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放浪のエル  作者: ゆう梨
第五章
229/273

二百二十七



 この世界には現存する神様が複数いるらしい。これは国王とその周囲の者数名のみが知る他国の情報である。私はもちろんダフディラートですら知らなかったそれを協議の合間に語って聞かせてくれたのは、私にそれらと並び立ってほしいという国王の願いによるものだ。

 

 だからこその人間の国の神(エル)という肩書き。しかしこの国にいつまでも留まる気は全く無い私にとって、それは少し窮屈なもののように感じてしまっている。



「待ってください、エル!」



 各部屋を回って再生の魔法を全ての負傷者に対して使った後、リーニアや爺さんと幾つか言葉を交わして学舎から外に出た私を呼び止めた男がいた。くしゃくしゃの髪と服に片方が割れた眼鏡をかけた爺さんの息子のマゼインである。


 横にいたダフディラートと共に振り向くと駆け寄って来たそいつは、何も無いのに躓いて私たちの前で顔からドスンと倒れ込む。そんな見覚えのある光景に私は一瞬遅れて思わず噴き出しそうになった。



「お前、もう少し足元に気を付けた方がいいと思うよ。流石にその怪我は治さないからな」


「いてて……はい、すみません……」



 地面に座り込んだマゼインが顔を上げると鼻や額に擦り傷を作っているのがわかった。眼鏡は直前で落としたか。そのままだったら今頃もっと大怪我をしていたことだろう。運が良いのか悪いのかわからないやつだな。



「まったく。ほら」



 私が手を差し出せば眼鏡を掛け直したマゼインが一瞬驚いて、かと思えばどういうわけかその手を両手でそっと包まれた。



「……ありがとう、ございました」



 何の礼だろう、とふと浮かんだ疑問の答えは揺れる瞳を見れば明らかだ。先程意識を取り戻した彼の幼馴染のことである。

 

 しかし、あれはただの見世物だ。私の名と顔を広め、お前たちの縋るべき希望はここにあるのだと見せつけるためだけの作業のひとつに過ぎない。こんな風に礼を言われる程のことではないはずなのだ。そんなことは今この場で言えるわけもないけれど。なのに。



「本当に、ありがとう、ございました……」



 そのままぼろぼろと泣き出した男は礼の言葉を繰り返した。

 

 マゼインにとってあの幼馴染がどんな存在かなんてわからない。こいつは処刑された女を好いていたように見えたから。あの騒動から約二月。この間にマゼインが何を考え何を思ったかなんて私にわけるわけがない。


 でも、ただの見世物であるはずの訪問治療が彼の心を救い上げたのだと実感するには十分な行動だった。そしてまたひとつ、重い重い責任を背負ったのだと気付く。



「エル」



 名を呼ばれて顔を上げれば学舎の入り口に爺さんが立っていた。その横には心配そうな顔で佇むリーニアもいて、今の私が周囲を不安にさせるような暗い顔をしていることを自覚した。そんな私に爺さんは溜め息混じりに口を開く。



「まぁ、潰れそうになったらいつでも帰ってくればいい」



 その言葉にまた気付かされる。人々の希望になるだなんてきっと私には荷が重い役目なのだと。それがわかっているからアスハイルも爺さんも私以上に怒ってくれるのだと。


 有り難いことだ。こんなに自分のことを考えてくれる人たちがいてくれるのは絶対に当たり前じゃない。


 私のわがままに付き合ってくれるルトやシンディも、自分が死んだ後のことまで考えて情報や術式を残してくれたクラヴィアも、気を付けてと送り出してくれたガレオラスやリオも、そう。

 きっと私が全てを投げ出しても誰も責めたりはしないのだ。それどころか突き放しても寄り添って一緒に悩んでくれる。何度でも手を差し出してくれる。こんなに甘やかされていていいのだろうかと逆に心配になってくるよ。


 

 ——アリシエル、儂の所に来るか?



 クラヴィアが死んで放心していた私にそう声をかけてくれた爺さんの姿が脳裏に過ぎる。今の爺さんと同じ顔をしているな。そう思ったら返答は勝手に出ていった。



「ありがとう、そうするよ」



 かつては取れなかった手を取ろう。潰れそうになったらみんなに頼ろう。言葉にしたらなんだか背中が軽くなった気がして、この時自然と浮かんだ笑みは多分年相応のものだった。




 

            ◇



 


 次の施設へと向かう道中、少し後ろを歩くダフディラートがやたらと顔を覗き込んでくるのが凄く鬱陶しかった。



「エル。お前、先程のように笑うと可愛らしいと言われないか」


「お前には関係ないだろ。なんか腹立つから忘れてくれ」


「いや、あれを忘れてしまうのは勿体無いというか、我が国の神(エル)としてはあれを全面に出してほしいというか」


「物理的に忘れさせてやろうか」


「それは遠慮しよう」



 いい加減私の我慢の限界が近くなったところでさっさと退散したダフディラートには思わず溜め息が溢れる。そもそも私があんな風に笑うことなんて滅多にない。愛想が無いことくらいとっくに自覚しているんだから。



「エルは興奮するとよく笑うぞ」


「ほう」


「シロは余計なこと言わないの!」



 しかもなんか変態っぽくなかったか今の。確かにシロには無駄にはしゃぐ姿を何度も見られているけれど。それを言いふらすことはないじゃんか、と不貞腐れて指先でシロの胸の辺りを軽くつつくとふかふかの羽に埋まるだけだった。



 


 そうして幾つかの施設を巡り、本日最後にやってきたのは貴族街にも程近い図書館だ。


 中に入れば当然職員のライブラがすぐに現れ、彼女は私の姿を見るや否や両手を広げて飛びついてきた。こんなことをする性格だとは思ってもいなかったのでつい驚いてされるがままになってしまう。



「エル。心配、していました。最後に貴女を見たのは死にかけていたにも関わらず戦場に戻っていったところだったので」


「そ、そうだった。ごめん、ずっと顔を出せなくて……」


「いえ、リーニアから話は聞いています。ダフディラート殿下に無茶な要求をされて大変だったのですよね。申し訳ありません、私があの方を頼ってみてはと助言したばかりに……」


「うん、なんか曲解されている気がする。まぁ私はそれでもいいんだけど」


「俺は良くない! 対等な取引きだったじゃないか!」


「ああ、ダフディラート殿下。いらしたのですね」


「……ライブラ。いつにも増して俺に対する当たりが強くないか?」


「気のせいでは?」



 なんだろう、ダフディラートとライブラの間に流れるこの気安い空気は。確かに彼女はダフディラートと面識があるようなことを言っていたけれど。こんなに親し気に話せる仲だなんて思ってもいなかったぞ。



「とりあえず私は治療を終わらせてくるよ。話はその後で」


「わかりました。紅茶と茶菓子を用意しておきます」



 エントランスから本棚の並ぶ館内に入ると、床には座り込む人々の姿がちらほらと見て取れた。けれど一通り見た感じは他の施設よりも軽症の者が多い印象だ。この場所は常駐する職員のライブラが常に護っていた場所だから、建物の被害も大きくなくてそれ故に逃げ込んだ人々も比較的軽症で済んだのだろう。彼女の功績は大きいな。


 その後ダフディラートや騎士団員に集められた負傷者をサクッと治療した私はそのままライブラの待つ別室に足を運ぶことに。最初に図書館を訪れた時もこの部屋に案内されたなと少し懐かしく思いながら椅子に腰掛ければ皿に並べられた焼き菓子が目の前の机に置かれ、香りの良い紅茶の入ったティーカップも三人分用意される。騎士団員は部屋には入ってこないようで、茶の席に着いたのは私とダフディラートとライブラの三人だ。



「本日のエルのお役目はこの図書館で終わりなのですよね。でしたら是非ゆっくりしていってください。ダフディラート殿下はここでお時間を潰していていいのですか? 魔術や剣、国政の勉強も詰まっていると聞きますが」


「ああ、連日勉強ばかりで参っていたところだ。少しくらいは構わないだろう」


「そうやって嫌いなことから逃げていた結果が今貴方でしょうに」


「鍛錬や勉強で一日が潰れるなんて羨ましい。代われるなら代わってやりたいよ。その時はシンディは諦めてもらうけどね」


「城ではもう逃げていないからな!?」



 なんだかんだと私もこの王太子の扱い方がわかってきた気がする。第二王子のペールバルクとは違って普段のこいつはまるで子供のようだから。今年で二十四歳にもなるというが、どちらかというと辺境伯家にいる私の弟リオの方がしっかりしていると思っている。これは身内贔屓かもしれないけども。



「……考えることが多くて少し参っていたのは本当だ」



 紅茶を一口飲んだ後、そう溢したダフディラートの雰囲気は先程までとは違っていて私とライブラは静かに耳を傾ける。

 

 実際ダフディラートに課されたものはおそらく私よりも多い。剣や魔術の実力を付けることはもちろん、王太子として最近は国王から代理を任されることもあるという。今回の私の訪問治療への同行もその一環だろう。本人は周りの信頼を得るべく頑張っているようだが時間は幾らあっても足りないはずだ。



「一つ悩ましいのはウィンの処遇だ。彼は確かに罪人だが、俺が指示した通りその手で主人を葬って見せた。俺はそれを評価してやりたい」


「そうは言っても周囲はお前のようにはいかないだろ。良くて追放だよ」


「エルまでそう言うか……」


「一般論だ」



 私個人としてはダフディラートの考えに賛同したいのは山々だ。トロップの処刑直後の魔王の襲来で世間は混乱していたようだが、ウィンはその後騎士団に身柄が預けられ監視付きで部屋に軟禁されていると聞く。サフが言うには今は一言も発することができないくらいに疲弊しているらしい。罰なら十分に受けている。



「もう一つ、魔王の戻った帝国に動きがないことが気がかりだ。加えて昔よりも減ってはいるが我が国には人攫いや人身売買もまだ残っている。攫われ売られた子供が帝国に流れているとも聞く。これらの問題を放置しておくわけにはいくまい」


「へぇ。今までは知っていて放置していたんだ」


「っそう、だな。申し訳ない……」



 別に文句を言いたいわけではないが、それについてはただ腹立たしい。今は神だ勇者だと祭り上げられている私やコルクも共に売られかけた身だ。それに縋る人々がどれだけ身勝手かなんて言うまでもない。

 

 私もコルクもそんな過去をわざわざ持ち出したりはしないけれどあの時抱いた感情は決して忘れられるものではないことだけは確かだ。この問題を時期国王がどう扱っていくのかは今後注視したいところである。



「時間はかかるだろうが解明していけるよう最大限の努力はする。だから、見ていてくれ」



 そんな根拠もない言葉を力強く言ってしまえるダフディラートだから応援したくなるのだろうな。これは口に出しては言わないけど。

 私はティーカップに付けた口元が少しだけ緩むのを感じていた。



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