十二、働く船員たち
海は過酷だ。私がそう感じたのは出航から約一刻後にルトが倒れたことがきっかけである。
雇われ船員の一人、茶髪の頭に手拭いを巻いた船医キュウタによれば、慣れない船の上で船酔いを起こしたのだろうとのことだ。ルトは出航から間も無く甲板で絵を描き始めていたからそのせいだと。つまりは自業自得。胃の内容物を吐き終わった後はキュウタによる回復魔術がかけられ今は船内のベッドで寝かされている。
魔物の相手をしていたところを呼ばれて駆けつけた私は、彼のその青い顔を見て海の過酷さを知ったのだ。あくまでも普通の人にとっては、であるのだが。
シンディやウィンと共に船の中を見て回っていたダットも後から運ばれてきた。こいつに関してはただ単に耐性が全くと言っていいほど無かっただけである。今まで乗り物どころか馬にも乗ったことがなかったのだから当然と言えば当然の結果だった。
「これだから陸育ちの奴らは。他も体調悪くなったら面倒だから早めに言えよ。我慢される方が迷惑だ」
吐き捨てるようにそう言った船医キュウタはシンディよりも若く見える男だ。けれど昼間から酒瓶を煽っている姿はどう見ても親父臭い。こいつも亜人だろうから、おそらく見た目と年齢は一致しないのだと私は勝手に結論付けておくことにした。
「私とシロは船酔いの心配はないと思う。シンディたちは何かあればキュウタの言う通りに……というかダットが動けそうにないからしばらくはここにいるだろ?」
「そうですね……心配なので、ディはもう少しここで彼の様子を見ておきます。ルトのこともお任せください」
「わかった。外は私とシロで事足りるからゆっくりしていて」
船医がいてシンディやウィンまでいるのだから何も心配することはない。そう思ってベッドの置かれた部屋から再び甲板に出た私はシロやアズミのいる舵輪近くへと戻る。
するとそこでは雇われ船員の料理人親子、やたらと体格の良い白髪の男イチヤとその息子で助手のマニマが、シロの魔法によって文字通り空中に打ち上げられた魔物を手際良く捌いているところだった。
イチヤが魔術で肉体を強化したかと思えば甲板を蹴って飛び上がり、頭を光の針で貫かれた魚型の魔物を一瞬で切り刻む。それをマニマが受け取って更に柵に切り分け魔術で作り出した氷の箱に入れていく。なんとも綺麗な流れ作業だ。シンディの踊り並みに金の取れる芸にも見えるから凄い。
「次だ次ィ!!」
「シロさん! 次をお願いします!」
「……ん」
しかしこの親子はとにかく暑苦しいのが難点だ。若干呆れ気味のシロは船の縁に腰掛けていて、掛け声に合わせてまた海の中から針一本で魚型の魔物を空中に打ち上げている。
よく見れば手元には皿。その上には一口大の赤い刺身。脂が乗っていてツヤツヤな今捌かれたばかりの魔物の身だ。
シロは指先で摘んだそれに塩をちょんと付けて、パクリ。最後に舌でペロリと唇を舐める。なんて美味そうなんだ……じゃなくって、私がほんの少し離れた隙に餌付けされてるってどういうことだ。シロには私の代わりに少しの間だけ魔物の相手を頼んでいただけだったのだけど。
とはいえ、私も興味がないわけじゃない。
「私も食べたい」
引き寄せられるようにシロの側に寄れば、先程と同じように指先で摘んだ刺身を一切れ差し出してくれる。迷わず食らいついた私はなんだか魚にでもなった気分だった。シロに釣られるならそれも良いか。
「ん、美味い……!」
口の中でとろりととろける感覚があった。川魚とは全然違う。臭みは無く上質な脂がじゅわりと溶け出して噛む度に甘みが広がっていく。濃厚で、けれどしつこくない。ちょこっと付けた塩がまた良くて飲み込んだ後も口の中はさっぱりとしていた。すぐにでも次が欲しくなってしまう。
「お。エルさん、戻っていましたか! どうっすか親父の捌いたローマグロの味は! 美味いっしょ!」
「うん、私にも皿でもらえるかな」
「了解っす!」
氷の箱から取り出したローマグロの柵を板の上で手際良く切って皿に盛り付けてくれるマニマは父と同じくやたらと体格の良い黒髪短髪の好青年だ。力自慢の父とは違って繊細な氷の魔術が得意らしく、その力は食材を適度に冷やすのに活用されている。
彼はあっという間に出来上がった刺身を持ってきてくれたので、私はそれを受け取ってシロの横で船の縁に腰掛けた。この時一応魔力感知で海の中を探ってみたけれど船に影響がありそうな距離にもう魔物の影は無さそうだ。見応えのあるイチヤの解体も今ので一旦終わりである。
「いやぁそれにしても、エルさんもシロさんも凄いっすね! ローマグロの群れに当たったとはいえここまで大量に手に入ることなんてそうそうありませんよ!」
「役に立っているのならよかった。私たちも美味いものが食べられて嬉しいよ」
パクリ、パクリと次々に刺身を口に放り込んでいく私とシロの姿に料理人親子も良い仕事をしたとばかりに爽やかに汗を拭っている。よく喋るマニマとは対照的に父のイチヤは「見事だ!」と一言だけ告げて親指を立てる仕草をしてくるからなんとなく釣られて私も同じ仕草を返した。ニッと笑った時に見える白い歯が輝いて見える。
私たちがスイストンの港を出たのが今朝のこと。今は船酔いで倒れている奴らを除けばそれぞれ昼食も取った後ののんびりとした昼下がり。海図上で言えばスイストン沖の漁師の狩場を少し過ぎた辺りだとは思うが、小魚を追って来た中型の魔物であるローマグロが度々姿を見せる程度の順調な滑り出しだ。
一体が人間の大人くらいはあるローマグロは普段はゆっくりと海中を泳ぐ魚型の魔物だが、危険を感じると突如高速で泳ぎ出し船体に突き刺さることもあるという厄介な奴と聞く。近くに来たら討伐するに越したことはない。味は絶品で様々な料理に使えるというので、遭遇した群れをほとんど借り尽くした私とシロである。
ローマグロとは別にハイマグロという似た魔物もいるそうだが、そいつは常に高速で海中を泳いでいるので見かける機会は少ないのだとか。ハイはローよりも筋肉質で肉のような食感だと言うから是非とも一度は食べてみたいものだ。運良く遭遇しないかな。
「大量に手に入ったはいいがそのほとんどはこいつらの腹に消えそうだな。確かに大食いがいるとは聞いていたが底無しだったとは」
「悪いな。食材はできるだけ自力で調達するから料理はイチヤとマニマを借りるよ。あ、カルディスも食べるか?」
「いや、俺は昼飯食ったばかりだからいらん。アズミには少しもらえるか?」
「了解っす。すぐにご用意致します!」
私たちの側にやってきたカルディスはその食べっぷりには若干引いているようにも見えた。昼食は皆と同じように、というか誰よりも食べた私とシロが今もこうして物を口にしているのが信じられなかったようだ。
アズミは出航してから昼食も取らずに舵輪を離すことなく船を操り続けている。だからかカルディスはアズミの横に行き定期的に食事を与えていた。周りはそれを当然のように受け入れているので、こいつらにとってそれはありふれた光景らしかった。
舵輪を握ると本当に船のことしか頭になくなるというのは少し厄介な特性だな。まぁ、それを支えるのが他の船員や護衛の役割でもあるのだろうから私がとやかく言うことでもないのだが。
「さて、次はローマグロの炙りでもいかがですか! 細かく叩いて香草巻きなんかも美味いっすよ!」
「全部頼む」
それにしても料理人が旅に同行してくれているというのはやっぱり良いものだ。私たちはダットやウィンが仲間に加わっても料理では食材を焼くか煮るかくらいしかできていなかったので、その有り難みを今ひしひしと感じている。
その後、私とシロは太陽が沈むまでにこの日に討伐したローマグロをほとんど食べ尽くしたのだった。
最初は暑苦しいくらいだった料理人親子もその頃には音を上げ始めていたことは言うまでもない。
これが出航一日目の船上での出来事である。




