三十五、子供の君主
宿を出た私たちは、秋の階層を下層へと向かって歩きながらヨイチの話を聞いていた。拘束はせずとも逃げる様子は無い。というのも今は自分の身を守るために私たちの側にいるのが一番安全と判断したらしい。
「現在のトウコクの君主コウ様はつい最近七歳になったばかりのお子様だからな。わがままだし気に入らないことがあるとすぐ泣くし本当に大変なんだ」
「そうだろうとは思っていたけど、やっぱり子供だったか」
差し向けてくる追手に偏りがあること、相手の力を過小評価していること、飼い亀だというコハクへの執着、敵対している割には緊迫感の無いアズミたちの様子。今の君主を言葉で表すのは簡単だと言った彼は間違いなく「子供」と言いたかったに違いない。
「コウ様の両親が船の事故で亡くなったのは一年くらい前だったかなぁ。龍の餌場は海に慣れた航海士でも一歩間違えれば食われることくらいこの国に住む奴なら誰だって知ってる。だから仕方がなかったと言えばそうなんだけど、そのせいで周りの奴らが異常に過保護になっちまって」
コウ様とやらの父親である先代は、心優しく人望にも厚い誰もが認める良き統治者だったらしい。そんな人がある日突然海に飲まれて死んだ時は国中が混乱に陥ったとヨイチはどこか遠くへと思いを馳せながら語る。
しかし人というものは慣れる生き物だ。先代が国民主体の統治をしていたこともあって、やがて人々は統治者のいないいつもの日常を取り戻していった。たった一人残された幼い子供をお飾りの君主に据えて。
「俺もさ、可哀想だとは思うわけよ。だから何かあったら力は貸してやりたいんだけど今コウ様の近くにいる取り巻き共がとにかく面倒くさい奴らでさ。コウ様の願いをなんでも叶えてやろうとしちゃってるから大変で」
「夏の階層で私たちの前に出てきた黒含めの男もその内の一人かな? 桜並木でこっちを見ていたのもあの男だとすると……気配とか魔力とか消すのが上手い奴だったっけ」
私やシロの魔力感知でも追えなかったような奴だ。アズミが言うには君主の命を受けてどんな残虐なことでも引き受ける連中らしいが、魔力を隠してしまえる隠密魔術が本当にあるとすれば厄介な相手であることは違いないと思っていたのだけど。
それがただ過保護すぎるだけの集団だったとすると、なんだか呆れて溜め息が溢れていってしまう。
「ああ、あの人はカラスメって名の春の将だな。先代に特に熱心に仕えていた人だからコウ様に関しては人一倍過保護なんだ。今の取り巻きたちはカラスメの指示で動いてるって噂だぜ」
「……本当になんでも話すんだなお前は」
情報を吐けと脅したのは私なのだけど。完全に吹っ切れているのかヨイチはアズミですら言わなかったことをペラペラと話してくれるから有り難い。逆に言うと信憑性には欠けるのだが。
ジトッとした目を向ける私に振り向いたヨイチはとにかく良い笑顔だった。
「危なくなったらあんたが助けてくれるって信じてる!」
ここまで開き直れるのは最早才能なのでは。そんな風に思ったり。
「はいはい。それで、隠密魔術ってのは?」
「あれは魔術っていうより素材の効果だな。ほら、あんたが連れてる亀。あいつって定期的に……脱皮だっけ? そんなんするから手元に置いておけば素材に困ることはないし」
「鱗板の剥離だね」
ヨイチの話の補足にと口を開いたのはルトである。
「亀は甲羅の鱗板と呼ばれる層が剥がれることで脱皮をするものだから。コハクのそれは素材として特殊な力を持っているんだと思うよ」
「へぇ。なるほど、だからか」
気配も魔力も辿れない存在。敵とは別にその特徴を持っているのが幻獣双亀の片割れだというコハクだった。それが幻獣の力だとわかれば同じく幻獣であるシロが見失うのも納得できると言うものだ。つまり敵はその力を借りているだけということ。
奴らはコハクがそれだけの力を持つ魔物であることを知っていて、私もなんらかの力を借りているに違いないと勘違いをしている、と。
まあ、私の力は本を正せば幻獣フェニックスのものであるから当たらずとも遠からずといった感じなのだけど。
「コハク? え、もしかしてあの亀に名前つけちゃったの?」
「名前はあった方が便利だからね。 ダメだった?」
「ダメっていうか……コウ様がまた騒ぎそうだなって……」
「それは知らん。そもそも飼い亀と言うなら名前くらい自分で付けてやればよかったんだ。逃げられたってことは、そういうことなんだろ」
春の将カラスメの言い分によればコハクは君主の元から自力で逃げ出してきたのだとわかる。私を隠れ蓑にしながらも将を見ると怯えて姿を隠すし、良い扱いはされていなかった可能性が非常に高い。
この状況でこちらが勝手に名付けたことに文句を言われる筋合いは無いと思うのだ。
「戻ってきてほしいと思う気持ちがあるのなら素材としてじゃなく個を見てやるべきだ。相手が君主だろうが子供にそれを教えてやるのがお前たちの役目なんじゃないの」
「うーん、耳が痛い話だなぁ」
トウコクは統治者がいなくとも揺るがず進んでいけるほどに国民意識の地盤が強い国だと私は思う。ならばいっそのことコウ様とやらも権力から切り離してただの子供として見てやってもいいんじゃないだろうか。
今のままの状態であと数年も経てば誕生するのは手のつけられない独裁者だ。それを変えられるかどうかは取り巻き次第である。
「わかってはいるんだけどねぇ、今はもう俺でも簡単には近付けなくてさ。せめてコウ様に同じ目線で助言ができる友人でもいれば良いんだけど」
「友人……友人か。それなら適任がいるぞ」
「えっ、あんたみたいな物騒な友人は流石にどうかと思うんだけど」
「物騒で悪かったな。私じゃないよ」
ヨイチの失礼な言動はさておき、うちにはそのコウ様と立場の近い人間がいる。いずれは人間の国ローサンティスの王となる王太子殿下だ。トウコクの君主の友人としてはこれ以上の適任者はいない。
「ダット。頼めるかな」
私がそう言って振り向けば他の者たちの視線も一斉にそちらへ向く。
そうしてこの場にいる全員の視線を受けて一瞬驚いた様子の男は、けれどようやく調子を取り戻したように胸を張って頷いた。
「ああ。任せてくれ」
本来ならその身分を明かすべきではないのだけど、もし本当にトウコクの君主と友好関係を築けるのなら将来一国の王として立つダットにとっても悪い話ではない。
だからここは一先ず彼らの関係構築に期待をしつつ、上手くいかなければその時は介入させてもらおうと決めて、私たちはようやく辿り着いた冬の階層へと足を踏み入れていく。




