二百十二
布陣は変えない。シンディとネルイルには周囲の魔物を相手にしてもらう。私はトロップの魔術を打ち消すことに専念し、ウィンの相手を任せるのは引き続きサフとルトである。
エラの名を声に乗せ再度魔法を発動させると私の足元には魔法陣が、周囲には白い魔力が漂い始めた。その魔力を強く叩き付けるイメージで聳え立つトロップの結晶を破壊する。
キラキラと輝きながら散る結晶の中で振り返ったウィンの目は先程とはどこか違うように私には思えた。殺意を感じないのは相変わらず。けれど何か強い意志が奴の目には宿っている気がする。でも、それを気にしてやれるほどの余裕が今の私には無くて、だから見なかったことにしてほぼ同時に走り出した騎士たちの戦いに意識を向けた。
剣と剣がぶつかり火花を伴った金属音が立て続けに響いた。サフとウィン。私から見て優勢なのは間違いなくウィンだ。怪我の影響を感じさせない動きを見るとポーションでも持っていたのかもしれない。
対するサフはポーションなど手元にあるはずもなく、ネルイルの回復も受けていない。それを差し引いても実力の差が二人の間にはあるように思えた。ウィンは見た目だけなら随分と若く見えるが実際は三十手前というし、経験の差もあるのだろう。
「先程のように無闇に近付いては来ないのね」
「……お前に近付けばウィンは護りに来るだろ」
それじゃあ意味がない。私たちの目的はあくまでもトロップを生かしたまま捕えることだ。それを達成するためにウィンを先に抑える必要があると判断したまでである。
トロップはウィンたちの戦いに目を向けながらも絶えず結晶を生成して私たちを閉じ込めようとしてくるから抜け目がない。私はそれを阻止する為に動けず、こちらはこちらで魔法による攻防が始まっていた。
「ねぇ、エル。先程のお話の続きをしましょうよ」
「話の続き……?」
私の足元やサフの援護をしているルトの足元にまで結晶を生やすものだからこちらは一瞬たりとも気が抜けないというのに。涼しい顔をして穏やかに話すトロップの目はウィンをじっと見つめたままだ。
話の続きって、何の話をしていたっけ。思い出せずに眉を寄せると戦いの最中とは思えない話題が耳に入ってきた。
「人を好きになるって、どういう感覚なのかしらね」
「いやそれ絶対聞く相手間違えてる……!」
そもそもそんな話をしている場合じゃないだろう。私はともかくトロップは生きて捕えられたとしても、その先に待ち受けているのは処刑という現実かもしれないのだ。お前だってそれを望んでいるからこんな派手な騒動を起こしたんじゃないのか。
あまりに可笑しなことを言い出すからつい私まで素で返してしまったではないか。
絶え間なく結晶が生成されては破壊される中、私とトロップの間に流れる空気だけが異質。
「恋は良いものよ。真っ直ぐで、わかりやすくて、損得抜きに信じられるもの」
「いったい何の話を、」
「それがわたくしとウィンを結ぶ鎖だから」
素直に驚いた。トロップの言葉通りならその想いを抱えているのはウィンだけということになる。この女に好意を寄せる奴がいることにも驚きだが、何よりもそれを知ろうとしているこいつ自身に。
とはいえ恋を鎖と表現する時点で手遅れな気はするのだが。相談相手に私を選ぶのもどう考えても間違いである。
どうしたものかと考えて、こいつの気が少しでも逸れるのならと話を続けることにした。
「私は誰かをその……好きになったことはないから恋ってやつもわからないけど……何かを大切に思う気持ちはわかってきた、と思う」
シロのこと、ルトのこと、シンディのこと。辺境伯の屋敷にいる人たちのこと。旅の中で出会った人たちや神殿に置いてきたミカエルのことも。私は多分、大切だと思っている。自分に近ければ近い人たちほど失いたくないと思っている。
だからこれは私の勝手な想像なのだけれども。
「その延長線上にあるもの、なんじゃないのかな。ほら、特別ってやつ。いや、わからないけど」
「特別……それならわたくしは、わたくしの作品が好きよ?」
「それってもしかしてあの黒い人間みたいな奴らのこと言ってる?」
「ええ、もちろん」
「それは……違うんじゃないかなぁ」
私とトロップは感覚というか価値観がまるで違うのだと思う。冗談で言っているわけではなさそうだからそういう趣味なのかとすら一瞬思ってしまった。
しかし私の言っていることが理解できないのか小首を傾げた仕草が妙に人間臭くて思わず次の言葉に詰まった。どうして今更そんな部分を見せるんだ。ぐるぐると胸の奥に複雑に感情が渦巻く気配がする。
「……お前はウィンが自分のことを好いていると知って利用しているわけか」
「そうね。でもちゃんとお返しはしているわ。わたくしはウィンを信じているし、何よりも、」
そこでトロップはほんのりと頬を染めてどこか照れ臭そうに笑う。
「わたくしの首をあげるの!」
——ああ、こいつは。
「もう六年は前の予言になるわ。わたくしは自分のこの首を落とすのが誰かを知ったのよ」
どこかうっとりとした表情で喉の辺りを横に撫でる仕草が何故だか痛々しい。
「わたくしを終わらせてくれる人。一人目は貴女ね。でももう一人は間違いなく彼だわ」
「……それを、ウィンが望んでいると?」
「ええ。だって、わたくしが返してあげられるのはそれくらいしかないもの。それがわたくしの全て。光栄だとウィンは言ってくれたわ」
笑う、笑う。年相応のただの女のように。可笑しなことを言っているはずなのに、そうとは思わせないほど嬉しそうに。可憐に。それが、苦しい。
「それじゃああいつは今、何のために……」
何のために、戦っているというのだろう。
主人であるトロップを護るためじゃないのか。生きてほしいと願っているからじゃないのか。根っからの悪人だと知っていながら側にいたのは、同じ罪を背負ったのは。全部全部、ウィンがこの女を想っていたからじゃないのか。
「ね? 恋って、素敵でしょう?」
「……それを本気で言うんだな、お前は」
ウィンを可哀想と思うのはきっと傲慢だ。あいつは私なんかよりもずっとトロップのことを知っている。理解しているかどうかは怪しいが、理解しようとはしているのだと思う。だからこの状況はウィンも承知の上であるはずだ。他人が介入して良いものではない。ない、が……。
私は一度引き結んだ口をゆっくりと開いた。同情と言えばそうなのかもしれない。だとしても、どうしてもこの女にひとつだけ言っておきたいことがあった。
「トロップ。お前は、ウィンの顔をちゃんと見るべきだ」
「見ているわ。わたくしのたった一人の従者ですもの。彼は表情があまり変わらない人だけど目が雄弁に語るのよ?」
「そうなんだろうね。でも、だからこそ、ちゃんと見るべきだ」
この言葉がトロップの中に少しでも残るように。私は真っ直ぐに女の目を見てそれを告げた。
言葉というものは時に呪いにもなるものだと私は知っている。だからこれは今の私ができる精一杯の仕返しだ。
私はこれから生かしてこいつを捕える。そしてその後に起こるであろう全ての事柄も受け入れる気でここにいる。きっと後味の悪い選択だ。それでも。
「……見るべきだよ」
「よくわからないけれど、エルが言うのだからきっとわたくしにとって良くないことなのでしょうね」
「うん。私はお前が嫌いだからね」
この女のためになるようなことを私が言ってやるわけもない。嫌がらせとわかって楽しそうな笑みを浮かべるその様子はもう私もよく知るいつものトロップの姿だった。
そんな会話も終わりを迎える。
ドサッと音がした方を見ればルトのドラゴンが地に伏せたウィンの背中に降り立つところだった。天を仰いでむしゃむしゃと食べているのは剣だろうか。少し離れたところで立っているサフの手には剣が握られているからおそらくウィンのもの。術式で構成された作り物のドラゴンなはずなのに見る度に行動が生物じみてくるのはいったいどういうことなんだ。それは後でルトに聞くことにしよう。
「決着はついたみたいだな」
「そうね。残念だわ」
「そんなこと思っていないくせに」
ニコッと笑ったかと思えば次々と生成される結晶がルトやサフの方へと伸びていくのがわかった。最後まで油断ならない奴だと白い魔力を叩きつけるイメージで私はそれを破壊していく。砕けた破片が宙を舞う様子だけは相変わらず綺麗だった。
「と、ろっぷ、さま……」
「う、動かない方がいいよ……!」
呻くウィンの側にルトが慌てて駆け寄っていくのが見える。背に乗ったままのドラゴンは私と同じくらいの大きさだが見た目以上の重さがありそうだ。新しい傷も増え更に血を流した状態で、それでも腕の力だけで這うように前へ進み始める姿は執念という他ないだろう。
ウィンはまだ諦めていない。それが痛いほどわかる。でも。
「ありがとう。でも、もういいのよ」
「とろっぷ、さま……」
「ずっと前から決まっていたことだもの。貴方でもわたくしの予言は覆せなかった。それだけのことだわ」
一ヶ所に座り続けていたトロップが動いてウィンの目の前に座る。その目の強い光はいつの間にか消えていたし、絶え間なく生成されていた結晶も今は止まっている。油断はできないが一先ず抵抗はやめたらしい。
地面を掻いて血の滲んだウィンの指先に触れて優しく撫でる姿は信頼しあった良き主従の関係にも見えるのに。纏う雰囲気は全くの別物で、二人の理想はどこまでも交わることがないのだと実感させられる。
私たちは同じ人間であるはずなのに性格も価値観も何もかもが違う。だからこそすれ違って時には衝突して優劣を決めたがる。
そんな中でたった一人を自分の中の特別に据える行為はきっと一人で生きていくよりも難しくて、でもそう想える相手に出会えることは奇跡にも似たものがあるんじゃないかと私は思うのだ。
血の滲む手のひらをグッと握りしめたウィンの前で、ルトが取り出した枷がトロップの腕にはまる。
カシャン、と無情な音がやけに大きく響いた気がした。




