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放浪のエル  作者: ゆう梨
第五章
197/215

百九十五



 結局のところ、夜でも問題なく獲物を認識していたグリフォンとは戦うことになり、魔術を駆使して二体を纏めてなんとか倒した頃には私の体力も既に限界に近かった。辺りに散らばって様子を窺っていたハーピーたちは敵わないことを悟ったのかいつの間にか追いかけても来なくなっていて、時折見かけるペガサスの群れはやはり争いを好まないようで近付いてすらこない。これでようやく安全に聖樹を登れるというものだ。


 

 周囲に魔物の影が無くなり風の音以外に何も聞こえなくなっても辺りはまだ暗い闇に覆われていた。現在の正確な時刻はわからない。けれどそろそろ夜も明ける頃だろうかと思いながら見上げた先には聖樹の頂上らしきものが見え始めている。この暗闇でも見えるのは、精霊の街や階段にもあった光の粒が上に行くほど多く浮かんでいて、暗い夜空にそれをうっそりと浮かび上がらせているからだ。


 目を凝らしてよく見てみれば真っ直ぐに天に伸びる幹から無数に別れた枝が絡まり、空を押し上げるような形に広がっている。絡まった枝の先端は太い聖樹の幹よりも更に外側に張り出していて、まるで巨大なキノコの下に入り込んだような感覚だった。この距離に来てようやくそれが見えるのだから、やはり聖樹は場所によって見え方が変わるという高度な認識阻害が働いているのだと思う。


 

 ともかく、この絡まった枝の上に出るには下から回って行く他はなさそうだ。真っ直ぐに突っ切れたら一番楽なのだけどギッチリ絡み合った枝の間にはほとんど隙間も無く、子供の体でも通れそうにない。夢で見た光景を思い返せばおそらくこの上は普通に歩けるくらい平らに枝が敷き詰められているはずだから当然と言えば当然か。ならばこれはもう必要ないな、と私は持っていた剣を腰の鞘に収めた。



「そういえば、聖樹が消えたらお前たち精霊はどうなるんだ?」



 体への負荷を考えて魔力の使用は最小限にするため幹の亀裂を掴んで地道に登りながら、ふと脳裏に浮かんだ疑問を投げかけてみた。敵がいなくなって気を張っておく必要もなくなったからようやく考える余裕が出てきたとも言える。

 ローブの下から出てきたテテとトトはグッと一度体を伸ばした後、顔を見合わせてそれからその問いに答えてくれた。自ら発光している精霊の大袈裟な身振り手振りは夜の闇の中ではよく目立って、少し目がチカチカするのだけど。



「テテたちは消えないよ。聖樹の魔力から生まれたけど繋がってはいないから!」


「トトたちはどこにでも行けるよ。だからみんなで神様(エル)に着いていくことにした!」


「それはまた……賑やかになりそうだな」



 幹を登りきり、そのまま真横に広がる枝に手をかける。向きを変えてぶら下がれば視界に飛び込んできたのは、どこまでも広がる雲の海だ。

 

 暗い闇に蓋をするように。月明かりなのか聖樹の影響なのか薄らとした光に照らされた雲が見渡す限りの眼下に広がっていた。登っている最中はあまり気にしてはいなかったのだけど周囲はこんなにも雲に覆われていたのだな。この様子だと地上は今星も見えていないのだろう。

 

 吹き抜ける風は思ったよりも強く、聖樹の魔力のおかげで環境の影響は抑えられているとはいえ、流石に少し寒さを感じた。吐く息はもうだいぶ前から白い。



「私に着いてきても面白いことなんてないかもしれないぞ」


神様(エル)が面白いから大丈夫だよ!」


神様(エル)は強くて凄いから面白いよ!」


「なんだそれ」



 相変わらずたまによくわからないことを言う。クスリと笑いながらも強化した腕の力だけでひょいひょいと枝を掴んで前へ。


 それからしばらく、たわいもない会話をしながら進んだ私が枝の先に辿り着いた頃には、空はほんのりと色付き始めていたのである。



 





 少し迫り上がった枝の先を乗り越える。厚さはほとんど無いようで、体を乗せるとそこには夢で見た通りの平らな地面が広がっていた。思わずペタリと座り込んだ私が感じたのは全力で走り回った後のような息苦しさと、胸の内側から湧き上がってくる不思議な高揚感。



「着いた……」



 ぽつりと溢れた言葉が吹き抜ける風の音に溶けて消える。空のその先にまでもを見渡せそうなこの場所には見渡す限り何もない。それでもやらなければならないことだけはしっかりと頭の中にあって、呼吸を整えた私はゆっくりと立ち上がって歩き出した。



 聖樹の頂上にあるという篝籠(かがりかご)に火を灯す。トロップはそう言っていたはずだ。けれどそれらしきものがここには無く、ただ平たい枝の地面が続いているだけだった。

 

 だから多分……いや、きっと。

 この場所自体が篝籠(それ)なのだと思う。


 私が向かうのはその中心。特に考えずとも自然と足が前に出た。一歩、また一歩と踏み出す度に体が熱くなってくる気がするのは、私の内にある消えかけていた魔法陣が輝きを取り戻してきているのがわかるからか。



「わぁ、神様(エル)の目が光ってる!」


「わぁ、お月様みたいで綺麗だね!」



 顔を覗き込んでくるテテとトトの声が遠くに聞こえるのは何故だろう。それよりも私の目が光ってるっていったいどういうことだ。と、頭は通常通り動いているのに聞き返そうとするとそれができなくなっている自分にここで初めて気付く。

 足だけは前に進んでいるのに意識と体が繋がっていないような不思議な感覚。何が起きているんだと軽く混乱しているとそれを察したのかエラの言葉をテテとトトが届けてくれた。



「幻獣に呼ばれているんだってエラの魔法が言ってるよ!」


「契約を通して誘導しているんだってエラの魔法が言ってるよ!」



 なるほど。シロはこの契約を通して私を操ることも可能なのか。いや、初耳なんだが。


 今までその言葉や態度で私を誘導して何かをさせることはあったけれど、わざわざそんな回りくどいことをしなくても、こうして強制的に動かすこともできたんじゃないか。その方がきっと手っ取り早かっただろうに。……まぁ、それをしなかったのはおそらく、お前は放し飼いの方が良いと最初に言っていたあの言葉の通りなのだろうけど。


 一先ず危険なものではないとわかったから良しとしよう。この何もない場所で誘導してくれているだけのようだし。害がないのならばシロに呼ばれているというのは、私としては頼られているようで結構嬉しい。


 

 そうして素直に従って歩いた先にあったのは、渦のような模様になっている枝の地面だ。よく見ればこの模様から広がるように外側に向けて枝は伸びている。ここが中心であることは明らかだ。


 シロの誘導も解けて、自由に動くようになった手を何度か握ったり開いたりを繰り返してから私は静かに腰を下ろす。風の音を聞きながら目を閉じてみれば、この辺りの魔力はシロそのものだと感じられて、それが分かった途端に胸の奥に込み上げてくるものがあった。



 離れていた時間で言えばそう長くはなかったと思う。でも、この国を旅する間は常に側にはシロがいて、私がそんなシロをどこかで心の拠り所にしていたことくらい自分が一番分かっていた。シロが消えてからここまで取り乱さずに来れたのは、必ずもう一度会えることがわかっていたからに他ならない。


 再会できたらあのふかふかな羽毛に埋もれてしばらくは寝て過ごしたい。離れていた間の出来事を一つ一つ話して聞かせたい。そうしてまた一緒に旅がしたい。と、ゆっくり目を開けた私は、先程よりもずっと綺麗に明るくなり始めた空を見た。



 ――もうすぐ、夜が明ける。



 頭の中で術式を巡らせた。イメージするのは夢にも見た白い火。普通の火ではダメなのだとこの時の私は不思議と理解していたから。輝きを取り戻しつつある魔法陣を通して流れ込んでくる魔力と火の魔術を合わせて発動させる。

 

 そうして両手の平を水を掬うように前に出せば、シロの魔力で作られた火がポッと優しく灯るのだ。熱くはない、再生の火。私を死の淵から救ってくれたシロの火だ。これは本当にいつ見ても――



「綺麗だな……」



 そう、呟いた声を、風が溶かした瞬間だった。



「待って!何か変だってエラの魔法が言ってるよ!」



 側にいた精霊二人が同時に声をあげるのを聞いた。



 パリンッと何かが割れるような音と同時に胸の中心に衝撃を感じたのはその時だ。一瞬遅れて視線を落とすと、何か黒い煙のようなものが形を持って動いている。視線だけで元を辿れば煙のようなものは私の腰にある収納袋の中から伸びていて、それは不規則にうねりながら私の胸を貫いて――



 ゴボ、と口から出ていったのは大量の血だ。痛みを感じるよりも先に視界が揺れてパタリと倒れる。


 手の平から溢れた火が地面に落ちて瞬く間に燃え上がり、そして黒く染まるのを遠退く意識の最後に見た気がした。



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