百九十三
今回はトロップ視点のお話です。
エルからの交信が途切れた翌日の朝。最後に聞いた名前が頭から抜けず眠れない夜を王城の一室を借りて過ごしたわたくしは、突然呼び出されて訪れた謁見の間で大嫌いな理不尽に直面することになった。
「今、なんと?」
思わず聞き返してしまった声は震えていたかもしれない。隣に佇んでいるペールバルク様も酷く困惑した面持ちだった。今回の件に並々ならぬ覚悟を持って挑んでいた彼にとってもこの状況は受け入れ難いものだったに違いない。
玉座に座る金髪の人。この国の国王であらせられるグラム・ローサンティス国王陛下。その横に立つのは母譲りの見事な赤髪に国王陛下と同じ金色が混ざった長い髪を、束ねて肩から前へ流している人。わたくしも滅多にお会いすることのないこの国の第一王子、ダフディラート・ローサンティス王太子。そして。
――どうして貴女がそこにいるのかしら。
ダフディラート様の横に並ぶ着飾った踊り子の姿は、いつぞやの報告で聞いた通りの美しい装いだった。クランデアの街の催しで着用していたという踊り子の舞台衣装。牢に繋がれていたとは思えないくらいに肌も髪も整えられていて、事情を知らぬ者ならばそこにいるのが囚人だとはきっと思わない。
今日は刑の執行の日。エルからの交信も無く、彼女の処刑は予定通り執り行われるはずだった。その知らせを待っていた。
なのに、なのに。
ああ、これだから、待つって嫌いなのよ。
目を細めるわたくしの視線から隠すように、ダフディラート様は彼女の前に出て再びそれを宣言する。
「この美しい踊り子シンディを妻に迎えると先程決めた。以後、囚人として扱うことは俺が許さない」
なに、それ。
なにそれ。
なによそれ。
「お言葉ですが兄上!!」
先に声をあげたのはペールバルク様だった。当然だ。ダフディラート様が婚約者どころか妻となる女性を定めることで一番困るのは彼なのだから。
一歩前へ歩み出た彼の握りしめた拳が震えているのが見えた。
「その者は許されない罪を犯しました。兄上のお相手には相応しくないのではありませんか。現場を目撃した者も多勢おります。その者たちの証言を全て消し去ることなど不可能です!」
そもそも、今まで誰に言われても婚約者すら拒否していた人がどうして突然結婚する気になったのかと。隠しきれない怒りを滲ませた声は謁見の間によく響く。
「そう、結婚だ。そんなものには全く興味が無かったんだよ俺は。そのせいで王位継承権が剥奪されるというのならそれでも構わなかった。――だが」
今は違う、と言い切ったその人は、振り向いてそこにいる彼女の手を優しく掬い上げるのだ。
王太子のくせに嫌なものははっきり嫌と言う身勝手な人。身分に縛られず自由を貫いてきた人。世間知らずを理由に大切に隠されてきた人。そのくせ一度声を上げれば誰もが耳を傾けてしまう、努力も研鑽も無価値と蹴り落とすような羨ましいくらいの求心力のあるこの人が!
「俺はこのシンディの為に、王になると決めた」
「そ、それはちょっと……その、困るのですが……」
「どうして。俺たちの賭けはキミの勝ちだった。ならば俺は全てをキミに捧げる義務がある。王妃の席はお気に召さないか?」
「そういうお話ではなくてですね!ディは今まで通りエルたちと旅がしたいのです!だから……!」
「ああ、わかっているさ。ただ、できる限りここに帰ってきてほしいのだ。その為に城を拠点にしてくれても構わないと――」
「そんなことが許されるはずがないでしょう!!」
たまらず声を張り上げたペールバルク様がツカツカと二人に歩み寄っていく。彼女をまた背に隠したダフディラート様は目を細めてそれをジッと眺めていた。
わたくしから見ても可笑しなこを言っているのはダフディラート様の方なのに、堂々と立つそのお姿はそれを全く感じさせないものだ。こちらが非難されている気さえする。本当に、存在が理不尽な人。
「兄上はご自分が何を仰っているのかお分かりなのですか!王妃が旅!?城を拠点に!?何を馬鹿なことを!!貴方は王族の格を落とす気かッ!!」
「格と言うならお前こそ。話を聞いて大体の事情は理解した。シンディに罪を着せたのはお前たちの方ではないのか?あのような卑劣な真似をしておいてよくもそんなことが王の御前で言えたものだ」
「なに、を……」
ああ、ああ、もう、大嫌い。
自分勝手な世間知らずのくせに。何もしなくたって産まれながらに全てを持っているくせに。人が必死で伸ばす手を簡単に踏み付けてしまう。人が積み上げてきたものを一瞬で奪っていってしまう。嫌いよ、こんな人。大っ嫌い。
強い言葉に怯んで一歩下がったペールバルク様の向こうでその人が次に見るのは、こちら。
「トロップ嬢。キミの周辺を改めて調べさせてみようと思う。何が出てくるだろうな?」
「さあ。なんのことでしょう。わたくしには思い当たるものがございませんわ」
いつものように笑いなさい。何を言われたって怯むものですか。どんな理不尽が相手だろうが何をしてでも最後にわたくしが立っていればいいだけのこと。
甘く見ないでくださいな。
「国王陛下」
静観している国王を見上げて口を開く。するとその赤く鋭い目が刺すようにわたくしを見た。このお方はいつも誰に対してもそうだから今更臆することはない。魔物や亜人が蔓延るこの世界で人間がこれからも生きていく為に、国王陛下が求めているものが何かということくらい理解しているわ。
「結界の方はお伝えした通り既に準備は整っております。後は時を待つばかり。数日もすればこの国は長きに亘る魔物の支配から解き放たれ完全なる独立国家となることでしょう。ですからどうか、成功した暁にはお約束通りの名誉を賜りたく存じます」
「っ、国王陛下。私どもの行動は全てこの国の未来を案じてのもの。此度の儀式も必ずや成し遂げてみせましょう。それまでその決断はどうかお待ちいただけませんか」
わたくしの後に続いてペールバルク様も二人の側から国王陛下に向き直る。彼の必死さは誰が見ても明らかだ。そこがまだお若いということなのかもしれないけれど、理不尽な王子よりもずっと好感が持てる。
王都の結界は聖樹の副産物。そんなことは王族はもちろん、王族に近しい貴族ならば当然知っていること。幻獣が転生を果たせば否応なく消えてしまうそれにいつまでも国の中心の護りを任せておくのは危険である。何より魔物の力に頼り続けるというのは人間としてどうなのか、と。長きに渡るこの問題を解決する為にペールバルク様は婚約者であるわたくしを巻き込んだ壮大な計画を企てた。
それは、大勢の魔術師による新たな結界の創造。
聖樹の結界は昔から多くの魔術師がその原理を解き明かす為の研究を積み重ねてきた。けれども未だにそれが達成されていないのは、人間の魔術と聖樹の結界が同じ力ではないのが原因だと一部の者は知っている。だからこそというべきか、いつしかそれは魔術師の悲願となり、研究を続け原理を解き明かしそれを制御することこそがいつかは国の為になるのだと誰もが信じて疑っていなかった。
解明できないものにいつまでも時間を費やして何になる。いずれ消える物に縋り付くくらいなら制御可能な結界を新たに作ってしまえばいいのに、と。躍起になって研究に没頭していた魔術師たちにそう告げたのはまだ幼かったペールバルク様だったという。
彼は三歳という幼さで一部の魔術師の価値観を大きく変えたのだ。それが今から十七年前。そこから始まった新たな研究は、ペールバルク様主導の元に秘密裏に進められていた。
わたくしがそこに加わったのは研究が始まって四年後だったかしら。未来を予言するわたくしの魔術に価値を見出してくれた彼の隣を歩むことを選んだのもその頃だった。
魔術による結界は既に完成している。あとはそれをどれだけ多くの人々に印象付けられるかどうか。
王とは成るものではなく、押し上げられるものだとペールバルク様はわたくしに告げた。だからこそ、頃合いを見誤ってはいけない。
「いいだろう」
国王陛下のお言葉はそのたった一言だけだった。けれど、それが聞けただけで良い。ペールバルク様はこの最後の機会をみすみす逃すほど馬鹿じゃない。
「ありがとうございます。必ずやご期待に応えてみせましょう。――兄上」
深々と頭を下げた彼が顔を上げて側に立つ兄を見る。そこには怯みも迷いもない。それだけ彼は自分の研究に絶対の自信を持っているのだから。
「その席は私がいただきます。貴方には任せられない。任せて良いはずがない」
「……お前は、」
ペールバルク様はそれ以上を聞かず、踵を返して歩き出した。わたくしも一礼してその後に続く。最後にチラリと見た彼女の顔はもう怯えるだけではない、確かな覚悟が宿っている気がした。
ああ、わたくしの嫌いな顔だわ。短期間でこうも変わるのだから人間って不思議よね。――本当に、気に食わない。




