二、謎多き男爵家
三日間の準備期間中に私が真っ先に向かったのは貴族街の西の端にある母——クラヴィアの実家、グランディ男爵家の屋敷だった。
きっちりと区分けされたこの街の中に立つ屋敷は、王城に近い程高位の貴族が住んでいる。ラトリッチ元公爵の屋敷は王城からも程近い場所にあるし、騎士団長ベイル・ディラー侯爵の屋敷も王城前の騎士団本部に隣接していると聞いた。
私が訪れたグランディ男爵家の屋敷は西の端。爵位は数代前の当主から引き継いでいるもので今はそれほど力のある貴族ではない。騎士団や教会に人員を輩出しているわけでもなく、娘を高位の貴族に嫁がせることでかろうじて地位を保っている。そんな印象の家だ。
「もうすぐ街を出ることになった。いつ戻ってこられるかはわからない。だからその前にクラヴィアの墓の場所だけでも教えてもらえないかな」
「申し訳ありません。何度もお伝えしている通り、そのことについては固く口止めされておりますので」
屋敷の門の前で訪ねてくる私の対応をしてくれるのは毎度同じ女だった。くすんだ灰色の髪に黒い瞳を持つ中年の女。装いからしてメイドである。性格は穏やかで、隙を見つけては顔を出す私にいつも申し訳なさそうに同じことを繰り返す。
彼女は初めてここへ顔を出した時に門の前でうろうろしていた私を見兼ねて出て来てくれた唯一の使用人だ。あまり迷惑はかけたくないのだが、こちらも諦める気にはなれなくて今日もこうして私たちは同じやり取りを繰り返していた。
本当は私はクラヴィアの実の娘だと言えたらよかったのだけど。それを簡単に明かせない立場を私は持ってしまっている。
私が王都に屋敷を構える貴族の血筋の者と知られたら今ある街の人々からの信頼を失いかねず、逆にグランディ家側に繋がりを悪用されないとも限らない。クラヴィアの実家というだけでは信用はできないのだ。
「……わかった。また明日来るよ」
「何度来ていただいても良いお返事はできませんよ?」
「明日も変わりなかったら……そうだね、諦めることにしようかな」
へらりと笑って踵を返した。王都を出るまでの間にここに来られるのはおそらく明日が最後になる。それでダメなら流石に諦めるしかないだろう。
この一年間男爵邸には何度も足を運んだにも関わらず私の前に出て来てくれたのはメイド一人だけだった。訪ねてくる子供の話くらいは当主にも伝わっているはずなのに。当主どころか他の住人すら出てこないところを見ると意図的に避けられているとしか思えない。
誰も出てこない理由もクラヴィアの墓の場所を隠す理由も私にはわからないが、思っていた以上にあの人の実家は謎に包まれた家だったということだ。
溜め息を吐きながらも大人しく去っていく子供の背中を、メイド姿の女が今にも泣きそうな顔で見ていたことなど、この時の私は気付いていなかった。
男爵邸への訪問の後、物資の調達を一通り済ませ挨拶回りの一環で王都の南の学舎にやってくると、すっかり元気になって既に教壇にも立っている教師のアポリアに快く迎え入れられた。通された執務室は本棚の空きが少し目立つもののほぼ元通りの状態で、マガドワの執務机には書類の山ができている。
書類と真剣に向き合っていた爺さんはアポリアの呼びかけでようやく私が来たことに気付いたらしい。こちらを向いた顔がどことなくやつれているように見えて流石に少し心配になった。
「私が言うのも変な話だが少しは休んだ方がいいんじゃないか?」
「そうだな、魔術具に詳しい奴がいるのなら紹介してほしいもんだよ」
「それは……ごめん」
一年前の騒動で燃えたラトリッチの別荘跡地から見つかったものが幾つかあった。そのほとんどがあの女が魔吸鉱物を元に作ったと思われる黒い魔術具で、それらの扱い方には国王グラムも頭を悩ませていたと聞く。
下手に触って不幸な事故が起こらない保証はどこにもなく、けれどそんな危険物を放置しておくこともできるはずもない。とはいえ作成者は既にこの世にはいない上に頼みの綱だったウィンも全ての魔術具の扱い方を知っているわけではなかったのだそう。
ラトリッチ元公爵も娘の魔術具には触れたことすら無かったと言うし、あの女が残したものは想像以上に今でも多くの人を悩ませているのである。さぞや気分も良いことだろう。
そしてそんな危険物の調査及び処理を任せられる人物がそうそういるわけもなくて。
教会の魔術師は街の復興にかかりっきり、貴族街の貴族たちも似たようなもの、私には別件の対応もあった。であればと白羽の矢が立ったのが知識実力共に申し分ないマガドワの爺さんだったというわけだ。
元騎士団長で、凄腕魔術師で、学院の教師でもあったという経歴は例え本人が望んでも簡単に風化するものではない。そのせいでこういった時の最後の砦として頼られる存在になってしまっているらしい。改めて凄い人だとは感じるが、歳も歳だし無理はほどほどにしてほしいものである。
私が顔を出したことで一先ず休憩を取ることにしたらしい爺さんは、アポリアに茶を頼んでから大きく息を吐いて椅子に深く座り直していた。
「それで、お主はまた男爵の屋敷に行っておったのか」
「あー、うん。いつも通り何の収穫も無かったけどね」
クラヴィアの墓参りがしたいと告げた私に男爵の屋敷の場所を教えてくれたのは爺さんだった。その関係で毎回同じメイドに追い返されると報告はしているが、爺さんはその度に首を傾げて眉間に皺を寄せるのだ。
「聞けば聞くほど可笑しな話だな。男爵は礼儀を重んじる男だ。仮にも国王が認めた権力者に対して顔すら出さないなんてことがあるのか……」
「墓の場所も口止めされているらしいから私を娘の子と気付いて避けているだけの可能性はあるんじゃないかな。ほら、私の容姿ってクラヴィアにそっくりだし」
辺境伯家に嫁いでおきながら跡継ぎとなる男児を産めなかった人。そんなクラヴィアが実家の者とどんな関係性だったのかを私は知らない。
けれどどちらにしろ跡継ぎになれない私の存在を恨んでいた可能性は高いのではなかろうか。だとすればそんな奴に今更会いたくないと思っていたって不思議じゃないと私は思う。
「それはちと考えすぎだと思うがのう。少なくとも男爵とクラヴィアの関係は良好だったと記憶しておる。例え男児でなくとも娘の子を疎むとは儂には思えない。だから他に考えられるとすれば……」
「……まさか、メイドの独断で追い返されていた? いや、でもそれは、」
爺さんの言葉で今までの訪問を思い返してみる。毎度私の対応をしてくれるあのメイドからは敵意も悪意も感じたことがない。いつも申し訳なさそうに同じことを繰り返す様子が演技だったとも思えない。
しかし爺さんはそのメイドが怪しいと言う。確かにそう考えると現状に納得ができるのも事実である。けれどもしそうだとしたらいったいどんな事情があるというのか。
「クラヴィアも学院生時代、グランディの家系はちと複雑だと溢していたことがあった。権力者相手でも簡単には明かせん何かがあるのかもしれん」
「……それなら、私はこれ以上踏み込まない方がいいのかな」
血が繋がっているというだけでもうほとんど私とは関係のない人たちだ。今私が引き下がればおそらく今後関わることもない人たちだ。そんなところにわざわざ踏み込む必要があるのかと考えると、私の中では否とあっさり答えは出るわけで。
「このまま街を出た方が諦めも付いていいかもな……」
溜め息と共にそんな言葉が口をついて出て行った。
「なんだ、もう行くのか」
「ああ、うん。ロキルの魔法陣も場所が判明していたものは全部処理できたし、船の用意もできたと連絡がきたからそろそろ東に行こうかと思って。一応三日後には出るつもりでいるよ」
「そうか……」
「帝国にも行くとして、帰ってくるには数年かかるんじゃないかな。それまで爺さんには生きててもらわないとね」
「儂はまだまだくたばらんわ。馬鹿息子をあのまま放り出すわけにもいかんしな」
「ふ、そうだった」
爺さんの息子のマゼインは、幼馴染のアポリアが回復してからは共にこの学舎で再び教壇に立っていると聞いた。今はまだ生徒は少なく小規模ではあるが、いずれは貴族街の学院にも負けないくらいの規模で平民の教育機関を作るという目標まで掲げたらしい。
以前は何かと他人任せだった男が、だ。人の意識とはきっかけがあればここまで大きく変わるものなのだなと知った。
それをアポリアが支えると言い出してからは、爺さんも学舎の運営は二人に任せていく意思を固めたそうだ。とはいえ完全に手を離してしまうにはまだ早いとのことだけど。これは今後の二人の頑張り次第なのだろう。
あの騒動から約一年。人々は希望を得て前を向き、既に多くの者が新たな人生を歩み始めている。ならば私がいつまでも立ち止まっているわけにもいかない、か。
「よし、こっちはこれ以上追求するのはやめておくよ」
クラヴィアへの挨拶なら辺境伯の屋敷で既に済ませているのだし。と、決めてしまえば胸につかえていたものもスッと消えて無くなっていく。
爺さんは少し不満そうな顔をしていたけど私が自分で決めたことだ。それもわかってくれているようで、これ以上何かを言ってくることはなかった。
その後、茶を用意してくれたアポリアや爺さんとそれから授業から戻ったマゼインも加えてしばらく談笑して過ごし、日が暮れるころには私はすっきりとした気分で帰路についたのだ。
だからまさかこの翌日、男爵邸に行かなかった私の代わりにあのメイドが私を訪ねてやってくるなど思いもしなかったのである。




