第8話 妻の面影
トアの心配そうな声を聞いたトーマスは、コクリと頷いた。
「ちょっと見せてね……」
そう言うと、トアは指の先ほどの小さな火魔法を発動する。途端にトーマスがたじろぐのが分かる。
「あ、大丈夫だよ、熱くないようにするから」
実はトーマスが驚いたのは自身の身の安全というよりも、突如魔法が発動したことだった。火はトアの指先に小さく浮いている。
(これは魔法? しかも、火魔法なのか……詠唱は……)
トアがトーマスの正面に回り、喉の辺りを見ようと近づいた。
これまで暗闇でそっとスープを置いてくれていたトアの顔が露わになった途端、トーマスの目が見開かれる。
(フローリア? いや、違う……この子は子供だ。それにしても、とても良く似ている……)
そう思ったら、枯れたと思っていた目から涙が流れた。毎日毎日、妻の顔を思い出しては、この終わりの見えない過酷な環境に耐える日々だった。フローリアの顔を毎日思い出せていることに安堵していたが、同時に、いつその記憶が朧気になってしまうか怖くもあった。フローリアにそっくりなトアの顔は、再びトーマスに愛する妻の顔をはっきりと思い出させ、生き続けようとする力を与えるものだった。
「あ、おじさん、どこか辛い? ごめんね、すぐに終わるから」
そう言ってトーマスの喉を見るために近づいたトアは、そこに傷跡を発見して怪訝な表情になる。
「これ、もしかして誰かにやられたの? だとしたら、ひどい……こんなことするなんて」
トーマスは、これまでヒソヒソと自分に話してくれていた相手がこんな子供だと分かって、途端にむごたらしい傷跡を見せてしまったことをすまなく思う。しかし、ピオッドの元で治療の手伝いをしたり、最近もルルドの治療院を飛び回っているトアは怯むこともなかった。
「少しこのまま我慢しててね……」
そうトアが言うと、トーマスは自身の顔の下あたりが白く光っているのに気づき、目を瞬く。
暫くすると、トアがニコリと笑った。
「できたよ! どう、声出る?? ずっと喉使ってなかったからすぐには出ないかなぁ。あ、スープまず飲んで」
そう言って手渡されたスープをトーマスは大切に抱えて飲む。手に嵌められた枷の鎖の音がジャランと響く。コクコクとスープを数口飲んだトーマスは、喉を通るスープの感覚をいつもよりはっきり感じることに驚いた。そして——。
「……あ……の、どが…………!!……声が……」
「ああ、良かった! おじさん、声出てるよ! あ、でも大きな声を出したら牢屋番の人に気付かれるから気を付けてね。暗いから分からないと思うけれど、傷跡も消えてるから下を向いてた方がいいかも。また傷つけられるといけないから、声は出ないふりしてね!」
「あり……がとう……君は……」
「あ、私はトアだよ。おじさん、トーマスさんでしょ? じゃあ、また来るね!」
そう言うとトアの姿はふっと消えた。
(消えた……それに、喉も本当に治ったようだ。あの子は……トアは、妖精か何かだろうか……)
幻ではないかと思ってしまうような時間だったが、すぐ後ろにあるマットや毛布に手が触れて、そういえばこれもあったと思い出す。
(驚きすぎて治してくれた礼が言えなかった……)
トーマスはその日、牢に来て初めて温かい寝具でゆっくりと眠ることができた。そのせいか、フローリアと過ごしていた頃の懐かしく穏やかな日々の夢を見た。そこには面白いことにトアがいて、トーマスは翌朝起きると「ふふふ」と笑ったのだった。
トーマスの牢を去ったトアは、一つ挟んだ隣の牢を訪れていた。ここには、前皇帝ウィズダブラ・アラキスがいる。トーマスと同じで魔力封じの枷をつけられており、過酷な環境は普通の老人であったらとっくに儚くなっていただろうが、頑健な肉体を持つウィズダブラはまだ耐えられていた。トアの気配を感じたウィズダブラは「ああ、今晩も来てくれた」と嬉しく思う。
(先ほど、トーマスの牢で何か囁きが聞こえてきた……何かあったのだろうか……)
いつものように、すぐに行ってしまうと思ったが、今日は服の袖をチョンチョンと引っ張られた。後ろを振り向くと、耳元で囁かれる。
「今日は、マットとか毛布類を持ってきました。枕もあるよ! 透明で見えなくしてるし、ここは暗いから大丈夫だと思うけど、見つからないように気を付けて。じゃあ、また明日!」
ウィズダブラが言われた内容をちゃんと理解する前に、トアは去って行った。
(話し方からすると、もしかしてまだ子供なのか……? とにかく不思議だが、有難い。今日も温かいものを食せる。この食事が私の命を延ばしてくれているようだ)
そう思い、いつものように手を伸ばしてスープの器を探したのだが、そこでウィズダブラは器ではない感触の物に触れて驚く。
(なんだ、これは?? 柔らかい……そういえば、あの子は何と言っていたか……マット、毛布……!)
長らくボロボロの薄い布しか存在していなかった牢に、不釣り合いな厚い生地を手にして、ウィズダブラは夢ではないかと疑った。
温かいスープを食し身体中にほっと安心感が広がったウィズダブラの老体は、半ば意識を失うように柔らかい寝具へと沈んでいった。




