二百十四
アスハイルの魔術で迫り上がってくる地面を足場にして魔物の頭上を超えていく。見下ろした演習場は魔物と人間の争い一色に染まっていてここが王都であることを忘れてしまいそうだった。
きっと私が思っているよりも被害はずっと大きくて、例えこの騒動が収まっても王都としての機能が戻ってくるまでには相当な時間がかかるのだろう。不本意とはいえ中心にいる身としては少しやるせない気持ちになった。
「飛ばれたら厄介だ。その前に俺たちでなんとかするぞ!」
「わかってる!」
私を抱えている腕とは反対の手にはネルイルのものと似た杖が握られている。アスハイルはその杖の魔石の魔力を使って器用に地面を操っているようだ。道を整えたり家を建て直すのに適した土の魔術である。この騒動が収まれば彼の力は誰よりも必要になるはずだ。できるだけ無茶をさせないようにしたい。
けれどそんな思いも虚しく、地に落ちた幻獣に近寄ると甲高い鳴き声と共に黒い魔力の塊が幾つも周囲に生成された。一瞬遅れてその塊から長い針のような物が伸びてきて、それは近くにいた魔物たちを串刺しにしてしまう。
私たちもアスハイルが地面を壁のように迫り上げなければ同じようになっていたかもしれない。現に顔を上げると土の壁に刺さって若干軌道がずれた針がアスハイルの頬を掠めていた。
「あいつ、勇者パーティと俺たち教会の魔術師に騎士団からの応援が束になってかかっても傷一つ付けられなかったんだぜ。今まで随分と大人しくしていたようだがお前の連れはとんでもねぇ化け物だったな」
「……うん、ごめん」
「なんでエルが誤ってんだよ」
「そうさせたのは私だからだよ」
シロは好き好んで人間を襲うような魔物じゃないと知っている。呪いに負けて無意識に人間を食い物にした事実を嫌悪していたことも、魔物を魔力として使い潰すロキルのやり方を嫌っていたことも私はちゃんと知っているんだ。今回それらと同じような状況を引き起こしてしまったのは他ならぬ私だから。
聖樹の頂上でほんの少しだけシロに体を操られた時、正直とても嬉しかったのを覚えている。転生するとはいえその命を一度は使ってしまった相手なのに、これからも側にいることを許してくれたみたいで。何度転生しても私を選んでくれる気がして。
なのに私はトロップの罠にまんまとはまってあの場に黒い魔力を運んでしまった。人間を襲うことが嫌いなシロにまた襲わせてしまった。
悪いのは全部私なんだ。今のシロに非難が向かうならそれを受け止めるのは私であるべきだと本気で思う。だから。
「シロを悪く言うのは……アスハイルでもちょっと許せない」
「……頬膨らませてると本当にガキにしか見えねぇなお前」
「子供だからな」
「知ってるよ」
ふ、と小さく笑う気配がした。直後にアスハイルは土の壁の影から飛び出す。黒い針が襲いくるのを新たな壁を作っては軌道を逸らし、自分は擦り傷を増やしても抱えた私には怪我をさせないように護りながら進んでいく。
悪いとは思ってもやっぱり今の私には何もできなくて、でもいつまでもへこんではいられないと顔を上げ、黒い幻獣を視界に捉えて声を張り上げる。
「——シロ!」
その瞬間、二つの赤い眼がこちらを見たのがわかった。ゾワリと体に寒気が走って震えそうになるのは何故だろう。怖い、と思ってしまうのは何故だろう。
「っくそ、一旦口閉じてろ!」
言われて思わず両手で口を塞いでいた。すぐさまやってくる浮遊感。黒い幻獣の突進を、地面を押し上げた勢いでその場から飛び上がって回避したアスハイルが周囲の魔物を踏みながら進みまた地面に足を付ける。
「振り向かせるってそういう意味じゃなかったんだけどな!あんな勢いで迫られたら受け止めきれずに弾け飛ぶっての!」
「阿呆なこと言ってられる余裕があるならまだ大丈夫そうだな!アスハイル、もう一度近くに!」
「お前も容赦なく人を使うようになったな!?良い傾向だけど!」
腹に回った腕をバシバシ叩きながらシロを追ってくれと伝えると苦笑いしながらもすぐさま動き出してくれる。幻獣が通った後は分かりやすく地面が抉れてその場にいた魔物も人間も例外なく薙ぎ倒されているようだった。
そんな中を進んでいくとまた甲高い鳴き声を響かせる黒い幻獣の姿が闇の中に浮かび上がってくる。周辺に倒れている魔物は魔力の針で串刺しになっているし、自分たちでは敵わないと悟った人間は無理に立ち向かうことはせずにこの場から離れたらしい。懸命な判断だ。
「——シロッ!」
出来る限り精一杯の大声でその名を呼ぶ。幻獣フェニックスと呼ぶのは堅苦しいから新たな呼び名をと言われて私が付けた愛称だ。安直だけど白いからシロって付けたのに今はその名の由来となった神々しい白さはどこにもない。
今の黒い羽はなんだか痛そうだし、手触りも良くなさそうだし、なんなら本当に燃えそうだし、ちょっと怖い。せめてもう少し小さくなってくれたら対処のしようもあるかもしれないのに。
その後何度も名前を呼んでも返ってくるのは容赦ない攻撃と鋭い視線だけで、私は思わず言葉を飲み込んでしまいそうになる。こんなに泣きたい気分になるのはシロと出会ったあの日以降初めてのことかもしれないと思った。
「うぅ、つらい……」
「お、おお……お前がそうなるとはな……」
シロが今まで私に危害を加えてくることなんか無かったんだ。少しへこむくらいは仕方がないと思う。
「正気に戻ったら文句の一つでも言ってやれ」
「うん、そうする……」
私が謝りたいこともたくさんある。だから落ち着いてちゃんと話がしたい。そう思って改めて顔を上げた。
大きな翼を広げバサリバサリと羽ばたかるシロがゆっくりと宙に浮き始めている。飛ばれたら声も届かない、とアスハイルが咄嗟に魔術で地面を伸ばしてベルトのように巨体を押さえ込んだ。また地に落ちた巨体が地面を揺らして土埃を巻き上げる。
「——シロッ!!」
また、苦しげな鳴き声が響き渡った。土埃が一瞬で吹き飛ばされてすぐさま魔力の針が飛んでくる。巨体を押さえ込んでいた地面が砕け再び羽ばたく音が聞こえてきて、行ってしまうと思うと胸の奥が握りしめられたように痛んだ。
もっとシロの気を引ける言葉。シロが私を見てくれる言葉。シロが気に入っていた言葉。何かなかっただろうかと考えて、考えて、ふと脳裏に浮かぶものがあった。
正直少し戸惑いはあるけれど、もしこれでシロが引き戻せるのなら。なんでもやってやると再度気を引き締め直した私はその言葉を叫んだのだ。
「——パパッ!!!!」
「……は?」
私の口から飛び出した言葉に思わず振り向いた人間がどれだけいたことか。一番近くにいたアスハイルですら信じられないと言いたげな顔で私を見下ろしていたし。
でも、いろいろと考えた上で浮かんだ言葉がこれなんだ。シロにこれを言ったのは一度だけだったけど、あの時は冗談のつもりだったけど、満更でもない感じだったのを覚えている。
ピタリとその動きを止めた幻獣に、嘘だろと思ったのはきっと私だけじゃない。
ドスンと巨体が地面に落ちる音がした。赤い眼で真っ直ぐに私を見下ろしていたかと思えば、先程のように素早く進んで突進してくるものだから、アスハイルが息を飲むのがわかる。けれど今までのような恐怖は一切感じなくて、腹に回っている腕を叩いて「下ろして」と告げれば戸惑いながらもアスハイルは私を離してくれた。
「——シロ!」
両手を広げると飛び込んでくる感覚がある。慣れた柔らかいふかふかの羽毛とは違った硬い感覚だ。それでも私が抱えられるくらいの大きさにまで縮んだ黒い塊が腕の中に収まってくれる。
私は足に力が入らなくてトサリとその場に座り込んでいた。手元に来たごわごわの黒い塊をぎゅうっと抱きしめて、胸の奥に次から次へと湧いてくる幸福を噛み締めて、蹲る。
「……おかえり」
やっと戻ってきてくれた。そのことがどうしようもなく嬉しい。
周囲では魔物と人間の争いがまだ続いているにも関わらず、私はその体勢からしばらく動くことができなかった。




