三、灰色の人
その日の夜、聖樹の跡地の家を訪ねてきた魔術師兄妹が連れていたのは灰色の髪と黒い目を持つグランディ男爵家のメイドの女だった。
この家は王城の敷地内の更に奥に立っている。限られた者しか入ることが許されていないからとマガドワの爺さんからアスハイルに話が行き兄妹が付き添う形で彼女をここまで送り届けてくれたらしい。髪と同じ色のローブを纏った俯き気味のその人はなんだか灰でも被ったかのようにも見えた。
「マガドワに頼まれたから連れてきてやったがよ、エルに変なことをしようってんならすぐに拘束するからな」
「お兄ちゃん、相手は一応貴族の家の人なんだからね。やりすぎちゃダメよ」
「いや、そこは止めてくれ」
相手はメイドだぞ。教会の魔術師相手に何かできるはずもない。こうして目の前に立った今でも一切の敵意も悪意も感じないのだ。少なくともこのメイドが私に危害を加えることはない、と思う。
私の姿を見て小さく息を吐いたメイドは震える指先を合わせて握り込むことでなんとか平静を装っているようだった。もしかして今日私が男爵邸へ顔を出さなかったことで心配をかけてしまったのだろうか。私たちは屋敷の前で会う度に同じ問答を繰り返してきただけの関係だったはずなのに。哀れな子供に情でも湧いたか。
「あの、紅茶でも用意しましょうか……?」
「……お構いなく。すぐにお暇しますので」
シンディの提案も首を横に振って断ったメイドは真っ直ぐに私の前に来て目線を合わせるように膝を付く。今までで一番近い距離にその人の顔が来たことで、彼女がこれまでどんな目で私を見ていたのかをなんとなくだが知ることになった。
寂しそうな目だった。けれどどこまでも優しい目だ。この人は私がクラヴィアに実の娘であることに気付いているのだと、言葉を交わさずともわかってしまう。
「急に押しかけてしまい申し訳ありません。いつまで経ってもお姿が見えず……居ても立っても居られなくて。無理を言ってマガドワ様に話を通していただいたのです」
「……もう関わるのはやめようって思ったんだ。どうせ同じ問答の繰り返しだ。お互いに時間の無駄かなって。……けど、確かに来るって言った子供が来なければ心配もするよな。悪かったよ」
「そう……ですね。それも、あります」
「ん? それも?」
ということは別の理由で私を訪ねてきたということか。
てっきり心配して様子を見に来てくれたのだと思ったのだけど、どうやらそれは彼女にとっては主な理由ではなかったらしい。ならばいったい何のために?
心当たりが無くて軽く首を傾げた私は次の瞬間、女の目がスッと細められるのと同時に妙な既視感に襲われて思わずたじろぐ。
——似てる。
「……エル?」
「ご、ごめん……」
側にいたルトの背にサッと身を隠してしまったのはほとんど無意識だった。
私のそんな行動に驚いているのは多分この場にいるほぼ全員だ。メイド姿の女と飽きもせずに何かを食べているシロだけが特に変わった反応を見せなくて、それこそが答えなのだと頭ではわかっていてもどうにも理解が追いついてこない。
「……あの。どうかされましたか?」
「いや、ちょっと……驚いて……」
髪も目の色も違う。それなのに、目を細めた時の人を諭すような視線が記憶の中にあるものと一致した気がした。私が忘れるはずもない、あの人——クラヴィアが時折見せていた些細な仕草。
見た目や色は何もかも違うのに一度重なったらもう他人とは思えなくて。ルトの後ろから顔だけを出してじっと女を見つめる私にその答えを寄越したのは呑気に紅茶を啜っているシロだった。
「エル。その女、お前と似た系統の魔力を持っているな。血縁者か」
「うっ……やっぱり、そうなのか……」
シロが言うのだから間違いはない。しかしものすごく反応に困る。確かに今一番確かめたいことではあったけど実際に言われるとどうしたらいいのやら。
そもそも何故この人はメイドの格好なんてしているのだろう。グランディ家の者があの屋敷で使用人などしているわけがないというのに。
見た目の年齢からして三十歳を目前で死んだクラヴィアよりは確実に上だろう。四十を少し過ぎたくらいか。それで今あの屋敷に住んでいて不思議じゃない者となると、二人いたというクラヴィアの姉のどちらかなんじゃ……。
眉間に皺を寄せて変な顔をしている自覚はある。急に出てきた母方の血縁者に戸惑いが隠せなかった。心の準備ができていなかったとも言う。
そんな私の様子が可笑しかったのかクスリと小さく笑った灰色の人は何かを覚悟するように一度呼吸を整えて、次の瞬間には雰囲気を全く別のものへと変えたのだ。
「ああ、可愛いな。クラヴィアの幼い頃にそっくりだ」
ゆったりと落ち着いた耳馴染みの良い、女にして低い声。メイドを演じていた時とはまるで違う余裕のある話し方。何より印象的なのは迷いの無くなった彼女の力強い切長の目。
「初めまして……でもないが、今は一先ずそう言わせてくれ。私はフリュート・グランディ。クラヴィアは私の下の妹さ」
「えっ……じゃあ、もしかして……」
「ああ。私は今キミの後ろに隠れている子の叔母ということになるな」
その後、一瞬遅れて発せられた数人分の驚きの声は夜の静けさの中ではやけに大きく響いていた。
◇
フリュート・グランディ。クラヴィアを末娘とした現当主の三人の娘の中で長女に当たる女の名である。次女は確かヴィオンといったか。
名前だけは何度か聞いたことはあったが私は正直存在自体あまり覚えていなかった。会ったこともなかったのだから当然と言えば当然なのだけど。
「ヴィオンは北西の街へ嫁に行ったが、私は婿を取ったからね。あの屋敷にずっといるんだよ」
「それでなんで私の前にメイド姿で出てくることになるんだよ……最初から普通に出てきてくれたらよかったのに……」
「キミが今噂のエルで、クラヴィアの娘でもあることは一目でわかったさ。けれど今更どんな顔でキミの前に立てば良いのかわからなくてね。だが、結果的に騙すような形になってしまったな。許してくれとは言わないが悪気は無かったんだ。すまないな」
「いや、別に、それはいいんだけど……」
改めてフリュートと名乗った灰色の女の前に立って話す。間近で感じる温かな視線が妙にむず痒くて目が合わせられない。話しながらもきょろきょろと辺りを見渡してしまう私を、シロの横で茶菓子に手を伸ばし始めた他のみんなが生暖かい視線を向けてくるのがわかる。なんだかすごく居心地が悪い。
「今日エルが訪ねてこなくて心配したのは本当だ。けど、このまま何も話さずに遠くへ行ってしまうと思ったら急に落ち着かなくなってね。全てとまでいかないが、伝えるべきことは伝えておこうと思ってマガドワに無理を言ってここまで来た」
爺さんもまさか私が言っていたメイドがフリュート本人だとは思ってもいなかったのだと思う。けれど話すべきだと思ったからアスハイルにまで話を通してこの状況を作ってくれた。
ならば私はやっぱりこの女の話を聞くべきなのだろう。そう思って黙った私に、フリュートは目を細めて口元を綻ばせながらゆっくりとだが順を追って話してくれた。
グランディ家は灰色の家系だ。
代々受け継ぐ髪や目の色はもちろん貴族にしては魔力も少なく、一族全体を見ても能力は平均以下で何をしても大した成果は得られない家系。燃え尽きた後の灰のようだと言われることもしばしば。
そんな中で時折美しい桃色の髪と金の目を持って生まれる子供がいた。豊富な魔力と類稀なる魔術の才を持つ子供だ。まるで一族の人間たちの力がそこに収束されているかのように。
「私たちはそれをエラの呪いと呼んでいるよ」
なるほど、言いたいことはなんとなくわかる。本当にエラが原因なのかは誰もわからないのだろうが、私たちの先祖に当たる男がどれほど異質な存在だったのかは私もよく知っている。あれの影響が少なからずあると言われたら、そういうこともあるかと納得してしまうくらいに。
「クラヴィアから娘の話を聞いた時は驚いた。二代続けて色を持って産まれてくるなんて聞いたこともなかったからね」
「……私のこと、あの人から聞いていたんだな」
「おそらく私だけだがな。うちで色を持って生まれた者は一族の中で後ろ指を刺されることが多い。そんな運命をキミに背負わせたくなかったんだろう」
ああ、まただ。
また私は、護られていたのだと、知る。
本当にあの人はいつも何も言ってくれないんだから。一緒に背負わせてくれたら良かったのにと思うのはきっと今の私だからなのだろうけれど。
「命を落とせば骨も残さず燃やし尽くすのが伝統だ。効果があるのかは知らないけれど呪いを消すためと聞いた。だから……クラヴィアの墓は無いんだよ」
「……なるほどね」
フリュートがわざわざこんな手の込んだことをしていた理由を理解した。
他所で活動していれば他人の空似と誤魔化しもきくが、グランディ家を訪ねてましてやクラヴィアの名まで出す子供が無関係だとは思われまい。だからクラヴィアの娘と一目でわかってしまう容姿の私を一族の者の目に触れないようにしてくれていた。自分はメイドと偽って。
本当に、私の知らないところで勝手に護ってくれるんだ。
クラヴィアも、フリュートも。そういうところがよく似ている。だからクラヴィアも私のことを彼女にだけは話していたのかもしれない。
嬉しいような、腹立たしいような、けれどやっぱりむず痒くて照れ臭い。複雑な感情を持て余しながら、これだけは伝えなければと私は自然と手を伸ばして彼女の手を掴んでいた。
クラヴィアはもういない。けれど、フリュートは今目の前にいる。伝えたいことは思いついた時に伝えなければ意味がない。
「ありがとう。心配してくれて、護ってくれて。会えて嬉しかった」
「っ……」
グランディ家は関わるべきじゃない。話を聞いて改めてそう思った。けれどその中にもこうして私を気にしてくれる人が、護ろうとしてくれる人がいる。それがわかっただけで私はもう、満足だ。
一瞬泣きそうに顔を歪めたフリュートだったが私が笑って見せればつられたように笑って返してくれる。それが嬉しいと素直に思えるから、私はこの人に母を重ねているのかもしれなかった。
最後に抱きしめてくれた温かさをきっと私はこの先も忘れることはないのだろう。




