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放浪のエル  作者: ゆう梨
第五章
191/223

百八十九



 トロップとの交信用の結晶体は変わらず収納袋に押し込んで持ってきたのだけど、エラのあの話を聞いた後では流石に使う気にはならなくて、どうするべきかと考えた末に諦めて放置しておくことにした。あの女がどこかで見ているわけでもない。そんな余裕は無かったと後からいくらでも言い訳もできる。地上の様子が気にならないと言えば嘘になるが、あれが原因で不測の事態が起こる方が困るというものだ。こちらも触れていなければ向こうからの交信が繋がることもないので、あの結晶体についてはそういうことで通そうと私は決意した。


 実際にそんなことを考えていられたのは少しの間だけだったのだし。



「……なんだ?」



 それは、景色の変わらない階段をしばらく登った先でのこと。突然何かの視線を感じて私は思わず足を止めていた。


 前も後ろも私たち以外に何かがいる気配は無い。相変わらず光の粒が舞う明るい通路である。ならば少なくとも聖樹の内側の異変ではないのだろうと考えて、ふと「外は今魔物が多いみたいだから」と言っていたエラの言葉が脳裏を過った。



「わぁー!気付かれたー!」


「食べられちゃうー!」

 


 頭の両側に張り付いていたテテとトトがサッと私の髪の中に身を隠したかと思えばそんな不穏なことを言うからつい私までごくりと息を飲んでしまった。何かいるとすれば聖樹の外側だとは思うが、いったい何がいるんだか。



「とりあえず進んで問題はないな?」


「大丈夫!でも気をつけて!」


「外にいっぱい待ってるよ!」



 なるほど。外にいる何かの魔物の群れに私たちの存在が気付かれたか。しかもそいつらは獲物が出てくるのを今か今かと待っている、と。

 

 私には一切怯えなかった精霊たちがわざわざ隠れるような魔物だぞ。問題ないと言い切ったエラの認識はやっぱりズレているんじゃないだろうか。

 そんなことの考えながらまた階段を駆け上がれば、次第に魔力だけではない明かりが奥から見え始めたことに気付く。そうして最後は走る速度を落として外からの光に目を細めた私はようやく階段の終わりに立ったのである。



「これは……」



 足をかけた階段の最上段は穴の開いた聖樹の側面に直結していて一歩先は空中である。視線を落とせば広大な空にまばらに広がる白い雲が見えた。けれど、そんな美しい景色を邪魔するように辺りを飛び回る無数の黒い魔物の姿が目に入る。

 聞こえてくるのはバサバサと羽ばたく音とぎゃあぎゃあとした耳に付く笑い声。強い風に煽られて舞う黒い羽根が視界を埋め尽くしてしまいそうだった。


 そんな中、ゾワリと寒気が走ったかと思えば目で捉えられる範囲にいる魔物たちが一斉に私を見たのがわかった。ギラギラと輝く目と吊り上げられた口元から覗く鋭い歯。頭から胸の辺りまでは人間の女のような見た目をしているのにそこから下はどう見ても鳥。


 ハーピーだ、と私は瞬時に理解した。



「やばっ……!」



 縦横無尽に飛び回っていた無数のハーピーたちが突然こちらへ向かって一斉に飛び始めた瞬間、私は思わず自分の体が震え上がるのを感じていた。迫り来るハーピーたちの迫力に驚いたのもあるが、階段の出口はひとつしかないのでこのまま襲われでもしたら逃げ場がどこにも無かったからだ。

 とはいえ考え無しに外に飛び出すにはあまりにも無謀すぎる。仕方なく階段を少し下がって素早く手に取った剣を肩に構えた。幸い出口は人一人分くらいの穴だから奴らが入ってきたとしてもこれなら一対一に持ち込める。


 そう思って構えていたのだけど。速度を落とさず突っ込んできた奴らが出口付近で見えない壁のようなものにぶつかって次々と押しつぶされていくのを見て、私はまた別の意味でゾッとしてしまった。



「中には入ってこないよー!」


「中にいる間は安心だねー!」


「……先に言ってほしかったな」



 ひょこりと顔を出した精霊二人は呑気に「びっくりしたねー」と言い合っている。今し方目にしたばかりの光景とは正反対の緊張感のない雰囲気には乾いた笑みが浮かんできた。


 

 そんなことより、おそらく聖樹自体にも王都の結界と同じようなものが張ってあるのだなと思う。そうでなければ今のは説明の付かない出来事だった。ハーピーは明らかに下にいた虫型の魔物たちよりもずっと素早く、凶暴性が高そうな魔物であるのは確実だから。もしかしたら敵として聖樹が自ら弾いているのかもしれないな。それだけ厄介な相手だということでもあるのだけど。



 再び出口の穴に近付くと、見えない壁にぶつかり押しつぶされた個体が空中に投げ出されてそのまま落下していくのを見た。それを無事だった他の個体が捕まえてその場でガツガツと食べ始める。容赦のない共食いを見せつけられて気分は最悪である。



「戦闘は避けられない、か」



 階段の出口はこの穴ひとつ。ここから先に進むには外に出ないと始まらない。問題はこいつらに私の魔術が通用するのかどうか。エラの言葉を信じるなら大丈夫だとは思うのだけど、こればかりはやってみないとわからないというのが私の素直な感想だった。



「いつまでもここで考えていても仕方がない。とにかく突破することを考えて行くからしっかり捕まってて」



 相変わらず緊張感のない二人の返事を聞いてから、私は意を決して階段の最上段を蹴った。出口の穴から外に飛び出せば、またゾッとするほどの視線が四方八方から向けられる。

 そういえばエラは、精霊には死の概念が無いと言っていた。ならばテテやトトもハーピーの餌にはなり得ないのではなかろうか。だとすれば今ここで狙われているのは私一人な訳で……うん、まぁ、邪魔だけはしないでいてくれたらそれでいいか。と、そんなことを考えながら私は頭の中に術式を巡らせた。


 

 足元に風。剣には強化。竜巻を起こして飛び上がった先で待ち構えていたハーピーに勢いよく斬りかかる。すると金属同士がぶつかり合うような高い音が響き渡り、私の剣は鳥の脚に見事に受け止められてしまっていた。なんとか振り払うも風の勢いは無くなり重力に従って落ち始める。

 すぐさま集ってきた他の個体には今度は時間の魔術で静止をかけて、素早く踏みつけながら上を目指しつつ、側にいる奴らを風の魔術で遠くに吹き飛ばして進んでいく。一先ず落下は防げたものの、あっという間に魔術は解けて動き出したハーピーたちは再び一斉に襲いかかってくるのだ。これでは埒があきそうに無い。


 ならばと私は突破することを諦めて奴らを倒す方向へと舵を切った。最早数えきれないほどの数が辺りには集まっているのだけど、大群との戦闘はもう何度も潜り抜けてきたのだからやってやれないことはない。



 聖樹の幹にある亀裂を掴んで止まる。すぐに狙いを定めて一直線に突っ込んでくる無数のハーピーたちをザッと見渡して私はまた頭の中に術式を巡らせた。

 

 この辺りは聖樹の魔力のおかげなのか、私も奴らも環境の影響を受けていない。吐く息は白いのに体感はやや肌寒い程度なのである。自分の体の保護に魔力を回さなくていいのであれば遠慮なく魔術が使えるというものだ。



 イメージするのは水が氷へと変わる凝固現象。湿気の少ないこの場所では少し扱い難い魔術だが、これだけ生き物がいるのだから材料はそれなりにあるはずだ。

 動きを止めるだけではどうにもならなかった。ならば一撃で相当数を戦闘不能に追い込むだけである。


 

 深く息を吐き出すとパキパキとした音を耳が拾う。大群が迫り来る様子をジッと見て、視界が黒く埋め尽くされたところで私は持っていた剣に勢いよく魔力を流し込んだ。その瞬間、風のように広がった魔力の圧は空気を震わせ私の魔術の影響下にあった水分を一瞬にして凍らせていく。空気中の水分も、魔物の体内にあるそれも。

 空気がキラキラと輝いて見えるその中で、体の内側から凍ったハーピーたちがバキリバキリと音を立てて氷の結晶に覆われていく様子は、残酷だがどこか美しくもあった。


 そうして完全に結晶に覆い尽くされたそれが重力に従って落ちていくのを見ながら意識だけを辺りに巡らせると、今の魔術から逃れた奴らが私からある程度距離を取ったところで右往左往と飛んでいるのがわかる。これならしばらくは手を出してこないだろう。そう思ってまた聖樹を登る方に意識を切り替えた瞬間、またもや背筋に走る寒気。ハッと目を向けた上空から何か大きなものが落ちてくる。



 よく見ればそれは鳥の上半身、獅子の下半身、背には大きな翼を持つ巨大な魔物だった。耳を裂くような甲高い鳴き声を響かせながら真っ直ぐに落ちてくるその魔物は。



「グリフォン……!」



 エルなら問題ないだろう、と平然と送り出してくれたエラをほんの少し恨みそうになったのは仕方がなかったと思う。



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