十八、航海士の目論見
龍の餌場と呼ばれる海域に入ってから一刻ほどが経った頃、魔物の出現は無いものの海流による揺れと度々感じる衝撃は更に酷いものへとなっていた。
海に出てからずっと寝込んでいるダットは更に体調を悪化させたというし、一度は回復したルトもまたベッドに戻ったそう。相変わらず平気そうなシンディとウィンには海に投げ出されたら大変だからと船内にいるようにと伝えておいて、一度やらかした私はといえば保護者同伴で甲板に出ていることが許された。
あっという間にシロが私の保護者枠であると知れ渡ったのはいったい誰の仕業なのやら。この短時間で船員たちが私を見る目が随分と軟化したように感じたから少し複雑な気分ではあったけれど本当のことなので素直に受け入れておくことにした。
そんな船の甲板は今、我らが荒くれ航海士の独壇場となっている。
「ははは! 龍め、今日はやけに荒れているな! 上質な餌の匂いでも嗅ぎ取ったか!」
「まさかそれは私のことじゃないだろうな?」
「悪いがお前にくれてやる物は無い! 何故なら今回もこちらが勝つからな!」
「お前はいったい何と戦っているんだ」
右へ左へと舵輪をぐるぐる回しながら声を張り上げるアズミはやはり陸地にいた時とは全くの別人である。目元に落ちる影の中で深い青の瞳が魔力を帯びて光っているものだから正面から見ると迫力が凄い。
流れ込んでいる魔力の量が多いのか彼の足元の青い床も今まで以上に輝いていて、まるでそこだけ明るく照らされた舞台の上にも見えるから思わず呆れた声が出るのは仕方がなかったと思う。驚きよりも呆れが勝つのは私もアズミの変わりように慣れてきた証なのだろう。
そんなアズミに負けず劣らず海も派手に荒れている。
束になったロープのように一定方向へ流れる海流は場所によって深さも違っていて水面から浮き上がっているなんてこともあるほどだ。船もそれに合わせて前後左右に激しく揺れ、甲板から見える船の向こうには常に水飛沫が上がっている。
それだけならばまだ良い方で、進行方向の海流が突然渦を巻き始めたかと思えば船を巻き込んでしまい、そうなると前後の感覚もわからないほどに視界が回るのだ。その度にアズミが魔力で船の推進力を底上げして跳ねるように渦を抜け出している。操帆手たちによる付与魔術の保護が無ければ今頃船は海面に叩きつけられて粉々になっているんじゃないかと思うくらいに衝撃がとにかくでかい。
今日が特別荒れているのはアズミの言葉を聞けばわかるものだが、それでも船員たちに焦った様子はないからきっとこの海域は毎度こんな感じなのだろうなとなんとなく私は思うのだった。
激しさに波はありながらもそんな海域が更に半日ほど続き、ようやく山のような陸地が見えてきた頃には既に日は暮れて辺りは暗くなっていた。船の揺れも随分と穏やかになり、けれど帆をたたんだままの状態でもぐんぐん前へ進むのは未だに早い海流の乱れが一方向へと落ち着いたからだ。
船の縁から海を覗き込めばまるで一本の道のように薄らと白く発光して見える海流の上に船がある。自然界のものには全てに微量ながらも魔力が宿っているから、おそらく海水に含まれた魔力が海流の中でかき混ぜられ圧縮されて一瞬目にも見える状態を作り出しているのだろう。その綺麗な光景に軽く見惚れる私に「こいつに乗ってしまえばもう危険はない」とカルディスが教えてくれた。
「あの岩山みたいなのがトウコクなのか」
「ああ。南側が一番標高が高い国なんだ。そのせいでこちら側からだと山にしか見えない。当然南に船を付けられる場所なんか無いからこの航路だと西の港に向かっているんだと思うぞ」
トウコクは西と東にそれぞれ港を持つ島国だ。私たちは今その西寄りの南側にいる。月明かりと海流の明るさで標高の高い山の輪郭だけが見えているような状態だ。このまま進めば明日の昼には港に着くとのことである。
「自分が他国に入るなんて実感が湧かないな」
「その感覚は俺も味わったからわからなくもないが陸に上がれば嫌でも実感するさ。トウコクはローサンティスとは空気が違う」
「へぇ、そんな違いがあるものなのか」
アズミの護衛に付いてからもう何年も共に海を渡っているカルディスは、その二国だけでなく他にも様々な国を見てきた男だ。そんな彼が言うのだから国ごとの環境というのは確かに違うものなのだろう。実際に私自身がどう感じるかはわからないがこうして話を聞くのは実に面白い。地図を眺めているだけではわからないことだ。ますます明日の上陸が楽しみになる。
今日までの四日間、海の旅も初めてのことばかりで充実した日々だった。それが一旦終わりを迎えると思うと少し寂しくはあるけれど、こうして薄らと見えるトウコクの影を眺めているとそれ以上の好奇心がむくむくと湧いてきてしまう。
思わず逸る気持ちを抑えるために大きく深呼吸をひとつ。そんなことをしていると私たちの元にやってくる男がいた。
「エル殿は帝国への航路を見つけるのが目的なのですよね」
「アズミか。持ち場を離れて大丈夫なのか?」
「ええ。あとは海流が港近くまで運んでくれますから少しくらいは問題ありませんよ」
舵輪を離して元の落ち着いた性格に戻ったアズミである。
青い床には魔力を溜め込む性質もあるようで数刻ほどなら舵を自動化することができる仕組みになっていると聞いた。いつもはその時間を睡眠に当てているアズミだが、暗くなったとはいえ寝るには少し早い時間帯だ。それがわざわざこうしてやってきたのは帝国への航路という私たちの目的に興味があるからなのか。アズミはそれを知らないと言っていたが、今の言い方には確実に何か含みがあると見た。
「航海士には階級があるのはご存知ですか?」
どうやら隠す気は無いらしい。その問いに私は軽く頷いて前に読んだ本の内容を思い出していた。
「確か二級、一級と上がって最上位が特級だったな。階級ごとに扱える船や侵入できる海域に制限があるとかなんとか」
「はい。その認識で間違いありません。ちなみに私は一級航海士です。現在二級が大半を占める航海士の中で一級を名乗れるのはほんの一握り。これでも優秀な方なのですよ?」
「実力は疑ってないけどお前がそれを自分で言うと胡散臭さが勝つな」
ローサンティスにいる航海士は商人ギルドの管轄だ。階級制度は安全上の問題から世界共通の制度だったはずで、二級さえ取得していれば基本的には一流と認められる。
貿易商として国家間を行き来するのも二級があれば事足りるわけで、そこから更に踏み込んで一級となると余程の働き者か物好きだろう。一級は二級よりも扱える船の大きさが上がり、危険地帯への侵入許可も貰えるから。
つまり積荷をより多く、より広い海を渡って商売ができるということだ。商人としては上の階級を持っているに越したことはない。
となれば、アズミの言いたいことはだいたい想像がつく。
「特級の条件は?」
「話が早くて助かります」
向上心が高くて結構なことで。どうやらこいつは一級では満足できず特級を目指しているらしい。それをわざわざこんなところで言い出したところを見るとどうにも嫌な予感が湧いてくるのだが……まずは話を聞かないことには何も始まらないわけで。一先ずはアズミの言い分に耳を傾けることにした。
二級から一級へと上がる条件は単純に本人の技能だと言う。しかし特級へと上がるために必要なのは技能じゃない。それは。
「力ある者の護り。要は、神の加護です」
「なるほど、そうきたか」
この世界の神を定義付けるとすれば、それは多くの民に崇められる存在であることだ。通常では考えられないような力を扱う、その土地に住まう者たちにとっての希望。私がそうあれと望まれたように。けれど人の理解が及ぶ存在ではなく、人とはまた別のもの。
アズミは初めて会った時、ローサンティスの神と私を呼んだ。
希少な一級航海士でありながら国に雇われるという貿易商らしからぬことをしたのは、トウコクへの入国目前でこの話を切り出したのは何故なのか。全てはそこに収束されているのだと今更ながらに気付く。
まったく、これだから頭の回る奴は怖い。
「エル殿。私は貴女の加護が欲しい。貴女は帝国への航路を知りたい。トウコクからダリアロアの帝国への航路は特級の海域です。——どうでしょう。私と、取引きをしませんか?」
手のひらの上で転がされた感覚。この感覚もなんだか久しぶしだなと思いながらもそこまで気分が悪くならないのはこいつの目的がはっきりとしているからだ。
一から特級航海士を探すよりも一級のアズミを特級に上げてしまう方が手っ取り早くもある。それにここまで連れて来てもらった信頼と安心感もある。更には航海士と他の船員たちは冒険者パーティのような繋がりであるから、この話を受ければそいつらも全員もれなく付いてくる。ここまで来ると受けない方が勿体無い気さえしてくるから上手い。
「私はまだ他を知らないからそれを名乗るのは気が引けるんだけどな」
「問題ありません。私が保証します。貴女はラグーン様にも劣らない力をお持ちですよ。そうでなくとも……」
一度口を噤んだアズミが緩く口角を上げて笑う。舵輪を握っているわけでもないのに輝く深い青の瞳は向上心が高いと言うよりは野心の塊のように見えるから思わず私も笑ってしまった。
「必ずや私が押し上げて見せましょう」
「変な奴」
でも、この考えは正直嫌いじゃない。アズミのこともそれなりに信頼ができる。
だから私が彼の手を取るのにそう時間はかからなくて。
こうして改めて取引を交わした私たちの新たな旅は、翌日の昼間に上陸を果たしたこの東の島国——トウコクから始まっていくこととなる。




