百九十一
そういえば、気にせず戦ってしまったがテテとトトは大丈夫だっただろうか。そう思って頭の後ろに意識を向けてみると「目が回ったー」と微かに唸る声が二人分聞こえてくる。とりあえず無事ではあるらしい。それなら良かったと小さく息を吐いてからしばらく燃える炎の籠を眺めていたら復活してきたテテとトトがよろよろと視界に入ってきた。
「神様、凄かったね」
「神様、強かったね」
「お前たちは少しは反省したか?」
二人の腰の辺りにはしっかりと私の髪が結び付けられている。髪への執着などさほど有りはしないのだが、これは正直あまり気分の良いものではない。私にとって髪とはシロとの繋がりをわかりやすく感じられるものだったから。どうやら私は他の奴に髪を雑に扱われるのが気に食わないらしい。
「エラはどうだったか知らないが、人の髪を許可無く弄るのは無しだ。わかったか?」
「はぁい」
しょんぼりとした二人が揃って返事を返してくれたので、この件はもう水に流そうと思う。
「さて。そろそろ上に行きたいところだが……」
グリフォンとの戦いの中で上がったり下がったりしたせいで今どの辺りにいるのかがよくわからなくなってしまっている。せめて階段の出口の場所がわかればいいのだけど軽く辺りを見渡しても簡単には見つかりそうにない。まぁ、登ることに変わりはないのだし、と諦めかけたところで結んだ私の髪を丁寧に解いたテテとトトがひょこりと視界に入ってくる。
「出たところよりは少し上だよ。エラの魔法も解析は順調だって言ってる!」
「頂上まではもう少しだよ。それにしても派手に暴れたなってエラの魔法が笑ってる!」
「いらない情報まで混ざってる気がするんだけど」
それはともかく、案内役ってこういうことだったのか。
聖樹の精霊であるテテとトトは今がどの辺りなのかがわかるらしい。エラの様子をまるで見ているように語れるのは、同じ精霊同士が離れていても意思の疎通が可能だからだろうか。あの家の周りには精霊が他にもたくさんいたし、もしそれが可能ならエラがわざわざ二人を私に付けてくれたことにも納得だ。
グリフォンみたいな厄介な魔物がいるなら先に教えてくれたらよかったのに。そんな文句を言ってやろうかとも思ったが、笑い飛ばされて終わりそうなので諦めた。
再度視線を落とせば炎はまだ燃えたままで、もがき苦しむようなグリフォンの鳴き声も絶えず聞こえてくる。流した魔力は相当な量だからきっと中のものを燃やし尽くすまであの籠は消えることがない。だから私はそれには構わず先に進もうと決めて今度は上空に視線を向けた。
「この上にまだ魔物はいそうか?」
「いるよ!グリフォンがあと二体!」
「いるよ!ペガサスもたくさん!」
「伝説が集まりすぎだろう……」
いや、わかってはいるのだ。その中でも一番希少なのが幻獣フェニックスだということくらいは。ただ私がシロといた時間が長いせいで感覚が狂っているだけだ。
しかしあのグリフォンがまだ二体も残っているというのか。それがわかれば流石にこのまま進むわけにはいきそうもない。ペガサスの方も未知数であるし、できればどこかで少し休んで魔力の回復を待ちたいところである。このまま連戦は流石に不可能だ。
どこか休めそうな場所はないかとテテとトトを交互に見ると、二人は少し考える素振りを見せた後「あるよ!」と上を指差した。案内してくれるそうなので私は魔力を温存する為に魔術は手足を強化するだけに留め、亀裂を掴みながら幹をゆっくり登ることに。
そうしてしばらく進んだ先で私は懐かしさすら感じるその場所にまた足を踏み入れることになった。
幹にぽっかりと開いた穴の奥、綺麗にくり抜かれた内側は最後に見た時とほとんど変わっていないように感じられる。約三ヶ月もここで過ごしたとは思えないほどに特に物も無い、木の香りが漂うシロの寝床。開いた穴から中を見渡すと、端っこに数体白い魔物が固まって休んでいるのが見えた。
白い馬の背に白い翼。たてがみや尾、蹄まで真っ白い見事な魔物である。あれは――ペガサスか。今さっき聞いたばかりで早速出会すことになろうとは。一応警戒はしたものの向こうから攻撃を仕掛けてくる様子はない。どうやらペガサスというのは戦闘を好む魔物ではないようだ。
迷うことなく中へ入っていったテテとトトを追いかけて私も久しぶりに足を踏み入れると、一瞬こちらを見たペガサスたちはすぐに興味を失ったのかブルルと軽く鼻を鳴らして元の体勢に戻っていた。
見た感じは私のよく知る地上の馬と体の大きさはほとんど変わらない。数えてみればここにいるのは全部で六体。成馬に近い大きさの個体が五体と、それに囲まれるように一回り小さな個体が混ざっている。魔物は成長をしないから大きさの違いは単なる個体差だろう。
「テテ、トト。悪いが少し、寝かせてくれ……」
ペガサスたちと距離を取って壁に背を預けて座ると、途端に強い眠気に襲われた。この空間が落ち着く場所だと体が覚えていたのもあるかもしれない。二人の返事は聞こえたけれど何をいっているかは眠気のせいで理解できなかった。
シロの魔力を使いすぎた時ほどではないようだが、どうやらグリフォンとの戦いは相当体に負荷が掛かったらしい。連続した属性違いの魔術の使用に急激な魔力の減少は今後気をつける必要がありそうだな、とぼんやりと思いながら私はそこで糸が切れたように眠りについたのである。
そこから半日ぐっすり寝た私が目を覚ました時、真っ先に視界に入ったのは白く美しい毛並みだった。シロの背で寝ていた時も目が覚めるといつもこんな光景だったなと思い出してつい伸ばしたその手を突然バクリと何かに噛みつかれる。飛び起きたのは言うまでもない。
「何!?なん、だ、お前!?」
「ふしゅー」
白い体に白いたてがみ。間近で見ると目だけは黒い。背にある翼は思ったよりも小さいが、それはこいつだけの特徴かと冷静になれたのは一瞬で、歯は立てられてはいないようだがもぐもぐと食まれる感触が気持ち悪くて気付けば手を引き抜いていた。
「どうしてペガサスがこっちに……」
「ふしゅん」
魔術で集めた水で手を洗いながら、離れて座ったはずではとそいつの後ろに目を向ければ、他の五体は最初に見た時からほとんど体勢が変わっていなかった。私の手を食んだのは奴らの真ん中いた体の小さな個体である。
「あっ、神様が起きた!」
「わぁ、神様おはよー!」
「ふしゅっ!」
「なんか増えた……って違うだろ……」
視界に飛び込んできたテテとトトはもう慣れたから良しとして、それに続いて何故か嬉しそうに鼻を鳴らすペガサスが目の前にいるのは絶対に可笑しいだろう。しかもなんだその音は。まるでくしゃみだな。
テテやトトと一緒になって何かを話しているようだが私にはそいつの言葉はわかりそうもなかった。しかし会話は成立しているらしい。
「あのね。この子、人間を見たのが初めてだったんだって!」
「聞いていたより怖くなさそうだから近くで様子を見たくなったんだって!」
「そりゃあ寝てたら怖いも何も無いだろうけどさ」
目を覚ました途端手を噛まれるのは流石にこちらも少し驚く。こればかりは後から来て無用心にも寝始めた私が悪いのだけど。でもあの状況で反撃し始める人間もいるはずで、私じゃなかったらどうなっていたかはわからないのも事実である。
ペガサスと言えばグリフォンと並ぶほどの伝説級の魔物と知られている。性格は比較的温厚ともなれば欲しがる貴族は多いだろう。どう考えても安易に近付いていいものではない。
「人間はお前が思っているよりずっと怖い生き物だよ。近付かない方がいい」
「ふしゅんっ」
「伝わっているのかこれ?」
聞けば人間の言葉は理解できているとテテとトトは教えてくれたけれど、どこか嬉しそうに鳴らした鼻を私の頭に押し付けてくるから本当のところはわからなかった。
その後。払いのけようとして手で触れたそいつは驚くほど手触りが良くて、堪らずわしゃわしゃと撫で始めてしまった私はしばらくの間時間も忘れてその感触を堪能することになるのである。




