三十六、雪のうさぎ
次の昇降機を降りるとそこは一面の銀世界だった。
秋の階層から気温はぐっと下がり、しんしんと降り続ける雪は手のひらで受け止めるとちゃんと冷たい。これが冬の階層でのみ見られる自然現象だというから不思議である。
大穴もかなり下ったというのにルトの言っていた鉱物のおかげか、この階層も上と同じでどこを見てもかなり明るい。それでも外が夜になれば火の玉が現れるから時間の感覚は狂わずに済んでいた。
「冬の階層は他よりも住人が少ない印象ですね。建物がそもそも少ないので最初の宿までも少し歩きます。雪に埋もれてしまっていて見えませんが稀に亀裂や段差があって滑落する危険性があるので足元には十分注意してください」
先頭を歩くアズミの言葉を聞きながら辺りを見渡してみる。
葉のない木が所々に植っていて、彼はそれを目印に前に進んでいるらしい。足元は歩けば積もった雪に膝ほどまで埋まるような状況だ。これで注意しろと言われてもなかなかに難しいものがあるのだが、幸いなことに雪はふかふかで子供の体でもかき分ければ簡単に進むことができた。
風も穏やかで降る雪も多くはない。これならば特に問題はないかと思っていた矢先、最後尾で「うわあっ」と声を上げた奴がいた。
「ルト! だ、大丈夫ですか?」
シンディの慌てた声が聞こえてふと振り返ってみれば、ふかふかの雪の地面にうつ伏せに倒れている男がいる。どうやら何かに躓いて盛大に転んだらしい。
「な、なんとか大丈夫……だけど、何かに足を引っ張られたような……?」
「引っ張られた? 魔物でもいるのかな?」
咄嗟に魔力感知で見てみると雪の魔力の中には確かに仲間の数よりも多い反応がある。見たところアズミやヨイチと同じ亜人の反応だが、どういうわけか視界には人の影は見当たらない。
いったい何者だろうと雪をかき分けて近付けば、その反応はまるで滑るように私たちの周りを回り始めるから手は自然と腰の剣へと伸びていた。
「ま、待って待って、それ多分ユキウサギちゃんだから! 斬らないであげて!」
「ユキウサギ?」
目の前に慌てた様子のヨイチが出てきたことで私の意識が逸れたその瞬間。
雪の中からぴょんっと人の顔ほどの大きさの白い塊が飛び出してきて、それは起き上がったルトの顔面に直撃し今度はそのまま後ろへと倒れていった。
「なんだこれ?」
目を回して倒れたルトに駆け寄ってみれば、雪の塊のような生き物が彼の胸の上で震えながらこちらを見上げている。
木の実を埋めたような赤い目が二つ。頭部には私の手のひら程の緑の葉っぱが二枚。それが生き物の長い耳のようで、雪のうさぎと言われれば確かにそう見えなくもない。
白い体に赤い目とくるとなんだか魔物姿のシロにも通ずるところがある気がして、私はそわそわと落ち着かない気持ちをなんと抑えて倒れているルトの横にしゃがみ込んだ。
「姿はこれだけど魔物ではなさそうだね。亜人?」
「そうそう。ユキウサギちゃんはこの国でも珍しい獣型の亜人なんだよ。俺やそこのアズミくんなんかは元に戻っても人型だけど、この子は元の姿がこれってわけ」
この国の住人には異形の呪いがかかっていると前にアズミが言っていた。彼の元の姿というやつは一瞬しか見ていないけれど、おそらく見た目だけならコボルト系の亜人だろうと今は思っている。
それが今目の前にいる生き物は見た目だけは明らかに魔物である。けれど魔力感知に映る魔力の感じはどう見ても亜人のそれで、なんだか不思議な感覚だった。
「姿を変えられる魔物もいるからこの国で出会ってなければ討伐していたかもしれないな」
「うわ、物騒なこと言うなって。というかそんなにほいほいと姿を変えられる魔物が出るもんかよ。いたとしてもダンジョンのシェイプシフターとかそんなんだろ?」
「いや、魔王とか」
「ま、魔王……?」
ヨイチから何言ってんだこいつみたいな視線をひしひしと感じつつも気にせず私はユキウサギとやらにたまらず手を伸ばしていた。
かなり怯えているようだけど攻撃を仕掛けてくる様子は無い。ならばと軽く握った拳を顔の前に寄せて、人差し指で顎の下と思わしき場所にちょいちょいと触れてみる。途端にブルリと震えた体がそれでもその場に留まっているから大丈夫そうだなと私は判断した。
「よいしょっと……うわ冷たい。本当に雪の塊って感じだな」
腕に抱いて持ち上げてみると着物越しにひんやりと冷たい感覚があった。それでいて柔らかく、すべすべもちもちとした質感に思わず夢中になってしまう。
シロのふかふかな羽毛とも、今は異空間にいるペガサスのシュシュとも全く違うがこれはなかなかに撫で甲斐のある生き物だ。
「なんかあんたがユキウサギちゃん抱いてるとただのお子様とお人形みたいだな……うん、いいとこのお嬢さんに見えなくもない」
「馬鹿にされているようにしか聞こえないな」
相変わらず失礼なヨイチはさておき。倒れたルトをシンディに起こしてもらって私はユキウサギを抱きながら前にいたアズミたちの元へと戻る。逃げ出す様子もないのでもう少しこの手触りを堪能していようと思ったからである。
横を着いてくるシロがなんだか複雑そうな顔をしていたのは今だけは見なかったことにした。
「えっと……エル殿。その方を連れて行くおつもりですか?」
「何かまずかった? さっきよりはだいぶ大人しくなったし、この階層にいる間くらいはいいんじゃない?」
そんな私の言葉にアズミとカルディスが困ったように顔を見合わせるから、流石に察するものはあった。
「もしかして、冬の将ってこいつ?」
「ええ、まあ……」
返答を聞いて思わず腕の中の生き物を見下ろすと、同じく見上げてきたそいつとぱっちりと目が合った。
赤くつぶらな瞳に白いすべすべもちもちの体。これを今手放してしまうのはもの凄く勿体無い気がして、私はすぐさまその事実を頭の片隅に追いやったのだ。
「まあ、何かあったら自分でどうにかするよ」
そうしてアズミたちの心配を他所に、私はその状態のまま宿への雪道を再び歩き始める。
一部の魔物に甘く、手触りの良いものが好きで、シロに指摘されるくらい時々凄く迂闊な私の悪い部分が全て出た瞬間だった。




