二十七、桜並木の不穏な気配
朝食を終え宿を出た私たちは、最初の目的にもあった桜を見物するためにサオウ町の北にやってきた。
この町は南の高い山からの雪解け水が川や水路を伝って田畑を潤しながら北の海へと流れている。トウコクは海に囲まれた国だけれど多くの田畑で作物が豊富に実るのはそんな雪解け水が存在するおかげなのだろう。塩分を含んだ海水は作物を育てるには不向きだから。
今回やってきた北の辺りも田畑に水を引くための川や水路が幾つか引かれているようだ。
中でも源流となっている一番幅の広い川は両脇にたくさんの桜が植えられていて、想像していたよりもずっと綺麗な光景に私は思わず見惚れてしまう。
「話には聞いていたけど、これはすごいな……!」
見上げるほど高い木が一定の間隔を空けて並んでいた。広がる枝には薄紅色の可愛らしい花がぎっしりと。風が吹けば花びらがひらひらと舞い、優しい雨みたいに柔らかく降り注ぐ。
そんな中で目に入るのはありふれた日常の風景だ。
回転しながら落ちてくる花びらをなんとか捕まえようと跳ね回って遊ぶ子供たち、川に浮かんだ小舟や、田畑で働く住人たち。その全てが風勢のあるものに感じるから私は今それなりに感動しているらしい。
「そ、外はやっぱり怖い……! お主たちもよくわしの話を聞いてこんな場所に来る気になりましたな……!」
「それはそれ、これはこれ。いつ現れるかもわからない敵に怯えていたって時間の無駄だよ。そもそも桜はこの国に来た目的のひとつでもあったからね。見ないで終われるわけがない」
ルトはしばらく並木道の始まりに留まり絵を描くと言っていた。念の為シンディやダットたちも側にいてもらっているからあっちは問題ないだろう。
その間私はシロや小亀、それから着いてきたアズミとカルディスと共に川沿いの並木道を歩いて軽く散策することに。小亀は些細なことでぴえぴえと泣くので少々鬱陶しくはあったけれど、これでも取引きを交わした相手だ。放り出すわけにもいかず今はシロの定位置であった私の肩の上である。
「危険を感じたらまた私の中に入っていればいいよ。空気ってのはよくわからないけど、それくらいはできるんだよね?」
「は、はえ。むしろそれしかできませぬが……」
「自力で隠れられるなら十分だ」
「それにしても、本当に良かったのですか? 帝国への航路を聞くのはその魔物の安全を確保できたら、だなんて……」
並んで歩いているアズミの疑問は最もだと思う。
私が宿で小亀と交わした取引きは、隠れ蓑になる代わりに帝国への行き方を教えてもらうということだ。行き方を教えてもらうだけならば幾らでもできただろうけど、私はそれを聞かないままこうして小亀の護りに徹しているのだから。もちろん理由はある。
「こいつは最初に航路について、龍を伸ばすことはできると言った。つまりそれはこいつのなんらかの能力ってことになる。こいつの知る帝国への行き方はこいつがいないと成立しないんだ。それなら先にこっちの問題を解決させた方がいいって思っただけだよ」
未解決のままこの国を離れて、その後に小亀がまだ見ぬ敵にどうにかされるというのも目覚めが悪いしな。
「っていうのは建前で、実は少し興味があるんだよね」
「興味、ですか?」
「うん。こいつを追ってるらしい奴の方にね。こんな魔力も持たない魔物を手に入れて何をしようとしているのか、とか。いろいろと」
その何者かは少なくとも小亀の正体を知っているはずだ。討伐して得られる素材目当てで魔物を狩るというのならまだわかるが、しかしそれが幻獣に関わる魔物となれば話は変わってくる。利用価値なら幾らでもありそうだ。
「そうは言ってもその亀の話が事実かどうかもわからないんだろ? 追手なんて本当にいるのか?」
後ろから着いてきているカルディスの言葉に私は一瞬考えてふと笑う。
「まあ全部嘘なら私がこいつを絞めるだけだ」
「ぴ、ぴえぇ……! わ、わしにはもう、嘘など一切ありませぬうぅ……!」
「話せないことは山ほどあるみたいだけど。まあ、それはとりあえず良しとして。そろそろお前とかこいつとか亀とか言っているのを変えたいな。何かわかりやすい名前とか持っていないの?」
確証はないけれど今の小亀は嘘を言っていないと私は思っている。嘘をつき通す度胸が無さそうだというのもあるがそれよりも、多分こいつは何よりも孤独を恐れている。
人と魔物は殺し奪い合う関係と殺伐とした価値観を持ちながらもこうして人に助けを求めたのは、敵を倒してくれと直接的なことを言わないのは、私の言葉に泣いたのは。何故かと考えればなんとなくの予想はできるというもので。
それに、あの夢の孤独感は私も体感したから知っている。
誰でもいいから側にいてほしいと思うこいつの気持ちはわからないでもない。
「な、名前でございますか? はて?」
「無いなら勝手に付けるけどいい?」
「は、はえ。お任せしまする……」
だからせめて私たちが共にいる時くらいは。その寂しさが和らげばいいと、そう思うのはきっと私の自己満足なのだろう。
私は割と言葉を交わせる魔物に弱い。
「じゃあ、コハクって呼ぼうかな。甲羅が綺麗な琥珀色だから」
「エルの安易な名付けは相変わらずだな」
「わかりやすいからいいんだよ」
海の亀が琥珀色ならば、陸の亀は何色なんだろう。それを想像するのは案外楽しいものだった。
上機嫌な私の様子にすぐ隣を歩くシロからは半分呆れたような視線を感じたけれど名前はわかりやすいに限る。シロだって白いからシロなのだ。どちらもピッタリじゃないか。
「魔物に名付けですか……私には無い発想ですね……」
「まあ、世の中には魔物を仲間にする魔術師もいるくらいだ。無い話じゃないとは思うが……俺も名付けの発想は無いな」
アズミとカルディスのそんな会話にふと脳裏に浮かぶのは勇者パーティの魔術師ラグナである。彼女はおそらくこのトウコクの出身だが、今この国には彼女のようなテイマーの力を持つ魔術師はいないのだろうか。
魔物のテイムは魔力の保有量が多い人物でないと不可能だとは聞いたけれど、トウコクの住人はほとんどが亜人だと言うし一人くらいは出来る奴がいても不思議じゃないと思うのだけど。
とはいえ魔力の保有量が多い一級航海士でもあるアズミがこの反応をするのなら本当にいないのかもしれないな。
「コハク……コハクでございますか……名前をいただけるなんてなんだか不思議な気分ですね……」
「気に入ってくれたのならよかった」
どこか夢心地な小亀——コハクの声を聞きながら桜の並木道をのんびりと歩く。耳をすませば側を流れる川の音も聞こえてきて、吸い込む空気もおいしくてこの辺りはとても気持ちが良い。
この景色の中を歩けただけでもトウコクに来た甲斐があったと思えるくらいである。
そうしてルトたちと別れてから四半刻も歩けば並木道の終わりが見えてくる。少し寂しく思いながらも来た道を戻るために振り向いた時、私は微かな異変を感じ取った。
——見られている。
気配を消すことに特化したウィンで慣れているからか、こういう手合いには勘が働くようになった私である。咄嗟に魔力感知を発動すると少し離れた桜の枝の上にひとつ、明らかに住人ではない亜人の魔力があるのがわかる。
「カルディス」
私は護衛の名を呼んで警戒だけを促した。今のところ視線を感じるだけで敵意は無さそうだからこのまま戦闘になるようなことはないとは思うけれど。
と、少しの間警戒していれば魔力感知で見えた気配は突如として溶けるように消えていくから驚いた。それはまるで転移でも使ったかのよう。
「……なんだったんだろ」
やはり目的はコハクだろうか。だとすると相手は相当用心深く、それでいて厄介な手駒を持っている。
そんな何者かがこの国にいるのかと思うと今更ながらに嫌な予感がしてくるから私は改めて気を引き締めるのだった。




