百九十
グリフォンと言えば幻獣とまではいかないまでも伝説とされている魔物である。そんな奴とこんな場所で出会うことになろうとは。驚きはしたがとにかくまずはと私は全力で回避に専念することにした。
聖樹の内部に戻れたら良かったのだが出口は既に見失ってしまっているので不可能である。風の魔術を足元に発動させグリフォンの影から抜けるように斜めに飛び上がってみたはいいが、それが悪手だと気付いたのは同じような風の渦が辺りに幾つも生成されたことに気付いた瞬間だった。
「っ、引っ張られる!」
「わー!飛ばされてるー!」
「きゃー!掴まれ掴まれー!」
「こんな時でも、楽しめるのすごいな!?」
乱れた気流に足元の魔術は消え空中に投げ出されてしまった。ぐるぐると回る視界に私は上も下もわからない状況なのにすぐ近くではテテとトトの楽しげな声が聞こえてくる。何やら髪が引っ張られている気がするのはなんだろうかと思っていれば「ぎゅっと縛ったよ!」「こっちも縛れた!」と耳を疑うような会話まで聞こえてきてついギョッとした。こいつら、人の髪で体を縛って固定したのか!?
「なにやってんだ……ってそんな場合じゃなかった……!」
気付けばもう目の前までその巨大な魔物が迫っていた。鋭く尖った爪を持つ鳥の前脚がグンと伸ばされたことに気付き、反射的に腕と剣を強化して振るう。しかしハーピーにも効かなかったものがグリフォンに効くわけがない。剣をぶつけて体を逸らすことでなんとか掴まれることだけは回避したものの、次にやってくるのは硬そうな羽で覆われたグリフォンの胴体だ。よく見れば一枚一枚が刃物のように鋭利な羽である。
思わず顔の前で手を交差させて衝撃に備えた私はその瞬間、白い魔力が自分の内側からぶわりと広がっていくのを見た。そして。
――まったく、世話が焼けますね。
そんな声が聞こえた気がしたのだ。
グリフォンの胴体に衝突し、そのまま軽く弾かれたものの、覚悟した痛みは一切やってこなかった。何が起きたのか分からず閉じていた目を開けると、微かに光る白い魔力が薄い膜のように私の体を覆っている。これは結界だと気付けたのはシロの魔力で私が何度も使っていたものと似ていたからだ。
「そうか、これが、」
聖女の祝福という魔法が私にはかけられていると教えてくれたのはラグナだった。かつて魔王と戦った勇者にもかけられていたという護りの魔法。主に危機を感知して自動的に結界を張るものだと言う。正直すっかり忘れていたが、今発動したのは間違いなくそれだろう。ならば先程聞こえた気がした声は――
思わず口元が緩む。しっかりしてください、と背中を強く叩かれた気分だ。なんだか視界が開けた気さえする。それもこれもグリフォンよりずっと脅威的な奴が私の背後にはいるからだ。
微かに光っていた結界が消えたと同時にまたもや聞こえた甲高い鳴き声。あちこちに作られた渦の影響で荒れた風に揉まれながらもなんとか顔を下へ向けると、先程のグリフォンがまたこちらへ向けて突っ込んでくるのがわかる。
それを確認してから私はまた剣を構えた。今度は両手でしっかりと柄を握って。風に煽られながらも体勢を変え、頭から足まで真っ直ぐになるように。そうして切先を下げた剣に、風の魔術の発動と共に一気に魔力を流し込めば、滞留していたその場から私は押し出されるように真っ直ぐに落ち始めた。
今の私の魔力は、シロが常に側にいてくれていた時のように無限に湧いてくるものではない。針や結界も作れなければ剣に纏わせた魔力の形を大剣やハンマーに変えることも容易ではない。魔王や聖女と相対した時のような戦い方は当然できないのだ。
それでも私には剣と魔術がある。桁外れな魔力とクラヴィアの資料から学んだ術式も、護りの魔法もある。これでグリフォンくらい一人で相手にできなければ方々に顔向けできないだろう。
飛び上がってきた巨大なグリフォンと高速で落下する私の衝突は、それからあっという間だった。
寸前に振り上げた剣は甲高い鳴き声を発するくちばしの下を強く叩き上げる。岩なんかよりもずっと硬い。斬れる気はしないから今は叩くだけでいい。すぐさま伸ばしていた体を丸め風圧を受けてくるりと回転し、そのまま閉じられたくちばしの下に上手く入り込んだところで私はまた頭に術式を巡らせ剣を構えた。
イメージするのは雷。剣に魔力を流しながら、すぐ真横を凄い速さで通り過ぎていくグリフォンの胴体に沿わせて振り上げる。この辺りは腹だ。獣の毛に覆われていて比較的柔らかい。斬るのではなく、撫でるように。風や毛の重さで腕の力が保つかは心配だったけれど、そこは根性で乗り切った。
剣を振り抜けばピリリと一瞬肌に感じた軽い刺激。それを魔力で増幅させると次の瞬間には私の周りに無数の稲妻が現れる。体の小さい私はともかく、この馬鹿でかい魔物がそれに当たらないなんて不可能だ。一瞬でも触れた箇所からそれは体内を駆け巡る。
バチィィイイッ!!
まるで光の爆発だ。カッと辺り一帯を覆い尽くす光と同時に、空気を裂くような爆発音にも似たそれと重なったグリフォンの甲高い鳴き声が一斉に響き渡る。直前に風の魔術でなんとか避難した私は、聖樹の幹の亀裂に捕まりながらその光景を眺めていた。
これで倒せるならば苦労は無いのだけど。そう簡単にはいかないだろうなという私の予想通り、稲妻が消えてからのほんの一瞬は痺れて動きを止めていたグリフォンは、すぐさまバサリバサリと翼を羽ばたかせて浮かび上がってくる。焦げたような臭いはするものの、大きなダメージにはなっていないようだ。
それどころか逆上したグリフォンが更に翼を大きく動かすと幾つもの竜巻が発生し、周囲は嵐と化してしまう。これは最早形を持った自然災害だ。
「それを倒そうとしているんだけど、な!」
荒れ狂う風に紛れて飛んできて風の刃を剣で相殺する。一度ではなく何度も何度も連続で襲いくる刃を払っていると、突然奴の気配がすぐ近くに現れて思わずハッと顔を上げた。まず視界に飛び込んできたのは鋭い爪を持った鳥の脚。何振りかまっていられる余裕も無くその場から飛び退いた私は、咄嗟に風の魔術で方向転換してグリフォンの前脚にしがみついた。
響く鳴き声。引き剥がすために襲いくる後脚。上半身は硬いくせに下半身は驚くほど柔らかく動くから、普通に届くのかよと思っているうちにもガッと勢いよく蹴り上げられた。一瞬光って張られた結界のおかげで痛みは無いが衝撃が体に走り息が詰まる。これは完全に頼るのは良くないなと理解したところで投げ出された空中で竜巻に巻き込まれた。相手の姿を見失う上に方向感覚が狂ってしまう。
遠巻きに見ていたハーピーたちも竜巻に巻き込まれているのか時折飛んでくる黒い塊に結界が反応しているようだった。このままではまずい。そう思って、なんとか両手で握り直した剣に勢いよく魔力を流し込むと、私の周囲に発生した氷の冷気が風に巻き上げられ瞬く間に竜巻全体を凍らせていく。
そんな中で悴む両手と剣を強化して横一線に振り抜けば、スパンと切れた氷の竜巻が徐々に崩れて欠片がバラバラ落ちていくのが見えた。その向こうには相変わらず逆上したグリフォンがギラギラと目を輝かせて真っ直ぐに私を見つめている。
落ちる前に再び足元に発動した風の魔術に乗って上へと向かえばそいつは当然ついてくる。それをチラリと見下ろして、私はまた頭に術式を巡らせた。
剣で斬れる気はしないが、魔術が効かないわけじゃない。ならば少し危険ではあるが更に強力な魔術をぶつけてやればいいだけだ。出し惜しみしていてもやられるのはこちらなのだから。
他の竜巻に巻き込まれないよう、乱れた気流にも流されないようにと風の魔術に魔力を多めに回しながら、剣にも魔力を流し込んでいく。進む度に次々と凍っていく竜巻がそのまま落ちてグリフォンに直接ぶつかるけれど、粉々に砕かれるだけでこれも大きなダメージにはなっていない。しかし速度が多少落ちるだけでも十分だ。
私はある程度上がったところで風の魔術を一旦消した。ふわりと浮かび上がった体をそのままに振り上げた剣は、次の瞬間には轟轟と燃える炎に包まれる。当然イメージするのは炎。それも一度見たことがある、どこぞの女大神官の炎の魔術。
今までに見たことのある魔術を幾つか練習しておいて良かった。多少私の使いやすいように改良してはいるけれど――と燃える剣をグリフォンに向けるとそこから伸び始めた幾つもの炎の細い渦は、ぐにゃりぐにゃりと曲がりながら格子状に辺りに広がってく。大きな籠になるように。巨体なグリフォンを覆ってしまえるくらいに。
そして真っ直ぐに飛び込んできたそいつをバクリと飲み込んだ炎の籠が出来上がるのだ。
「鳥籠にはもう入りたくないな」
黒い鳥籠に閉じ込められたのを思い出して複雑な気持ちになりながらも更に魔力を流し込んでいけば、籠の中は瞬く間に炎に埋め尽くされた。
ぶつかっても壊れない炎の籠の内部で轟轟と燃え盛る炎に包まれ甲高い鳴き声を響かせるグリフォンを、私はまた聖樹の亀裂に手をかけて静かに見下ろしていたのである。




