十一、出航!
ランドルは部屋だけでなくしっかりと食事も用意してくれて屋敷では実に快適な時間を過ごさせてもらった。
本当に何から何まで世話になりっぱなしなのも気が引けるのでこちらに求めることはないのかと問えば、ならば騎士としてのサフの様子を教えてほしいと言う。生きている息子を心配するのは親としては当然かと私はそれに応えて、サフの勇姿を幾つか話して聞かせたのだった。
そして、翌日の朝。
屋敷を出る私たちを見送りに出てきてくれたランドルの横には、肩掛けのマントで軽く身を包んだ薄水色の長い髪の女がいた。その目元は赤く腫れていて隈も酷い。顔色だって決して良くはない。けれど目尻に皺を寄せて柔らかく微笑むその顔は幻影で見たフィアリアを思い起こさせるもので、その人物が療養しているはずのランドルの妻であることはすぐにわかった。
ランドルにルトの絵が渡ってからたった半日ほど。彼女の心の病は今すぐに治るようなものではないが、少なくともここに出てくるだけの元気をもたらす物だったのだろう。
やはりルトの絵は——人の心を動かす芸術は凄い。改めて私はそう思った。
そうしてランドルたちと別れ、再び訪れたスイストンの港。
遠くからでも目立つ大型の木造船の側にはアズミとカルディス、それからゴートを始めとした漁師たちが集まっていた。船には既にアズミたち以外の船員が乗船しているようでこの船着場からでも時折人影が見える。
大型の船にしては船員の数が随分と少ないような気もするが、それでも航海を可能としているのが航海士の魔術なのだ。彼の魔術を間近で見ることができるのもこの旅の楽しみのひとつである。
「ああ、皆様。おはようございます。本日は実に良い船出日和ですね」
私たちに気付いたアズミが振り向きざまに笑う。屋敷にいた時よりも声が弾んで聞こえるのは何故だろう。なんだか笑顔まで輝いて見えるから体調は良さそうなので一先ずは安心だ。私たちが乗る船は航海士であるアズミがいないと動かせない代物だから。
「おはよう。世話になるよ」
「はい。船のことは我らにお任せください。皆様にとって良い船旅になるよう誠心誠意努めさせて頂きます」
昨日初めて会った時と同じように優雅に頭を下げるアズミはやっぱりそれなりの身分を持つ人間に見えた。きっとこいつを雇うだけでも相当な金額を積んだに違いない。この巡り合わせはその条件が彼にとっても良いものだっただけのこと。
しかしだからこそアズミはそれに見合うだけの働きをしてくれるはずだ。金で繋がる商人というのはそこだけは曲げない信念を持っている奴がほとんどで、特に今の彼は自分の魔術を技術として売っている。ルトやシンディとも同じ。そこに誇りがあればこそ馬鹿なことはしでかさない。信用ができる。
ならば私も期待される働きをして見せよう。
「海の魔物の相手は任せてくれ」
「ええ。よろしくお願いします」
差し出された手を握り返し、そうして私たちはアズミの指示に従って渡り板から船へと乗り込むことになった。
「お嬢、先生を頼むぜ!」
仲間たちを先に行かせて最後になった私にそう声をかけてきたのはゴートである。
そういえばこいつはアズミのことを先生と呼んでいたんだっけ。いったい何故そうなったのだろうとなんとなく気になって聞いてみると、ゴートたち漁師は港での直売所の運営をアズミに指導を受けて始めたのだと教えてくれた。なるほどそれで先生か。
「世話になるのは私の方なんだけどな」
「それだけ海の魔物は馬鹿にならねぇのさ。お嬢は殺しても死にそうにねぇが、先生は品も頭も良いがあれで力は弱いし戦闘はまるでダメなんだ。カルディスの旦那が側にはいるがやっぱり心配でな……」
「殺しても死にそうにないのか私は」
扱いが違いすぎないか。一応私だって殺されたら普通に死ぬぞ。海に出るのだってこれが初めてだし、戦闘は陸地とは全く別のものになるはずだと覚悟しているのだけど。いや、まぁ、それだけ信頼してくれているのだと思えば悪い気はしないが。
どちらにせよ同じ船に乗る以上旅の仲間であることに違いはない。わかったよと返せばゴートや他の漁師たちも満足げに笑い、気持ちよく私を船へと送り出してくれた。
渡り板から船の甲板へと上がると、陸地では見えなかった部分が間近に見ることができて一気に気分が高揚した。
今いるのは船の中央部分。前後の甲板よりも低くなっていて中央には太い柱が聳え立っている。見上げれば高い位置に帆が括り付けられていて、おそらくはこれがメインマスト。前後の甲板にも柱と帆があって船首側にはアズミや仲間たちが集まっているのが見えた。
出航の準備をしている他の船員たちが慌ただしく駆け回っているのを横目に見ながら、船内の探索は後回しにして一先ずみんなの元へと向かう。
数段の階段を上がって甲板を移動し前方のマストを背にして立つとそこは多少広い空間になっていて、更に中央には木とは違う材質の青い床があった。素材は何かの魔石だろうか。日の光を浴びてきらきらと輝いて見えるのがなんとも綺麗な床である。興味深くて魔力感知を発動しながら青い床から続く魔力の流れを辿っていると、相変わらず干し肉を齧っているシロが横に立つ気配がした。
「人は細かいことを考えるのが本当に好きだな。この船とやらも魔術ありきの構造をしているようだ。並の魔術師には扱いきれない代物だろうが」
「シロがそこまで言うなんてやっぱり凄い船なんだなこれ。あの青い床から魔力が船中に広がっているのが見えるよ。多分これが動力なんだね。どんな魔術で動かすんだろう」
見渡す限りの甲板に舵輪のようなものは見当たらない。あるのは船の内部に張り巡らされている元は魔石だろう細い糸状のもの。これがおそらく魔力を通すための管の役割を担っている。
その糸は船の内側を壁伝いに垂直に降り、竜骨に当たるとひとつに束ねられていて、最終的に行き着く先は船尾の舵か。仕組み的には糸に流す魔力の圧力で左右に舵を切るといったもののようだった。
けれどきっとそれだけではない。一定方向へ流れる魔力そのものにも推進力はあるはずなのだ。体から溢れ出した魔力が風のように流れるのを私は何度も目の当たりにしている。あれを利用していると考えると単純なようで複雑な技術である。今はまた詳細まで理解が及ばないところが少し悔しくも思った。
数日も乗っていれば理解はできるだろうか、とそんなことで頭がいっぱいになりかけていた私の意識を引き戻したのは迷いなく青い床の上に立ったアズミである。
「それでは準備も整ったようですので、出航と致しましょう」
広い船の上に不思議と響く落ち着いた声。次の瞬間にはアズミの足元の青い床が一層強く輝き出す。魔力感知で見てみれば辺りに漂い始めた青く澄んだ魔力はその床から例の糸を伝って船中に行き渡っていく。まるで船の内部にも海流があるかのように私には見えた。
甲板に柔らかく吹き抜けた風は彼の魔力の圧だ。それと同時にガラガラと金属音が聞こえ始める。見れば船員たちが手分けをして船の側面にある複数の錨を魔術で引き上げているところだった。魔力感知で気付いてはいたけれど、やはり船員は全員魔術師だ。それもこの国の人間とは違う。アズミを含めて全員がなんらかの亜人。
錨が上がれば船はゆっくりと動き出した。大きくふらつくこともなく、足元は思っていた以上に安定している。アズミの方へと視線を戻せば青い床から同じ材質の舵輪が実態として浮かび上がってきているから驚いた。
男がそれを掴み、回す。途端に船に流れる魔力が増してグンッと速度を上げた。船首の向きが次第に変わり視界に入る景色も変わり、そうして陸地が離れていく。
海の旅が始まったのだと、そう思うとどうしようもなく胸の奥が熱くなって。大きく吸い込んだ空気は強い潮の香りがした。
「帆を下ろせ! 働け船員共!」
「……ん?」
アズミの可笑しな言動に一瞬で現実に引き戻された気がしたけれど。
「ああ、悪い、驚くだろう。アズミの奴、舵輪を握ると少し性格が変わるんだ」
そう教えてくれたのはカルディスである。彼が言うのだから毎度のことなのだろうが舵輪を握ると性格が変わるっていったいなんだ。船の操縦に魔力を使う弊害なのか、それとも何か別の理由なのか。というか。
「ふふ、ははは。さあ行くぞ、我らがトウコクへ!」
「少しなのか、あれが……?」
吊り上がった口元に目元に落ちる影。最早別人なのではと思ってカルディスを見上げると、男は頭を掻きながら少し考える仕草をして「まぁ、そのうち慣れるだろ」と全てを放り投げたような返答を寄越したのだった。
何はともあれ——いざトウコクへ、出航!




