十、在るべき場所へ
考えるべきことは山ほどある。あるけどそれらは今考えていても仕方のないことだ。ならば一旦置いておいて目の前のことに集中しよう。そう決めて私は一度息を吐いて再びアズミに目を向けた。
「積荷の運び入れはどれくらいで終わるんだ?」
「半日ほどですね。遅くても明日の朝には完了しているかと」
「わかった。……あ。一応言っておくんだけど、大食いが二人いるからできるだけ食料は多めに頼む」
「大食い、ですか。それはまた……いえ、承知しました」
一瞬難しい顔をしたアズミだったがすぐに切り替えて、問題は何も無かったとでもいうように穏やかに笑う。きっと航海に不向きな性質だと言いたかったに違いないのに。感情を笑顔の裏に隠すのが上手い奴だ。
まぁ、大食いとは当然私とシロのことなので絶対に食料が必要というわけではないのだけど。悪いとは思いつつも、やはり海の上だろうと食事は満足できるまで取りたいという欲がある。とはいえわがままには違いないので可能な範囲で構わないとはしっかり伝えておいた。
そうして他にも積荷の内容を幾つか確認して、ここでの相談は終了したのである。
応接室に戻れば他のみんなは既に宿泊する部屋へと案内された後だった。残っていたのはランドルとカルディスだ。ランドルは私の姿を見てから腰を上げたのでどうやら待たせてしまっていたらしい。
アズミはカルディスと共にこれから船の方へ戻ると言うから今日のところはここで別れ、明日の朝にまた港で落ち合うことになった。何か手伝えればとも思ったけれど忙しい現場に素人が紛れ込んでわざわざ船員の仕事を増やすのも気が引ける。その為今回は出航の準備が整うのを大人しく待つことにした。
ランドルの後に続いて屋敷の廊下を歩いていくと途中複数の使用人とすれ違い、その度になんとなく目で追っていた私に気付いたランドルが彼らも前の領主から引き継いだ人材なのだと教えてくれた。つまりは路頭に迷うはずだった者たちだ。
あの一件には私もそれなりに関わっているからこの話を聞けて思わずホッとしてしまう。またひとつストック家には借りができてしまったな。
そんなことを思っていたからか、廊下の真ん中で不意に立ち止まったランドルの言葉に私は素直に耳を傾けたのだ。
「エル様……その、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
聞こえてきたのは相変わらずの落ち着いた声だ。敵意や悪意は感じない。ならば私に関することではないなと当たりを付けて、なんだと聞き返せばその答えは思いもよらないものだった。
「国王陛下からの知らせに貴女の姿絵が同封されておりまして。あの絵の製作者はどこのどなたなのか、ご存知ではありませんか?」
「…………へ?」
「ああ、いえ、とても素晴らしい姿絵だったもので。私もその方に絵の依頼をしたいと思った次第なのですよ」
つい間抜けな声が出てしまったのは仕方がなかったと思う。
知っているも何も国王からの知らせに同封された姿絵なんてルトの描いたもの以外に考えられないのだが、まさかそれをきっかけに依頼したいとまで言ってくる奴が出てくるだなんて思ってもいなかった。
そんなに良い絵だったのだろうか。ルトの奴はいったいどんな絵を売ったんだ。描かれているのは私のはずなのであまり興味はなかったが、ここに来て少しだけ興味が湧いてきてしまう。まだ残っているのなら後で見せてもらおうか。
「知ってるよ。というか、さっきまで一緒にいたルトがそうだ。あいつは一応魔術師だけど旅をしながら絵を売っている商人でもあるからな」
「なんと、そうでしたか!」
「姿絵を良いと思ったのなら感想は直接言ってやってくれ。きっとルトも喜ぶ」
「ええ、ええ。そうさせていただきます」
目を細めて嬉しそうに微笑む男の姿に私も口元が緩む。ルトの絵を気に入ってくれる人が増えるのは私も仲間として単純に嬉しいものだ。
再び歩き出したランドルはどこかホッとしたように胸を撫で下ろしているから余程絵として残しておきたいものがあると見た。
辺境伯もそうだったけれど貴族というのは優れた芸には金を惜しまないところがある。それを考えると姿絵が国中に広まったのはルトとしてもよかったのかもしれないな。描かれているのが私なのは少し複雑な気分ではあるけれども。
それにしてもそこまでしてランドルが残したいものとはなんなのだろう。画家だって探せば他にもいないわけではないはずなのに。わざわざ国王のお墨付きとも言える画家に依頼するほどのものとはいったい。聞いていいものかと悩んでいるうちに仲間たちのいる部屋に辿り着いてしまったようだ。
用意されたのは男女に別れた二部屋だった。ちなみに人型のシロは見た目だけなら少女なので女部屋確定である。個室でも良かったのですがとランドルは溢していたけれど、長く滞在するわけでもないし最低限で構わないとルトが伝えてくれてこうなったらしい。今は片方の部屋に全員が集まっているようなので私もそっちに入ることにした。
「えっ、亡くなった娘さんを絵に?」
部屋に入るとベッドに寝転んだダットが膝を抱えて丸くなっていた。それをシンディが側で困ったように宥めているのを横目に見ながらルトを呼び出せば、私と入れ替わりでランドルと少し話した後にそんな言葉が聞こえてくる。盗み聞くつもりはなかったのだけど、私の意識は自然とそちらへと向いていた。
「難しいことは承知の上ですが、どうかお願いできませんでしょうか」
聞く限りランドルが絵として残したかったのは死んだ娘の姿だったようだ。それには先程アズミからも聞いた彼の妻の心の病が関係しているのだそう。
悪魔との戦いの中で死んでしまった彼らの娘フィアリア。帰ってきた遺体はそれはもう酷い状態で、今でも思い出すのはその時のことばかり。ランドルの妻が心を病んでしまうのも仕方のないことだった。
「親馬鹿と言われても仕方のないことですが、とても……とても美しい娘でしたので。その美しい頃のままの姿を妻にもう一度見せてやりたくて。せめて手元に、残しておきたくて……」
切実な願いだ。私には震えそうになる声をなんとか絞り出しているように聞こえる。フィアリアが死んでからは既に数年が経っているはずなのに、彼らの中の時間はその当時から全く進んでいないこともわかる。
私は氷の魔術師フィアリアがどれだけこの街の漁師たちに頼りにされていたのかを知っている。どれだけ恋人を愛し、愛されていたのかも。以前見た海の奇跡はそれほどまでに美しく、今もまだ私は鮮明に覚えているのだから。
けれど、ルトは首を横に振った。
「亡くなった人を詳細に描くのはやっぱりちょっと難しい、かな。特徴を聞いたところで空想が混ざってしまうからね。ランドルたちの本当に望むものにはならないと思うんだ」
「そう、ですか……」
わかりやすく肩を落とすランドルに、でもと言ってルトが微かに笑う。
いつの間にかダットやシンディも彼らの会話に耳を傾けていたようで広い部屋の中はやけに静かだった。
ルトは自分のカバンを漁り、そこに入っている紙の束の中からたった一枚を探り当てる。それはあの日——海の奇跡を目の当たりにした後に彼が残した思い出だ。
「これで良ければ、受け取ってもらえないかな」
私たちはフィアリア本人に直接会ったことはない。けれどルトは以前その幻影を目にしている。そんなルトが持っているのはあの時の光景を彼自身が残したいと思い、描き上げた一枚の絵だ。路上での商売の合間に描いていたのを私も見た。
それが今在るべき場所へと渡る。
息を飲む音。震える指先が紙を掴む音。
この静かな部屋ではランドルの心の動きが手に取るように伝わってきた。
「……ありがとう……ありがとう、ございます、っ!」
きっとあの絵はランドルの妻の手にも渡るだろう。娘の最期の記憶を塗り替えることは難しいかもしれないけれど、少しでもその美しさを思い出す手助けになれば、いいな。
思い出を視覚情報として残しておけるルトの絵は私やシロでもどうにもならない心の病への薬にもなるのかもしれない。
だからこれもまたひとつの、希望の在り方に違いないと、私はそう思うのだ。




