二百二十
大きな魔力を感じてふと意識が浮上した。
白い床に白い壁、見上げた天井も白い。私はどういうわけかそんな場所に寝転んでいるらしい。危険は感じないので起き上がらずにゆっくり視線だけを動かすと、寝起きでぼやっとする視界の中には小さな光の塊のようなものが幾つも漂っていて、よく見ればそれはひとつひとつが見知った聖樹の精霊たちだ。
「……なにかあったのか?」
なんだか凄く嫌な感じのする大きな魔力が近くに出現した気がするのだけど。私がそう言えば、精霊たちの中からふよふよと近寄ってきたテテとトトが外の状況を教えてくれた。
「魔王が街にやって来たみたいだよ!」
「魔王が魔力を取り返しに来たみたいだよ!」
「ゼグが……」
そうか、この嫌な感じの魔力は現魔王ゼグのものだったか。確かに、言われてみればクランデアの街で対峙した時に感じたものと同じである。しかし今はあの時と違って敵意も殺意も感じない。魔力を取り返しにという精霊の言葉の通り、本当にそれだけのために来たとでも言うのだろうか。
周囲に向けていた視線を手元に落とすと未だに黒くごわごわとした塊が腕の中で規則正しく上下している。侵食した黒い魔力はまだ消えてはいないようだが、触れている間に痛みも感じなくなってきているので確実にその力が弱まっていることだけはわかった。私はそれを手のひらで撫でながら大きなあくびをひとつ。
「ゼグが来たってことは……あの女は、もう……」
首を落とされたのか。やったのは従者だろう。これでトロップとダフディラートの企みは見事完遂されてしまったわけだ。
あの王太子の方は知らないが、トロップに関しては企みが完遂されたその先で更に何か良からぬことを企んでいるんじゃないかと思っていたが……そうか、こういうことだったか。概ね予想通りだな。
「神様、もう少し寝る?」
「神様、魔王はいいの?」
「うん。少なくともあいつは今回戦いに来たってわけじゃないんだろ。だったら構ってやる必要もない。シロもまだ元に戻らないし、私ももう少し寝るよ」
ラトリッチの家と二百年前の魔王との間に何があったのかを私は知らない。わかっているのは当時トロップと同じ予言の魔術を扱えた者がいて、そいつは勇者と聖女を利用し魔王を討伐させたことくらいである。
それ以降ラトリッチの家の者が魔王の魔力を受け継いでいた事実には何か大きな秘密が隠されているのだとは思う。それもトロップの代で終わったのだとすれば——トロップがこれを知っていたのだとすれば、あの女は最後の最後にとんでもない爆弾を落としていったわけだ。これはもう見事という他ない。
そもそも魔王の魔力を受け継いでいた奴が首を落とされた程度で死ぬのだろうか。その辺りの疑問は残るが、今はそれを知る術もない。
「あ、魔王は帰っていったみたいだね」
「うん、人間たちは酷く混乱しているね」
あのゼグのことだ。手は出さないまでも人間相手に何かしらやらかして行ったのだと思う。その辺は後でルトやシンディに聞くとして、私はまた黒い塊をぎゅうっと抱え直して襲いくる眠気に逆らわず再び眠りについたのだった。
そして次に目が覚めた時、視界に入ったのはやはり白い床に白い壁、それから白い天井とたくさんの精霊たち。眠りに付く前とほとんど変わらない景色に時間の経過がわからず少し戸惑っていると、腕の中にもぞりと動く柔らかい感覚があった。目を向ければそこにあるのは白いふかふかの羽毛。思わず顔を埋めても、黒い時に伝わってきていた不快感は特にない。
「おはよう。改めて、おかえり」
「…………ああ」
「なんか、しおらしいね。どうしたの?」
「いや……手間をかけさせたなと」
「そりゃあね。でも結局シロには誰も敵わなかったし、最後には自分でどうにかしちゃったんだから気にすることないんじゃない?」
トロップの黒い魔力は魔物を意のままに操れた。けれどシロは完全にはそうならずに自力で押さえ込んでしまったのだ。こうして元の白い状態に戻ったということはその魔力の持ち主が完全に消えた証だろう。
思うところが無いわけではないけれど、私はシロがこうして無事に戻ってきてくれただけで十分だ。久しぶりに感じるこのふかふか具合が堪能できて私も嬉しい。わしゃわしゃとかき混ぜる手が一向に止まらないくらいに。
「お前は少し見ない間に随分と可笑しな状態になったものだな。まさか聖樹を取り込んでしまうとは」
「わかるの?」
「あれは俺の一部と言ってもいい。その在処は何処にいてもわかる」
「……へぇ」
それはつまり私は幻獣の一部を取り込んだ状態ということか。ならば、直接体内にではなく魔法陣を介した異空間にではあるが、シロと同じ性質を持っている状態であることに違いはない。契約自体は消えて無くなってしまったけれど私が前と変わらずシロの魔法が使えたのもそのせいか。
それどころか、もしかしたら聖樹が持っていた機能すら私は引き継いでいるのではないかとふと思う。
幻獣の転生のために魔力を集め、幻獣の転生を行う二つで一つの生命機関。それ自体が魔力の塊であり、朽ちることなく遥か昔から存在し続ける聖樹。……あれ?
「今の私って成長しないどころか、寿命みたいなのも無いんじゃ……」
「気付いたか」
ああ、どうしよう。ついに人間らしい部分を見つける方が難しくなったぞ。いや、今までもほとんど無かったけれども。
「そ、そうだ。呪いは?シロの呪いはどうなった?」
シロが前回の転生後に人間にかけられたという飢えの呪い。王国一つを滅ぼすきっかけとなったその呪いは死ぬまで消えないものだったはずだ。あの時、シロが神殿の地下都市で一度終わる決断をしたのは、それを消すためなんじゃないかと私は思っていたところがある。一度消えて転生した今、呪いがどうなったのかが気になるのは当然だろう。
私の魔力に食料として目をつけたシロとの契約は、その呪いがあってこそのものだった。だから少し複雑な思いはあるのだけど、シロが苦しまずに済むのなら消えた方が良いに決まってる。
少しそわそわしながら口にした私の言葉に、シロはようやく腕の中からひょこりと顔を上げてこちらを見上げた。
「呪いは消えた。人間の魔力を食う必要はもう無い。……が、お前が望むのならこれからも共に居たいと思う」
「……! うん、うんっ……!!」
思わず力任せに抱きしめてしまったのは仕方がなかったと思う。これくらいで幻獣がどうにかなることもないだろうし許してほしい。それだけ嬉しかったんだ。
一緒に居たいと思うのが私だけじゃないことも、シロがちゃんと言葉にしてくれたことも、最初の契約自体は無くなってしまったけれどそれでも関係が途切れなかったことも。全部、全部。
「テテもー!」
「トトもー!」
そう言って飛び付いてきたテテやトトを始めとした精霊たちも含めて。なんだか急に大家族になったみたいで、この時の私は湧き上がってくる喜びをただひたすらに噛み締めていた。




