百九十四
引き続きトロップ視点のお話です。
謁見の間を後にして、そのまま王城から外に出たわたくしたちの間に流れる空気は酷く張り詰めたものだった。もう少しで計画が上手くいきそうだったところに突然不確定要素となり得るダフディラート様が出てきてしまったのだからそれも仕方のないことだけれども。
「――クソッ!!」
「ペールバルク様。お行儀が良くありませんわよ」
道端の草を感情に任せて蹴り上げた彼は、一度立ち止まって深呼吸をしてから再びわたくしの横に並んだ。その後ろを距離を取って着いてくる今日の護衛は、ペールバルク様が特に信頼を寄せている騎士団長ベイル・ディラー侯爵だ。だから今日は少し大袈裟に幼さが表に出ているのかしら。ベイル団長はこの王子様を幼い頃から支えている内の一人だから。
「まさか兄上があの娘を気にいるとは思わなかった。そもそも何故牢に繋がれた囚人と王太子である兄上が知り合うことになる?いくら自由な人だからと言っても遊びで牢に行くことなどあり得ない」
「それに関してはおそらく、わたくしたちがあの娘の芸を甘く見ていたのでしょうね。踊りという娯楽はそんなに魅力的なものなのかしら。一度見ておけばよかった」
「社交のダンスが嫌いなお前が心を動かされるようなものだとは思えないが……あの娘に関しては噂好きの兄上の耳に入ったが最後、か。賭けがどうのと話していたが、いったいどんな賭けをしたのやら」
「賭けに負けて全てを捧げる。なんて素敵なお話なのかしら。一度言われてみたいものですわ」
「……ウィンがいるだろう。あれはお前に全てを捧げているように私には思えるが」
「ふふ、そうですね。わたくしはウィンを誰よりも信頼しておりますから」
恋心というものは本当に便利で扱いやすいものだと思う。ウィンの中にそれがある限りこの信頼が揺らぐことはない。わたくしは人を愛する気持ちがわからないから返してあげることはできないのだけど、ウィンはそれでもいいと最初に言ってくれたから。わたくしが彼に返せるものは信頼と、それから――。
「それよりもエルの方はどうなのだ」
「残念ながら、昨日交信が途絶えてからは何の音沙汰もありません」
「まさか、」
「いいえ。生きてはいるでしょう。何かと会話をしている様子でしたから、もしかしたら精霊に悪戯をされているのかもしれませんわね」
「精霊、だと?」
聖樹が魔力の塊だとすれば、精霊がいてもおかしくはない。けれど純粋な精霊など見る機会は現代ではほとんど無いものだから、隣を歩くペールバルク様は半信半疑といった様子だった。
「まぁ、生きているならば良い。あの子供には予定通り聖樹の結界を消してもらわねば」
「ええ。結界が無くなれば民を襲うのは不安と恐怖。新たな結界による救いはきっと貴方を次期国王に押し上げます」
――そんなことにはならないのですけど、ね。
聖樹の祭壇が見えるところまで来て、現状報告を聞く為に騎士団の方々がいる方へと歩いて行った彼の背を黙って見送った。誰よりもこの国を思い、民の幸せを願う、とても真面目で努力家なわたくしの婚約者様。業を背負う覚悟を決めてまで進めた貴方の此度の計画は、容易く破られるとわたくしは既に予言しているの。ああ、可哀想なペールバルク様。
クスリと浮かんだ笑みを指先で覆って隠しながら、結晶体でエルに交信を試みてみたけれど相変わらず応えてはくれそうになかった。もしかしたらこれの秘密に気付いてしまったのかもしれない。エルってば、ちっともわたくしの思い通りに動いてくれないんだから。
「ふふ。でも、貴女は必ず火を灯してくれるものね」
これも既に予言したこと。ここまで近い未来の予言が外れることなどそうそう無い。懸念が一つあるとすれば、エルが交信を止める直前に言ったあの名前――エラ。
ラトリッチ家で管理する鍵で入れる図書館の地下書庫。そこで保管されている古い資料には度々登場するその名前。男性か女性かもわたくしにはわからないのだけれど、幾つか読み取れることはある。
一つ。エラは最初の魔術師の一人だということ。
五人いるとされる最初の魔術師は実のところ、歴史書に名前が正確に残されているのはその内の二人だけなのだ。有名なのがラトリッチ家のご先祖様に当たるロキル・アンティ。それからもう一人は地下書庫の創造主、知識の精霊ラグーン。エラはそこに名を連ねる人物ということになる。
二つ。エラはロキルと度々対立していたらしいということ。
地下書庫にある古い資料の中にはロキルの手記が残されている。そこに書かれた怨みつらみは全てエラに対するものだった。二千年は前の話なので実際のところはわからないのだけど、少なくとも良好な関係とは言えなかったことは窺える。
三つ。エラは自分の力を制御することができていなかったこと。
エラの出自は不明である。というのも、エラは当時のロキルですら解明できない力を持っていたようなのだ。突然消え、突然現れる。それも成長しない子供の姿で、時間という概念すら飛び越えて。そんな人物をロキルは手記に次のように綴っている。
――時渡りのエラ。
時間という流れに干渉する力を持ち、本人すら制御できずに遥か昔から時代を渡り歩いてきてしまった人。その旅が二千年前に終わりを告げたのは、力を制御する術が生み出されたからに他ならない。
人はそれを魔術と言い、魔術を扱える者を魔術師と呼んだ。つまり、わたくしたちの使う魔術とは元はと言えばエラの為に生み出されたものなのである。
そんな人物がクラヴィア様のご先祖様に当たるのだと知ったのはいつだったか。辺境伯と共に王都を訪れていた彼女がご実家の者と話しているのを聞いてしまった時だったかしら。
度々時間に関する力を開花させる者が産まれるというグランディ家でただ一人、未来を視ることのできた人。希少な魔術を扱える人材だったのに、周囲の反対を押し切って辺境の地へ嫁いでしまった人。クラヴィア様のことも産まれた娘のことも、良く思っていなかった人間はきっと身内にこそ多かったはず。
あの時、わたくしは幼いながらに思ったの。希少な力は表舞台で使われてこそ価値がある。クラヴィア様はその価値を自ら捨ててしまったのだと。
いらないのなら譲ってくださればいいのに。
わたくしならもっと上手く使えるのに。
彼女を見ていると家族にすら認めてもらえない自分が惨めに思えてきてしまう。あの時の気持ちと、握りしめてくしゃくしゃになった黒いドレスは今でもはっきり覚えている。
ラトリッチ公爵家の一人娘として将来は王族の妻になるべく生を受けた自分。その人生は誰かの後ろに付き従うことを義務付けられたようなものだった。
この名に釣られて周りに集まってくる人々に興味なんて持てるはずもない。それよりもお父様の事業の方が何倍も魅力的に見えていた。工房を見学させてもらうことも多く、幼い頃のわたくしは大人の技術者たちに混ざって機械弄りをしている時間が何よりも心休まるひと時だった。そうして当然のようにのめり込んでいくことになる。
けれどどんなに頭を悩ませて画期的な道具を生み出しても、王族の妻にそんな能力は必要無いと言われるの。当然よね。そんなものに時間を費やすくらいならダンスの練習でもしていた方がよっぽど将来の役に立つ。
でも、でもね。好きなものって、どうしたって好きなのよ。
だから必要ないと言われても続けたわ。わたくしの作品は必ず人々の役に立つ。続けていればきっといつかは正当な評価をしてくださるはず。そう、信じていたから。
続けた結果がどうだったか。わたくしの作品はわたくしも知らないうちに、ラトリッチの製品として世に出回っていた。――どうして盗むような真似をするの。それはお父様が考えたものではないでしょう!せめて一言でいいから事前に声をかけてくれていたら……!!
どうしても納得がいかずにいたわたくしに、お父様は言った。
「トロップ、お前は女だ。名を前に出すわけにはいかないのだよ。そもそも、いつまでもドレスを汚すような遊びを続けていてはペールバルク様との婚約もどうなることか」
「お父様、お父様。わたくし、将来は自分の工房を持ちたいの。人々の生活の役に立つ道具をたくさん生み出して、わたくしにもできるって証明してみせるわ。だから、遊びだなんて、言わないでっ……」
「そういうことはうちの技術者か教会の魔術師に任せておけばいい。厳しい言い方をするようだが、わざわざお前がやらずともお前以上にできる者はいくらでもいる。トロップ。お前にはお前の役目があるだろう」
「でも、でも……わたくしは……!」
どうして?
どうして!?
どうして認めてくれないの!!
夢も才能もお父様にすら認めてもらえない。やりたいことをやらせてもらえない。その状況が当時七歳だったわたくしには耐えられそうもなかったの。
魔吸鉱物との出会いはその頃だった。ラトリッチの工房に搬入されるのを偶然見てしまったのが全ての始まりね。あれは加工の難しい鉱物だけれど、わたくしはその技術を見てすぐに理解することができた。できてしまった。
お父様に内緒でこっそり抜き取ったその鉱物を部屋に持ち帰ってすぐに道具を作ったわ。そして、とても、とても驚いた。だって、あの鉱物を使えば、人を不幸にする道具が簡単に生み出せてしまうから。
わたくしの人生の歯車はこの時に壊れてしまったのかもしれない。
ああ、もう十年以上も前のことを今になって思い返すだなんて、その時が近付いている証拠かしら。なんだか不思議な気分だわ。
聖樹の上に視線を向けて、その先にいるであろうエルを思って目を細める。
わたくしは知っている。
全てが動き出すのは、次の夜明けだということを――




