二百四
タタッと駆けてきたシンディがその勢いのまま腕を広げて抱き付いてくるものだから、よろけて倒れそうになったところを後ろにいたルトが支えてくれた。
「シンディ。エルは今、立っているのもギリギリの状態なんだ。加減はしてあげて?」
「わっ、そうだったのですね!申し訳ありません!」
ルトの言葉にパッと離れたシンディはどうやら怪我も無さそうだ。それどころかしばらく牢に入っていたとは思えないくらい肌艶も良く体は健康そのもので、衣装の華やかさも相まって王太子妃と言われても納得できる仕上がりだったから、私とネルイルはつい見惚れてしまったくらいである。
本当ならばこの流れでいろいろと聞きたいことはあったのだけど今はそれどころではないわけで、一旦彼女の話は置いておくことにして私はこの部屋の中をぐるりと見渡した。
「ここに、トロップはいないのか?」
「あ……」
先程サフはペールバルクとトロップを王城へ送り届けたと言っていた。それなのにいくら探してもここにはペールバルクの姿しか見られない。ならばあの女はいったいどこに行ったのか。
シンディは私の口から出たトロップの名に一瞬唇を震わせて、けれどすぐに切り替えたのかしっかりと顔を上げて静かに話し出す。
あの女の企てのせいで処刑されていたかもしれないのに。そんな状況を打開しただけでなく、過去から続いていた恐怖すらも自力で克服したのだとしたら本当に凄い。少し離れていただけなのに随分と彼女の存在が大きくなったように感じるから不思議だった。
「あの方と従者の足取りが掴めないのです。ペールバルク様たちが途中までは一緒にいたはずだと仰ってはいるのですが……」
「城の中で消えたってことか?」
「ウィンの仕業だな」
驚く私にそう告げたのはサフだ。ウィンと言えばあの気配の薄いトロップの従者の男である。元々騎士団にいたらしいからサフとも知った仲なのだろう。
「あいつは気配遮断の魔術を使う。あれを使われるとこちらからは消えたように錯覚するからな。隠れられたら簡単には見つからない」
「……なるほど」
それを聞いてようやく合点がいった。ウィンとは爺さんのいる学舎で一度会っているはずなのに不自然なくらい印象に残らなかったこと。意図的に印象操作をされていたと見てまず間違いない。もしその目的が私に必要以上の警戒をさせないためだとするなら、ウィンもその後に起きたシンディの事件に何かしら関係しているんじゃないだろうか。
私が図書館の地下書庫に向かったことをトロップが知っていたのは、あの女の魔術によるものかと思っていたがもしかすると……。
「おい、いつまでその子供をここに置いておくつもりだ!」
ふと怒りを押し殺したような声が聞こえてシンディの肩口から後ろを覗き込むと、部屋の中央で地面に膝をついているペールバルクがキッとこちらを睨んでいるのが目に入った。その顔は数日前に聖樹の根本で会った時と比べてだいぶ憔悴しているように見える。
第二王子であるペールバルクが騎士団の連中と共に聖樹の結界に変わる新たな結界を作ろうとしていたことは聞いている。だがその結界はシロによって呆気なく破壊されてしまった。つまり彼が用意した新たな結界は聖樹のそれには遠く及ばないものだったということだ。
己の研究を過信し、私欲を優先して儀式と称した幻獣の転生を強行したこと。過程はどうあれ結果的に国を危機的状況に追い込んだこと。これだけ聞けば王子といえど何かしらの罰は下って然るべきである。それなのに。
「国王陛下!幻獣を暴れされているのはそこのエルです!彼女は幻獣に選ばれ聖樹を登る資格も持っていた!幻獣は彼女の言葉しか聞かない!今すぐに捕らえてやめさせるべきでしょう!」
「……見事な責任転換だな。私に今のシロを止められる力は無いぞ」
幻獣との繋がりを一切持たない今の私を捕らえたところで事態が良くなるはずもない。しかしそれを正しく理解しているのは私を含めた数人だけであり、今の発言を聞く限りペールバルクはそもそもシロが暴れている本当の原因にも気付いてはいないのかもしれない。トロップの生み出した道具の危険性も、その企ても、利用されていることすらも。
「盾にはなりそうだったがな」
しっかり護ってくれた奴がよく言う。半分笑いながら見上げると、サフにはすぐに目を逸らされた。
「幻獣に関してはこちらも情報が少ない。確かにペールバルクの言うことは最もだが、エルという子供にはあれを暴れさせる動機がないと聞いている。決め付けるのは早計かと思うが」
「兄上は現状が理解できていないのか?これを治めるためには今動かなければ手遅れになる!疑わしきものは罰する!これこそが必要だと何故わからない!」
「ならば何故お前はトロップ嬢を見張っていなかった?この場にいない彼女こそ最も疑わしいと思わないか」
「っ……」
第一王子ダフディラートと第二王子ペールバルク。歳はそう変わらないように見えるがこれは確かに器の違いを感じざるを得なかった。
どちらの考えも間違いではないけれど、少なくともペールバルクのような苦し紛れの発言は人の心には届かない。その点ダフディラートの発言は堂々とした態度も含めて嫌でも人の興味を引く。あれは多分、彼に近い立場の者ほど理不尽に感じるんじゃないだろうか。
「王子ってやつも大変そうだな」
まぁ、私には関係のない世界の話だ。権力争いは勝手にやってくれたらいい。できれば暇な時に、ついでに人を巻き込まないように。
今回のところは建設的な話ができそうな王太子の方に私は付かせてもらうとしよう。
「国王陛下、ダフディラート殿下。お初にお目にかかります、エルと申します」
数歩前へ出て、言いながら丁寧に頭を下げる。後ろにいる全員分の奇怪なものでも見るような視線を感じなから。
言いたいことはよくわかるが、私だってこのくらいの礼儀は弁えているんだがな。相手が国の頂点であることを考えれば挨拶くらいは丁寧にしておくのが無難である。
「ああ、お前の話はシンディから聞いているぞ。こんな時でなければ冒険譚を聞かせてほしいところだが、まずはここへ来た目的を聞こう」
話が早くて助かる。ダフディラートの言葉に私はほんの少し顔を上げて前置きも無く話し出した。
「トロップ・ラトリッチ公爵令嬢を始末する許可を」
「駄目だ」
ピシャリと返されて思わず目を細める。特に声色や表情が変わることもなく流れるような拒否だった。意図を測りかねてジッとその目を見返していると、ダフディラートは軽く肩を潜めて私の目の前まで歩いてきて止まる。
赤に金が混ざった派手な髪色と、ペールバルクと同じ燃えるような赤い目。胸には王族の紋。この時聖樹の頂上付近で見たグリフォンが脳裏を過ったのは、この男の纏う雰囲気があの魔物にどこか似ていたからだ。
「もし彼女に罪があるのならそれを裁くのは我ら王家の勤めだ。そうは思わないか?」
「通常時ならばそうかもしれない。だが今の状況を引き起こしているのがあの女の存在だとしてもそう言っていられるのか?」
シロにしても、外にいた黒い敵にしても、異常を引き起こしている原因はトロップの作った道具から発生した黒い魔力だ。少なくともこれ以上状況が悪くなる前に手を打つ必要はあるだろう。
ここにいた奴らはそれらについての情報を持っていないだけかと思って説明してみたけれど、結局ダフディラートの返答は変わらなかった。この王太子が何を考えているのか私にはわからない。
「……あれを庇うのか?」
そう捉えられてもおかしくないぞ、と意味を込めて告げる。自衛ができる貴族は良いがそれができない平民には犠牲者も出ている。街への被害も甚大だ。このままなら国そのものも。貴族だから、第二王子の婚約者だからと甘い処遇を許されていいはずがないのは誰が見ても明らかだ。なのに。
「魔力が問題だというなら魔術封じの枷を用意しよう。命を奪う以外ならばなるべく容認しよう。彼女を見失ったのはこちらの落ち度だ。お前への疑惑も一先ずは保留としよう。だからトロップ嬢に関しては無事に捕えることを念頭においてほしい。そうだな……今より事態が収まるまで、俺がお前を雇うのはどうか」
報酬も支払うし悪いようにはしないと告げたダフディラートは相変わらず感情が読めなくて、ここまで一貫して変わらない態度に私は微かに恐怖を覚え始めた自分に気付く。甘いことを言っているくせに今すぐにでも人を殺せてしまいそうな奴だと思ってしまったから。
いい意味でも悪い意味でも裏表のない男。それ故に発言全てに力が有り、不思議と説得力を持たせている。頭に浮かんだのは独裁者の文字だったが瞬時に理解したのは今こいつを敵に回すにはマズいということだった。
「……こんな王子がいていいのかよ」
「ん?今何か言ったか?」
「いや何も」
だがおそらくトロップに関しては何か考えがあるのだとは思う。私を雇うという話はその為に必要な牽制なのだろう。ならば無駄に話を掻き回すよりもこいつの案に乗る方が安全だ。
「わかった。そうしよう」
私がダフディラートの話を受け入れたことにまたもや背後から奇怪なものでも見るような視線を複数感じたけれど、今回ばかりは仕方ないと甘んじて受け入れることにした。




