第11話 約束
覚悟を決めると、ウィズダブラの瞳はかつて皇帝であった頃の力強い光を取り戻していた。
「トア、どうかこの本を持って行ってくれぬか?」
静かな微笑みと共にそう言われ、トアは驚いていた。
「えっ、でもこれは大切な本でしょう? ルルドの王様も賢者の本は大切だって言って特別に見せてくれたし……」
「そうだよ。しかし、ここにあっても悪用しようとする者たちに奪われてしまうのだ」
「そうなんだ……でも無くなったら、おじいさんが怒られるんじゃない? ひどいことされるかも」
「儂はいいのだ。しかし……娘が……いや、何でもない……」
「娘さんって、トーマスさんの奥さんでしょ?」
「し、知っておるのか?」
「会ったことはないけれど、フロイスさんや執事のハシルさんが、よく話してるよ」
「フロイス……そうか、トーマスの弟か!」
「うん、よくフロイスさんの実家に食料とかを届けに行くの」
「そうか……娘は、元気にしているだろうか?」
「うん、最近美味しいものを食べて元気になってきてるって、ハシルさんが言ってたよ」
「そうか……ああ、有難うトア……」
「うん、心配しないで。ちゃんと娘さんの家も守るから! 約束するよ!」
そう言って「ニシシ」と笑ったトアの笑顔を見て、一瞬目を見開いたウィズダブラだったが「そうか、そうか、守ってくれるか……」というと、笑いながら涙を流すのだった。
その後、トアは「おじいさんも危ないから、結界に反射もつけておこう……トーマスさんの方にも同じようにかけよう……」とぼそぼそ呟き、一通り対策をすると帰って行った。
不思議なことに、トアの屈託のない笑顔を見たウィズダブラは、万事が上手く行くような不思議な感覚がしていた。
(これでもう思い残すことはない……あの子の笑顔を見られるなど、なんと幸せな人生なのだ)
明日、ダルーガが来て己の身がどうなろうと、満足な人生であったと覚悟ができたウィズダブラは、この日も温かい寝具に感謝して眠りについたのだった。
翌日、昼過ぎに皇帝ダルーガ・バールはやって来た。ウィズダブラの牢の中を顔を歪めて睨みつけると口角を下げる。
「おい、昨日の本について分かったことを話せ」
「……」
「おい、何か言え!」
「……本とは何のことだ?」
「ふざけているのかっ!! おい、所長、こっちに来て牢を開けろ!」
怒り狂ったウィズダブラは、離れた所に居た所長に牢の鍵を開けるよう指示した。小走りで駆け付けた所長が、ウィズダブラの牢の鍵を開けようとする。ところが——。
「あ、あれっ? おかしいな……ん??」
「どうした、何をしている」
「い、いえ、すみません! 開けようとしているのですが、鍵穴が……あれっ……」
「もういい! ドルクに鍵を渡せ!」
怒鳴られた所長は慌てて、皇帝の付き人のドルク・ジーカに鍵を渡した。所長のことを見下した目でジロリと睨んだドルクが鍵を開けようとしたのだが……。
「……開きませんね……」
「何だと? どういうことだ?」
「鍵穴はここにあるのですが、鍵を差そうとしても何かに阻まれて鍵穴に到達できないのです」
「そんな訳あるまい、貸せ!」
そう言って、自ら鍵を開けようとしたものの、力ずくでグイグイ鍵を押し込もうとしても、鍵穴には到達できなかった。
「どういうことなんだ……おいっ、ウィズダブラ! お前が何かしたのか?」
しかし、返ってくるのは沈黙のみだった。
「ドルク、これは魔法か?」
「……すみません、私にも分かりかねます。まるで透明の固い何かがあるようで、このような魔法は見たことありません。そもそも囚人達は魔力封じの手枷をつけていますから、魔法は使えないはずですし……」
「くそっ! おい、ウィズダブラ、本を寄越せ!」
何もウィズダブラが発しないことが、皇帝ダルーガの怒りを増長するが、牢を開けることもできず、そのまま暴言を吐いていたダルーガは「この報いは、お前の娘に払わせてやる」という捨て台詞を残し、去って行った。
ずっと目を瞑りダルーガの暴言を聞いていたウィズダブラは、自分から皇帝の座を簒奪した者があのような者であったということに、自責の念を感じずにはいられなかった。
(民は……国は、大丈夫だろうか……あのような者を国のトップにさせてしまったのは、私の責任だ……そして、フローリア、どうか無事でいてくれ……)
ウィズダブラは湧いてきた不安に負けないよう、昨夜のトアの笑顔を思い浮かべ、ひたすら祈り続けるのだった。
怒りが冷めやらぬままに地上へと戻って来たダルーガは、所長が連れて来たザットに話を聞いていた。
「最下層の奥の牢で変わったことはなかったか?」
皇帝に睨まれたザットは、マズイ流れだと思い咄嗟に逃げ道を探し始める。
「私が見回っている限りは、特に何も変わりはありませんでした。ただ、最近入った新人が、やたらと囚人と仲良く話しているので、何か知っているかもしれません」
「その新人はどこだ、連れて来い!」
所長とザットは、ミラスを探しに脱兎のごとくその場を離れた。
しばらくして、訳が分からずいきなり連れて来られたミラスは、不機嫌な顔の皇帝を前に困惑していた。
(何か問題が起こったようだけど、なんだろう……)
「おい、お前は囚人と話したりしているようだな」
「はい、挨拶程度ですが」
ミラスは当たり障りなく答える。
「最下層の奥の牢で、最近何か変わったことはなかったか?」
皇帝ダルーガ・バールはギョロリと睨み、そうミラスに尋ねた。




