百九十七
図書館のエントランスホールにある窓にふと目を向けてみると、その先は日の光どころか灯りが一切見えない暗闇だった。夜なのかとも思ったが、昼を過ぎた頃だとルトは言う。空が黒一色に染まったとはこういうことか。どうやらその異変は今も続いているらしい。
ここにいる全員が口を閉じれば遠くから破壊音が聞こえてくるし、微かに地面が揺れるのもわかる。転生した幻獣が未だに暴れているのだとして、それが本当にシロと同じ存在なのか、もしそうだとして私を覚えているのかと考え始めると息が詰まりそうで、慌てて深呼吸を繰り返す。
「それにしても、聞いた限りではまるで歴史を繰り返しているようだな」
約千五百年前、この地にはガリカロという王国が存在していた。その国を滅ぼしたのが幻獣フェニックスだったと知ったのは奇しくもこの図書館だ。当時も原因は人間で、呪いを付与されたシロはその時のことを詳しく覚えていないような言い方をしていたはずである。
今回の騒動も形は違えど似たようなものだと私は思う。暮らす人々も環境も当時とはまるで違うはずなのに。人間という生き物はどうして過去の誤ちを繰り返してしまうのか。十数年しか生きていない私にはまだ理解できそうもない。
「けど、このままだとこの国は滅びるのか。それは大変だ」
「随分と他人事ね」
「悪いな。国を護りたいと思うほどの理由が私には無くて。……でも、結界が消えた後の王都をそのままにしておくわけにはいかない、か」
なるべく穏便に済ませられるように考えてみる、と私は前にラグナと約束したはずで、それなのに今街を壊しているのがシロだとすればこの状況を招いたのは間違いなく私である。これ以上約束を違えるわけにはい。責任は私が取らなければ。
「鳥の魔物は私がなんとかするよ」
「無茶よ!さっきも言ったけど、貴女、胸に穴が空いていたくらいの重症だったのよ!?おまけに変な黒い魔力がずっと纏わりついていて、ルトの術式がないと動けもしないはずだわ!」
ああ、なるほど。この地面の青白い術式はその黒い魔力に対する耐性を上げてくれているものか。だからこの術式の上から退いたら動けなくなる、と。
ならば前にルトが私の手の甲に術式を描いてくれた時のように体に直接描き込んでもらうだけだ。そう思ってルトを見れば、彼はとても複雑そうな顔を浮かべて口を開いた。
「僕の術式はいつもエルを死地に飛び込ませてしまうね」
そんなことは無いとは言えず思わず黙る。神殿での戦いの時も今回も、私はルトの力を最後の頼りにしてきていた。どんな思いで送り出してくれているかも知っているはずなのに。
この時すぐに間違えたと気付けたのは、少しずつでも私自身が変わり始めている証かもしれなかった。
「そう、だな。ごめん、えっと……」
徐々に下がった視線が地面に落ちる。なんでも一人でやろうとするのは私の悪い癖だ。本当に。前は上手くいったとしても、次もそうなるとは限らない。特に今回は二人の魔術による支えがないと動けもしない状態だ。国を滅ぼす力を持っているかもしれない相手に単独で立ち向かうのは流石に自殺行為であることくらい考えればわかるはずだろう。
「わっ、僕こそごめん、そんなに落ち込むとは思わなくてっ」
「うそ……あのエルが反省してる……?貴女、本当にエル……?黒い魔力に侵食されて人格変わっちゃった、とか……?」
「流石に酷い」
私だって反省くらいする、と顔が上げられず地面に向かって呟けば、こんな時なのにネルイルはクスクスと笑うから。なんだか申し訳なさと羞恥が入り混じったような複雑な気分だった。
「でもまあ、反省しているなら、もう少し大人しくここで治療を受けていなさい。どうするかはその後に考えましょう。そのくらいの時間が稼げないほど王都は柔じゃないわ」
「……うん」
素直に頷いた私はあれよあれよという間に術式の上に横に寝かされて、ネルイルの回復魔術を受けながらぼんやりと天井を見上げることとなった。寝てもいいと言われたけれど、流石にそんな気にはなれそうにない。
そこでようやく頭が回るようになってきたらしく、脳裏に浮かぶのはもう一人の仲間のことだった。
「シンディは……?」
正直聞くのが怖かった。私が彼女について知っていることといえば、レイランを殺した罪で捕まり処刑を控えていたところまでである。刑の執行の日は当然過ぎているわけで、シンディの強さはわかってはいても考え出せば不安は尽きない。
私の問いにルトとネルイルはお互い顔を見合わせて、それからどこか困ったように笑いながら話し始めた。
「安心して。そっちも大丈夫。シンディは一応無事だよ」
「無事……ええ、確かに無事、なんだけど、ね?」
無事なのか、そうか、それならよかった。安堵のため息を吐きながらも気になるのはその含みのある言い方だ。
「何か問題でもあったのか……?」
「うーん、問題と言えば問題なんだけど。実は、シンディが王太子殿下と結婚を決めたみたいで……」
「……………………はい?」
今なんて?
「あ、あたしたちも驚いたんだから!助けなきゃって思っていたのに、当日の朝になって突然ダフディラート殿下が結婚相手を定めたって知らせが国中を駆け巡ったのよ!その相手がまさかのシンディなんだもの!何があったらそうなるのよ!」
「まだ僕らもシンディとは話せていないんだ。だから経緯とかはわからないんだけど、事実ではあるんだと思う。今は多分王城の護りについているんじゃないかな?」
「それはまた……面白いことになったな」
これは推察でしかないが、おそらくシンディは牢にいながら第一王子であるダフディラートとの面会の機会を作り上げたのだと思う。そこで何があったのかは不明だが、結果的に二人は意気投合――いや、或いは。向こうの方がシンディに落ちた、とか。だとすると私が第一王子に抱いていた印象がガラリと変わってくるのだけど。
兄を越えるのだと息巻いていたペールバルクと、シンディを貶めたトロップからしてみたらこれ以上の敗北は無いんじゃなかろうか。なんだか少しだけスカッとした気分である。
「僕の方は自力でなんとか頑張ってみようと思っていたんだけど、やっぱりシンディのようにはいかないね。リーニアに助けてもらっちゃったよ」
「リーニア……って、あのリーニアか……?」
その名を聞いて思い出すのは集落にいた獣人の女である。驚く私にルトは頷いて肯定した。
彼女は情報収集の為にあちこちの街を渡り歩いていると言っていたから、そのうちどこかで会うこともあるだろうと思ってはいたけれど。まさかここで彼女助けられることになるなんて。
「貴族に叛逆できるって凄く生き生きしていたよ。ウィンと互角に戦っていたから鍛錬も相当積んだんだろうね。おかげでペンも取り戻せて、僕も逃げ出せたんだ。二人の決着はつかなかったみたい」
そんな彼女は今街の南にある学舎でマガドワの爺さんと共に平民たちを護っている、とルトが教えてくれた。
「ちなみにお兄ちゃんも一緒よ。貴族街と違って南は魔物に対抗する術がほとんど無いもの。教会の魔術師の多くは南に配置されているはずだわ」
「そうか、アスハイルも……」
「居合わせた冒険者は街の周囲の警戒を、その中でも高ランクの冒険者たちは黒い鳥の足止めをしているよ。勇者パーティとかね」
「学院の生徒を含めて貴族は最低限の自衛ができるし、王城には騎士団の人間も集まっていた。王都は強い街よ。これ以上犠牲者は増やさない。だから安心して」
話を聞いて素直に凄いな、と思えた。聖樹の結界に護られてきた平和しか知らない街と侮っていたが、思っていた以上に組織間の統率の取れた立派な街である。国王の采配が良かったのかとも思ったが、それはどうやら違うらしい。
「それもこれも今まで表にはほとんど出てこなかったダフディラート殿下が指揮を執ったおかげなのよね。正直、あんなに立派な方だとは思っていなかったわ」
「ああ、あれは彼の魔術だよ。ネルイルの回復魔術に似ているけど少し違うね。彼の使う魔術には不安を和らげる効果があるんだと思う。だからこそ人は、この人の言葉なら大丈夫、信頼できるって感じるんだ」
「なるほど。だからか」
その説明で腑に落ちた。第二王子であるペールバルクが兄を完璧と称した理由。
第一王子ダフディラートは魔術の才が王族の中でも飛び抜けて高いのだという。今回指揮を執っていることからしてもかなり優秀な人物であることが窺えるわけで、その上でルトの言う通りの魔術が使えるならば、それは正しく王の器と言っても過言ではないと私は思う。
人の上に立つべき人間なのだ。追いかける者からすれば、手を伸ばしても届かぬ太陽のようなものだろう。
兄上を越える、か。
ペールバルクが聖樹の結界を消して何をしたかったのかは知らないが、そんな偉大な兄を越える為ならば多少の犠牲も已む無しとなるのも仕方のないことなのかもしれないな。全く同情はできないけれど、理解だけはできる気がした。




