三十八、戦い前夜
冬の夜は他の階層にも増して幻想的な光景が広がっていた。
夜と言っても例の鉱物のせいで辺りはそれなりに明るくて、青白い世界の中にしんしんと降り続ける雪と赤い火の玉が浮かんでいる。
視線を上げれば大穴の中を沢山のランプが飛んでいるようにも見えて、自然現象なのにどこか人工感のある景色というのがなんとも不思議な状態だった。
私はオモチを抱えて宿の周辺を軽く散策していた。
少し離れて着いてくるシロは何やら不機嫌そうに干物を食べながらずっとこちらを見ているけれど、それに気付きながらも特に変化のないオモチはかなり肝が据わっているように感じる。
彼女も最初に私たちを見た時はだいぶ怯えていたと思ったのだけど。この変化はしっかりと状況を説明できたことが大きかったのだとすれば、やっぱり対話は重要だ。
「それで、ラグーンは更にこの下にいるって?」
「おそらくですが。あの方が大昔からこの国で暮らしていらっしゃることは存じておりますが、オモチも二百年ほど生きた中で数えるほどしかそのお姿を目にしてはおりません。カラスメちゃんやヨイチちゃんなんかは話を伝え聞いているだけでしょう」
「だからあのカラスメって奴は平気で突っかかってくるのかねぇ」
相手が神の肩書きを持っていようがお構いなしな春の将は、そもそも神というものを人の延長線上に捉えているところがありそうだ。旅に出る前の私だったら同じ考えに行き着く気はするが、今の私の考えは全く違う。
この世界における神とは人に崇められながらも人の理解が及ばないところにある存在だ。
莫大な魔力保有量に加え、魔術の元となった魔法をも自在に操り、人には不可能なことを成す。人間や亜人といった人のままその領域に足を踏み入れることは不可能だと私は思っている。
だから私にこの肩書きを送ったローサンティスのグラム王は確かに理解していたのだ。私がもう人の枠からは外れた存在であることを。
「まあ、カラスメの方はどれだけの部下を引き連れて来ても相手にはならなそうだから良いとして、問題はラグーンだな。せっかくここまで来たんだから会っておきたいけど実の娘ですら探すのは苦労するって言ってたしなぁ」
「おや。実の娘というのはもしやラグナ様のことですか?」
「うん。知ってるんだ?」
「はい。ラグナ様は探究がとにかくお好きな方で、ラグーン様よりかは人前には出て来ていましたから。知っている者は多いかと。オモチも幼い頃はよく遊んでいただいたものです」
「なるほど。あっちの方が年上ね」
ラグナの奴、長く生きているとは言ってたけどいったい今幾つなんだか。聞いてもそこだけは頑なに教えてくれなかったからこれは私の予想だかおそらく千は超えている気がする。
あいつもあいつで十分に人から外れた存在だ。
「ラグーン様同様に知識も豊富で活発な方で……そういえば研究の一環とかでラグーン様の茶畑をラグナ様が荒らしてしまったことがあったらしく、他国での数年間の労働を言いつけて国から放り出したと聞いたことがありますね。その頃からお姿を見なくなったのでもしやと思っていましたが」
「もしかしてあいつ、親子喧嘩が原因で王都の図書館で働いてたのか……?」
しかもその途中で勇者の勧誘を受け職員を辞めたと聞いている。今では立派な勇者パーティの魔術師だ。それが全てラグーンとの親子喧嘩が発端だったと?
「呆れたらいいのか感心したらいいのか、わからないな」
けどまあ、話題には事欠かない奴である。勇者コルクの物語と一緒に自分の体験もぜひ執筆してほしいものだ。相当面白おかしい読み物になるに違いない。
「ふふ、エル様の今のご様子を見ればラグナ様が元気で過ごされていることはわかります。良き関係を築ける方がいてくださってよかったです」
「ラグナはどちらかと言うと悪友って感じだけどね」
「まあ。ラグーン様を怒らせるのはおすすめしませんよ?」
「善処する」
そんな話をしながらやって来たのは、大穴の壁から突き出した地面の果てである。冬の階層は他よりも狭くすぐに辿り着くことができた。
下を覗いてみれば底の見えない暗い空洞が広がっている。上から流れてくる川の水とは別に、轟々とした水の流れるの音が聞こえるのはここがもう海の中だからだろうか。
ともかく目視では何もわかりそうもなく、念の為魔力感知も試してみたが結局何も見えず、私は一旦宿に戻ることにした。
冬の下にもまだ階層あるとオモチは言ったけれど、ここからは昇降機も無く地面も切れているので飛ぶか壁伝いに下りるかしか道は無さそうだったので。
「全員では行けそうにないね。先に君主の方を片付けて、その後に数人で降りた方が安全そうだ」
「ここからは将でも滅多に立ち入らない聖域です。ラグーン様以上に側に仕える巫が気難しい方々なので」
「そういえばそんな奴が居るって聞いたな」
確かこの国では神に仕える者のことを巫と言うのだとアズミが言っていたっけ。
ラグーンとその巫が君主や将とは切り離されて存在しているのなら、ここから先は治外法権の地。ローサンティスで言えばミカエルの神殿のようなものだ。進むのなら慎重に行くべきだろう。
「まあ何はともあれ。上の奴らが来るは明日の昼くらいかな。今日はしっかり食べて寝て一応備えておくかぁ」
「緊張感の欠片もありませんねぇ。カラスメちゃんがちょっと可哀想に思えてきます」
「どこぞの悪女に比べたら可愛いものだからね。これでもいろいろと経験してきたんだ」
「なんと。ローサンティスは人間の国と聞きますがエル様が手こずる相手がおりましたのね。人間も侮れませんわ」
「確かにいろんな奴がいるけど、面白い国ではあるよ」
他国に来て祖国を思い出す。この状況も感慨深い。そこまで遠い場所にいるわけでもないのに、変な感覚だ。なんだかんだと私はあの生まれ育った人間の国が好きなのかもしれないな。
そうして踵を返した私はオモチを抱えたままシロの手を引いて宿への道を歩く。
この後はみんなで鍋を囲む予定だ。それを思い出したらもうカラスメ率いる志士隊が上から迫って来ていることなど頭の片隅に追いやられたのである。




