二百二十八
訪問治療という名の見世物を開始して数日も経てば私の存在は街中に広まっていた。最初は見知らぬ少女だったものが王太子や騎士団員を引き連れて負傷者を治療して回っているのだ。それもあの騒動で街を破壊した幻獣を連れて。
一歩間違えれば恐怖を煽るだけの行為だが、そこは私が王都の貴族とはなんの関係もないただの子供だったことが功を奏したのだと思う。私は徐々に受け入れられていき、トロップが残した恐怖や不信感が消えることはないものの、少しずつ顔を上げ始めた人々は以前の生活を取り戻してきているようだった。
しかし噂というのは凄いな。神だ天使だ聖女だと有る事無い事飛び交う街中を歩くとあちこちから声をかけられたり笑顔で手を振られるようになって、正直凄く逃げ出したい。王都に住まう人間たちは本物の天使で聖女な奴の危険性を知らないからそんなことが言えるんだ。魔王と同等の脅威だぞあれは。
「随分と浮かない顔をしているな、エルよ」
「街を歩き辛くなった。お前もその格好で街中を騎士団を引き連れて連日練り歩いてみたらどうだ、グラム」
「ふむ。それは遠慮しておこう」
この国王、返答までダフディラートに似てやがる。いや、ダフディラートが似ているのか。髪の色は母親に似たというが性格は確実に父親似だろう。余裕のある話し方がそっくりだ。
通い慣れてきた王城の会議室に今日集まっているのは国王グラムとダフディラート、それから久しぶりに顔を見るペールバルクとその後ろに控える騎士団長のベイル。あとはこの面子に並んでも見劣りしない装いのシンディと少し肩身が狭そうなルト。そこに私を加えた七人とシロだ。
会議と言っても堅苦しいものではなく、茶を飲みながらの軽い情報共有の場である。俯きがちに険しい顔をしているペールバルクの様子が少し気になるが国王やダフディラートは特に触れないようだから私も一先ず放っておくことにした。
「今日集まってもらったのは他でもない、今後についてのこちらの方針を共有しておく為だ」
そんなグラムの言葉に場の空気が引き締まる。
まず語られたのはこの場にいる二人の王子の王位継承に関して。ダフディラートが王太子であることは変えようもない事実だが、国王グラムは今のところまだ王位を譲る気は無いと言う。
国を滅ぼしかねなかった騒動の解決を指示したり一度は全権を託したりと、ダフディラートの手腕を試していたようだったからてっきりグラムは退位するものと思っていたのだけど。魔術の才を除けば第二王子のペールバルクがほとんどの分野で上回っていて、騎士団を含めた多くの貴族がそちらを推していると聞くからもしかしたらそれが原因なのかもしれない。
「そういえば王位継承権といえば、もう一人いただろう。第三王子の……確かシエットとかいう、」
「あれは駄目だ」
と、食い気味に私の言葉を遮ったのはダフディラートとペールバルクの二人だった。自分たちの弟だろうに。確か十六歳も超えていたと思うし本来ならこの場にいてもおかしくはない。それが呼ばれてすらいないところを見ると何か問題がある人物なのか。
私はまだ一度も会ったことがないので何とも言えないところではあるのだが、ふと目を向けた先でシンディも苦笑していたから第三王子シエットについてはこれ以上口を出さないことにした。
「此度の騒動におけるダフディラートの功績は評価に値する。しかし、未だに派閥争いをしている貴族がいることも考慮しなければならない。可能ならば自力でその評価を覆し他派閥も吸収してほしいところなんだがな」
「幼い頃から研究者としての才を遺憾無く発揮し、鍛錬や勉強を怠ることなく、目的に向かって邁進する。そんな弟がいると確かに簡単にはいかないか」
その弟も一度失敗すると立て直しが困難というなかなかに致命的な欠点があるのだけど。
私は取引きもしているし、シンディのこともあるし、どちらかと言えば王太子派だ。とはいえこちらが得た権力に影響が出ないのなら誰が次の国王になろうが構わないと思っている。
「——そこで、だ」
おっと、これは。
私は瞬時に嫌な予感を察知した。
逃げるわけにもいかず大人しく言葉の続きを待っていれば、国王グラムはダフディラートから私へと意味深に視線を移しながら告げる。
「エル。北の帝国への入国の仕方を知っているか」
「……いや、知らないかな。山を越えればすぐだろうけど、それだと最悪帝国への侵略行為と捉えられかねない。そもそも山の安全性が不透明だ」
「その通りだ。だが、地図を見ればわかる通り帝国は山に囲まれた土地だ。周辺の海も地形が複雑で海流が読みづらくなっている。船で回り込んだところで簡単には内陸へは入れない」
「もしかして空からならって思ってる? 嫌だよ、格好の的でしかない。魔王じゃないんだから」
「そうではない。適切な航路を進めば良いのだ」
北の帝国への入国の仕方、山と空はダメ、海、海流、船、適切な航路。ああ、なるほど。そういうことか。
「エルよ。東へ行くそうだな?」
「……今すぐにってわけじゃないけどね」
おそらくシンディからダフディラートに、そしてグラムにも伝わってしまったか。口止めをしたわけではないのでそれ自体に問題はないが今その話を持ち出してくるということは帝国への適切な航路とやらは少なくとも東の島国——トウコク付近を通るものなのだろう。
直前の会話から察するにグラムは帝国関連の問題をダフディラートに任せる気か。しかも直接現地に送って。この流れはその護衛を私に頼もうとしているのかもしれない。思わずムッとしてグラムを見れば「頼めないか」と返ってきた。やはり予想は当たっているらしい。
「私を信用しすぎじゃない?」
「それだけ高く買っているということだ」
「うーん、それは有り難いけどさ」
とはいえ私から見てもダフディラートは本当に口先だけの箱入り王子だ。完全なる実力主義という帝国に放り込まれたらこの国での地位など役に立たないだろうし、ローサンティスの王太子と知られたら最悪何もできずに殺される可能性だってある。
獅子の子落としとはよく言ったものだが命を落としたら元も子もない。グラムはそれを私に預けると言うか。さてどうしよう。
「子守りは得意じゃないんだけどなぁ」
「なんだ、エルは子供と遊ぶ予定でもあったのか?」
「いやお前の話だよ」
わけもわかっていないくせに、わかったような顔で笑っているところが凄い。何故有事の際はあんなにも怖いくらいに頼もしく見えるのだろう。自分の目を疑いたくなるぞ。
「……エル。お前、兄上と随分と親しくなったんだな」
「これを親しいと言うか。……まぁ、いいけど。それよりお前も言いたいことがあるなら遠慮なく言えばいい。ここはそういう場だ」
目元に影を落としたままのペールバルクが突然口を開いたのでついでに話を振ってみたけれど、それっきり彼は目を逸らして黙り込んでしまう。いったいなんなんだと思ったところでグラムがまた話し出した。
「ダフディラートには帝国の件を任せようかと考えていたところだ。無事にやり遂げ帰った暁には王位を譲ることも視野に入れている。エルが東へ行くのなら丁度良いのではないか」
「なっ、いいのか!? 確かに魔王や奴隷の件で実際に帝国へ行きたいと頼んだのは俺だが!」
「やっぱりお前が元凶か。グラムも曲がりなりにも神の肩書きを贈った奴に息子の護衛をさせようとか良い度胸しているよ本当……」
国王グラム。あまり感情を表に出す男でないのは見ればわかる。暴走しがちな息子たちとは違って常に冷静で落ち着いていることも。しかし言っていることを要約すれば息子が心配で強者を側に置いておきたいだけである。これじゃあただの心配性の父親だ。
威厳ある国王だと思っていたのに、無表情のまま息子たちが可愛いとか言い出しても今の私はもう驚かないぞ。
「言っておくけど本当に帝国まで一緒に来いって言うなら別料金だからな」
「ああ、わかった! 俺に用意できる範囲で必ず応えて見せよう。帝国まで頼むぞ!」
「って、もう決定なのか」
「わぁ! それでは、次の旅はダフディラート様とご一緒できるのですね! ディも全力でお護りします、お任せください!」
「確かにエルとシンディがいてくれたら大抵の敵はどうにかなるからね。僕でも生きていられるんだからきっと無事に帰ってこられるよ」
「いや、ルトも十分戦えるからな?」
まぁ、仲間たちやシロからも反対意見が出てこないのなら護衛を引き受けて帝国まで行くのも別に構わないけども。私だって帝国がどんな場所なのか見てみたい気持ちは大いにあるのだから。東の島国が中継地点となれば当初の目的からも外れない。
「出発は今受けている依頼を片付けてからにはなるけど、それでも良ければ引き受けてもいい、かな。——ただし、条件はある!」
ビシリと立てた人差し指をダフディラートに向けて告げる。私がこの男に求めることは主に二つだ。
まずは剣や魔術の腕を上げること。せめて剣では騎士団でもやっていけるくらいになってもらわなければ困る。護衛と言っても常にピッタリと張り付いていられるとは限らないのだから自衛の手段は持っておくべきだ。
次に最低限の礼儀作法くらいは身につけること。ダフディラートはどんな場面であっても取り繕うことを知らなすぎる。流石に他国に足を踏み入れようとしている王太子がそれでは国民に対しても示しが付かないだろう。それどころか余計な問題を呼び込む危険すらある。是非とも改善しておいてほしい。
他にも言いたいことは山ほどあるけれど、せめこの二つは絶対だ。そう告げれば握った拳を胸に当てて自信満々といった様子でダフディラートは強く頷いた。
「よし。そういうことだから、後はよろしく」
軽く片手を上げてグラムに後のことを丸投げし、私は紅茶を飲み干してから茶の席を立つ。ルトとシンディもそれに続き、私の訪問治療もそろそろ終わるから明日にでも勇者パーティと合流しようかと話しながら会議室を出た、のだけど。
「お前は鍛錬とか勉強とか他にもやることがあるだろ!」
「剣や魔術ならエルに教わればいいと思ったんだ。お前以上に強い者はこの国にはいないからな!」
「素人が何言ってんだ。私だってやることがあるんだからお前にだけ付き合ってもいられないんだよ」
「エルの魔術は人間が真似するのは難しいと思うよ? 教会の魔術師に指南を頼んでみたら?」
「エルの剣術も魔術が混ざっているものなので普通の方には難しいかと思います。騎士団の方で教師を探してみてはいかがでしょうか?」
「ああ、ますますエルに教わりたいな! なんとか時間を作ってはくれないか!」
「い、や、だ!」
何故かその中にダフディラートまで混ざって着いてくるものだから、王城の廊下には騒がしいやり取りがしばらく続いてしまったのである。
◇
兄上がエルたちと共に会議室を出て行くその背中を見ながら思う。
あの人は私が今までに努力を重ねてきたもののほとんどができない人だ。それなのに、私がどれだけ努力をしても手に入れられないものを簡単に手にしてしまう人だ。
それは時期国王としての器だったり、相手の身分に関わらずずけずけと懐に入り込んでしまう気安さだったり、いつの間にか周囲を巻き込んでしまう雰囲気だったり。私があの人を完璧と表するのはそれらの能力こそが何よりも大切だと理解しているからだ。私がどれだけ時間をかけても真似できないものだからだ。
「国王陛下。兄上の帝国行きの件、本当に良かったのですか。万が一あの人を失えば王位継承権を持つ者がいなくなります。養子を迎えていただく他なくなりますが」
「エルが着いていてくれるのだ。一先ず任せてみようではないか。それでも成し遂げられないのなら運命と受け入れる他ないだろう」
私が今回の件で王位継承権を剥奪されたことは兄上もエルも知らず、今のところ公表もされていない。第三王子シエットと知られている人物が実は女であることも王族の一部の者しか知らない。この状況で兄上にもしものことがあれば国の損失は計り知れないものがある。
それなのに国王陛下は兄上に帝国の問題を任せると決め実際に現地へ行きたいという戯言すら受け入れた。一つところに留まる気のない、ふらふらとした子供に護衛まで任せて。
確かに帝国の問題を解決できれば兄上の王位継承は確実なものになるだろう。けれど本当にできるという保証がない。そんな博打のような手を打つなんて、どうかしているとしか思えなかった。
「……あの子供をそこまで信用して良いのですか」
国王すら動かせる地位を与えたことも、トロップに変わる希望に据えたことも、自由を許したことも。
能力は認めよう。しかし私にはその在り方が理解できないのだ。こいつさえいなければと憎まずにはいられない。それなのに。
「私は信用しているよ。それが力を借りるためにこちらが尽くせる最低限の礼儀だ。それだけの力を彼女は持ってしまっている」
敵意を示すこと、自由を奪うことこそ愚策だと国王陛下は言う。それはトロップがやった恐怖で支配することと何が違うのか私にはわからない。しかし、次の言葉で私はまた敗北を知る。
「何より、あのダフディラートが心を許している」
「っ……」
ああ、この人はエル以上に兄上を信用しているのだ。帝国から無事に戻れたら王位を譲ることも視野に入れていると濁しておきながら、既に次の国王は兄上しかいないと思っている。
私が入り込む隙なんて最初からどこにもなかったのだと気付かされる。それが悔しい。けれど、言い返せるだけのものを私はもう何も持ってはいないのだ。
「あの子供との繋がりを断つべきではない。しかし人と同列にしておくにはあまりにも異質な存在だ。だからこその、」
「——放浪の神 」
その先を聞きたくなくて、反射的に口を開いた。
これは、抵抗だ。あんな得体の知れない者が人間の上に立つなど認めてなるものかと。今の私にできる細やかで、最大の抵抗。
「私は今後あの子供をそう呼ばせていただきます」
居所を決めずふらふらとしているのならそれに相応しくあれ、と。私からすれば皮肉を込めた呼び名だった。けれど国王陛下はそうは感じなかったらしい。いつもは表情一つ変えないこの人がほんの少し目を細めて口元を緩めたのを見た。
「では、私もそう呼ぼう」
放浪の神。その肩書きを持った子供が魔物や精霊、仲間たちとそれから人間の王子とその従者を連れて世界を舞台にした次の旅を始めるのは、この日からおよそ一年の時が経った頃である。
第五章、完
ここまで読んでいただきありがとうございました。これにて第五章完結となります。
次章からは旅の仲間も増え、エルたちは国を飛び出し世界も更に広がっていきます。
ここを折り返しとして物語の完結まで駆け抜ける気満々ですので、引き続きお付き合い頂けますと幸いです。




