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私は頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。
待て。冷静になれ。状況を整理するんだ。
母は、指輪に触れてドワーフの遺跡に転移した。でも指輪は日本にあったから、ドワーフの装置で帰れた。
アリアたちは、私の部屋から、指輪を使ってドワーフの装置がある場所へと転移してきた。
恐らく、この荒野の地面の下か、どこか近くにその古代装置があるのだろう。
そして、私を巻き込んで転移してしまった。
じゃあ、一体どうやって、私は日本に帰ればいいわけ?
転移の鍵となる『指輪』は、もうメイアスの手の中にある。
詰んだ。
完全に詰んだ。
私の頭の中を、様々な現実は駆け巡る。
明日提出予定だった企画書、一体誰が仕上げるのだろうか? 穴をあけたら上司が発狂する。
アノとルルの餌やりは誰がしてくれる? このままじゃ餓死しちゃう!
父は……まあ、私には妹が二人もいて、兄も一人いるから、私が突然行方不明になっても、悲しむだろうが、孤独死することはないだろう。実家の喫茶店も賑やかだし。
しかし。
自分の身に降りかかった状況を客観視すればするほど、絶望しか湧いてこない。
私は乾いた地面に崩れ落ち、口を半開きにしたまま、空を見上げた。
四角い月が、私を嘲笑うかのように輝いている。
間違いなく、異世界だ。
夢でも幻でもない。
私の資産は、今着ているヨレヨレのスウェット上下のみ。
寝床もない。食べ物もない。魔法なんて使えるわけがない。この世界のお金もない。そして知識なんて皆無。
全部ない。ないものだらけ。
マイナスからのスタートどころか、ブラックホールからのスタートだ。
最悪だ。
ただただ、母のように、この訳の分からない異世界でサバイバルをしなければならない。
しかも、母の時と違って、帰れる見込みがゼロ(帰還アイテムはアリア(メイアス)が所有)という絶望的なおまけ付き。
「ああ……もう、どうにでもなれ……」
私は地面に突っ伏して、土の匂いを嗅ぎながら現実逃避の極致に達しようとしていた。
その時。
私の視界に、磨き上げられた革靴がスッと入ってきた。
顔を上げると、そこには、心配そうな顔をしたラドスラフがしゃがみ込み、私に向かって優しく手を差し伸べてくれていた。
「未名さん。立てますか?」
「ラドスラフさん……」
私は、藁にもすがる思いでその手を取り、フラフラと立ち上がった。
ラドスラフは何も言わず、私の手を引いて、一行が乗るであろう、ひときわ豪華な装飾が施された大型の『馬車』(馬ではなく、恐竜のような生き物が繋がれているが)の方を見た。
「早くしなさいよ!」
馬車の扉の前から、アリアが声を張り上げた。
ラドスラフを呼んでいるのだろう。
彼は私の専属執事ではなく、アリアの執事なのだから。
ラドスラフはきっと優しいから、「私を屋敷に置いてください」と頼めば、口利きくらいはしてくれるかもしれない。
でも、あの高飛車なアリアが、どこの馬の骨とも分からない(いや、日本での社畜ではあるが)異世界人の無能力者を、公爵家に置いてくれるはずがない。当然、断られるのは分かっている。
私は、ラドスラフに引かれるまま、トボトボと馬車の方へと歩いていった。
「ここで置いていかれたら、一時間後に魔物に食われて死ぬんじゃないかしら……」と覚悟を決めながら。
馬車の前に辿り着くと、アリアが腕を組んで私を見下ろした。
「さあ未名、早く乗りなさい」
「……えっ?」
私は、聞き間違いかと思って顔を上げた。
「この未開地はドラゴンが出るのよ。飛行船の魔力障壁があっても、上空で撃ち落とされるかもしれないから、急いで王都に帰るわよ。さあ、早く!」
アリアは、顎で馬車のタラップをしゃくった。
「え!? わ、私も……行って、いいんですか?」
私は信じられない思いで尋ねた。
アリアは、心底呆れたような顔をしてため息をついた。
「なにを当たり前の事を言っているの。向こうの世界では、あなたが部屋を貸してくれたんだから。こっちの世界では、私が部屋を貸してあげるに決まっているでしょう。公爵家には、空き部屋なんて腐るほどあるんだから。……さあ、早く乗りなさい!」
「あ……」
私は言葉を失った。
元はと言えば、この人のせいで異世界に放り出されたのだ。文句の一つや百つ、言ってやりたい気持ちはある。
でも、ここで反抗して荒野に置き去りにされたら、確実に命はない。
ここは波風立てずに、この高飛車だけど意外と義理堅いお嬢様の言葉に甘える事にしよう。
「は、はい! お邪魔します!」
私は、ヨレヨレのスウェット姿のまま、豪華な馬車の中へと転がり込むように乗り込んだ。
────
馬車は、見た目のゴツさに反して、驚くほど揺れが少なく、中はプライベートジェットのように快適だった。
ラドスラフが手際よくお茶を淹れ、アリアは分厚い本を開いて優雅に読書を始めている。
メイアスは護衛用の馬車があるのか、この馬車内にはいない。
私は、ふかふかのソファの端っこに縮こまりながら、窓の外の流れる景色――荒野を眺めていた。見とこともない、生き物が達が遠くで飛んでいる。
「あの……アリアさん」
私は、おずおずと声をかけた。
「何かしら?」
アリアは本から目を離さずに答える。
「私、この世界のお金もないし、魔法も使えないんですけど……私にもできる仕事って、何かあるのでしょうか? ただ養ってもらうわけにはいかないですし……」
社畜の悲しい性である。働かざる者食うべからず。自分の居場所は、労働で確保しなければならない。
アリアは、パタンと本を閉じ、私を真っ直ぐに見つめた。
「とりあえず、私の『専属使用人』ね」
「結構、大役では?」
「そうね。まあ、一緒に街へ買い物に行ったり、裁縫や楽器の演奏をしたり、読書をしたり……とにかく、私の側にいて、楽しくやっていればいいわ。お茶会にも付き合ってもらうかもしれないわね」
それ、使用人というか、単なる『お友達』枠では?
「楽しくやっていればいい」なんて指示、ブラック企業で過労死寸前だった私には、甘すぎて逆にパニックになる。
「そ、そんなことでいいんですか……?」
「ええ。その間に、ラドスラフに、あなたの適性を見た上で、もっと合った仕事でも見つけさせるわ。だから、気長にいきましょ」
アリアはフッと微笑み、再び本を開いた。
ラドスラフも「お任せください、未名さん。お力になります」と頼もしく微笑んでくれた。
「は、はい……よろしくお願いします」
私は、出されたお茶を両手で包み込みながら、深く息を吐いた。
日本に残してきた仕事、マンション、ペット、家族。
それらを失った喪失感と、巻き込まれたことへの理不尽さは、確かに胸の奥にある。
でも不思議と、絶望感は薄れていた。
窓の外には、見たこともない色の鳥が飛び、遠くには巨大な建造物が見えている。
私の心の中で、不安と同じくらい……いや、それ以上の『好奇心』が、小さな炎のように燃え上がり始めていた。
限界社畜OL、異世界にて公爵令嬢の専属使用人(という名のお友達)として、スローライフ(予定)始めます。
私は、四角い月が照らす異世界の空を窓から見上げながら、密かに、興奮の笑みを漏らしたのだった。




