三十七、冬の将
そうして歩くこと約半刻程。私たちはようやくこの階層の最初の宿に到着した。
雪を大量に積んで固め、そこに穴を掘って中を整えたような宿である。それが広い敷地にぽつぽつと幾つも立っているようだ。
管理人を見つけて話を通し、その一つに入ってみれば中は意外と広くて大人がこれだけの人数並んで立っても余裕があるくらいの十分な広さだった。
しかも設置された暖炉には普通に火が入っていて暖かく、これでは建物が溶けてしまわないのかと聞いた私にアズミは問題ないことを教えてくれる。
「冬の階層の建物には住人たちの付与魔術がかけられた雪が使用されています。そのため魔術が解けない限りは使われている雪も溶けないのです」
「へえ。雪は勝手に降るし、他の素材よりも安価で楽に建てられそうだね」
「はい。家具もほとんどが氷ですからね。素材が近場で調達できるのも利点です。付与魔術の有効期間の関係で半年ほどに一度は崩して立て直しているそうです」
テーブルに椅子、暖炉にベッドまで氷で作られた雪の宿。この階層まで下りて来なければ見られなかった光景になんだか胸が躍るのを感じながらその椅子に腰掛けてみる。付与魔術のおかげか冷たさは感じなくて、それどころかほんのりと熱を帯びているようにも思えるから実に奇妙な体験だった。
他のみんなも椅子やベッドに腰掛けてやっと一息ついた頃。私の腕の中にいたユキウサギが急に動きぴょんっと飛び出したかと思えば、その白い生き物は目の前のテーブルにペタリと落ちた。
「あの、オモチの話を聞いてくださいますか?」
「……お前、その姿で喋れたのか」
子供が抱えられるほどの大きさの白い塊から突然幼い女の声がして驚いたのは私だけではなかったようで、部屋の中に散らばっていたみんなが中央のテーブルに集まってくる。
囲まれたことで少し怯えた様子を見せるのは相変わらず。自分よりも遥かに大きな生き物に囲まれていると思えばそれも仕方ないのかもしれないが。
私は触り心地の良い生き物が離れていってしまったことを少し残念に思いつつ、まあ話せるのならば話をしようかと対話の姿勢をとった。
「改めまして、オモチはオモチと申します。ユキウサギというのはそこのヨイチちゃんが勝手にそう呼んでいるだけの愛称のようなものですね」
「だってどう見ても雪のうさぎじゃん? ね、可愛いと思わない?」
「オモチというお名前も十分可愛いとディは思いますよ?」
「そーうだよな! 今後からオモチちゃんでいこう!」
「調子の良い奴だな」
シンディの純粋な返しにコロッと意見を変えたヨイチには呆れながらも、私はユキウサギ改めオモチを横からツンツンと軽くつついて頭をこちらを向かせた。飛び上がる程驚かれたのは流石に少し戸惑ったが。
「話って? もしかして君主の飼い亀のこと?」
「はい。お話が早くて助かります。コウ様が飼われていた小亀をあなた方が攫ったとカラスメちゃんから聞きました。けれど拘束も無いヨイチちゃんが共にいたので何かオモチの聞いていない事情があるのではないかと思い至ったのです。それを聞かせてはいただけませんか?」
「おお、今までで一番まともな将だ」
「おいおい、俺がまともじゃないみたいな言い方するなよー!」
ここに来て冬の将オモチの良心的な対応に少し感動を覚えた私である。
言うまでもなく春、夏、秋の将があまりにも話の通じない奴らばかりだったせいだ。その中でもまだ話せるのがヨイチというところが何故だか納得がいかない一番の原因だろうか。一人でもこうして話のできる将がいて助かったよ、本当に。
何やら騒いでいるヨイチのことは放っておいて、私はオモチにここまでにあったことを共有することにした。
階層を任された将が小亀を取り返す名目で私たちの前に現れたこと。こちらは現状渡す気は無く、かかってくるのなら容赦はしないこと。そもそもコハクは自分で君主の元を逃げ出してきたのだ。加えて私はその力を一欠片も借りてなどいない。
そしてできれば対話で決着をつけたいこと。コハクは渡せないが、代わりに君主と同じ目線で話ができる人物を用意していること。友人にするにはちょうど良いんじゃないかと。
「私たちは一応目的があってこの国に来ているんだけど滞在理由はあくまでも観光だ。その目的にコハクが関わっているのと、あとは可能ならラグーンに会っておきたくてさ。この逃げ場のない大穴を下っていれば敵が勝手に追いかけてくるだろうと思ったのもあるかな」
「なるほど。その目論見は成功しているのでしょう。現にカラスメちゃんは今、志士隊を率いてこちらに向かってきています。普通の相手であればそれで問題は片付きますが……今回はどう見ても相手が悪いです」
その言葉と同時に全員の視線が私に向く。君主には明らかに過小評価されているけれど、私はこれでも人間の国の神と祭り上げられている存在だ。他国だろうが簡単に負かされるほど弱くはない自覚もある。
いや、おそらくだが頭に人間の国のと付くから過小評価されるのだ。しかも本人は見た目だけは女で子供ときた。その存在はこの世界で最も弱い存在のひとつだから。
「こうして側に身を置けば嫌と言うほどわかります。貴女と並べる者がトウコクにいるとすれば、それはラグーン様だけでしょうね」
「将の中でも一番長生きしてるオモチちゃんが言うんだから間違いないかぁ。コウ様も厄介な奴に手を出してくれちゃって」
「……ん? 一番長生き? 誰が?」
つい聞き返した私に秋と冬の将は互いに顔を見合わせてクスリと笑い合っていた。
「オモチはこれでも長生きしているのですよ。もう二百年近くは生きています。お婆ちゃんです。か弱いです。触れる時は優しくしてくれると嬉しいですね」
「あっはは、いつもあんな元気いっぱい走り回ってるくせに今更か弱いってのは無理あるって——」
ズドン、と音がした気がする。
テーブルに乗っていたはずのオモチが突然飛んでヨイチにぶつかったかと思えば、次の瞬間には硬い雪の壁に激突した男がいた。それを心配する者はここにはいない。
跳ね返ったオモチはそのまま地面に落ちてぴょこぴょこと飛んでくるから私はそれをできるだけ優しく拾い上げてテーブルの上に戻した。
「ありがとうございます。人型に変わることもできるのだけど歳を取るとその状態を保っているのも大変でしてね。今はもうほとんどこのままの姿で生活しているのです」
何事もなかったかのように語るオモチに、これは怒らせてはいけない部類の人だと私たちは悟ったのである。




