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放浪のエル  作者: ゆう梨
第五章
217/273

二百十五



 シロが戻ってきたのは良いがその体を染める黒い魔力は消えず、触れているだけでも痺れるような痛みが体に走り抜けていく。既に限界を超えている私は意識を保つのがやっとといった状態で、心配したアスハイルが側にしゃがんで背を撫でてくれた。



「エル、おい、大丈夫か」



 無茶させて悪いなと続く言葉も聞こえてはいたけれど薄れ始めた意識の中でそれに応えることはできなくて。私は腕の中にあるごわごわの黒い塊に顔を埋めて気付けばそのまま眠りに落ち掛けてしまう。

 しかし流石にそれはまずいと慌てたアスハイルに揺すり起こされた。こんな戦場のど真ん中で寝たら殺してくれと言っているようなもんだぞ、と。


 それでもうつらうつらとする子供の様子に言っても無駄と悟ったらしい。アスハイルは黒い塊にがっしりとしがみついた私を両手で抱えさっさと走り出すのが意識の外でなんとなくわかった。


 

 正直、私がこの戦いで覚えているのはここまでである。




            ◇





 寝息を立て始めたエルを抱えて演習場を駆ける。途中何度か魔物に道を塞がれて足を止めたものの、俺たちに気付いたシンディが先導してくれたおかげでルトたちの元へ戻ることができた。

 

 しかし枷を嵌められているとはいえその場には未だに毅然とした態度を崩さないラトリッチのお嬢様とその従者がいる。そんな二人に今のエルと幻獣を近付けるのには躊躇いがあったのは事実だ。けれど他に安全な場所が無い。だから仕方なく、せめてエルを二人の視界に入れないようにと背を向けて膝を付くと、後ろから何やらゾワッとする視線を感じたが俺は気付かぬふりを徹底した。


 

 まったく、エルもとんでもないお嬢様を敵に回したものである。

 

 俺たちの方でも探っていたから二人の間の因縁は多少なりとも知っているつもりだが、ラトリッチ公爵家と言えば王都はもちろん周辺の街にまで名の知れ渡った大貴族だ。辺境伯家のご令嬢ってんならともかく、本来ならただの放浪人であるエルが突っかかって良い相手ではない。例え手を出してきたのが向こうだとしても、だ。

 

 表向きには同じ人間として扱われていても根本では貴族とそれ以外の価値には天と地ほどの差がある。ここはそういう国なのだから。



「エル、すごい熱です。シロもなんだか苦しそう……」


「早く落ち着いて休めるところに運んであげたいところだけど、今のこの状況じゃまだ無理だよね……」


 

 戦闘から一時離脱して様子を見にやってきたシンディとルトが眠るエルを心配そうに覗き込んでいた。顔に張り付いた髪を避けてやるシンディの手付きはとても優しいもので、こいつにとってエルがどれだけ大事な存在なのかが伝わってくる。


 そんなエルが抱えて離さない黒い塊は生き物というよりはごわごわとした毛玉のようだ。時折毛を逆立てる魔物みたいに動くのが少し気色悪い。

 共に旅をした時の綺麗な白とは全く異なる雰囲気で、そんな状態にされるなんて幻獣のくせに威厳も何もあったもんじゃねぇなと言ってやりたくもなった。まぁ、こいつも人間の権力闘争に巻き込まれて大変だったのだと知っているから今は黙ってはおくけれど。


 ともかく、これで一気に魔物側の戦力が削れたことには違いない。



「エルを休ませる為にも早くこの騒動を収束させるぞ」



 俺がそう言えば二人は揃って頷き、それぞれが戦闘に戻っていった。


 

 周囲の魔物たちはだいぶ数も減ってきているように見える。強力な個体が多いとは言え、ここに集まった人間は国の選りすぐりの精鋭たちだ。冒険者から教会の魔術師に騎士団まで。普段は関わる機会の少ない者たちが助け合い戦っている。その光景を目にした時、この国もまだ捨てたもんじゃないと教えられた気分だった。


 

 そんな中でエルを除けばやたらと目立つ男がいる。



 前から存在を知ってはいたが俺が直接話したのは数日前の図書館が初めてだ。数年前から勇者の再来と持て囃されていた男は話してみればなんてことはない、少し臆病で腰の低いどこにでもいそうな普通の少年だった。

 聞けばこちらもエルとは何やら因縁があるらしい。けれど少年はそれに対して負の部分を見せることなくエルを目標に掲げていた。それがどれだけ無謀な目標であるかを俺はよく知っているつもりである。


 

 この戦場で一番厄介だった幻獣はエルが抑えてくれた。しかしそのエルにはもう頼れない。ならば後を引き継ぐのはこの男しかいないと俺は思う。


 

 誰よりも多くの魔物を倒し、積み上がった残骸の上に立った少年が握った剣を高らかと掲げた。おそらく仲間の口達者な魔術師に唆されたのだろうが、その瞬間、この場にいた誰もが顔を上げたのは事実だ。



「みんな聞いてくれ!あれほどどうにもならないと思っていた鳥の魔物は無事に抑えられた!他の魔物も一体ずつ確実に仕留めていけば必ず終わりはやってくる!一人で戦うな!協力して、もう少しだけ一緒に踏ん張ろう!」



 王太子であるダフディラートのような圧倒的な威厳があるわけじゃない。単純な強さもきっとエルが上なのだろう。加えて少年は魔力を持たず、身分で言えば下の下だと自分でも言っていた。

 けれどもそんな等身大な少年の姿はこと戦場においてはまるで暗闇に差し込む一筋の光のようで、人々の感情を奮い立たせるのには十分だったのだ。



「……勇者って名も伊達じゃねぇな」



 可能なら今後も良い交友関係をとそう思わずにはいられない俺も、きっとそんな勇者の姿に当てられた一人なのだろう。





 それから魔物と人間の戦いは徐々に収束していくこととなる。


 ラトリッチのお嬢様に枷が嵌められたことをきっかけに魔物たちは暴走していたようだが、幻獣がエルの腕の中に収まってからはその勢いにも翳りが見え始め、更には増え続ける一方だった数も段々と減っていくのが目に見えてわかったのが良かった。人々は勇者コルクを中心に三日三晩戦い続け、そして多くの犠牲を払いながらも脅威を退けることに成功する。これを勝利と言っていいのかは俺には判断が付かなかったけれど。

 

 だが、真っ黒に染まっていた空に太陽が昇った時、感情が溢れた多くの者たちが涙を流しているのを見た。俺もこんなにもホッとした気持ちで迎える朝は初めてだったかもしれない。


 

 こうして一人のお嬢様が引き起こした国を滅ぼしかねなかった大騒動は一旦終わりを迎えたのである。

 


 お嬢様とその従者が王城の兵士によって連行されていく姿を複雑な気持ちで見送った後、生き残った者たちはそれぞれの役目を全うする為に休むことなく動き出す。

 

 魔術師の大半は街に散らばって瓦礫の撤去や道の舗装を、騎士団は取りこぼした魔物がいないかの見回りと早速ラトリッチのお嬢様の身辺調査を命じられたらしい。勇者パーティをはじめとした冒険者は行方不明者の捜索や怪我人の介抱を行っている。


 戦闘が終結したと言うのに、人々の顔に笑顔はなかった。



 

 

 慌ただしく駆け回っていたネルイルを捕まえて今は静かな演習場の隅に二人で腰を落ち着けたのは、戦いが終わってから更に一日が経った頃だった。魔術の使いすぎで魔力が尽きかけた酷い顔色をしていたから見過ごすことができなかったのである。ただでさえ数の少ない回復要員として引くて数多なのはわかるが、こいつが倒れたら元も子もないだろう。


 エルと幻獣は戦闘の最中どこからか現れた聖樹の精霊たちに預けたので今は近くにいない。ルトが任せて問題ないと言っていたので大丈夫だとは思うが、精霊がエルに触れた直後に揃って消えたことには流石に動揺を隠せなかった。

 行き先はおそらく聖樹があった場所だろう。王都のどこからでも見えた巨木の影は最早どこにも無く、今はそこに白い魔力の塔が現れているから疑いようもない。もう何が起きているのか一介の魔術師でしかない俺にはさっぱりわからなかった。



「……ねぇ、お兄ちゃん」



 横に座ってもたれかからせているネルイルがまだ落ち着かない様子で口を開く。無理にとは言わないが少しは寝てほしいのだけど。こんな状況で眠れないのもわからなくはないが、兄としてはこの有能すぎる妹が心配で仕方がなかった。



「これからこの街は、どうなるのかな」



 今回の件で王都であるこの街の建物はほぼ壊滅状態に陥っている。魔物に破壊されただけならまだ良かったのだが、空が黒く染まっている間終始降り続いていた魔力の雨は多くの建物を溶かしてしまったから。

 幸いなことに大半の人間は避難していて無事だった。しかし街の復興には教会の魔術師が総動員されたとしても相当な時間がかかるはずだ。何より問題なのはこの街の人々の心の支えでもあった聖樹と結界が共に消えてしまったこと。騒動が落ち着いた今、その喪失による人々の混乱と恐怖は計り知れないものがある。


 魔物の脅威が一旦去ったとはいえ安心なんてできるはずもなく、張り詰めた糸は未だに張ったまま。とてもじゃないが今後の見通しなんてできそうもない。当然ネルイルの疑問に対する答えは俺も持っていなかった。



「エルは、どうなるのかな」



 当初はエルにも多々疑いがかけられていたようだがそれはすぐに晴れるだろう。エルにラトリッチのお嬢様の拘束を依頼したのは王太子本人だと言うし、今回の一番の功労者と持ち上げられている勇者コルクとその仲間が口を揃えてエルの無実を説いて回ったのが大きかった。

 

 騎士団の奴らも馬鹿じゃない。今後の調査でお嬢様の悪事が露見すればエルに構っていられる余裕も自ずとなくなるはずだ。騎士団にはエルと行動を共にしていたサフの存在もあることだしな。

 だからそっちの心配はしていない。していない、が……しかし、別の心配事が湧いてくるから頭が痛い。考え始めたら思わず深い深いため息が溢れていった。



「エルに取り入ろうとしている奴らがいる。幻獣相手にパパなんて言いやがるからだ。これ以上厄介事を引き寄せていったいどうするんだか」


「そうよねぇ、あれにはあたしも驚いちゃった。勇者ですら敵わない魔物に人間の娘がいるってあちこちで噂になっているわよ。神様の使いなんじゃないかって言っている人もいるくらい」


「いよいよ神格化されてきたか」



 今まで心の拠り所にしていた聖樹と結界を失った反動もあるのかもしれない。不安や恐怖に怯える人々は今、心から信じられる何かを強く求めている。

 

 もしその対象が聖樹の跡地に出現した白い塔に眠るエルになってしまったら。あの小さな子供に大きすぎるものを背負わせることになるのではないか。そんな心配事が頭を過ぎる。いっそ国外に逃してしまった方が安心はできそうだと思うくらいに。



「まぁ、でも、きっとあいつなら自分でどうにかしちまうんだろうな」


「本音を言えばもっと頼ってほしいけどね。力になれるかは怪しいけど相談に乗るくらいはいつでもできるのに」


「そうだな……」



 俺たちがどれだけ心配していたって自分の道は自分で選び、その先で決めたことは貫き通すのがエルだ。それはもうあいつの性分だから他人がどうこうできることでもないと理解はしているつもりである。

 

 だからと言って心配しないということにはならない。こうしてあいつのことばかり考えてしまう時点で振り回されている自覚もあって、けれどそれを嫌と思わないのだから、こうなったらとことんまで心配してやろうじゃないかと思っている。どれだけ規格外な力を持っていたとしてもエルは一人の人間で、まだ子供であることも違いはないのだから。


 

 一先ずはあの子供が回復して白い塔から出てきた時に労ってやることだけを考えよう。

 エルは王都に来てから碌なものを食べていなかったようだし美味い飯でも用意してやったら喜ぶかもしれない。それこそ料理が得意な俺の出番だろう。

 

 ネルイルともそんな話をしながら俺たちはまだ戦いの痕が色濃く残る演習場の隅で、今だけは喧騒から離れて落ち着いた時間をゆっくりと過ごす。



 懸念していた人々の混乱が表面化し始めたのは、ここから五日後のことである。



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