ曲がろうがお構いなしだ。
涙目で万札と格闘する私の隣に、スッとラドスラフが膝をついた。
「未名さん、落ち着いてください。そんなに慌てなくても……」
彼は、私から万札の束を受け取ると、トントンと端を揃え、紙袋の中に丁寧に、美しく並べて入れ始めた。
「手伝いますよ。さあ、一緒に」
「あ、ありがとうございます……」
イケメン執事と二人で、床に散らばった大量の万札を、ブランド紙袋に詰め込むという、前代未聞の『初めての共同作業』。
彼の優しい微笑みと、手際の良さに少しだけ癒やされながらも、私の心の中の警報は鳴り止まなかった。
休日の平穏は、こうして莫大な現金と共に、完全に崩れ去ったのである。




