二十三、建国のお伽話
夜の町はやけに明るかった。
道沿いに並んだ店に設置されているランプが全て灯っているせいもある。けれどそれ以上に、赤く燃える火の玉が数多く町中を漂っているのがその明るさの原因だった。
大きさは全て人の顔と同じくらいか。魔力感知を発動すればその正体は明白で、昼間にも見たこの国の土地に含まれていた魔力そのものである。
あの時はまだ直接目では捉えられない程度だったはずなのにこの火の玉は魔力を持たないシンディにも見えているらしい。何かの見世物とでも思ったのか驚きながらもどこか楽しそうに辺りを見渡す彼女の姿が目に入った。
「これはいったいなんだ……?」
魔力の塊ということはわかるのだけど。それがなぜこんな形で町中を漂っているのかがわからない。昼間は見られなかった現象だから夜になったからこそ出て来たものなのだろうけれど。そんなことを思いながら目の前をふよふよと通り抜けていく火の玉をじっと観察していると、不意に伸びてきた手がそれをガシリと掴んだ。
「あまり見続けない方がいい。面倒なことになる」
そう言って火の玉を素手で掴んだのはシロだった。掴める物なのかとか熱くないのかとか聞きたいことはあったけれど、それを私が口にする前にシロは掴んだ火の玉に齧り付いてそのままガブガブと食べてしまう。
その姿に唖然としたのは私だけでなくてその場に居合わせた全員だった。特にこの地に詳しい二人は衝撃が大きかったようで、話す声には明らかな戸惑いが含まれていた。
「お、おいアズミ。あれって食えるものだったのか……? というか食って大丈夫なのか……?」
「え、ええっと、襲ってくることはありませんが一応魔物のようなものですから。ローマグロを食べるのと大して変わらない……はずです。味はわかりませんが……」
「不味いな。人間の方がずっと美味い」
「人間の方が……?」
「あーっと、お腹空いてるならこれ食べて」
これ以上余計なことを言う前にと私は火の玉を食べ終えたシロの口に収納袋から取り出したクラーケンの干物を咄嗟に押し込んでいた。すぐにもぐもぐと口を動かし始めたので私の意図は伝わったらしい。安堵から小さくため息を吐く。
幻獣がこんなところにいると知られればまた狙われるかもしれない。
シロならば大丈夫と思いたいけれど思考する生き物というやつは時に思いもよらないことを仕出かすものだと私は嫌と言うほど知っている。だから例え世話になっているアズミだろうがなるべくは隠しておいた方がいいと思ったのだ。
とはいえ、あの一瞬で声色の変わったアズミはシロの正体に気が付いてしまったかもしれない。ローサンティスでの私の噂を聞いていれば近くに幻獣がいることくらいは知っているはずだから。
ならば何かを言い出す前にと私は改めてその辺を漂う火の玉に目を向けて口を開いた。
「それで、結局あれはなんなんだ? 魔物のようなものと言っていたけど」
「……はい。この国は魔力が濃い場所が多いのはもうお気付きかもしれませんがあれはそんな場所の、主に夜によく見られる彷徨うだけの魔力の塊。魔力溜まりから発生した攻撃力を持たない魔物とも言える存在です」
「存在するだけの魔力しか持っていないってことか」
「ええ。力が尽きれば勝手に消えますよ。だいたい発生から数刻ほどです」
「へぇ……」
ふよふよと近付いてきた火の玉を手のひらで払って遠ざける。そんなアズミの姿を眺めつつ考える。
彼の言うことが本当ならばあの火の玉には魔物が魔法を使うのに必要な魔力が備わっておらず彷徨うだけで他の生き物を襲うことはなさそうだ。しかし見続けない方がいいとシロは言った。面倒なことになると。それは少なからず人に害がある証。アズミが嘘を言っているようには見えないが、シロの言葉を無視するなんてこと私にできるわけがない。
他に何か異変はないか。そう思って辺りを見渡してみる。火の玉以外は昼間の賑わいからそう変わらない夜の町には多くの人が行き交っていて、どこからともなく聞こえてくる呼び込みの声と香ばしい匂いが意識を誘う。
誰も火の玉など気にかけていない。それが不思議に感じるのは私がこの国の外から来ているからなのだろうか。
「一先ず食事処へ向かいましょうか。道すがらこの国のお伽話をひとつお聞かせしますよ」
にこりと笑ったアズミの言葉には肯定を返して、それから私たちは火の玉が飛び交う妖しい町中をゆっくりと歩いて進み始めた。向かうのは町の東の端。段になっている土地を上手く活用した田畑が広がるのどかな場所らしい。
畑は北の方にもあると聞いていたが実際はあちこちに点在しているようで、そう思うとこの町は居住区域よりも田畑の方が多いのかもしれなかった。
「昔々のお話です」
歩きながらアズミは本当にお伽話を語って聞かせてくれた。
——あるところに双子の魔物がおりました。片方は陸へと上がり、片方は海へと下り、互いにあらゆるものを喰らいながら棲み家を広げていったのです。
ある時海へと下った魔物は思います。海の世界は陸とは違ってなんて寒くて静かな場所なのかと、もっと温かく賑やかな世界にはならないものかと。そうして魔物は今までに喰らってきたものの力を使って新たな命を生み出すことにしました。
けれど魔物には命の違いがわかりません。混ぜられ形の変えられた歪な命たちの嘆きの理由がわかりません。
望まぬ形で生み出された彼らは次第に元凶である魔物を憎むようになりました。海は魔物が望んだような賑やかな場所にはならなかったのです。
魔物には理解できませんでした。理解ができないまま彼らを喰いつくしました。今までに喰らってきたものと同じように。再び新たな命を生み出すために。
しかし何度繰り返しても海は魔物の望む世界にはならなかったのです。
やがて陸に上がった魔物は再会します。知らずに憎悪に塗れた双子の片割れと。嘆き悲しんだ魔物はこれ以上の罪を重ねさせないために片割れを殺してしまいました。
けれど既に大きくなり過ぎていた憎悪は消えることは無く、永遠に燃え続ける島として今も残り続けているのです——
「と、これがこのトウコクに昔から伝わる建国のお伽話です」
「笑顔で語り切るお前が凄いよ」
アズミによって終始にこやかに語られたお伽話は思っていた以上に物騒なものだった。ついため息混じりに皮肉を言ってしまったのは仕方がなかったと思う。
建国のお伽話。燃え続ける島の話。魔力感知で見えるこの国の状態を言い表しているようで、これが作り話だとは私には思えなかった。
「夜に現れる火の玉は未だに残る当時の憎悪の一部だとも考えられています。ですから町の者たちはあれを視界に入れようとはしません。関わりたくないのです。これ以上呪われたくはありませんからね」
「……既に呪われているような言い方をするね」
「ええ。代々この国で受け継がれてきた血には異形の呪いが備わっています。即ち起源の特定できない亜人です」
今まで浮かべていた笑顔を引っ込めて自分の胸に手を当てたアズミはそこから声をほんの少し低くして話を続けた。
「この国では産みの親との血の繋がりすら疑うほどに姿も魔力も全く異なる子供が生まれてくるのです。けれどあんなお伽話など今では信じる者は少なく、姿形など気にしない者の方が多いのは理解しています。私は……この歪さが恐ろしくてたまらない」
「船員たちも含めてこの国の奴らがみんな亜人なのはわかるよ。魔術を当たり前に使っているし。でもその姿は人間ともあまり変わらないように見えるけどな」
「それは表面上だけですよ。皆、皮を被るのが上手いのです。なにしろ生まれつき姿を偽る魔術を知っていますから。呼吸をするように、ね」
そうしてこちらを振り返ったアズミの顔の一部がドロリと溶けた瞬間、私は静かに驚いて進めていた足を止めてしまう。
明らかに人間ではない。そこにあったのは青みがかった灰色の毛皮で、瞬時に脳裏を過ったのはダンジョンで戦ったことのあるウルフだ。あれとはまた少し違うような気はしたが、しかしここでようやく私はアズミが亜人だという確かな実感を得た。視覚情報というのは絶大だと知った瞬間だった。
ほんの一瞬で元の人間らしい顔に戻ったアズミがまたにこりと笑う姿に、私はこれ以上何かを問うことはできなかったのである。




