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放浪のエル  作者: ゆう梨
第二部第一章、東の島国編
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十四、嵐をものともしない神



 最初の異変は船の周辺に漂っていた中型の魔物たちの魔力が一斉に四方に散ったこと。ここまでに一度も見ない動きだったので不思議に思った次の瞬間だった。

 

 突如として現れた巨大な魔力の塊。それは私たちが乗るこの船の三倍ほどの大きさで、まるで滑り込むようにして船の真下にやってきた。

 気付いていながらも特に反応を示さないシロをその場に残し、私は真っ先に舵輪を握るアズミの元へと駆け寄った。そして。



「巨大な魔力反応有り! 船の真下だよ!」


「これが例のクラーケンだな。言っておいた通り私が貰うぞ!」



 頭上の見張り台から響くサテンの声にアズミとカルディスの纏う空気が緊張感のあるものへと変わる。しかしその直後に投げかけられた楽し気な私の言葉には理解が追いつかなかったようでポカンと固まっていたけれど。

 それもほんの一瞬で、すぐさま我に返ったアズミはバタバタと船内から駆けてきた船員たちに向けて声を張り上げる。



「エル殿が出る! 他の者は位置に付け! 速度を上げてさっさとこの海域を抜けるぞ!」


「おう!!」



 あちらこちらから聞こえてきた複数の野太い返答は雇われ船員の中でも一番数の多い五人の操帆手(そうはんしゅ)たちだ。彼らは年齢も体格もバラバラな男たちだが、ただひとつ共通しているのは付与魔術に長けているところ。出航時に錨に重力軽減を付与して引き上げていたのも彼らである。


 そんな操帆手たちは甲板にある三本のマストや帆に繋がるロープの側へと駆け寄ると、下から付与魔術を駆使して船を軽くし帆を操作して速度を上げにかかっている。そこへ加わるのが見張り台にいるサテンの魔術だ。彼の魔術で風が強制的に流れ始め、一瞬にして帆の膨らみが深くなるとグンッと体に感じるほどに船の速度が上がりだす。

 

 それぞれが噛み合うようにその都度指示を出しているのはアズミだ。実に良い連携だ、と感心しながら私は魔力感知で敵を見る。



「船の進行方向に頭。無数の触手。巨体のくせに動きが速い。距離はまだ少しありそうだが、あれに絡め取られたらこんな船あっという間に海の藻屑だな」



 海でクラーケンに襲われ船ごと海中に引き摺り込まれる話はそれなりに有名だ。絵本の中のお伽話にもなっている、ローサンティスでは恐怖の象徴のようなものである。実際にこうして自分が立っている場所の更に下から浮上してくる巨大な存在というのは想像するだけでゾッとするよ。

 

 だが、私は自分の口元が緩んでいくのを感じていた。何故ならばこの感覚がとても懐かしいものだったから。



「前はダンジョンのドラゴンだった……あれに比べたら可愛いものだな……」



 海の中の魔物は確かに厄介だと思う。けれど今の私にはそれに対抗できるだけの力があって、この船には優秀な船員たちがいる。

 それから、アズミの号令が響く船上を軽やかに駆けてくる足音も。



「——エル!」



 名を呼びながら船の縁に立つ私の横にやってきたのは船内にいたはずのシンディだ。彼女の持つベールは既に二つの扇状に分けられていて戦う準備は整っているようだ。一人でも戦えないことはないとは思うけれど、こうして頼れる仲間が駆けつけてくれるというのはなかなかに嬉しいものがある。



「キュウタにクラーケンが出たようだと聞きましたので! エルが出るのでしたらディもお手伝いします!」


「ありがとう。それじゃあ奴が浮上してきたら触手を斬り落とすのを手伝ってもらえるかな。船が壊されたら大工たちの仕事が増える」


「わかりました、船は必ず護ります!」



 頷きあってから私たちは船の左右に分かれてそれぞれが海を見下ろした。今は昼前で太陽もあり視界は良好。海の中も海面付近ならばある程度は透けて見えている。魔力感知でも魔物の姿は捉えているから不意打ちをくらうことはまず有り得ない。


 そうしてじっと眺めていた海の中に黒い影が見え始めたのはそれから間も無くのことだった。


 

 私は咄嗟にエラの名を呟いてその魔法を発動させる。すぐさま足元に浮かび上がる魔法陣。そこから溢れ出てくる魔力は共に精霊たちまで押し出したらしく、私の周囲は瞬く間に賑やかになった。

 そんな中で両肩にペタリと楽し気な声を上げる精霊がくっ付いた気配がしたけれど、私はそれに構わず船の縁に触れて船底を保護するように魔力を広げて結界を生成した。これでまず初撃で穴を開けられることはない。


 クラーケンは学習する魔物だ。しかも輸送船も多く通るこの航路に棲みついている奴となれば手っ取り早い船の落とし方は当然知っているはずである。クラーケンが出るという話が出回っていたのなら今までに襲われ海の藻屑となった船も少なからずあるはずだから。海中から竜骨を破壊されるのだけは避けなければならない。そのための結界だ。


 次の瞬間にはガツンと足元に強い衝撃が走り、一先ず初撃は防げたことを理解する。



「シンディ!」


「はい!」



 声をかけた途端に結界を張った船の側面を這うように上がってくる触手が見えるようになった。どうやら底からの破壊は諦めて海に引き込む手段に出たらしい。巨大な魔物が船に引っ付いたことで重さが増して速度が緩む。


 私とシンディは同時に甲板から海の上へと飛び出していた。私は結界を、シンディはベールを足場にして這い上がってくる触手を切り落としながら空中を駆けていく。酷いぬめりとブニブニとした柔らかい質感に剣の通りはすこぶる悪かったけれど強化を強めてやれば何てことはない。

 ただ、斬った側から触手が再生していってしまうからやはり本体を叩かなければ意味がないこともわかる。そしてそれは相手も当然わかっているようで本体は一向に海中から出てこない。人が海の中では活動できないことをちゃんと理解しているのだ。本当に賢い魔物である。


 しかし、それは相手が人であればの話なわけで。



 私は近場の触手を一斉に斬り落としてから空中で足を止めた。そのまま身を屈めて浮かび上がっている魔法陣に手で触れる。


 イメージするのは周囲を飛び交う精霊たち。魔力がある限り存在し続けるその性質は人間や亜人を含めた人とは全く別のものである。

 その性質を一時的に借りる性質付与はシロが得意とする魔法のひとつだ。それを術式に落とし込んだのは他ならぬルトで、今でもダンジョン内で見た術式の海とも言えるあの光景は頭の中に残っている。今の私ならば一人でもあれを発動できるはずなのだ。


 記憶をそのまま呼び起こすようにあの時の術式を頭の中に巡らせる。付与する性質は精霊のそれ。だから術式は所々新しく置き換えて、クラーケンの触手が再生するまでの僅かな時間を使って組み上げていく。

 

 そして次第に薄い魔力の膜が自分を包み込む感覚を得て、私は足場にしていた結界から静かに飛び降りた。



 ——ドボン



 海の中に落ちる。


 視界が鮮やかな青に包まれボコボコと泡の音が聞こえた。水は思っていたよりは温かくて、けれど孤独感を覚えるのは眼下に広がる果てしない闇のせいか。再び結界で足場を作って一旦落下を止めると、顔を上げた先で船に絡み付く巨大な魔物を見た。


 丸く膨らんだような頭に怪しく光る赤い目が二つ。無数の触手の内側には全てに不揃いの吸盤がびっしりと付いている。体は全体的に黒っぽくゴツゴツとしていて見た目だけなら巨大な岩にも見えなくもない。しかしそれがうねうねと触手を動かしながら動いているのだから迫力だけは凄まじいものがあった。


 そうして海に落ちた私(えもの)に気付いてか赤い目がギョロリと動く。それだけでゾワリと肌が粟立つ感覚を覚えた。



「わぁ、こっちを見たよ神様(エル)!」


「わぁ、神様(エル)が食べられちゃうー!」


「大丈夫だよ」



 肩にくっ付いている精霊のテテとトトがきゃっきゃと楽しそうに騒いでいる。こいつらはいつどこにいても変わらないところが凄い。

 それよりもこの海の中で二人の声がしっかりと聞こえてくること、私も問題なく返答ができたことでどうやら性質付与の魔法は無事に成功したらしいと理解した。実のところ私は海になど入ったことが無くて泳げないのだけど、結界を足場にすれば移動はできるから問題はない。


 

 これで海の中でも戦える。



 私(えもの)を捕えるために伸ばされた数本の触手を強化した剣で斬り落とした。相手は海の魔物だ。船上よりも動きが速い。けれど今の私は人とは違って海中でも問題無く動き回ることが可能なのだ。

 こうなればクラーケンなど相手になるはずもなく、思わず上がる口角をそのままに私は結界を強く蹴る。


 剣を更に強化。魔力を纏わせ巨大化させた大剣は呆気なくその巨体を海ごとスッパリと斬った。


 

 そうしてやけに生き生きとした私が船上に戻った時、船員たちの信じられないものでも見るかのような目が向けられたのは最早言うまでもない。



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