二百二十四
街の復興は教会の魔術師を中心に順調に進んでいるという。ルトの力を借りれば今頃は街全体が元通りになっていたかもしれないが、それはアスハイルやネルイルが周囲には言わずに黙っていてくれたらしい。二人はルトが教会に所属するつもりが無いことを知っているから、今回は人々から過度な期待をかけられないよう護ってくれたということだ。
「マガドワはあの日結構な無茶をしてしばらく寝込んでいたんだけど、今は元気にしているみたいだよ。リーニアがしっかり見ていてくれているから心配はなさそうかな」
「あの爺さん生きてたか。リーニアには後で礼を言いにいかないとな」
「うん、そうしてあげて。きっと喜ぶよ。それから、マガドワの息子のマゼインも怪我はしていたけど無事だって。でも……」
「アポリアが未だに目を覚さないと聞きました……」
ルトとシンディが顔を見合わせて肩を落とす。いい報告ばかりでは無いとわかってはいたがそこに知り合いの名が出てくるのは少し憂鬱な気分になるな。
私はその女をあまりよく知らないが話に聞く限り平民ながらに芯の通った強い女といった印象を受けている。今のところ手を出す理由はないけれど、一先ず人間としては回復を祈っておこうと思う。まぁ、おそらくそんな状態に陥っている人間はアポリア一人ではないのだろうが。
「——そこで、だ」
ダフディラートのそんな一言で場の空気がガラリと変わる気配がした。緊張感を漂わせる者、敵意を露わにした者、傍観に徹する者と反応は三分されたように私には見えた。
「エル。俺はお前に、人間の上に立ってほしいと思っている」
「待て。この場だから言わせてもらうがよ」
自分のことなのに自分よりも遥かに怒っている奴がいると冷静に物事を見ることができるのだとこの時私は初めて知ったのである。
なんだか覚えのある低い声に恐る恐る視線を向けると、アスハイルがものすごい形相でダフディラートを睨みつけていた。わぁ……すごい怒ってる。
「それがどういうことだかわかっていて言ってんだよな、王太子殿下」
「ああ、もちろんだ。今この街の人々は失意の底にいる。あの日多くの者が体に、そして心にも癒えぬ傷を負った。元凶は消えたにも関わらず帝国や魔王を含めた今後への不安は増すばかりだ。ならば希望に縋りたいと思うのは自然なことだろう」
「それをどうして自分じゃなくてエルにやらせようってんだ。あんたの魔術があれば十分に可能だと俺は思うが?」
「確かに上辺だけならば可能だろうな」
しかしとここで初めてダフディラートが私たちから視線を逸らして肩を落とした。その姿に、これはおそらく客観的に自分を見た評価なのだろうなとなんとなく思う。
ダフディラートの使う魔術には人の不安を和らげる効果があるという。これはルトが言ったことだ。ならば騙し騙しでも人々を導くこと自体は可能だろう。
だがそれは上辺だけの話。戦いが終わり、見通せない未来に怯える人々が求めているのは力強い言葉をかけてくれる王じゃない。
「俺はここにいる誰よりも弱い。魔術の才には恵まれたが剣では弟のペールバルクにも及ばない。全て今までの俺が避けてきたことが原因なのだがな」
「確かに幼い頃からあらゆる分野で努力を惜しまなかった王子を俺たちは知っている。他の貴族連中はともかく騎士団のほとんどは第二王子派だ」
「耳の痛い話だな。だが、これでわかっただろう。今の俺には人々の上に立つ資格が無い」
第一王子ダフディラートと第二王子ペールバルク。魔術の才を何よりも重視している王族間では昔から前者を時期国王にと推す声が多い。本人の魔術の性質や騒動に対する采配からしても十分に王たる器はあると今回誰もが感じたはずだ。
しかし肝心のダフディラートはと言えば今まで王座には興味が無く、自由奔放な振る舞いが目立っていた。それを良く思っていなかったのが弟のペールバルクとその努力を側で見てきた騎士団だ。
例え今回の騒動でペールバルクの立場が危うくなっていたとしてもその評価は簡単に覆るものではない。サフもダフディラートを一定の評価はしているようだが、信頼を得るところまでは行っていないというのがこの場の印象だった。
「まぁ、この場で誰をって話になるのならボクもエル以外にはいないと思うな。既に単純な強さも存在感も人間の域からは脱しているし、何よりこの光景が物語っているだろう?」
そんなラグナの言葉で今度は全員の視線が一斉に私に向く。口一杯にパンを頬張ってもぐもぐしているだけの私の周りには多くの精霊やペガサスが、肩には我が物顔で居座る幻獣がいる。あの場所だけ聖域なんじゃないか、とコルクの呟きまで聞こえてきた。……まずいな、このまま黙って成り行きを見守っていたら勝手に話が進んでしまいそうだ。
とりあえず私は口の中のものをごくりと飲み込み、一旦スープにも口を付けてからこの話に加わることにした。
「その話を受けるってことは、それだけの責任を背負うってことだ。誰かの希望で居続けなきゃいけないのは正直苦行だと私は思う」
言いながらコルクに目を向けた。彼は既に勇者として祭り上げられている男だ。ここに集まったメンバーの中でもこの言葉の意味は一番わかっているはずで、口を引き結んで軽く俯いた様子を見るに実際に悩んだ経験もあるのだろう。アスハイルが懸念しているのもきっとこれだ。
その責任を背負ってまでダフディラートの話を受ける理由が私には無い。無い、のだけど。少しピリついた空気をあっけらかんとした声で変えたのはネルイルだ。
「でも、エルってば幻獣をパパなんて呼んじゃうからもう王都では噂が広まってちょっとした有名人なのよ? さっきだって白い塔からあんな現れ方をして。ここへ来るまでに拝んでいる人をたくさん見たんだから」
「えっ、なにそれ」
「自分で退路を絶っていることにそろそろ気付いた方がいいわ。こっちはせっかく心配してるのに」
「本当にな。既にお前に取り入ろうとしている貴族連中が山程いるんだ。これ以上面倒事を増やしてどうするんだか」
「えぇ……あー……うーん…………」
これだから私は抜けているところがあると言われてしまうんだよなぁ、なんて思っても今の話を聞いた後ではもう遅いことくらいはわかる。ネルイルとアスハイルには相当心配をかけてしまっていることも。
何かに縋りたい街の人間たちに、幻獣との繋がりを持つ存在に取り入りたい貴族連中。そしておそらく私が人間の上に立つことを望んでいるのはダフディラートだけではなくて、先程の様子を見る限りこれは王族や騎士団の相違なのだろう。本当に、面倒なことになったものだ。
「……正直、神様扱いされるのは初めてじゃないからまたかって感じだけど、今までのものはどれも私に利益があった。ただ崇められるってのは嫌だ」
腕を組んでどうしたものかと考えながら口を開けば出ていくのは子供の駄々のような言葉で、気付けば口元まで尖らせてムスッとした表情になっていたらしい。その様子に何人かの噴き出す音が聞こえてくる。
そんな中でダフディラートは両手を机に付き立ち上がったかと思えば期待のこもった視線を私に向けて弾んだ声を上げた。
「ならば、お前の利益になるようなものをこちらが用意しよう! なんでもは無理だが俺に出来る限りのことはする!」
「いや、王太子でしかないお前に何が出来るって言うんだ。そもそもなんでそんなに必死なんだよ。王座にだって興味がなかったくせに」
あらゆる教育を避けていたと自分でも言うくらいだ。元々国や民のために動くような男ではないはずなのだ。そんな奴がここに来て突然王太子としての自覚を持って動いている。私に人間の上に立ってほしいとまで言って人々の安寧を図ろうとしている。いったいなんなんだ。何がこいつをここまで変えた?
理解ができずに眉間に皺が寄る。そんな私の反応にダフディラートはコホンと咳払いをひとつして元の冷静さを取り戻していた。そうして顔を上げこの場にいる全員をぐるりと見渡して、落ち着いたよく通る声で告げる。
「俺は必ずこの国の王になる。今はまだその器ではないのだろうが、それはこれからの働きで埋めていこう。いつの日か皆の信頼を得られるように」
「……確かに、国王のお前となら取引きは出来るかもしれないけどさ」
「ああ、頼む。今すぐにとはいかないのが申し訳ないが、そのつもりで話を受けてはくれないか」
要は出世払いというやつだ。人に大役を任せようとしているくせに良い度胸である。
それでも王になると断言したダフディラートの目はどこまでも真っ直ぐで、私には未来を見通せる魔術もないというのに本当にそうなるような気がしてくるから不思議だった。
もしも。もしも、だ。この男が本当に王になるのなら、その時に対等に取引きができる立場を確立しておけるというのは良い。今私が話を受けることが互いの未来への投資にもなる。それどころか今から恩を売っておけば何か困った時に使える手段が増えるはず。そう考えれば私にとっても悪い話ではなさそうだ。
「案外良いかもな……」
なんて思ってしまった時点で答えは決まったようなものなのだが。
一先ずダフディラートには前向きに考えておくとだけ告げて、何か言いたげなアスハイルには後で個別に話を聞こうと決めてこの話を終わらせた。
「よかった。これで堂々と言える」
「……ん?」
安堵のため息を吐いたダフディラートの表情が少し緩んだのはその直後。胸の辺りに片手を添えて柔らかく微笑んだその男は、王太子というよりもただの青年に見えた。
「エル。俺はお前の仲間であるシンディをいずれは妃に迎えたいと思っている。だがそれは政略結婚をしたいというわけではない。俺が勝手に公表してしまったが実際は結婚の返事も保留にされているしな」
「えっと……?」
「わ、わーっダフディラート様! そのお話は決着が付いたではありませんか……!」
「ああ。だからこそ、エルやここにいる者には話しておきたいのだ」
わたわたと手を動かしながら慌て出したシンディを置き去りにしてダフディラートは話を続ける。そしてこれこそが自由奔放な王太子の意識がガラリと変わったきっかけだったのだと私は気付いてしまった。
「俺はシンディに惚れている。これからは彼女にもそう想ってもらえるよう努力するつもりだ。だからそれが叶い俺が王になったら、結婚を許してほしい!」
いや待て。なんで私がシンディの親のような立場になっているんだ。確かに彼女は私の仲間だけれども。勝手に引き抜かれるのは困るけれども。まさかこの歳でこんな挨拶をされることになるだなんて。
そんなことを思いながらふと隣を見れば、慌てた様子のシンディが私とダフディラートに交互に目を向けている。この状況に戸惑ってはいるようだがそこに不快感は見られない。ならば私がこれ以上口を出す話でもないことくらいはわかる。
脳裏であの女が「恋は良いものよ」と美しく笑っている気がしたけれど、その残像は必死に振り払った。
「あー、うん、えっと……その、シンディが嫌がっていないのなら自由にしたらいいと思うけど……まぁ、頑張って」
「ああ、感謝する!」
「ひ、ひえぇ……」
と、そんな締まりのない話を最後にこの円卓の会議は一先ず終了したのである。




