二百二十一
私たちがこの白い空間に引きこもってからどれだけ時間が経ったのだろう。と、仰向けに寝転がった私は腹の上にいるシロの背中をひたすら撫でながら考えてみる。壁に窓は見当たらず外の様子が一切見えないせいで時間も天気すらもわからない。
見たところ魔力で作られた塔というのはわかるのだが、そもそもなぜこんなものが建っているのか。王都には無かったと思うのだけど。そんな私の疑問に答えてくれたのは塔の内部の広い空間を飛び回っている精霊たちだ。
「聖樹の跡にみんなで作ったのー!」
「この中に居れば回復も早いよー!」
「誰も入って来られないんだよー!」
聞く限りこの白い塔はどうやら精霊たちの魔力で作られた結界のようなものであるらしい。
初めて会った時に聖樹の内部に強制的に引き込まれたことや再生の魔法を使えたこと、更には離れた精霊同士の意思の疎通が可能であることと言い、精霊にはまだ私の知らない力が幾つもありそうだ。それはこれから知っていこう。
「これを作ってからどれだけの時間が経ったんだ?」
「うーんとね、ほんのちょっとかな!」
「いや、例えば太陽が何回昇ったかとか」
「太陽は……いっぱい?」
「……うん、お前たちに聞いた私が悪かった」
長くても百年程しか生きられない人間とは違って精霊は時間に縛られず魔力がある限り存在し続けるものだという。そんな奴らに時間を聞いてもまともな答えが返ってくるわけがなかったな。シロも何も言ってこないということは精霊と似たような感覚を持っているのだろう。ならばと私は早々に諦めて寝ていた体を起こした。
その際になんだか頭が重いことに気付いて何気なく振り向いてみると、長く伸びた桃色の髪が周囲の床を埋め尽くしている。この光景もなんだか久しぶりな気がして逆に少し安心した。
そうして改めて見渡した空間はやはり何処もかしこも白い。床は少しふかふかとしていて長く寝ていても体に痛みがないのはこのおかげかと納得する。
「この塔は消せるのか?外には出られる?」
「できるよ!」
「それじゃあ、頼めるか。外の様子がわからないからできるだけゆっくりな」
「わかった!」
元気よく返事をした精霊たちが一斉に塔の内部を上がっていく。それを見ながら立ち上がると、小鳥くらいの大きさまで縮んだシロがパタパタと羽ばたいて肩に乗った。この感じも久しぶりで少しくすぐったい。思わず口元が緩んでしまう。
精霊たちは天井まで辿り着くとそれぞれが小さな手で一度だけそこに触れては離れている。精霊が触れた箇所はほわんと柔らかく光り出し、その光景はまるで雨粒が水面に波紋を作るかのよう。それをしばらく眺めていれば次第に天井は中央からゆっくり崩れて開き始めるのだ。欠片が落ちてくることは無く、風に乗って散っていく様子はなんだか花弁が舞うようでとても綺麗だと思った。
「空が、青い……」
私が最後に見た空は黒かった。魔力の雨まで降っていた。だから崩れ始めた天井の隙間から差し込んできた光も、その向こうに見える空の青も妙に懐かしく感じてしまう。
あの時の黒い空や雨はどちらもシロの魔法によるものだ。それは世界の色を変えてしまう程の力がシロにはあったということで、それだけ凄い魔物であるのだと私たちは思い知らされた。
けれど、正直あんな禍々しい魔法はもう二度と使ってほしくない。これは私のわがままかもしれないがシロにはやっぱり今日みたいな青い空に白い雲がよく似合うと思うから。きっとあいつがここに居たとしてもそう言うんじゃないだろうか。
「夢でエラの記憶を見たよ」
「あれは騒がしい男だっただろう」
「うん。でも、不思議で、凄い人だった」
エラの魔法は聖樹と共に魔力として私の持つ異空間に収納された。もうあの時のように私の前に現れることは無いだろう。けれど魔力を受け取った影響で私はあの男の記憶を夢として見ることになったのである。
時渡りのエラ。あいつを最初にそう呼んだのはロキル・アンティだった。黒髪に紫色の瞳を持ったどことなくトロップに似た男。研究が好きで魔物を魔力としか見ていないような今で言えば倫理観に欠けた男だ。
そんなロキルの前にエラが現れたのは彼がまだ幼い頃だった。その頃から馬が合わずに顔を合わせれば喧嘩ばかりをしていたらしい。当時のエラは自分が持つ力を制御することができず、気付けば周りの時間だけが高速で過ぎていく感覚の中にいた。そのせいでかなり荒んだ性格をしていたみたいだから二人の衝突はそれが原因なんじゃないかと私は思う。
エラはともかく、姿の変わらない人間が度々自分の前に現れる光景をロキルがどんな思いで見ていたのかは私にはわからないけれど。
そんなロキルは瞬く間に優秀な研究者に成長していった。そして本人ですら理解していなかったエラの力の正体を突き止めて見せた。一部の強力な魔物が持つ、性質を表す魔法陣。それをエラは人間でありながら生まれつき持っていたのである。
知識の精霊ラグーンを含めた数人の協力を得たロキルはエラの持つ魔法陣を分解することに成功する。勝手に発動しないように魔法陣を物理的に崩したのだ。今では考えられないほど高い技術力である。その分解されたものこそが後に魔術と呼ばれるようになる人間の力。そしてエラとロキル、手を貸したラグーンと他二人。彼らがこの世界に伝わる最初の魔術師たち。
「エラとロキルは意外と相性が良かったのかもね。お互いに嫌っていたのは本当かもしれないけど」
そうじゃなければロキルはエラの苦悩を解決してやることなんてなかっただろうし、エラも研究中の事故で若くして死んだロキルの名を語り継いでやることもなかったはずだ。
現代に語り継がれるロキルの偉業の半分はエラのものであると私は夢の中で知ったのである。
「あいつ、私に自分の魔法が使えるようになるって言ったくせに肝心の時渡りは既に魔法陣が分解されていて残っていないんだ。それは少し残念」
とはいえ制御できないものを受け取っても困っていただろうけども。興味を持つくらいは自由にさせてほしい。
「でも、知識は受け取った。これを使いこなせるかどうかは今後の私の頑張り次第かな」
魔物と違って人間は魔術を使うのにもいろいろと手順を踏む必要がある。知識を得て、理解し、それを自分の魔力に合った形で術式化する。私が図書館の地下書庫でやったように。私はあの作業を苦にも思わないたちなので問題はないだろう。
そんなことを考えている間にも塔の天井は全て崩れ、次は壁がゆっくりと削れていくのが見えた。風の音が聞こえ始め、入り込んでくる冷気も感じて私たちがいるのはそれなりに高い位置なのではないかと当たりを付ける。
「下に人間どもが集まってきているな」
「え、もしかして塔が崩れ始めたから? 警戒されたのかな」
流石にいきなり攻撃してくるようなことはないとは思うけれど。もう少し慎重になるべきだっただろうかと考えながらも足場にしていた柔らかい床が崩れて無くなっていくのを見て、私はエラの名を小さく呟いてから魔力で翼を作って体を浮かせた。
そういえば髪も長いままだ。風を受けて無駄に広がった長い長い髪を鬱陶しく思っていたら、戻ってきた精霊たちがそれを捕まえて毛先を持ってくれた。有り難い。これで幾分かは楽でいい。
まぁ、人間が何故集まっているのかはわからないがもしこのまま戦闘になるとしても、たっぷりと寝て体力も魔力も万全の今の私なら問題は無いはずだ。そう思い直して崩れる塔の中を降りる私は、まさか聖樹の祭壇の前で王族や騎士団の連中が揃って膝をついていることなど知りもしなかったのである。
白い塔がはらはらと崩れていく中、長い髪を精霊に持たせた翼のある少女が幻獣を伴ってゆっくりと舞い降りてきたら。それはもう神聖なものであると思われても仕方がないんじゃないかな、とは後でルトに言われたことである。




