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「これで、装置を起動させるための魔力は十分に満たされました」
ラドスラフは、深く、美しい角度でお辞儀をした。
「これでもう、未名さんにこれ以上のご迷惑をおかけせずに済みます。短い間でしたが、本当にありがとうございました。突然押しかけた私たちを、衛兵に突き出すこともなく、受け入れてくださり、とても感謝しております」
「あ、いえ……こちらこそ……」
私は戸惑いながらも、慌てて正座の姿勢を正し、頭を下げた。
迷惑。確かに最初は迷惑極まりなかった。不法侵入だし、万札騒動で心臓が止まりかけたし、巨大騎士に圧死させられそうにもなった。
でも。
「さて、ラドスラフの別れの朝食作りも済んだし。帰るわよ、メイアス」
アリアが立ち上がり、ドレスの裾を翻した。
『――御意』
メイアスが立ち上がり、部屋の中央へと歩み出る。
ラドスラフもまた、私の前を離れ、アリアの斜め後ろへと控えた。
三人が、私のコタツテーブルを囲むようにして、部屋の中央に集まる。
いよいよ、本当にお別れなのだ。
「あの……」
私は、立ち上がり、三人を見回した。
何を言えばいいのだろう。
「二度と来ないでください」? 違う。
「万札の始末はどうするんですか」? それも今はどうでもいい。
「私、最初は……本当に、警……衛兵を呼ぼうと思うくらい迷惑だったんです」
私は、素直な気持ちをポツリポツリと言葉にした。
「でも、なんだかんだ……色々と夢みたいな話ばかりで、非日常で。……すごく……凄く楽しかったです。だから……ちょっとだけ、寂しいです」
限界社畜の、嘘偽りのない本音だった。
私の言葉を聞いて、アリアは目を細め、フッと柔らかく笑った。
「そう。まあ、この世界も、魔力がないこと以外は、なかなか楽しかったわ。またいつか、あの『しば漬け』という漬物を食べに来てあげてもいいわね」
あくまでも上から目線なのが、アリアさんらしい。
ラドスラフは、胸に手を当てて優しく微笑んだ。
「未名さんが、とても優しく、良い方で本当に良かったです。あなたに出会えたことは、この世界での一番の収穫でした」
相変わらず、キラーフレーズを息を吐くように言う男だ。また夢に見そうだ。
そして、メイアス。
彼は、兜の奥から私を見下ろし、短く、しかし重々しい声で一言だけ告げた。
『――達者でな』
「はい。……皆さん、さようなら。お元気で」
私がそう言うと、アリアが私の母の遺品である『指輪』を空中に放り投げた。
メイアスが、その巨大な黄金の手で、指輪をガシッと掴む。
そして、彼が指輪に魔力を注ぎ込むように、ギュッと手を握りしめた。
その瞬間。
ピシッ、というガラスが割れるような音と共に、メイアスの手元から、眩いほどの青い光が爆発した。
「くっ……!」
私は思わず、両腕で顔を覆い、きつく目を閉じた。
部屋全体が、いや、世界そのものが青い光に呑み込まれていくような、強烈な閃光と、空気が震えるような轟音。
目を閉じている間、私の脳裏に、これからの日常が走馬灯のようによぎった。
……帰っちゃうんだな。寂しいけど、明日からまたいつもの社会人生活か。マルサに怯えながら、あの万札を少しずつ消費して……いや、バレるから使えないか。やっぱり燃やそう。あとは、何か新しいことでも始めてみようかな。ジムに通うとか、資格の勉強とか、新しい趣味とか……)
光の洪水の中で、私はそんな、極めて現実的で前向きな未来予想図を描いていた。
しかし。
数秒経っても、青い光と轟音は収まらなかった。
それどころか。
ビュウウウウウゥゥゥゥッ!!
「……え?」
私の肌を、猛烈な風が叩きつけた。
部屋の中とは思えない、荒々しく、乾燥した、砂埃を伴った強風。
エアコンの風なんかじゃない。窓を開け放った時の風でもない。これは、完全な『屋外』の風だ。
私は恐る恐る、ゆっくりと目を開けた。
「……は!?」
私の視界に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の白い壁紙でも、コタツテーブルでも、木製のドアでもなかった。
赤茶けた大地。
ひび割れた岩肌。
見渡す限りの、地平線まで続く荒れ果てた荒野だった。
「えっ……? ここ、どこ……!?」
呆然と立ち尽くす私の目に、さらに信じられない光景が映り込んだ。
空。
そこは夜だった。しかし、日本の夜空ではない。
空には、巨大な『四角い月』が、不気味なほど青白い光を放って浮かんでいたのだ。
そして、その荒野のど真ん中。
SF映画に出てくるような、巨大で歪な『飛行船』っぽいものが、何台も着陸していた。
飛行船の周囲には、メイアスと同じような黄金の鎧を着た騎士たちが数十人、そして、金の刺繍が施された青いローブを纏った『魔術師』のような人々が、整然と隊列を組んで並んでいる。
その魔術師たちの一人、ひときわ豪華なローブを着た白髭の老人が、私の数メートル前に立つ人物に向かって、深く頭を下げていた。
「アリア様。お帰りなさいませ」
老人の声が、風に乗って聞こえてきた。
「ええ。まあ、何とか指輪を持ち帰れたわ」
アリアは、何事もなかったかのように、堂々とした態度で老人に答えた。
「本当、ドワーフ達の古代装置の気まぐれには困ったものよね」
「御無事で何よりでございます。……して、アリア様」
老人が、顔を上げ、訝しげな表情で『私』の方を指差した。
「あの者は、一体……?」
老人の指差す先。
パジャマ代わりのヨレヨレのスウェット上下に、限界社畜の休日の完全装備で、荒野に立ち尽くす私。
アリア、ラドスラフ、そしてメイアスの三人が、一斉に振り返って私を見た。
数秒の、完全な沈黙。
やがて、アリアが「あら」と、少しだけ目を丸くして言った。
「未名。ついて来ちゃったの?」
「ついてきちゃったの? じゃないわよ!!」
私は、荒野に響き渡る絶叫を上げた。
「私、一歩も動いてないわよ! あなたたちが勝手に私の部屋で光って、勝手に転移したんでしょ! 多分、距離が近すぎて、私まで巻き込まれて転移しちゃったじゃないの!?」
私の怒りの抗議に対して、アリアは悪びれる様子もなく、むしろ面白そうに「ンフフ」と笑った。
「まあ、そういうこともあるわよね。魔力の奔流に巻き込まれたのかしら。今度はあなたが、この世界を楽しむ番ね」




