二百十七
トロップの過去、前編です。
ラトリッチ公爵の一人娘として生まれたわたくしは物心着くまでの約四年間、公爵家のお屋敷で大切に大切に育てられた。お母様ともお父様とも違う黒髪に紫の瞳。それはラトリッチ家に伝わる先祖ロキル・アンティと同じ色で、この子はきっと我が家に繁栄をもたらす存在になるに違いないと両親は共に泣いて喜んでいたという。
そんな子供は生まれつき黒い魔力を持っていたらしく、赤子らしく泣き喚くと勝手に発動する力で幾つの部屋をめちゃくちゃにしたかはわからないとお母様が言っていた。お父様はこれを特別な力だと喜び、周囲の者に口止めをした。今思えばあの人はこれがかつての魔王が使っていた古代魔術だとこの頃から知っていたのだと思う。
子供が言葉を覚え始めると、不思議な現象が目撃されるようになる。それは何気なく口にした言葉が次々と現実に起こるというものだ。
最初は些細なことだったという。食器が落ちること、特定の木に鳥が止まること、来客の服装、明日の天気、などなど。それらが日に一つだけ必ず当たる。そのことを知ったお父様はまた大層喜んだらしい。
そしてこれは四歳の誕生日を迎える少し前のこと。わたくしは自分の物心がついた瞬間をはっきりと覚えている。
ラトリッチの工房の隅でお父様と知らない子供がわたくしに背を向けて立っていた。二人が見ているのは台に置かれたたくさんのランプ。魔力で明かりを灯す道具の試作品の数々だった。
その全てに、ポッと。明かりが灯った、瞬間。
「きれい……」
「——誰だッ!」
思わず出てしまった言葉を耳にして勢いよく振り返ったのは、当時六歳とまだ幼いながらも頭角を現し始めていた第二王子のペールバルク様だった。
「トロップ!着いてきてしまったのか!」
「あ……おとうさま、ごめんなさい……」
「いや、気付かなかった私が悪いな。ペールバルク様、改めて紹介します。娘のトロップです」
好奇心旺盛なただの子供。お父様の後を追いかけて工房に迷い込んでしまっただけの子供に王子様が興味を引かれるわけもない。この時は事務的な挨拶だけを寄越したペールバルク様はきっと本当にわたくしには興味がなかったのだと思う。それを変えたのは。
「おめでとう、ございます」
「……それは何の賞賛だ?」
「あなたのせいこうを、いわって。おめでとうございます」
「おい、公爵。この娘は何を言っている?」
「も、申し訳ありません。度々不思議なことを言う子でして……」
「……まぁいい。ランプの方は引き続きそちらで試作を重ねてくれ。俺は城に戻る」
そう言って子供には目もくれず去っていった第二王子様は、二日後にはムスッとした顔でわたくしを真っ直ぐに見据えていた。公爵邸に護衛の騎士を引き連れて突然やってきたペールバルク様が向かい合って座ったテーブルの向こうで腕を組んで座っていたの。
屋敷の主であるお父様を追い出した部屋の中、ペールバルク様と護衛の騎士にじっと見つめられてわたくしはわけもわからず、とりあえずテーブルに置かれた紅茶と焼き菓子に手を伸ばしていた。
「貴方の成功を祝って、おめでとう御座います。……これが何だかわかるか。お前が二日前に私に言った言葉だ」
「たくさんおいわい、されましたでしょう?」
「された。聞き飽きるほどにな。くそ、ベイル、これはいったいどういうことだ。昨日のことだぞ。知っていた——いや、言い当てた、のか?未来を予言できるとでも言うつもりか。この子供が?」
「私の方でも少し調べてみましたが確かにラトリッチの家系には稀に予言の魔術を使う者がいます。公爵はトロップ嬢にその力が引き継がれていることを公にはしていないのでしょう」
「なぜ隠す必要がある。有用な力を持って生まれたのならその力は適切な場所で使われるべきだ」
「これは推測ですが、より高貴な方の元へ嫁がせるためなのでは。公爵令嬢であるトロップ嬢は身分も申し分ない。魔術においても価値があると判断されれば、ダフディラート様の婚約者にと推す声も出るやもしれません」
「兄上の、だと……」
難しいお話に、怖い顔。わたくしには関係ないと思っていたら突然目の前に小さな手が差し出されて驚いた。
「私の婚約者になれ。お前の力を貸してほしい」
兄上を越える。自分こそが時期国王に相応しい。そのためならば何でもやるのだと。六歳の王子が四歳の子供に真剣に言っているのだから実に可笑しな光景だったことだろう。
幼かったわたくしはその差し出された手にちょこんと焼き菓子を乗せて「おもしろそうね」と笑ったのだ。
それからわたくしはペールバルク様の婚約者となった。正式な公表はペールバルク様が十二歳を迎える日と決められ、お父様も王族との繋がりができるとしばらくは機嫌が良かったから。娘が望めば工房の見学くらいは自由にさせてくれていた。
それがまさかここまでのめり込むとは誰も思っていなかったのよ。
わたくしとしては物心ついた瞬間に見たランプの明かりが忘れられなくて純粋に手を伸ばしていただけ。それがいつしか夢に変わり、認めてもらいたいという承認欲求を抱くようになっていった。
けれど、才能があっただけにお父様は焦ったのでしょうね。わたくしの考えた図案を盗み、あまつさえ機械弄りを「ドレスを汚すような遊び」と言ったわ。そんなことをしていないでペールバルク様の婚約者として相応しくあれと。
黒い道具を作り始めたのはこの後からね。わたくしは七歳だった。
お父様だって図案を盗んだのだからこちらも魔吸鉱物とその加工技術を盗んだって構わないでしょう?
それにこの鉱物はわたくしの持つ二つの魔力ととても相性が良いみたい。それが何故なのかは知らなかったけれど、正直理屈なんてどうだってよかった。わたくしにとっては結果こそが全てなのだから。
貴重な魔吸鉱物を工房からこっそりと持ち出すのが難しくなってきた頃、わたくしは予言の魔術を使いこなせるようになっていた。というのも、ペールバルク様の元で魔術について学んだからである。
幼いながらに勤勉で知識が豊富な彼は、ご自分の研究の合間にわたくしの勉強を見てくださるようになっていた。おかげで勉学はもちろん魔術や社交界の作法まで満遍なく身につけたわたくしは順調に第二王子の婚約者として成長を遂げていくこととなる。
「……エル?誰だそれは」
その名前はある時から予言に度々登場するようになった。
多くの制約はあるけれどそれでも自由に魔術を扱えるようになり、わたくしは八歳を迎える頃には数年後の未来のことも予言できるようになっていた。そのせいで自分も知らないことが度々口から出るから不思議な気分になるのだけど。当然それが誰かと聞かれてもわたくしにわかるわけがない。正直に「わりかりません」と言えば返ってくるのは溜め息だ。
「仕方ない。ベイル、エルという名の人物を探しておいてくれ。くれぐれも相手には気取られないようにな」
「承知しました。……しかし、そんな大層な名を持つ人物が本当にいるのでしょうか。それはあらゆる神話の中で神の意味を持つ言葉ですよ?」
「あら。神様がペールバルク様の野望の手助けをしてくださるだなんて素敵じゃないの」
聖樹の結界を作り変える。そんな大層な目標を掲げるペールバルク様は、その研究を世に出す絶好の機会を常に伺っていた。そのために王族に伝わる聖樹にまつわる伝承を調べていたことも知っている。わたくしも何度も聞いたから。
王族の紋章にもなっているように聖樹とは切っても切り離せない存在である幻獣フェニックスはもう何百年も目撃情報がなく、ならばいずれ幻獣の転生を行う者が現れるはずだと。その情報を得た上で告げた予言に神様を意味する名。何か大きなことが起こるのではないかと、そんな予感があったのは確かだった。
その年の中頃。
第一王子ダフディラート様の十二歳の誕生日。
本来ならば学院に通うことができる年齢に祝いのパーティーが大々的に催されたのは、学院への入学を拒否した王太子の実質的なお披露目の場を設けるためだった。自由奔放なあの方を嫌っているペールバルク様はとても嫌がっていたけれど、五歳になったばかりの第三王子様もご出席なさる場に第二王子様が行かないわけにもいかず、彼は嫌々ながらもいつも通り完璧に王子様を演じていた。
わたくしはお父様やお母様と共に招待を受けていたから彼とは別に会場に入り、そしてそこでとあるご婦人を目にすることになる。
その方は桃色の髪と金色の瞳がとても美しい女性だった。派手な装飾品は身につけておらず、けれど纏う空気は誰よりも華やかで、ざわざわと騒がしい喧騒の中にいるよりも陰でひっそりと会場の様子を眺めているような方だった。
「……ねぇ、あの方、クラヴィア様ではなくて?」
お父様にこっそりと告げたお母様の視線の先。そこにいたのが彼女——クラヴィア・シファン、その人だ。
お母様は彼女に対してあまり良い印象を持っていないようでわたくしが尋ねると、男爵家から辺境伯家へ嫁いだ方だと教えてくれた。なんでも希少な魔術を扱えるらしく、学院での成績も優秀で卒業後は教会へ入るのだろうと噂されている中での突然のご婚約だったのだと。
いくら優秀な方だとしても身分が全てなのがわたくしたちのいる貴族社会。一部の貴族からはかなり後ろ指を刺されていたそうだ。今までこんな大勢が集まる場に出てくることなんかなかったのに、とそれがお母様の驚きの原因だった。
「関わらない方がいいわ。向こうへ行きましょう」
そうして両親の挨拶回りに付き合っている間もわたくしはクラヴィア様を時折目で追ってしまっていた。だって本当に美しい方だったから。ふんわりと柔らかそうな桃色の髪や金の瞳はもちろんだけど、髪を耳にかける仕草とか、グラスを煽った時の指先だとか。きっとこの時のわたくしが抱いた感情は憧れだったのだと思う。
そうしているうちにずっと一人だった彼女に話しかける女性が現れた。どうやら場所を移すようで、わたくしは話に夢中になっている両親を置いて一人でそれを追いかけた。そしてそこで知ることになる。
クラヴィア様の魔術のこと。ご実家の事情と、ご先祖様であるエラのこと。話の相手はこのパーティーの招待客の中にいたご令嬢で、彼女の実のお姉様だったらしい。
貴女の力が必要だと何度も言われながらも最後まで首を縦には降らなかったクラヴィア様の強情さに、わたくしが感じたのは憎悪だ。
求められる力を持っていながら使わないのは傲慢だ。いらないのならわたくしにくださればいいのに。柱の陰に座って握りしめた黒いドレスがくしゃくしゃになっていた。
その日からしばらくはぼんやりとしている時間が多かったと思う。
原因はあのパーティーで目にした桃色の髪のご婦人だ。芯が強く、流されず、凛としたあの女性と今の自分を比べてしまったせいだった。
お父様はわたくしを今も尚夢から遠ざけようとしてくる。王族との繋がりを途絶えさせないために。表面上では良い親子関係を築いていると見せかけるよう、お互いにいつもニコニコしているけれど、それもそろそろ限界に近い。
ペールバルク様の元で勉強に励めば励むほど思い知らされる。わたくしはこの王子様に知識では永遠に敵わないのだと。彼が見出してくれた予言の魔術が無ければきっと同じ場所にすら立てていない。それだって彼を引き立てるためだけの道具に過ぎなくて。
——可笑しいわ。
当たり前のように用意された婚約者としての人生。いらないものだと捨て置かれる夢。彼が時期国王になるためだけに使われるわたくしの魔術。
人の話を聞いて大人しく従って黙っていればいつの間にか都合よく流されていることばかり。
——可笑しいわね。
わたくしが何をやっても賞賛はお父様やペールバルク様が受けるの。
——可笑しいじゃない。
そんな不安定な精神状態に周りが気付くことはなく、翌年、ラトリッチのお屋敷でちょっとした事件が起こることになる。
そう。あれは、ちょっとした事件、だわ。




