二百十九
引き続きトロップ視点のお話です。
本当に時間が許す限りわたくしの話を聞いていたシンディは時間が進む度に下を向くようになり、最後には口数まで少なくなっていた。それも仕方のないことと思いながら気付かないふりを続けていれば、牢の戸が開けられる音が耳に入ってくる。側まで来た兵士はわたくしたちを見下ろして、ただ一言。
「時間です」
楽しかった時間はこれで終わり。そして彼女に語って聞かせた通り、わたくしの人生もここで終わる。
「シンディ。わたくしの話、絶対に忘れないでね」
言いながらゆっくりと立ち上がれば手足の枷に繋がる鎖がじゃらじゃらと音を立てた。彼女は口を引き結んで今にも泣きそうな顔をしていたけれど、少しすればそれも覚悟の決まったものに変わる。
単純でお人よしなくせに心が強い子。どうせなら彼女の芸を最後に見せてもらえばよかったかしら。そんなことをふと思う。
「トロップ様。忘れません、絶対に」
「ありがとう。——ああ、そうだ。せっかくだから最後に伝言をお願いしようかしら」
「伝言、ですか?」
「ええ。あの子が起きたら伝えておいて」
どうやら間に合いそうもないから。きっとあの子——エルの目が覚める頃には何もかも終わっているのだろう。その時まで何も知らずにいられるなんて、それはそれでとても幸運なことだわ。
そうして告げた言葉にシンディは少し戸惑っているようだった。でもこれでエルにもわたくしの言葉がちゃんと伝わってくれるはず。ならば、やり残したことはもう何もない。
◇
兵士に連れられて牢を出ると、この日はとても天気が良かった。ぽかぽかと温かい日差しに澄んだ青い空。絵に描いたような雲が浮かぶそこには遠くに黒い鳥が一羽飛んでいるのが見える。目を閉じて大きく深呼吸。人が多く集まっているせいであまり良い匂いはしない。香油の香りが恋しくなった。
王城を囲む城壁の前には今日のために組まれた邢台と柵がある。そこへと真っ直ぐに進みながら数日前の謁見の間で告げられたことをぼんやりと思い出していた。
国王と王子様方が全員揃ったその場で読み上げられたのはわたくしがこれまでに働いてきた悪事だ。
工房から資材を持ち出したことから、お母様の事件のこと、勝手な神殿との取引きや人を人とも思わぬ所業の数々。それからなんと言っても一番は今回の騒動だ。特に幻獣による被害は壊滅的なものが有り、加えて黒い魔力を纏った生物が複数捕獲されている。あれはわたくしが存在する限り元に戻ることはない。
よくこれだけの数を調べ上げたものだ。調査したのは騎士団の方々でしょうから思わず賞賛を贈りたくなる。
人命や建物を失った人々の怒りや悲しみは収まるどころか増す一方で、国は責任の所在を明確にする必要があった。そのためわたくしに課された罰は予想通りのもので、特に驚きはなかったのである。
そんなことよりもラトリッチ公爵——お父様はわたくしと同様に捕えられているというから少し気分が良かった。罪人の家族として公爵の爵位は剥奪され、ラトリッチの家も解体される。工房は王族の管理下に置かれ、今後は国王の命で今まで通り運営されていくのだそう。ラトリッチ家はともかく、事業自体は国に必要不可欠なものであるから潰してしまうことはできなかったのね。
使用人は当然皆解雇。ラトリッチ家に仕えていたとなると他所での再雇用も難しいだろう。王都を出れば経歴を隠して働くことも可能でしょうけれど、日常的に魔物の脅威に晒されてこなかった人間が外で暮らせるのかは疑問である。
鼓膜を刺すような罵声を聞き流しながら進んでいくと、邢台の上には大きな斧がひとつと二人の男性が立っているのが目に入った。
一人はもう何日も寝ていないような酷い顔で佇むペールバルク様。その横には相変わらず無表情のウィン。後者は首に枷が嵌められている。彼もわたくしの従者として罪を問われるべき人物であり、本来ならばこの場所にいるはずのない存在なのだけど。どうやら彼の方は上手くいったらしい。それには思わず安堵して口元が緩むのを感じていた。
あのダフディラート様のことだもの。例え罪人だろうとウィンの申し出を受け入れてくれるとわたくしは確信していたわ。いいえ、予言を告げてからはほぼ確実に決まっていたことね。
——従者の手で主の首を落とさせる。
見せしめとしてもこれ以上のものはなく、わたくしとウィンにとっても最も重い罰だわ。きっとこの決定を下したダフディラート様は今も王城のどこかからこちらを見下ろしているはずだ。
この場にいるペールバルク様は見届け人と言ったところか。今回の騒動は元はと言えば彼の研究から始まったものだから。全ての罪をわたくしに押し付け、自分は口を閉ざすことで罪を隠されたペールバルク様には一番堪える立場かもしれない。もちろんダフディラート様の指示だろう。
お互いに恋心は無かったとはいえ長く婚約者として側に居たのだもの。真面目な彼が責任を感じていないはずがない。わたくしが自分を利用していたことにももう気が付いているでしょうに。まったく、酷い顔ね。共犯者一人切り捨てられないような優しい人なんだから、最初から王様になんてなれるわけがなかったのよ。
邢台の上で膝を付く。顔を上げれば柵の向こうに罵声を発する人々の顔がはっきりと見えた。
あなたたちが怒るのも、悲しむのも、わたくしを恨むのも当然だと思う。けれどね、わたくしはあなたたちにどれだけ罵声を浴びせられたとしても何も感じないの。だって興味が無いのだもの。あなたたちはわたくしの作品ではないのだから。
学舎で平民相手に言った言葉は嘘じゃない。魔力を持たなくても魔術くらい使えるわ。わたくしに全てを差し出して、わたくしの道具の実験体になってくれたらいくらでも、ね。そこまで進められなかったことが心残りと言えばそうかもしれないわ。
斧を持って側に立った執行人は口を開かなかった。言葉を交わすことを許されていないのだと思う。周囲にはペールバルク様だけでなく、騎士団の方々に王城の兵士も数多く目を光らせているから決められたこと以上のことを今のわたくしたちにはできそうにない。
でも、こうなることはずっと前から二人とも知っていたのだから問題はない。わたくしたちは予言をなぞって生きたに過ぎない。今更交わす言葉もないと潔く頭を下げようとして、ふと脳裏に過ぎる言葉があった。
——トロップ。お前は、ウィンの顔をちゃんと見るべきだ。
ピタリと動作が止まる。なんでもないことと聞き流していたはずの言葉が今になって妙に胸を騒つかせる。
今更何を。これはわたくしたちの間で最初から決まっていたことよ。ウィンもそれを了承してくれて、そうして側に来たの。
——だからこそ、ちゃんと見るべきだ。
見てきたわ。ウィンのことは誰よりもわたくしが知っている。口下手で無愛想で、けれどとてもわかりやすい。いつだってわたくしだけを目で追ってくれる人。
気を引くために何かを仕出かさなくても、難しいことを考えなくても、国の全ても敵に回さなくても、わたくしの側でわたくしに従ってわたくしだけを見てくれる。
——……見るべきだよ。
そんな彼の気持ちと同じものをわたくしには返せなかったから。
だからその代わりにあげるの。信頼と、首を。
「ウィン……?」
ああ、エル。
貴女は最後にわたくしに言葉という呪いをかけたのね。
「……泣かせてしまって、ごめんなさい」
無意識に上げた視線の先で彼は大粒の涙を流していた。
「至らない主人で、ごめんなさい」
この場でただ一人、泣いていた。
「何も返してあげられなくて、ごめんなさい」
わたくしが差し出したものはどうやら間違いだったみたい。
「愛してあげられなくて、ごめんなさい」
だからせめて。
「……ありがとう」
最後の言葉だけは、貴方のためだけに。
「泣いてくれて、ありがとう」
自然と浮かんだ笑みを向けると、ウィンは震える口を引き結んだまま小さく頷いてくれた。
それが、目を閉じる前のわたくしが見た、最後の景色。
窮地から助け出してくれる王子様がいるわけもない。この場に集まった人々がいずれ神様と仰ぐであろう少女もいない。ここにいるのは力も無いのに騒ぐ民衆と、愚かな主従と、何も知らずに正しいことを成そうとしている馬鹿な人たち。
頭を垂れて首を差し出せば刑は滞り無く。
これが、トロップ・ラトリッチの呆気ない終わり。
——そう、終わったの。
叩きつけられた斧、舞う鮮血、転がる首。罵声が歓声に変わる中、突如降り立った黒い鳥が人の形を成しニィッと笑う姿に人々はいったい何を思ったのでしょう、ね。




