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放浪のエル  作者: ゆう梨
第二部第一章、東の島国編
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十三、嵐の前の静けさ



 二日目は説教から始まった。



「調味料だって無限じゃねぇんです。食材自体を自力で確保してくれるのは良いですが、油や胡椒や香草なんかはこの海で新たに手に入るわけねぇのは少し考えればわかるでしょう。大食いはどうしようもねぇからまあ仕方ないとして、せめて他の船員に影響の無い範囲でやってください」



 それは日が昇るのとほぼ同時刻のこと。甲板で肩を並べて夜を明かした私とシロの前に立ったのは、顎の高さで切り揃えられた黒髪に丸眼鏡をかけた小柄な女だった。雇われ船員の一人、船に積まれた物資の管理を行なっている記録係のキクリヨである。ちなみに雇われ船員の中では唯一の女だ。


 彼女は手に持った薄い木の板に紙を置いて、そこに細い炭の棒を使って何かを書き込んでいる。口は微妙に悪いが声を荒らげることはない。それが逆に怖いと他の船員たちは言っていた。



「料理人親子には既に通達済みです。あなた方も、もう昨日のような無茶な消費は控えてください。じゃねぇと流石に怒ります」


「う、うん、わかった。悪かったよ」



 丸眼鏡の向こうで薄紅色の瞳がすぅっと細められた気がして思わず背筋が伸びる。

 船に積まれた物資には限りがあるのは当然のことでキクリヨの言葉は最もだ。それに逆らうのは船や他の船員までもを危険に晒す行為に等しい。だから素直に頷いて少しだけ反省もした。


 何かを食べずとも生きられる体質だなんて言おうものなら今後一切食事を取らせてくれなさそうな雰囲気もあって流石に私も彼女には逆らえそうもない。少なくとも、船の上では。



 そうしてキクリヨの説教が終わり、彼女が船内へと戻っていくのを見送っていたら頭上でゴソゴソと動き出す反応が魔力感知で見えた。顔を上げれば見張り台の縁からこちらを覗き込んでいる若い男の姿がある。少し距離はあるものの頭の後ろでひとまとめにされた長い黒髪が海風に吹かれて大きく靡いているのがよく見えた。



「朝からキクリヨの説教だなんて災難だったなー! けどあれだけ食ってりゃ自業自得だぜー!」



 雇われ船員の一人、見張り番のジユイ。気さくで明るい性格の彼はもう一人の見張り番と交互に休みを入れながらこの船の安全を第一線で護る者だ。

 風系統の魔術が得意で海の上では常に探知を使っているらしい。その精度は私の魔力感知と同等で、昨日のローマグロの群れに気付いたのもほぼ同時だった。少し馴れ馴れしさは感じるけれど優秀な男であることに違いはない。



「人を冷やかす余裕があるならあと一日は交代の必要も無さそうだな。サテンにそう言っておくよー」


「わー! そりゃあねぇって! 俺これでももう限界! 眠い!」



 昨日の出航時から今現在まで丸一日見張り台に居続けたジユイの声は疲れを感じさせない声量で、明け方の静かな海にはよく響く。元気そうに見えるけれど一箇所に留まりながら魔術を使い続けるというのはなかなかに過酷な労働である。忍耐力と十分な魔力の保有量が無いとその役目は担えない。

 

 ちなみに雇われ船員の中で魔力の保有量が多い順に並べると一番に航海士アズミ、二番に見張り番のジユイとサテンとなる。船医キュウタや料理人親子のイチヤとマニマ、記録係のキクリヨは魔術はそこそこに専門知識や技術や頭脳が単純に突出した奴らである。アズミの護衛であるカルディスはシンディと同じで魔力を一切持たない人間だ。



「冗談だよ。サテンも来たみたいだし、ゆっくり休んで」



 見張り台にいるジユイにそう声をかけてから視線を落とすと、寝起きで跳ねた赤みがかった黒の長髪を雑に束ねた男が気だるそうに甲板に上がってくるのが目に入った。それにしても、こうして見るとトウコク出身者は黒髪の奴がやたらと多い。ローサンティスでも居ないわけではないが多くはないので新鮮な気分だった。



「みんなおはよー。ジユイ、あと一日続けてくれてもオレは全然構わないよー」


「サテン。お前がサボるならキクリヨに言いつけてやる」


「殺生な」



 こちらも雇われ船員の見張り番、サテン。ジユイと同じく風系統の魔術が得意な魔術師である。性格はかなりのんびりとした奴で同じ見張り番でもジユイとは正反対な印象を受ける。

 特徴と言えば女のひらひらした服装が好きなようで身につける服は全て女物なのだそう。元々の中性的な顔立ちやスラリとした体型もあって一見女にしか見えない男だった。


 そんな二人は幼馴染で、共にキクリヨに好意を抱いているらしい。どちらが彼女に相応しいかと言い合う姿は彼らが揃えばよく見られる光景だと他の船員に聞いた。仕事第一のキクリヨ自身はどちらも眼中にはなさそうだとも。



「仕方ない、今日はしっかり仕事をするかぁ……あ、そういえば昨日のこと聞いたよお二人さん。キミたちの食いっぷり、見たかったなぁ。次はオレも混ぜてね」


「キクリヨに説教されたばかりだけどな」


「わぁ、それはそれは。朝からあの子と話ができるなんて羨ましい。オレは相手にもされないからなぁ」


「いいから早く上がってこいよお前はー!」


「はいはい。もう、ジユイはせっかちなんだから」



 じゃあね、と手を振ってマストを登っていったサテンは見張り台でしっかりジユイとお決まりの言い合いをしてから仕事を引き継いだようだった。入れ替わりで降りてきたジユイは先程よりも疲れ切っているように見える。



「お疲れ様」


「おう。というかお前たちは大丈夫なのか? 強い奴らが常に居てくれるのは助かるけど、寝てないだろ」


「問題ない。私たちのことはそういうものだと思ってくれたらいいよ」



 私たちにとって睡眠は必ずしも必要なものじゃない。詳しくは言わないが私の肩書きをジユイも当然知っている。一先ずそれで納得したようで「そういうもんか」と呟いた後あくびをひとつ溢した彼は、それからすぐにふらふらとした足取りで船内へと入っていった。やはり見張り番は過酷な役割だな。



 私は甲板の縁に寄りかかって座っていた体を起こし両手を突き上げグッと体を伸ばした後、干し肉を齧るシロと共に水平線から完全に顔を出した太陽を眺める。

 

 現在この船はスイストンの沖を越え、亜人国家シャクから少し距離を取った海域を進んでいるのだと思う。アズミが事前に言っていた魔力濃度が高い危険地帯だ。魔力感知で辺りを見るとまだ船に影響のある範囲ではないものの、海の中に漂う魔力の塊が明らかに多くなっているのもわかる。おそらく今日はどこかで大きな戦闘があると、そう予感させられるほどに。


 でも、何故だろう。こんな逃げ場のない場所で船を壊されたら終わりという状況にも関わらず、それでも胸が躍ってしまうのは。

 海の魔物をもっと見たいからか。それともしばらく大きな戦いが無かったから体を動かしたくて仕方ないだけか。どちらにせよ戦う準備なら常にできている。



「なぁ、カルディス。クラーケンが出そうな辺りまではあとどのくらいなんだ?」


「……やけに楽しそうだな。クラーケンなんか出ないに越したことはないんだが」



 つい弾んだ声をかけながら振り向くと、今は自動で動いているらしい青い舵輪の側で私たちと同じように座って休息を取っているアズミとカルディスの姿が見えた。近くで見張り番たちの騒がしいやり取りがあったにも関わらずぐっすりと眠っているアズミを自分に寄り掛からせているカルディスは私の様子に呆れたように深いため息を吐く。

 

 どうやらたった一日で私の性格は正しく把握されたらしい。当初戦闘時はカルディスの指示に従う方針だったのだが既に投げ出されている感覚がある。私はそれを勝手にお墨付きと解釈した。



「まぁ、可能性があるのは今日の昼間だろう。準備だけは……ってお前には必要ないか」


「昼間か、待ち遠しいな。クラーケンって美味しいのかな」


「水分を飛ばして保存食として売っているのはたまに見かけるが、そもそも簡単に討伐できる魔物じゃない。新鮮な状態で食った話は聞いたことが無いな」



 ならば余計に食べてみたい。


 今の一言で私の興味を更に刺激したことに気付いたのか、カルディスは苦い顔でサッと目を逸らしていた。



 そんな私の思いが引き寄せたのか突如船の真下に巨大な魔力の塊が現れたのはまだ太陽が昇り切る前のことである。飛び跳ねる勢いで駆け出した私から一瞬遅れて見張り番のサテンの声が響き渡り、その瞬間船の上には緊張感が走り抜けた。


 こうしてついに、本格的な船上の戦いが始まっていく。



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