三十、夏の将
幻想的な田畑の中をしばらく進むと突然ポツンと屋根の低い一軒の家が見えてきた。それがこの階層の宿らしく、アズミの案内で中に入ると出迎えてくれた老夫婦に私たちは快く受け入れられ、今日のところはこの宿で一泊することに。
二階は無く、用途によって幾つかの部屋に分けられただけの空間は一見するとただの民家のようで、けれど私たちのような旅人のパーティが一組宿泊する分には落ち着けるちょうど良い宿である。
囲炉裏に火を焚き鍋を囲んでみんなで食事をするのは、いつもの食事処とはまた違ってなんだか新鮮でどこか懐かしく感じるひと時だった。
そうして各々が体を休めた翌朝のこと。
そいつは突然やってきた。
「ここに恐れ多くも神の名を持つ子がいると聞いてやってきた! いざ尋常に勝負せよ!」
「……なにあれ?」
「鎧武者というやつです」
動き辛そうにも見える甲冑姿の爺さんだった。
コハクはそいつを見た途端短く悲鳴を上げながら姿を決してしまったし、アズミとカルディスもどこか警戒しているように見えたからおそらくこの国の君主に繋がる人物なのだろう。
そんな奴が私を名指しで勝負を挑んできた。いったい何故だろう。
「それ多分私のことだけど、いったいなんの勝負なの? というか爺さん私のこと知ってるんだ?」
一先ず朝の身支度もそこそこに宿の入り口に佇むそいつの前にやってくると、兜の下から覗く目がカッと見開かれて私に向けられた。無駄に迫力のある爺さんだ。
「我が名はギンジロウ! 君主コウ様の命により其方の力量を計りに来た! その力が本物であるならば我を斬り捨ててみよ!」
君主コウ様。
隠す気が無いのは有り難いが、やはりこいつは敵である。
私の噂はローサンティスから海を渡ったこの国にも届いていたのだと思えば、名や姿が知られていることくらいは大して不思議なことではない。しかしこの様子だと実力までは認められていないと見た。
そんな怪しげな奴がアズミとそれからコハクにまで関わっているとなると君主としては見過ごせない事態だったのかもしれない。
追手がやってきたということは、やはり私たちの動向は相手に知られているのだろう。もしかしたらずっと見張られていた可能性もある。桜並木の一件以降は視線も感じなかったはずなのだけど……それにしても。
「ねぇアズミ。この爺さん、話の通じる相手かな?」
既に話が噛み合っていない気がするのだが。
交渉できるに越したことはない。可能ならばその君主コウ様とやらに直接取り次いでもらえたら手っ取り早くて助かるのだけど。目の前の鎧武者は私の話を聞く気があるのかがそもそも疑問である。
「ギンジロウ殿と言えばこの夏の階層を任された将であらせられる方です。強さは相当なものと聞きますが、同時に人の話を聞かない方だとも……」
「なるほど。対話は望めないってわけね」
確か将には志士隊とかいう部下がいると聞いたはずなのだけど。周りにそれらしき魔力は感じないからこいつは部下も連れずに大将一人でやってきたということになる。それって国としては大丈夫なのか……?
そんな幾つかの疑問は抱えつつ、私も戦って力を示せという言い分は嫌いじゃない。見えないところでこそこそと嗅ぎ回るんじゃなく、こうして逃げも隠れもせずに出てきてくれたことは素直に評価したかった。
「いいよ。それじゃあ、外に行こうか」
口元に浮かぶ笑みをそのままに鎧武者の横を素通りして外に出る。
外は夜のじめじめとした張り付くような暑さは落ち着いていて、今は朝の日差しが差し込むカラッとした暑さがあった。動くにはちょうどいい気候だなと両手を天に突き上げて体を伸ばすととても気持ちが良い。
「この辺りの田畑を荒らすようなことは私もしたくないんだ。だから場所は移させてもらうけどいいかな」
そうしてエラの名を呟いて生成した結界の壁を足場に私はひょいひょいと空中を駆け上がる。向かうのは地面から少し距離を取った大穴の中心だ。
夏の階層は見渡す限りの田畑の合間にぽつりぽつりと宿があるような場所。当然地に足を付けて戦えるわけがないと判断した結果だが、果たしてあの爺さんが空中戦を受け入れるかどうか。
そもそも着いて来られなければそれまでだと思ったのだけど、不意に響いた口笛に周囲を飛んでいた魔物が一体反応を示したことで私は相手を舐めていたことを少し反省する。
あれは鳥じゃないな。姿形は私も見覚えのあるグリフォンやペガサスともよく似た、鳥の頭に馬の胴体を持った魔物である。グリフォンよりは随分と小さいようだが纏う雰囲気は勝るとも劣らない。
——ヒポグリフ。
空を駆ける、翼のある魔物。
そんなヒポグリフの背に跨り空を駆け上がってくる鎧武者。その手にはこれまた見覚えのある細長い剣。確かあれは刀と言ったか。おそらく今も辺境伯の屋敷にいるあの胡散臭い騎士を思い出す。
そういえばあいつはこのトウコクに来たことがありそうだったな。そんなことを頭の片隅で考えながら私も鞘から剣を抜いて構えた。
「私もお前たちを舐めていたけど——そっちも私を舐めすぎだ」
両手で振り上げた剣に魔力を流す。
流した魔力を剣に纏わせ生成した大剣に、更に強化と風と追加し向かってくるそいつらに勢いよく振り下ろす。
今更驚いたように目を見開く鎧武者が何やら刀に魔術を付与しているように見えたけど、そんなものが聖樹という莫大な魔力を持つ私に通用するわけがない。
次の瞬間には大きな金属音が鳴り響き、力任せに振り抜いた私の剣は相手を大穴の暗闇へと叩き落とした。あっという間に見えなくなった存在は死んではいないと思うが、このまましばらくは上がってこないんじゃないだろうか。
「お前たちの君主が何を考えて私を標的にしたのかは知らないけど——」
これはどこかで聞いているかもしれないそいつに向けて。
「向かってくるからには容赦はしないよ」
アズミのことかコハクのことか、どちらの問題かは私も未だによくわからないのだけれど。何か理由があるのなら武力ではなく対話を選択して欲しいものだ。
あっさりと終わったなと軽く息を吐いた瞬間、深く暗い大穴の底から何やら覚えのある魔力を一瞬だけ感じた気もしたが、すぐに消えたその魔力をこの時の私は衝動のままに追いかけることはしなかった。
「とりあえず、居ることは確かみたいだね」
それだけわかれば今はいい。
こうして私はさっさと仲間たちの元へと戻ることにした。
「——あれがエル。本当に、あの子にそっくりなのね……」
彼女のその呟きを聞く者はいない。




